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侍はその後を追うことはせず、じっと幻斎の姿を見ていた。
両者が動きを止めた。
「ふふふ」
侍の口から洩れる笑い声が静寂を破った。
「幻斎」
侍が言った。
幻斎は答えない。
侍の声は幻斎の知る信竜の声ではなかった。
幻斎はその声を知っている。
「藤十郎か…」
幻斎のしわがれた声が侍の正体を言い当てた。
侍が兜を脱ぎ捨て、素顔をさらす。
その顔は紛れもなく藤十郎のものだった。
「残念だったな」
藤十郎が、にやりとした。
刀を正眼に構え、幻斎と相対する位置取りだ。
「お前を殿には遭わせはせぬ」
そう言って、じりじりと迫ってくる藤十郎を幻斎の隻眼が、じっと見ている。
感情の無い、まるで死人の眼だ。
その瞳が激しく動いた。
ゆっくりと間合いを詰めてきた藤十郎が、一気にその動きを速めたためだ。
振り上げた刀を幻斎の頭めがけて走らせてくる。
当たれば確実に致命傷となる。
弧を描いた藤十郎の刀身は、しかし何者も捕らえなかった。