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思わぬ荒々しい扱いに信竜を振り返り見た柚子は、そこに仇、信虎によく似た面影を認めぞくりとした。
「柚子様、もう離しませんぞ」
大山城からの追っ手を苦もなく振り切って脱出した冥は逃げ込んだ林の中で、骸の巨体を降ろした。
息ひとつ乱していない。
常人であれば骸と共に地面に叩きつけられ、その無惨な死体を城兵たちに発見されているはずだった。
が、冥はあの高さから飛び降りながら猫の如く見事に着地し、細い脚に何の怪我も負うことなく、ここまで骸を運んできたのだ。
骸の方はというと信竜に腕を斬り落とされた直後の泣き叫びこそ収まったが、低いうめき声を洩らし傷口を抱え込み、うずくまっている。
冥が手にした骸の右肘から先の部分に眼をやった。
布に巻かれた骸の右手はどういう理由か土くれのように崩れ始め、原形を留めていない。
「これはもう駄目だね」
冥が強く握ると骸の右手は粉々になった。
冥はうずくまる骸の肩に手をのせた。