一話 転生しました
モンスター蔓延る森の中で、しかし誰も近寄ることのない崖の中腹に、とても美しい一輪の真っ赤な花が咲いていた。
何者にも邪魔されず、太陽の光を浴び、緩やかな風に揺られ、そして多少の魔素を取り込み、すくすくと育っていった。
魔素を蓄え続けたその花は、やがて『アルラウネ』と呼ばれる魔物へと進化した。
魔素を取り込んだモノが魔物へと姿を変える。
ここまでは、この世界ではよくある話だった。
しかし、アルラウネが一つの人格を得ようとしたその瞬間。
別の世界で死んだ人間の魂が、転生を行うため漂っていた魂が、アルラウネの身体へと割って入ってしまう。
魔物の身体に、人間の魂。
本来、相容れないはずのその二つは、あまたの偶然が重なりあい、一つの魔物と成ってしまった。
これは、不思議な転生を果たした、一人のアルラウネの物語。
◆◇◆◇
目を覚ますと、崖の中腹に吊るされていた。
よく悲鳴をあげなかったものだと、私は私を褒め称えたい。
ついでに拍手もしたいけど、身体が思うように動かない。
もしかしなくても縛られてる? と思いきや、縛られている感覚もない。
どうやら感覚がないだけみたい、良かった。
――いや、良くないでしょ!
え、何この状況?
なんで私吊るされてるの!?
誰か助けて、ヘルプミー!
叫んでみたけど声も出やしない。
おおう、悲鳴をあげなかったんじゃなくて、声が出なかったのか。
そりゃそうだ、身体動かないのに、声が出るわけがない。
それに、ここで声をあげてもあんまり意味がない気もする。
だって目の前崖だし。
その先は一面森だし。
人なんていないでしょー。
なんてこったい!
ふう、少し落ちついてきた。
冷静になってから気づいたけど、今動いたら落ちるんじゃね?
……動けなくて良かったわ。
とはいっても、みのむしみたいにボーっとするわけにはいかない。
お昼寝は好きだけどね。天気もいいし。
あー考えたら眠くなってきた。
って、今寝ちゃいかんでしょ。
うむ、まずは記憶の整理をしてみよう。
Qここはどこ?
A分かりません。
Q私は誰?
A分かりません。
ダメじゃん。ダメダメじゃん!
記憶を引っ張り出そうとしても、何一つ思い出せない。
いや、思い出せることもある。
学識というか、一般常識というか、とにかくそういう「知識」だけはしっかりと覚えている。
でも、自分の名前とか、どこで暮らしていたのかとか、「私自身」に関わることだけは、ポッカリと穴があいたかのように記憶から抜け落ちてしまっている。
そういう症状の記憶喪失がある、ってどこかで聞いた覚えはある。
つまり、今の私は記憶喪失だってこと?
なんだそれ。
思い出せない記憶はいったんおいておくとして、次に状況の把握をしてみよう。
縛られて崖に吊るされています、まる。
……言葉にすると理不尽すぎる。
私が一体何をしたってんだ!
まあ、何をしていたのかも覚えてないんだけどね!
これはアレか、コンクリートに詰めて東京湾に沈めてやる的なやつか。
え、何……もしかして私、ヤのつくご職業だったの?
こんなカワイイ美少女捕まえて……ん? ……美少女?
あ、そうか、そういや私、女だったな。
抜け落ちたパズルのピースがカチリとはまったような、胸に落ちる感覚。
なるほど、今みたいにきっかけさえあれば思い出せるみたいだ。
そうかそうか、つまり私は美少女だったのか。
………………。
はい、すみません。
調子に乗りました。
気を取り直して、現状把握を再開。
目に映る景色には変わりなく、一面の森が広がっている。
遠くには山地みたいなのがうっすらと見えるけど、雲に覆われていてはっきりとしない。
空には太陽とまばらな雲が浮かんでおり、他は鳥の一匹すら飛んでない。
近くを見ようとしても頭が動かない。
もちろん自分の姿も見えりゃしない。
うーん、ダメだこりゃ。
せめて自分の状態くらい分かればなあ。
――と、そんなことを考えていた時だった。
突然頭の中に、私自身に関する私以外の記憶が、湧き出る水のように浮かび上がってきた。
自分が内側から乗っ取られるような感覚。
自分じゃない『何か』が自分を支配していくような、そんな感覚。
――え、え?
何これ、何なの?
違う、これは私じゃない!
誰? 一体誰!?
いや、やめて!
私から出ていって!!
もう一人の『何か』から自分を守るように、頭の中からそれを追い出すように、必死で抵抗する。
固く目を閉じて歯を食いしばり、両手で顔や頭を抱える。
いつの間にか身体が動くようになっているけど、今はそれどころじゃない。
闇の中、迫りくる意識から、断片的な記憶が次々と流れて込んでくる。
……数分か、数十分か、それともそれ以上か。
どれだけの間『何か』に呑まれないように抗っていたのだろう。
私を食い尽くそうとしていたそれはやがて力を失っていき、頭痛だけが残った。
その頭痛も、しばらくすると薄れて引いていった。
全てが落ち着いてから、ゆっくりと両腕を降ろし目を開ける。
混乱する記憶の中で、しかし私は一つの現実を突き付けられていた。
どうやら私、モンスターに転生しちゃったようだ。