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黄色がかった隻眼が信虎を真っ直ぐに見つめている。
幻斎が口を開いた。
「信竜側に動きはありませぬ」
「そうか」
信虎に冷静さが戻った。
足元で依然として苦しむ柚子の存在など、忘れてしまったようだ。
「信竜は甘い。必ず降伏する」
信虎には確信があった。
信竜が生まれてから今日まで、我が子の他者への無意味な情の深さに何度、もどかしい思いをしてきたことか。
ましてや柚子に対する執着ぶりは、たとえ信竜が周りに悟られぬように胸に秘めたとしても父である信虎には手に取るように分かった。
信虎にとっては無価値な恋情のために信竜は命を捨てるだろう。
「しかし、時が経てば」
幻斎が言った。
幻斎の配下によって、すでに隣国の動きは信虎にもたらされている。
この場の戦いが長引けば、鬼道城が隣国軍の手に落ちるやもしれない。
幻斎はそのことを言っているのだ。
「………」
信虎は考えた。
それも一瞬。
「幻斎」
幻斎が頭を垂れる。