百三話 すれ違いの情報
王都を出てから五日目の昼が過ぎた頃。
馬車はギデル山脈の麓をゆっくりと走っていた。
ギデル山脈に入ってから辺りの風景は王都周辺とうって変わって岩肌が多くなり、道も緩やかな登り坂が続いている。
道幅は中型の馬車が余裕を持ってすれ違えるほど広いが、片側が崖になっているためかなり速度を落としている。
幸い山道に入ってからまだ一度も魔物に襲われていないので、このまま早いところ抜けてしまいたい。
事前の情報通りならそろそろマテオンに着くはずだけど……。
などと思案しつつ慎重に手綱を取っていると、遠くに相乗り用の大型の馬車が見えた。
私は慌てて手綱を引いて馬車を端に寄せながら停めた。
相乗り馬車もこちらに気付いたようで、すれ違う数十メートルほど手前でスピードを緩めながら端に寄る。
そのまま通り過ぎるまで待っていようと思ったが、なぜか相乗り馬車は少し手前で停車した。
……うん?
警戒しつつも様子を見ていると、馬車から冒険者らしき格好をした男女が降りてこちらに歩み寄ってきた。
私は後ろの蔓二本を見えないようにこっそりと伸ばしておく。
チラリと後ろに目線を配るとリルカは頷き、ミーシャに「じっとしてて」と囁きながら荷物の隅へと押し込んだ。
そしてアイテムバッグから杖を取り出すと、私のいる御者台へ飛び移ってきた。
「……! おおっと悪い悪い。警戒させちまったか?」
「安心して、怪しい者じゃないわ。私たちはこの先のマテオンという街の冒険者よ」
マテオンの冒険者と名乗った男女は、リルカを見ると歩みを止めて両手を上げた。
その動きで首から掲げられた銅のプレートが太陽の光を反射し鈍く光る。
銅のプレート……ってことはCランクの冒険者か。
私とリルカは目を合わせると、お互いに頷いて警戒を解く。
……念のため、伸ばした蔓はそのままにしておくけどね。
山は盗賊が多いと聞くし、警戒するに越したことはない。
警戒を解いたことに安心したのか、男女はほっと息を吐くと近づいてきた。
「あんたたち冒険者だろ? マテオンに依頼か何かか?」
「……そうだけど?」
「なら、行くのはやめておいたほうがいいわ。今マテオンは避難勧告が出ているわよ」
リルカの返答に女性は首を横に振り、耳を疑う言葉を口にした。
え……避難勧告?
「俺たちは避難住人の護衛でこの馬車に乗っているんだ」
「……避難の理由は?」
「近くの遺跡で魔物が出たそうだ」
遺跡ってまさか……!
思わず立ち上がりそうになる私の肩をリルカが左手で掴んだ。
あ……ごめん。
私が腰を下ろしたのを確認して手を離したリルカは、眉をひそめて言葉を返した。
「……討伐は? マテオンにも大きめの冒険者ギルドがあるはず」
「できるならしているわよ。ただ、遺跡の調査隊や同行していたAランク冒険者が言うには、Sランクの魔物の可能性が高いそうよ」
「Sランク……」
女性の言葉にリルカは押し黙ってしまう。
確かSランクの魔物って、フェンリルや古代ドラゴンなどの、地域によっては『神獣』とも呼ばれる魔物だったような……。
一体で街一つを容易に落とせるほどの実力を持った魔物――と、魔物図鑑には記載してあった覚えがある。
そんな魔物が現れたとされるのなら、確かに避難勧告が出ても不思議じゃない。
それよりも気になるのが、調査隊に同行していたAランクの冒険者って言ったよね。
もしかしてミーシャの両親のことじゃない?
「ま、一度街へ行って聞いてみるのも手さ。俺らは一応忠告したからな」
「……分かった。情報ありがとう」
「気にしなくていいわよ。困ったときはお互い様でしょう? じゃあね」
そのまま二人はヒラヒラと手を振りながら引き返す。
二人が乗り込むと、やがて馬車はゆっくりと発車してすれ違っていった。
首を巡らせてその様子を見ていたリルカは、馬車が見えなくなると顔を戻して口を開いた。
「……今の話どう思う?」
どうって……まあ本当の話じゃないかな?
遺跡に調査隊、Aランク冒険者と、貴族からの指名依頼の内容をあの人たちが知っているとは思えない。
それを知っていた時点で、嘘は言っていないと思うし、実際に避難勧告が出たのだろう。
それにSランクの魔物というのも引っ掛かる。
私たちが王都のギルドから受けた指名依頼――ギデル山脈に現れたと推測される強力な魔物の調査――と強さもタイミングも一致している。
遺跡にSランクの魔物が現れ、逃げ出した魔物たちが雪だるま式に増え、王都でスタンピードを引き起こした。
証拠も何もない単なる予想でしかないけど、いちおう辻褄は合っている。
黒板を取り出してそれらを伝えると、リルカも首を縦に振った。
「……ボクも同じ意見。それにここで引き返すのは冒険者の名折れ」
ははっ、リルカらしいね!
まあ、依頼の調査とミーシャの両親探し、どちらもマテオンに行ってみないと分からないことだ。
もとより引き返すという選択肢はないね。
私が右手を前に伸ばして先を指差すと、リルカは薄く笑顔を浮かべて「ミーシャには伝えておく」と荷車へ戻っていった。
さ、日暮れまで時間もないし、急ぐとするかな。
私は手綱を握り直した。