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感情の昂りが信竜の身体をわなわなと震わせた。
「よく辛抱されました」
藤十郎が言った。
信竜を見る眼が熱い。
主の心情に藤十郎も呼応しているのか。
「俺は小諸義時様が好きだった」
信竜が言った。
「確かに戦国の世を生き抜くには頼りなかったかもしれぬ。しかし、人として」
信竜の目が開いた。
「誰に対しても分け隔てなく優しい義時様が俺は好きだった。俺の父が義時様だったら…何度、そう思ったことか」
「………」
「俺は母の愛も知らぬ」
信竜の幼き頃から信虎は一切の甘えを許さなかった。
信虎を恐れた妻は夫の言いなりとなって、我が子を遠ざけた。
故に信竜は母の愛を知らない。
「俺は家族の愛を知らぬ」
「………」
藤十郎は、ただ黙って信竜の言葉を聞いている。
「柚子様との縁談が持ち上がったとき…」
「………」
「俺は死ぬほど嬉しかった」
「………」
「柚子様の可憐さにすぐさま虜になった。だが、それだけではない。あの方となら本当の家族を作れると思ったのだ。奴と違い、温かい家庭を作れると」
信竜はそこで少し黙った。
収まっていた震えが再び始まる。
「だが、奴はまた奪った!」
信竜の顔に隠しようもない怒りが噴出した。
皮肉なことに、そうした表情の信竜には信虎の面影が浮かびあがるのだ。




