百三十三話 影の魔物の正体
「んむゅ……もう食べられないの、お花さん……」
身動ぎしながら寝言を言うミーシャに、私たち三人は顔を見合わせて思わず吹き出した。
ミーシャを起こさないようひとしきり忍び笑いをした後には、エステルさんはいつもの調子を取り戻していた。
「暗い話はここまでだ。スライムの特性を受け継いだため朽ちることのない身体を手に入れた妾は、それから百年ほど旅をした」
「百年……」
「……百と五十年ほどだったかの」
リルカの呟きに、ついと目をそらしながら訂正するエステルさん。
いや、今なんでサバ読んだし……。
百年も百五十年も変わらないでしょ。
エステルさんは「こほん」とわざとらしく咳払いすると、話を再開する。
「各地を旅した妾は、故郷であるこの地へ再び戻ってきた。さすがに百年以上も経っていると、妾のことを知っている者はいなかった。――ああ、そんな顔をするな。噂を消すためにわざとやったことだ」
知っている人がいなかったと聞いて私は悲しげな顔を浮かべていたのか、エステルさんは慌てたように付け足す。
なるほど、吸血鬼だってバレてたら暮らせないもんね。
「立て直された村で妾は暮らし始めた。だが、そこでまた二つミスを犯した。一つは妾のことを知っている者がまだ生きていたのだ」
「……百五十年も経っているのに?」
「種族は分からないが長寿の亜人だったのだろう。暮らし始めてから数ヵ月ほどして、討伐隊が組まれた。まあ、不死の身体を持つ妾の討伐なぞ不可能だ……そう思っていた」
エステルさんは昔を思い出すように目を閉じながら話していたが、そこまで言うと目を開いた。
「妾はこの遺跡――かつてはここまで広くないただの洞窟だった――に誘き出され、まんまと封印されてしまったのだ」
「……封印?」
……うん?
封印と聞いて、私とリルカが同時に反応した。
え、この遺跡に封印って、エステルさんが?
突然告げられた事実に、私は頭が真っ白になる。
アッリさんの話などからして、私たちはあの影の魔物が封印されていたのだと推測していたんだけど……。
間違いだったってこと?
「……アルネ」
リルカも珍しく動揺したような声で私を呼ぶ。
……そうだね、まずは確かめてみないと。
私はリルカの補足を交えながら、エステルさんにこの遺跡に来た目的を話した。
さらにはこの遺跡で影の魔物に出会ったこと、影の魔物がこの遺跡に封印されていた魔物で私たちが追っていた魔物だと推測して調査しにきたことも付け加える。
私たちの目的を伝え終えると、エステルさんは「ふむ」と何かを考えるように口に手を当てた。
「そのすたんぴーど……だったか、そこに現れたのはドラゴンだったかの?」
「……確かにドラゴンもいた。何でそれを?」
「ああ、いや……それ恐らく、妾のせいだの……」
またしても爆弾を投下するエステルさんに、場の空気が凍りつく。
えーっと……?
「そ、そんな目で妾を見るな……! 面白半分で近寄ったら勝手に逃げて行ったのだ。わ、妾は悪くないぞ!」
いや、エステルさんが悪いとは一言もいってないけど。
というか、面白半分であのドラゴンに近づくって……。
やっぱり規格外だったんだ、エステルさん。
それはさておき――なるほど。
なんとなく話の全容が見えてきた。
つまり、遺跡に封印されていた、そしてスタンピードを引き起こした原因となった魔物がエステルさん。
そして調査隊が発見し、マテオンに避難勧告が出される原因となった魔物が、例の影の魔物ということか。
ただ、事実関係が明らかになったところで、一つだけ疑問が残る。
「……あの影の魔物は一体何?」
私が黒板に書くよりも早く、同じ疑問に行き着いたらしいリルカが口を開いた。
「妾は悪くないぞ……」と呟いていたエステルさんだが、リルカの疑問を聞いて顔をあげた。
「こほん……。そうだな、それが二つ目のミスだ。妾は封印される前、抵抗して討伐隊の一人の喉元に全力で噛み付いたのだ。他の討伐隊も、もちろん妾も、それで死んだと思った」
え、もしかして、それって。
「お主らが影の魔物と呼ぶ魔物――あやつは妾の体組織を取り込んだ元人間。そして暴走した魔物だ」
「……確証は?」
「あやつは妾と全く同じ魔力を持っている。それに封印から目覚めてからこのかた、ずっと付け回すように移動している。妾の魔力に釣られているのか、もしくは妾のことが憎いのか」
くつくつと笑うエステルさんだが、いつもの覇気はない。
人を魔物化させてしまったことをよほど気にしているのだろう。
スタンピードの原因を作っていたエステルさんだけど意図していないものだし、やっぱり悪い人ではないみたいだね。
ただ、その前にもう一つだけ聞いておくことがある。
私は手にしたチョークを動かす。
『討伐しない?』
実際にこの目で見たことはないけど、エステルさんの実力があれば、あの影の魔物でも楽に倒せると思う。
それをしないのは何故なのか。
「妾と同じ体組織を持っているのだ。いくら妾が強力な魔法を作ろうとも、あやつには一切効かない。初めて攻撃した際に魔法が掻き消えたときは、さすがの妾も焦ったがの」
うん、なるほど、よく分からない。
同じ体組織を持っていると魔法って通じないものなの?
いや、そもそもそんな状況自体あり得ないことだから、考えるだけ無駄か。
「だから待っていたのだ。あの影の魔物を討伐できるだけの実力を身に付けられる者。妾と同じ『魔神』のお主をの――」