百二十話 いつもの歩幅
お礼も言えないままエステルさんがいなくなってしまったのは、ちょっと残念だけど……。
またそのうちに会える――不思議とそんな気がして、私は気持ちを切り替えた。
「うう……疲れたの」
身体を覆っていた回復魔法の魔力が消えたところで、私は目を開ける。
腕を持ち上げて軽く握ったり開いたりしてみると、やや痛みが残っているが、問題なく動かせる。
さすがエリューさん直伝の回復魔法。
それに、可愛い猫耳っ娘が懸命にかけてくれるというだけで癒し効果も倍増だね。
……冗談はさておき、前よりも直りが早いのは気のせいではないだろう。
王都にいた時も毎日のように練習を続けていた成果が出てきたのかな。
私は上体を起こすと、心配そうな目を向けてくるミーシャの頭に手を置き、さらさらな黒髪を撫でる。
いつもありがとう、あと心配かけてごめんね。
ミーシャは目を細めながら、まるで私の心の声に返事するように「ん」と小さく声を漏らした。
そのまましばらく撫でていると、魔力一つが近付いてくるのに気付いて手を離した。
って、あれ?
そういえば、いつの間にか目を閉じなくても魔力探知できてる?
思い返してみると、ディーツさんの剣に魔力が集まるのも分かったような……。
漫画などでよくある、戦いの中で成長した、というやつかな。
まあ、考えても分からないし、できてラッキー程度に思っておこう。
魔力が近付いてくる方、左へと顔を向けると、誰かが近付いてくるのが見える。
光を放っている魔石が私の近くとディーツたちのところにそれぞれ置いてあるみたいで、ちょうど挟まって影になっている。
まあ、とんがり帽子のシルエットからして、誰かはすぐに分かるけど。
「……アルネ。もう起きて大丈夫?」
私のすぐ左側に腰を落としたリルカへ頷いて返す。
ミーシャの回復魔法のお陰でもう動けるよ。
あー、あとポーションも、か。
半分噴き出したけど。
「それなら良かった。いくつか聞きたいけど……。まず黒板は?」
そう言って右――私の斜め後ろへ目線を向けるリルカ。
釣られて振り返ると、そこには紐で背中に縛りつけていたはずの袋が地面に置かれていた。
袋の周囲には割れたポーションの瓶や潰れた軟膏の小箱などが散乱している。
あー、うん。
ディーツさんとの戦闘中に思いっきり背中から倒れ込んだからなー。
ああなるよねー。
「……今はもう持っていないことはよく分かった」
私が遠い目で残骸を見つめていたのを何か勘違いしたのか、リルカは変に察してくれる。
まあ、合っているからいいか。
「ここからが本題。ディーツさんと戦う前に一緒にいたという人は誰?」
えっと……エステルさんのことだよね。
名前と吸血鬼だということは聞いたけど、他は何も知らない。
むしろ私が知りたいくらいだよ。
どう伝えようかと首を捻っていると、リルカは「分からないならいい」とそこで話を切った。
「次。何故ディーツさんと戦っていた?」
ああ、それは向こうから攻撃してきたからだね。
戦ったというより防戦していただけだけど。
敵対するつもりはないと伝えたつもりだけど、かといってディーツさんが悪いわけでもなく、喋れないし黒板もないから通じなかったのはどうしようもない。
私は蔓を一本伸ばして自分に向けてゆっくり振り下ろし、両手でそれをガードする真似をしてみる。
「――もう! だからお花さんは悪くないって言ったの!」
すると突然、何故かミーシャがぷくっと頬を膨らませながら立ち上がった。
え、どういうこと?
というか今の伝わったの?
「ほら、お花さん! 一緒に来て!」
そして私の右腕を取ると、立ち上がるように引っ張り出した。
ちょっ、まだ痛いから強く引っ張らないで……!
「落ち着いてミーシャ。……アルネの腕が抜ける」
「あっ! ご、ごめんなさいなの」
リルカの言葉でパッと手を放してくれるミーシャ。
心配そうに私の腕を見ているけど、本当に抜けるわけじゃないよ?
私は苦笑しながら伸ばしたままの蔓を杖代わりにして立ち上がり、ミーシャの頭をぽんぽんと軽く撫でる。
申し訳なさそうに見上げてきたミーシャに大丈夫だと笑いかけると、その左手を握った。
「相変わらず仲が良い」
その様子を隣で見ていたリルカが呆れたような、でもどこか穏やかな表情で呟いた。
で、向こうのディーツさんたちのところへ行けばいいのかな?
私は左手の遠くにある光源に向かって指差す。
「……そう。向こうに魔法剣士の二人と調査隊の人が二人いる」
「あ、二人とも手当ては終わったの?」
「終わっていた。あとポーションも必要な分は渡してある」
「じゃあ後はわたしが回復魔法かけるの」
調査隊の人?
ああ、この小さな魔力二つのことかな。
二人の話を聞くに、その調査隊の二人が怪我して動けないみたいだね。
けど命に別状はないみたいだし、それにミーシャの両親も無事みたいで一安心だ。
「お花さん、行くよ?」
そんなことを考えている間にも先に歩いていこうとしたミーシャが振り返ってくる。
私は頷いて追いかけると、いつも通り歩幅を合わせて隣を歩き出した。