自信のある推理
現場へと向かう電車の中で、俺は手帳を見ていた。中には、先代からの教えが二つ書かれている。
一、探偵は正義を貫くこと。
二、現場で自信のある奴が犯人だ。
この二つである。俺は手帳をボロボロのトレンチコートの内ポケットに入れると、ネクタイをきつく締め直した。凝り固まった四十肩を揉みほぐすと、この仕事が終わって金が入ったら海外へ行こうと決意する。
今回俺が呼ばれた現場はあの大富豪、五条家の屋敷である。屋敷の前では既にテレビのリポーターと思われる人だかりが出来ていて、遺産の三十億はどうなるのか、などと下世話な話をしていた。立派な洋風の庭園を抜けて屋敷へ入ると、新堂警部とその部下が俺を出迎えてくれた。
「赤木探偵、ようこそ事件現場へ。今回もよろしく頼む。」
神経質そうな風体の、黒縁眼鏡をかけた男が痩せて骨ばった手を差し出した。俺は堅い握手を返して答える。
「新堂警部は優秀ですから。俺の役目なんて、あなたの捜査に太鼓判を押すことくらいですよ。」
「いやいや。万が一ということもあるからな。」
互いの握手を解いた後、彼の部下が進言する。
「警部。挨拶はそのくらいにして、早速捜査の結果を赤木探偵に。」
「ああ、そうだな。」
新堂警部は手帳を取り出すと、現場へと向かう途すがら事件のあらましを教えてくれた。
「被害者は五条源太郎、六十七歳。元五条カンパニーの社長をやっていて、今から一年前に退職している。女好きで大変有名で、生前は女関係の噂が絶えなかったそうだ。今は一人息子の太一が会社を継いでいる。」
「なるほど。」
「死亡推定時刻は今から二十二時間前の昨日二十二時。自室の床に倒れ込むようにして死んでいた。死因は毒による心停止で、直前に食していたチーズからトリカブトの成分である、アコチニンが検出されている。」
俺は素早く手帳に警部の言葉を書き込んだ。
「第一発見者は?」
「息子の太一だ。二時間前の十八時に海外出張から帰ってきて、死体を発見。すぐさま警察への通報をしたそうだ。」
「その、海外出張というのは、裏は取れてるんですか?」
「もちろん。旅券も本物で、多くの社員が一緒だった。社員の証言も全員一致している。」
「なるほど。太一さんのアリバイはある訳ですね。」
「そうだ。」
「使用人も普段はこの屋敷に在中しているのだが、全員一昨日から源太郎に一週間の暇を出されている。」
「そうですか。」
「現場はこの部屋になります。」
部下の言葉で俺たちは現場となる部屋の、ドアの前へ到着したことに気がついた。ドアは、俺には価値がよく分からないが豪華そうに縁取りをしてあって、幾何学的な綺麗な模様を残している。ドアノブの上に目立つ鍵穴があったが、そこから部屋の中は見えなかった。
中に入ると部屋の中央に木製で円形のテーブルがあり、そばに丸椅子が二つ置いてある。大きさはせいぜい二人しか食事を取れなさそうな程だ。机の上には食べかけのチーズと飲みかけのワインが置かれていた。左手にキングサイズのベッドが据えてあり、右手に小説の類が並んだ本棚が置かれていた。おそらくこの部屋は寝室として使われていたのだろう。とはいっても俺のアパートのリビングの二倍、十六畳程はある部屋なのだが。
死体は未だそこにあり、もちろん息絶えていた。顔をちらりと拝見すると、しわがれた顔がそこにあった。部下の人は手を合わせている。
「警察はこの事件をどう見てるんです?」
そう警部に尋ねる。
「自殺だ。」
「殺しの線は?」
「無い。」
新堂警部は自信たっぷりに言う。
「どうしてそう言い切れるんです?」
「簡単だ。第一発見者の太一がこの部屋に入るまで、この部屋は鍵が掛かっていた。鍵は被害者自身が持っている。チーズは源太郎自身が用意したものだろう。包装紙からは彼以外の指紋が見つからなかった。これが言い切れる理由だ。」
「ちなみに、この部屋の合い鍵は無いんですか?」
「ああ。使用人に聞いたところ特注の鍵だそうで、今は亡き海外の職人が一点物で作ったらしい。」
成る程。整理すると、彼が毒入りのチーズを食べたとき、この部屋は密室で、太一さんが発見するまで鍵が閉まっていた。外からは鍵を掛けられないことから、一緒に食事をして出て行った者はいなかった。つまり、源太郎氏自身の混入以外は考えられないから自殺、ということらしい。
部屋の中は警察で一杯なので、新堂警部と共に廊下へ出た。部下もついてきている。
「気になる点が二つ。」
「なんだろうか。」
「チーズからは源太郎氏の指紋が出てきたのは分かりました。では、ワインからは出なかったんですか?それともう一つ。合い鍵の無いドアを、どうやってこんなに綺麗に開けたんでしょう?」
「確かに!」
新堂警部の部下は、目を丸くして驚いている。
「……ワインからは、富田という弁護士の指紋が出た。ドアは、町野という鍵屋が開けた。」
「……そうですか。」
新堂警部は、溜息ともとれるほど長い息を吐いた。
「二人は昨日の十五時、源太郎に会いに来たのが玄関の監視カメラに映っている。それからもう一人。植物学者の白石という男も映っていた。出て行く姿は入っていない。なぜなら三人とも泊まっていたから。」
「そうですか……。」
「あの、警部。すいません。」
「なんだ?」
警部は、部下の方へと向き直る。
「その白石って男の専攻は何でしたっけ?」
「……植物の毒についてだ。」
「そうでした。すいません。」
警部に睨まれて少し気を落とした部下は、気を取り直して張り切って言う。
「太一さんも含め、富田と町野と白石の四人は二階の部屋にいて、見張りをつけています。話を聞きますか?」
俺は即座に答える。
「そうですね。四人に話を聞きましょう。」
「ではこちらへ。案内します。」
部下の人が先だって歩いていく。俺と警部は彼について行く。俺は、部下の人に気づかれないように、警部へ耳打ちした。
「つまり、俺は鍵とワインをなんとかすればいいと。」
「そうだ。つまりはそこをなんとかしてもらいたい。」
俺は部下の人に隠れて溜息をついた。まあ、俺なら何とかなるだろう。部下の人の後ろをついて行く。
「……三人と会うのも久しぶりだな。」
「しっ。赤木、聞こえるぞ。」
俺たちは二階の部屋へと歩いていった。
四人がいるのは、二階の談話室であった。正方形の机を四つのソファが四方に囲み、それぞれに人が座っている。新堂警部は入り口を固めていた警察官を、部下を含めて外に出るように促し、話をしやすい環境を作ってくれた。
「まずは、太一さん。」
「な、なんでしょうか。私は父を殺してなんかいません。私は海外にいたんです。アリバイがあります。殺せるはずがない!」
おどおどと答える彼は、額に刻まれた皺に沿って延々と汗を拭いていた。
「存じています。私はあなたを疑ってなんかいません。聞きたいのは使用人についてのことです。」
「使用人ですか?何でしょう。」
「源太郎さんが使用人をしばらく追い払っていた理由をお聞きしたい。」
自分が疑われていないという言葉に少し安堵をしたのか、一息ついた後に富田、町野、白石の三人をそれぞれ睨みつけながら弱々しく語ってくれた。
「……それは私にも見当がつきません。父は、この屋敷全ての扉の鍵をオーダーメイドで作らせて、予備を作らない程用心深い人でした。なのに何故、使用人が居ない時にこの三人を泊まらせたのか……。」
太一さんは頭を抱えた。次に話を聞いたのは、植物学者の白石である。
「白石さん、初めまして。」
「探偵さんですか?初めまして。近くの大学で植物学を教えている白石と申します。専門は毒、ですね。」
「そうですか。それは大変な研究をされてますね。ちなみに、あなたであれば、トリカブトから毒を作れますか?」
「アコチニンを主成分とした毒薬ですね?できますよ。」
白石は自信たっぷりに答えた。
「今回は作ってませんがね。」
彼は宿泊の目的として自分の研究への投資を一晩かけてお願いするために来たと述べ、あとは植物にまつわる本を読んでいた。
「町野さんですね。初めまして。」
「ああ。」
町野は職人気質の無骨な印象を周囲に与えている。
「あの……あの部屋の鍵は?」
「俺が息子さんに頼まれて開けた。鍵の周りに傷一つ、ついていなかっただろう?開けるのに、ものの十分もかからなかったよ。」
彼は、自分の腕に相当の自信があるようである。それきり腕を組んで寡黙になってしまった。宿泊目的は、この屋敷全部の鍵のメンテナンスという長時間の作業のためということだった。最後は弁護士の富田である。
「探偵さん、初めまして。富田といいます。私は昨日、源太郎さんから預かった遺書に不備があり、その訂正の打ち合わせのためにここへ来ました。しかし、長い時間かかってしまったために一晩の宿泊を勧められたのです。」
「それは御苦労様です。」
太一さんは頭を下げた。
「ちなみに、現場にあったワインはあなたが持ってきたものですか?」
「ええ。チーズがお好きと聞いたので、それに合うワインをお渡ししようと思ったのです。私、舌は少々肥えているもので。」
彼は、自分の舌に相当の自信があるようだ。
これで関係者には話を聞いた。後は俺がこの事件の仕上げを行うのみである。新堂警部の部下に頼んで、事件の関係者全員を現場へと集めてもらった。
死体は片づけられていて、多少広くなっていた。しかし、流石に二桁の人数が入るとなると、この部屋も暑苦しい。初めはがやがやとしていた人達も、俺が口を開くと静かに俺の言葉に耳を傾けた。
「さて、今回の事件のおさらいをしておきましょう。昨夜二十二時、源太郎さんはワインを飲みながら、トリカブト入りのチーズを食べて死亡しました。部屋には鍵がかかっており、その鍵は源太郎さん自身が持っていた。いわゆる密室です。それから、本日の十八時に太一さんが発見。ここまではよろしいですね?」
「ええ。」
太一さんは特に熱心に耳を傾けている。
「昨日、宿泊していたのは三名。植物の毒専門の白石さん。鍵屋の町野さん。弁護士の富田さんです。」
「この、三人の中に犯人がいるということですね?一体、誰なんです。父を殺した犯人は?」
「この事件の犯人は……いません。これは自殺です。」
俺は自信たっぷりに答えた。しばらくの沈黙があった後、太一さんは素っ頓狂な声を上げた。
「そんな。まさか。三人と父との間に使用人には知られたくない確執があって、口論の末に白石という学者がトリカブトの毒を抽出し、鍵屋の町野が鍵を開け、弁護士の富田がワインを勧めて毒を塗ったチーズを食べさせるように仕向けたと思ったのに!」
「そんな訳ない!」
俺と新堂警部と、疑われた三人の言葉がシンクロした。
「太一さん。私が自殺だと思った理由は、源太郎さんの遺言にあります。」
「遺言?」
「富田さん。あなたが預かっている遺書を読んであげてください。そこに答えがあるはずです。」
俺は富田に目配せをする。彼は頷いて、遺書を読みあげた。
「私は過去、女遊びの行く末に隠し子を五人作ってしまった。この五人に対する自責の念に耐えきれず命を絶つことにする。会社は太一に相続させるが遺産の三十億は、この隠し子達に相続させる。源太郎。……とのことです。」
「こんな内容、使用人には知られたくなかったのでしょう。だからこそ用心深く使用人にも休みを与えたのです。」
「嘘だあああ!」
太一さんは膝から崩れ落ち、屋敷には彼の悲痛な叫び声がこだました。俺はただ太一さんのことを見下ろし続けた。
その事件からしばらくたって、俺の口座には六億円が振り込まれた。しばらくの間、海外へと行くことにしよう。もしかすると、新堂警部や富田、町野、白石に会ったりするかもしれないな。そんなことを考えながら、がらんとした探偵事務所の中で、俺は手帳の一つ目の教えを黒く塗りつぶした。