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信虎が柚子を生かしておくはずがない。
だが今は、これしかないのだ。
信虎が柚子を殺した後で、その仇を討つという選択は信竜には出来ない。
信竜には柚子が全てである。
眼前で柚子の命が絶たれるなど考えられない。
例え自分の死後、信虎が柚子を殺すとしても。
ほんの一時でいい。
生きていて欲しかった。
信竜が大刀の刃を自らの首に当てた。
信竜と柚子の眼が合った。
柚子は声を出す力も無く、ただ泣きじゃくっていた。
信竜が自分のために死のうとしていることが眼を見て分かった。
迷いは消え去った。
柚子は信竜を愛している確信を得た。
信竜を死なせるわけにはいかない。
首に当てられた信虎の刀に自らを斬らせ、死のう。
決心した。
二人の若者が死を覚悟した、そのとき。
突風が吹いた。
生暖かい風が、その場の全員の眼を閉じさせた。
再び眼を開けた人々は、先ほどまで確かにこの場に居なかった者の姿を見た。