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信竜は本陣内へと入った。
陣幕に囲まれた中心に二つの人影が見える。
一人は男だ。
信竜がこの世で最も憎む者、信虎である。
鎧は着ていない。
信虎の姿を見た信竜は全身の血が一気に煮えたぎった。
信虎の足元には一人の女が座り込んでいる。
うちひしがれたように、ぐったりとして動かない。
「柚子様!!」
信竜が女の名を呼んだ。
脱け殻と化していた柚子の顔がゆっくりと上がり、虚ろになった両眼が己の名を呼ぶ者に焦点を合わせた。
「信竜…様?」
弱りきった姿を見られ、死にたいほどの羞恥が湧きあがってくる。
しかし、信虎によって殺される前に想い人に逢えたことは素直に柚子の胸を熱くした。
信虎に痛めつけられたおりに枯れ果てたと思われた涙が、柚子の双眸より再び流れだす。
「助けてっ!!」
柚子は叫んでいた。
心の底からの想いが口をついて、ほとばしった。
幼子のように顔をくしゃくしゃに歪め、柚子は泣いた。
その泣き声を聞くや信竜の身体が跳ねた。
兜を投げ捨て、真っ直ぐに柚子と信虎のほうへと走りだす。
鬼の形相だった。
陣幕が一斉に、めくれ上がった。
外を囲んでいた兵たちが、どっと雪崩れ込んでくる。
兵たちは信竜の前へと突入した。
それぞれの武器を構え、信竜を阻む壁となった。
「どけーーーっ!!」