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「手合わせするか」
信竜が振り返った。
満面の笑みだ。
この男には父の信虎が持つ、他人を怯えさせる威圧感が無い。
代わりに人をほっとさせる人懐こさがあった。
とても血の繋がった親子とは思えない。
「はっ」
藤十郎が立ち上がった。
藤十郎の右手にも木刀が握られている。
二人は向かい合い、構えた。
「いくぞっ」
信竜が気合いと共に打ちかかった。
藤十郎が受ける。
二人の剣術は容姿と同じく真逆であった。
信竜は体格を生かした荒々しい攻め。
藤十郎は攻撃を巧みに捌き、信竜の隙を突こうと狙う。
十合ほど打ち合ったところで勝負はついた。
信竜の一撃が藤十郎の手から木刀を弾き飛ばしたのだ。
「参りました」
藤十郎が平伏する。
「うむ」
信竜が満足げに頷く。
「藤十郎」
「はっ」
「例の首尾は?」
「問題なく進んでおります。二、三日中に全て整うかと」
「そうか…」
信竜は険しい表情になった。
先ほどの藤十郎との手合わせのときも真剣な表情ではあったが、今とは大きく違う。
手合わせ中は険しいながらも、どこか清々しさが滲み出していた。
それは信竜自身が藤十郎との手合わせを楽しんでいた証と言える。
今の信竜の表情は暗い。
「このときをどれほど待ったことか…」
信竜はゆっくりと両眼を閉じた。




