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息を吸うことも、ままならない。
信虎の足元で空気を求める柚子は必死で足掻いた。
その姿は、ついこの前まで城主の娘であったと思えば、あまりにも無惨なものだった。
柚子の美しさが、かえって酷さを増した。
哀れ、虫のようにじたばたとする柚子に信虎が「今、ここで死ぬかっ」と怒鳴った。
信虎の眼つきは激しい怒りに妖しく光り、踏みつけた右足にはより一層の力が入る。
(殺される)
あばらが折れるか、息が絶えるかというところまで追い込まれ、先ほどまでの柚子の闘志は粉々に吹き飛んだ。
恐怖と苦痛に顔が歪む。
「殿」
突然、声がした。
老人の声だ。
その声は信虎の背後から聞こえてきた。
信虎が柚子の上に置いた足をどけ、背後を振り向く。
いつの間に近づいたのか、信虎のすぐ近くに忍び装束の老人がひざまづいていた。
「幻斎」
信虎が老人の名を呼んだ。
幻斎は無表情だった。
深いしわの刻まれた顔は、まるで樹皮のようだ。