花火
オトの告白からしばらくした頃、ジャンパーを頭から被り、警察車両に押し込まれるオトの父ちゃんの姿が、テレビのニュースで幾度か流れた。
こんな大きな事件だっていうのに、町の人達は表向きはいつもとなんにも変わらなくて、まるで何事もなかったかのようだった。
だから俺たち子どもたちも、なんだか触れてはいけないことのような気がして、オトの父ちゃんについてはめったに口にしなかった。
誰もが知ってる。みんなわかってる。でも、あの時は、誰も見えないことのようにして、知らんふりしていた。
今になると少しわかるんだ。
結局オトの父ちゃんはあの小さな町ではよそ者だった。
それに、殺された人もこの町の人ではなかったし、殺人が行われたのも、オトの父ちゃんがこの町に流れてくるより前のことだった。
よそ者を外に吐き出して、あの町は平静を取り戻していた。
ただその日常の中で、オトの家族だけが置き去りだった。
そうして、いつしか季節は夏になっていた。
俺は変わらずオトの友達だった。
というより、オトはいいやつだったから、オトの友達はみんなそのままオトの友達だった。
「瞬、音くんが頑張っているなら、あんたも今までと同じにしてあげなさいよ」
と母ちゃんに言われた。
そんなこと言われなくったって、わかってるっつーの!
と思ったが、あの頃の俺はそれ意外の方法でオトと向き合うことが出来なかっただけなんだよな。
そして、あの日がやってきたんだ。
その日は夏祭りで、あの春のお祭りよりももっと大きなお祭りだったから、町は丸一日浮かれた雰囲気に包まれていた。
もともとは単なる盆踊りだったんだけど、今では花火大会やらよさこいまで行われる『なんでも来い』なお祭りだ。
「ねえ、今日一緒に花火、見ない?」
お昼ころにオトから電話があった。それまで寝コケていた俺は、受話器を肩に挟み、目をまだ閉じたままで「おー、いーよー」と答えていた。
オトの住んでいたマンションの前についた時は、まだ空は青かった。
「ここは入れんだ」
玄関で靴を脱ぎながら、出迎えてくれたオトに俺は聞いた。オトの一家はマンションを引き払って、じいちゃんの家に身を寄せているはずだったからだ。
「うん。今は住んではいないんだけどね。まだ借りてるんだ。ここのベランダからだと、花火がよく見えるんだよ」
オトに「どうぞ」と促されて部屋の中に入ると、まだ以前使っていたものが置かれたままになっていて、なんだかすでに懐かしい。
この家には何度もお邪魔したことがある。
部屋の中はクーラーがかけてあって、程よく涼しくなっていた。
リビングのソファに勢いよく腰を下ろすと、昔に戻ったようで、あっという間にくつろいだ気分になる。
「あの、僕焼きそば作ろうか?」
「へ? まじ?」
オトははにかみながら対面式のキッチンの中へと入っていく。
「あの、今日は僕がお店屋さんをしようと思って、えっと、ポテトも焼きそばも、かき氷もできるよ」
「へえ、すげえなオト」
オトはうつむいたまま赤い顔をして笑った。
「なににする? 食べたいのある?」
「何が出来るんだよ?」
俺はカウンターににじり寄り、キッチンの中のオトを覗き込む。
「焼きそばだろ? ポテトは塩味しかできないけど……お好み焼きもできるよ。あと、綿あめもあるんだ。それからレンチンだけど焼き鳥だろ? あとかき氷」
「すげえな! どんだけ本格的だよ! 焼きそばもいいけど、お好み焼きもいいな。ポテトもつまみたいし……」
ぷっとオトが笑った。
「全部じゃん」
「しょうがねえじゃん。全部食いたいだろ?」
「うん、待っててね」
それだけの準備をするのに、中学生のオトがどれだけ大変だったかなんてことを、あの時の俺には想像できていなかった。
作り方だって調べたんだろう。材料用意するのだって、俺だったら出来なかっただろうと思う。
そりゃあお好み焼きだって、全部袋に入った『お好み焼きセット』を混ぜて焼いただけだったけど、俺はあんなセットが売ってるってことすら知らなかった。
お好み焼きと焼きそばと、レンジでチンしたフライドポテトと焼き鳥がテーブルの上に並ぶ。
変なことをよく覚えているもので、その頃には、外が暗くなりだして、部屋の電気をつけた。それから、あの時のお好み焼きは最高だった。屋台のよりぜんっぜんうまかった。
おれが何度も「すごい」「うまい!」と、連呼すると
「なんか、あるもの全部入れちゃったんだ」
って、やっぱりどこか恥ずかしげにオトは笑ってた。
ちょうど食べ終わった頃に花火が始まる。
ドン!
大きな音がして、俺達は外がすっかり暗くなっていることに気がついた。この部屋からだと、会場のアナウンスまで聞こえてくる。
オトが部屋の電気を消した。
「花火見ながらかき氷食べようよ」
空になった皿をキッチンへ運ぶとオトが冷凍庫からかき氷用の氷を出していた。
「ブルーハワイ?」
「うん。でも他のもあるよ」
オトは小さなゼリーの容器のようなものに入った色とりどりのシロップがつめ合わされている袋を持ち上げて見せてくれた。
「あー、でも俺なんだかオトの影響でかき氷といえばブルーハワイなんだよな」
そう言うと、オトはびっくりしたような顔をして、ずうっとうつむいていた顔を上げた。
その日初めてオトと目があった。
「なんだよ?」
「ううん。シュンもブルーハワイ好きになってくれて、うれしいよ」
そう言うと、オトはまたすぐにうつむいてしまった。
「ぼく作ってくから、シュンは花火見ててよ!」
と背中を押されて、俺はおとなしくリビングへと戻る。
俺はソファをベランダの前に運んで、戸を開けた。ムワッとした空気が部屋の中へと流れ込んできたけれど、夜だからそれほど暑くはないようだった。
しばらくしたら、オトがかき氷を二つ運んできて、氷を手にソファに並んで夜空を見上げる。
打ち上がる花火が窓いっぱいに広がった。
「すげえな」
「うん」
まるで貸し切りで映画でも見てるみたい。
いや、打ち上がるのは本物の花火なわけで、映画よりもっとすごいかも知れない。
「あの、ね」
かき氷を食べ終わると、隣に座るオトが言った。
「なんだよ」
オトの声に改まったような響きを感じて、俺は聞き返す。
「シュンに、実はね、話があったんだけど……」
「おう」
「僕ね、夏休みの間に引っ越しをすることに決まったんだ」
予想外だった。
ホント今思うとバカだったと思う。オトたち一家が引っ越すのではないかというのは、今の俺だったら容易に想像がつく。
みんな表立ってなにか言ったりしなかったとしても、明らかにオトたち一家に対する態度は変わっていただろうし、特にオトの母ちゃんにはいたたまれない状況だっただろう。
なのに俺ときたら、オトが転校するなんてことは、これっぽっちも考えていなかったんだ。
「お母さんがね、ここにいたくないんだって。それに妹もさ、お父さんが捕まっちゃっただろう?」
中二の俺にも、その言葉にははっとするものがあった。
オトは、アイツと血がつながってるわけじゃない。だからアイツが捕まったって、オトには関係ないって思ってたけど、オトには妹がいる。妹は戸籍の上だけじゃなくて、アイツの血をひいてる。この町にいれば殺人者の娘だと言われ続けるんだ。いや、面と向かって言わなくても、それをみんなが知っている。
「どこに引っ越すんだよ」
俺の言葉に、オトは答えなかった。
俺たちが会話をしている間も、ドーン、ドーン、と花火の音は聞こえていたけど、俺はもう花火なんて見ていなかった。
ただ、時折目の前がぱあっと明るくなって、その薄暗い光にうつむいたオトの横顔が浮かび上がるのを眺めていた。
「……どこか、遠いところなんだって。お母さんが、この町のことを考えたくないっていうから、誰にも引越し先を教えちゃダメだっていうんだ」
「なんだよそれ!」
初めて俺はオトの母ちゃんに憤りってやつを感じていた。
「オトはなんにも悪い事してないだろ? どうして? なのになんでオトが振り回されなくちゃならないんだよ!」
オトは笑いながら俺を見上げた。
笑うなよ!
なんで笑ってられるんだよ!
俺の怒りはオトにまで向かっていて、俺は思わず音の肩に手をかけた。
「えへへ。シュン。ありがとうね。でも僕、今度は僕がお母さんと妹を支えてあげなくちゃって思ってるんだ。お母さん、お父さんが捕まってから、一歩も家から出てないんだ。僕料理もできるようになったでしょう? だから引っ越したら僕が買い物だって、お料理だってできるよ」
そのおまえの母ちゃんが、おまえを支えてくれてたことなんてあるのかよ!
そう言ってしまいそうになる言葉を、歯を食いしばって飲み込んだ。なんだかそれは、言ってはいけない事のような気がしたからだ。
オトの目に透明な珠が浮かび上がる。今にも零れ落ちそうに、盛り上がって、瞳を揺らしている。
「オト!」
俺の声に驚いて、瞬きをした途端、オトの瞳からそれはコロンと転がり落ちた。
俺はもう何も言えずに、ただオトの頭を抱きしめていた。
これが、俺の中に残る、オトとの最後の記憶だ。
オトから手紙が届いたのは、その数日後のことだった。




