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その言葉が柚子の心に深い影を落とす。
柚子は信虎の息子、信竜を思い出していた。
父である小諸義時が信虎に討たれて以来、信竜のことを考えるのは無意識に避けていた。
一度は信竜の妻になりたいと思いもした。
しかし、今はそれも叶わぬ。
信竜は当然、信虎の一味に加担しているだろう。
柚子が復讐を果たすためには信竜は倒すべき相手である。
枯れ大木に吊るされた二人の顔に信竜のそれがぼんやりと重なって見えた。
胸の痛みが更に激しさを増し、心臓をわし掴みにされたように感じる。
(信竜は信虎の息子…敵だ…敵だ…)
柚子は何度も自らに言い聞かせた。
だが、一向に信竜に対する憎悪が湧いてこないのだった。
あばら家の中では冥と骸が相対していた。
骸は二人を見送ったときと同じく部屋の隅で、じっとしている。
冥は骸の前で仁王立ちしていた。
「何のつもりだい?」
冥が言った。
口調が、やや強い。
骸は答えない。
黙って冥の顔を見ている。




