百三十八話 VS影の魔物
土煙が晴れる。
いくつもの小さなクレーターの中心には、ところどころ黒い霧の剥がれた影の魔物が立っていた。
霧が剥がれた部分からは、全てを吸い込むような黒ではなく、僅かに赤味の混ざった黒い肌が見えている。
どうやら全身を覆っていた黒い霧のせいで、真っ黒い姿に見えていたみたいだね。
というか、今のリルカの炎でも全て取れないとか、どれだけの量が入るのよ、あの黒い霧。
「お主たち、分かっているな?」
ミーシャと一緒に後ろへ下がりながら、エステルさんが注意を促してくる。
うん、分かってるよ。
私は影の魔物から目を離さないように少しだけ首を回して頷く。
エステルさんから教わった影の魔物の特徴、その二。
影の魔物は大人しすぎる――。
かつてエステルさんの故郷を壊滅させた、エステルさんの体組織を取り込んだ元人間の魔物たち。
その時の魔物は、暴れるように建物を破壊し、人を襲う、狂暴な魔物だったという。
対して影の魔物はただエステルさんを追うようにゆっくりと歩いているだけ。
長い年月を経たせいか、それともエステルさんの魔物としての性質が変わったのか。
私はそう考えたけど、リルカやエステルさんの見解は違った。
「……多分その収納魔法に力を回し過ぎている」
「妾も同意見だ。ゆえに、霧を取り払った後からが本番だと思え」
――そんな会話を思い出しながら、私は影の魔物の方へと顔を戻す。
すると、影の魔物を覆っている黒い霧が、剥がれるように徐々に晴れていく。
うん? 魔法を維持できなくなった……?
意見を求めるためリルカへ視線を向けようとした、次の瞬間。
影の魔物が大きく跳躍した。
私は伸ばしていた蔓を二本動かし、身体の前でクロスさせる。
一気に間合いを詰めてきた影の魔物の尖った指先がクロスした蔓の中心に突き刺さる。
ぐうっ……!
勢いを止めきれず、私の身体はそのまま数メートルほど後ろへ飛ばされた。
「お花さんっ……!」
ミーシャの悲鳴にも似た声に、私は大丈夫だと答えるように後ろの蔓を地面に突き刺して空中で体勢を整えると、地面に着地する。
急いで影の魔物を見るが追撃して来る気配はなく、さっきまで私がいた場所で小さな頭をキョロキョロと動かしている。
そして真っ赤な目が近くにリルカに向いて止まった。
……ヤバい!
リルカは接近戦もこなせる万能型の魔法使いだけど、だからと言って得意という訳ではない。
むしろ苦手だったからこそカバーできるように『燐火』をアレンジしてきた。
けど、影の魔物のように並外れた力を持った相手にはさすがに敵わない。
今、リルカは大規模な魔法を撃ち終えたばかりで、魔力が練れていない。
私もこの距離を詰められる魔法は――精霊魔法がある、けど間に合うか……!?
「させないっ!」
私が魔法を構築し始める直前、後ろにいたミーシャが声を張り上げた。
振り返らずに魔力探知で探ると、ミーシャに集まった大量の魔力が一気に消費される。
私は自分の身体が軽くなるのを感じた。
同時に、影の魔物が地面を蹴ってリルカに迫る。
そして影の魔物が降り下ろした腕を……リルカはすんでのところで横へ飛ぶようにして避けた。
そのままリルカは私の隣まで下がってくる。
「……危なかった。ありがとうミーシャ」
「ううん、リルカさんが無事で良かったの」
ミーシャが使ったのは支援魔法の一つ、『身体強化魔法』。
名前の通り、対象者の身体能力を強化する魔法だ。
そのお陰で今の私たちは普段よりも力が上がっており、リルカもギリギリで影の魔物の攻撃を避けることができたというわけだ。
自分の腕が空を切ったことに気付いたのか、影の魔物の赤い目がすぐに私とリルカへと向けられる。
「……アルネ。しばらく引き付けられる?」
視線だけをこちらに向けて尋ねてくるリルカ。
それと同時に影の魔物が三度地面を蹴って突っ込んでくる。
もちろん、任せて!
私はリルカへの返事代わりに半歩移動し、リルカと影の魔物の間へ身体を滑り込ませると、後ろの二本の蔓で再び貫手を防ぐ。
先ほどと全く同じ一撃だけど、今度はミーシャの身体強化魔法があるため、私は後ろに飛ばされることなくなんとか受け切る。
まだまだ!
さらに前の蔓二本を影の魔物の伸びた右腕に巻き付かせる。
そして……せーのっ!
私は影の魔物の横へ一歩踏み込むと、力一杯に蔓を引っ張り、地面を引きずるように影の魔物を投げ飛ばした。
「乱暴だの……」
風に乗ってエステルさんの呟きが聞こえた気がするけど……。
うん、気にしたら負けだね。
影の魔物はクレーターを越えて遺跡の入口近くまで飛ばされたところで、地面に手足を付けて止まった。
私たちのいる場所と影の魔物の場所まで、およそ二十メートル弱。
よし、これで時間は稼いだよ!
「ありがとう……。あと危ないから下がって」
リルカの言葉に私は慌ててその場から飛び退き、リルカの斜め後ろへ下がる。
そこには、大量の魔力を纏い、影の魔物へと先端を向けた杖からバチバチと青白い火花を飛び散らせているリルカの姿があった。