表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オルタの歌  作者: 春豆
第二章 妖精の復活
9/14

第一話 フスコの変人達

 イオリは薄汚れた作業服を身にまとい、雑多な裏通りを奥へと進んでいた。目的の店まではまだ少し歩かなくてはならないのに、空模様は怪しい。

 勿論、雨をしのげるような洒落たカフェなど、この通りには存在しない。白煙のあがるパイプの迷路と無骨な鉄の建物、大小無数にある工場こそが工業都市『ピサノ』の基盤であり、全てなのである。

 そして嫌な予感というものは、往々にして現実となる。不機嫌な黒い雲からポツリと悲しみの滴がこぼれ落ちると、堰を切ったように激しい雨が降り出した。


「ちくしょう、クラーラのやつ!」


 アリアンテの整備士であるクラーラは、うら若き乙女である。しかしながら、その行動は実に男前だ。朝早くにハンガーを訪れたイオリを見かけるやいなや、ネジの買い出しに行ってくれと麻袋を投げ渡された。消耗品の購入は整備士の仕事だろうと渋ったのだが、クソ忙しいのにそんな暇があるかと開き直られる始末。三機もの機体整備を平行して行っている売れっ子整備士は、寝る暇もないくらい忙しいのだろう。欠伸を堪えるように手を口に当て、肩も少し震えているようだった。

 そんな状態を見ていながら、自分で買いに行けと突き放すほどイオリは冷酷になれない。仕方なく買い出しを引き受けたのだが、今にして思えばクラーラの震えは笑いを堪えているようでもあった。天気が崩れることを知っていたのだろう。

 きっと今頃は、ガラスに降り注ぐ雨粒を見てほくそ笑んでいるに違いない。



「帰ったら覚えてろよ」


 誰に聞かせるでもなく独り言をつぶやき、雨の裏路地を駆け抜けていく。ストラーデ・ヴォートのパイロットにとって健康は何よりも優先される。風邪をひいて欠場でもすれば、一気に信頼を失ってしまう。上位ランカーであれば、雨の日に買い出しなど絶対にしないのだが、しがないプライベーターであるイオリに贅沢は言っていられない。


「こんにちはー」


 間延びした挨拶で店の扉を開けると、薄暗い店内から店主の声が返ってくる。いつも通り今日も不機嫌なようだ。


「イオリか、濡れた体で見せに入ってくるんじゃねぇよ」

「じゃあドアに瞬間乾燥機でも付けてよ」

「阿呆抜かせ。そんなもんが造れたら、こんな場末に店構えてねぇよ」

「そりゃあそうだね」


 投げつけられたバスタオルを手で受け止め、くせっ毛の髪についた滴を拭き取っていく。濡れた上着はコートハンガーに掛けたが、ズボンは脱ぐわけにもいかない。どうしたものかとベルトを緩めて上から覗き込んでいたら、作業用パンツが飛んできた。


「見苦しいから、それでも穿()いとけ」

「助かるよ、グレさん」


 グレさんことグレゴリオ・ベルッチはカーク10の修理で世話になっているウーゴ・ベルッチの弟だ。顔も体格もそっくりだが、性格はグレゴリオの方が荒い。職人気質がより強いとでも言うべきか。それにも関わらず、気だての良い小柄な妻を娶っているのだから世の中わからない。兄のウーゴが言うには、あの顔で迫られたら怖くて断れなかったんだろうとの事だが、実際には押し掛け女房である。


「それで今日は何買いにきた」

「ロックナット」

「コッターピンか?」

「いや、新しいの造ったって聞いたんだけど。クラーラに言われた」

「変形タイプかよ。高いぞ」

「そうなの?勉強してよ」

「数字は苦手でな」

「そんな技術屋がいたら怖いって」


 麻袋に入ったメモを渡すと、これでお使いは終わったとばかりに陳列棚を眺めて回った。グレゴリオの店は玩具箱の中身をぶちまけたような楽しさで溢れている。まだ市場に出回っていない最新型の速度計に目を奪われていると、グレゴリオの妻が紅茶を運んできた。


「イオリ君、調子はどう」

「ども、フランカさん。今回は厳しいかもしれません。でも、なんとか最終戦にもつれ込みたいですね」

「凄いわねぇ、二年目のプライベーターが総合四位なんて」

「このあたりが限界ですよ。本気でやるなら、スポンサー探して体制整えないと。機体も無理させられないし」

「アリアンテもおじいちゃんだからねぇ」

「アリアンテ、男なんですかね」

「女なのかしら」

「さあ、名前はそれっぽいですけど」


 船は女性に例えることが多いが、航空機はどうなのだろう。真剣に悩んでいるとクッキーを勧められた。


「ところで今日は息抜きで来たのかしら?」

「いえ、使いっ走りです」

「あらあら、クラーラちゃんの?大変ねぇ」


 彼女にはそれだけで伝わったようだった。

 詳しく話さなくても事情が伝わるのは楽だが、本当に使い走りだと思われるのは本意では無い。半分以上は新商品が見られる楽しみで来ているのだ。複雑な心境で紅茶をすすっていると、グレゴリオが発注書を睨みながら渋い顔で戻って来た。


「こいつぁ、すぐに用意出来ないな。発注かけて二週間後ってとこだ」

「そんなにかかるの」

「手間がかかるんだよ。楕円にしたあと焼き入れしないといけねぇし、とにかく面倒臭い」

「それにしても二週間は」

「最速で、二週間だ」

「…お願いします」


 グレゴリオが二週間と言えば、二週間なのだ。どんな業者に頼もうが、それ以上早く入手することは出来ないだろう。だから余計な質問も交渉もしなかったが、誰もがイオリのように聞き分けが良いわけではない。特にクラーラは二週間も待たされると知ったら、間違い無く癇癪を起こすだろう。

 そのとばっちりを食らうのはイオリなので、思わずため息も出てしまうというものだ。

 肩を落として紅茶の残りを飲み干すと、帰り支度を整える。まだ濡れたままの上着にかけた手を、グレゴリオが制止する。


「コート貸してやるから、それ着て帰れ。濡れた服は納品の時返してやるよ」

「雨なのにコート?」

「完全防水のすげぇやつだよ。しかも蒸れない」

「それはいくらなんでも嘘くさ―ぶっ」


 顔で受け止めたコートを手に取り、ぶつぶつ文句を言いながら袖を通してみると、確かに着心地は良く蒸れそうな感じは無い。フードも付いているし、これならば多少の豪雨でも問題は無さそうだった。

 だが、礼を言って店を出てみれば、弾丸のような音と共に石畳に叩きつけられる雨粒が待ち受けていた。

 しっかりと首元までジッパーを引き上げてフードを目深に被る。


「俺は雨男じゃないぞ」


 誰に言う出もなく愚痴をこぼすと、勢い良く駆け出していった。





 カテゴリ(クリテリオ)で使われる機体のほとんどは、無塗装の練習機や中古機だ。プライベーターが多いせいだが、レベルは高い。それに一番下のカテゴリではあるが、お気に入りの新人を発掘したり、将来有望な工房に目を付けたりする上位カテゴリのスカウトがいたりと、熱気に溢れている。

 イオリの使うアリアンテも一世代前の機体だが、そこは元トップランカーである父ディエゴが金に糸目を付けず造り上げただけあって、今でも一線級の戦闘力を有している。そして整備するのが人気のクラーラ工房とくれば、それなりに注目も浴びる。

 クラーラ・コンテを筆頭にしたクラーラ工房は、ここ一年で急に力を付けてきた新進の工房だ。

 

 稀少な女性整備士である上に、器量良し。性格はサッパリと男らしく人付き合いも良い。その上腕も良いのだから、人気が出るのも必然であった。

 そんな売れっ子整備士が、なぜイオリのアリアンテを整備しているのかといえば、まったくの偶然である。まだクラーラが無名でどちらかというと女性整備士ということで周りに馬鹿にされていた時期、同じく古い機体の持ち込みで嘲笑されていたイオリが共闘を持ちかけたことに端を発する。


「あの頃は、お淑やかな可愛い子に見えたんだけど」


 ルーキーイヤーでは表彰台どころか、入賞すらできないレースが多かったイオリだが、それでも休日はアリアンテで自主訓練を行っていたので、必然的にクラーラと一緒に過ごす時間が多くなった。イオリの持つ知識は父親からの受け売りが多かったが、元トップレーサーの経験はクラーラに劇的な変化をもたらした。それが彼女の自信につながり、才能を開花させることになった。

 一年もしないうちに、クラーラは押しも押されぬ一流整備士となってしまった。


「それが、今はこれだもんな」

「何だ文句あるのか」


 アリアンテが格納されているハンガーに女性の声が響き、機体の下から人が這いだしてくる。 顔にオイルという名の化粧を施し、スカートの代わりに作業着で身を包んだこの女性こそクラーラその人である。レンチを手に近づいてくる姿は、熟練の整備士そのものだ。


「大いにあるね」

「ほう、どんな文句があるんだ。言っておくけど女だからって―」

「飯を食え、シャワーを浴びろ、そしてきちんと寝ろ」


 購買で購入したサンドウィッチと水の入った水筒、タオルを放り投げる。慌てて両手を差し出して受け取ったクラーラに、背負ったシュラフも追加して乗せると、ふらついて尻餅を着いてしまった。


「良い整備士は、服装も食事も睡眠も疎かにしないらしいぜ」

「親父さんの受け売りか?」

「その通り」


 尊敬するディエゴ・カルデローニの言葉とあれば、クラーラはすぐに納得する。

 言われた通りもそもそとサンドウィッチを口にし始めた。


「とりあえず礼は言っておくが」

「手ぐらい洗えよ、胡座かくなって」

「原因の一つは君の乗り方だって理解してるのか?」

「水筒振り回すと、溢れるだろ」

「もともと剛性が高くない機体なんだから、この際スポット溶接とかをだね」

「阿呆、なんで脱ぎ出してんだよ」

「一々うるさいな、母親かっ。君が着替えろって言ったんだろ!」


 サンドウィッチを頬張りながら、半ばキレ気味に作業服を投げつけてきた。イオリは慌てて背を向ける。彼女はそれなりにボリューミーな体をしているので、無防備に晒されると目のやり場に困るのだ。

 早く着替え終わらないものかと、手持ちぶさたに天井などを見上げていると、背後から困惑した声が聞こえてきた。振り向くと、着替え終わったクラーラが硬直したまま直立していた。


「せめて顔のオイルは落としておけよ」

「イオリ・カルデローニ君」

「なんだよ、気持ち悪い」

「一体、コレは、何か」

「何って、パーティードレスだろう。どう見ても、誰が見ても」


 じっとスカートを見つめるクラーラに、呆れ顔を返す。

 彼女が身にまとっているのは、ロイヤルブルーのシフォンワンピースだ。薄く柔らかい生地のシフォンが、動くたびにふわりと揺れては体に纏わり付く。

 後ろを見ようとする何気ない仕草が、健康的なうなじと露出した肩を見せつけ、アンバランスな魅力を醸し出している。


「なるほど、君は整備士にスカートを履かせて作業させるのが趣味なのか。そしてそれを色々な角度から眺めて、鼻の下を伸ばしたり猥褻な想像をして涎を垂らしたりするわけだな、そういう性癖の持ち主なわけだな」

「随分な言われようだな、おい」

「まあどうしても、何が何でも、これでなくては興奮しないからお願いしますという事ならば」

「うん、やらなくていいから」


 ワンピースのままスパナを握ろうとするクラーラを制止し、話を元に戻す。


「本当に憶えて無いの?急がないと遅刻するぞ」

「うん?何かあったっけ」


 今日はフスコ杯の公式パーティーが開催される日であり、イオリ達も絶対に出席するように伝えられていた。達弱小チーム、弱小工房にとってはパトロンを得るための絶好の機会でもあり、上位チームにとっては来シーズンに向けたアピールの場でもある。


「忘れてた、パーティーか。最悪だ」

「相変わらずそういうの嫌いだな」

「嫌いじゃない、大嫌いなんだよ」


 クラーラは全身で絶望を表現している。


「ところで、アリアンテはフスコ杯間には合うのか。エンジンの調子良くないんだろ」

「何とかなるだろ。なにしろ扱い慣れたP7エンジンの小型版だからな、余裕だ。ま、本物と違ってクラッチが付いてないのが不満だが」

「いらないよ。あんな複雑な構造アリアンテに突っ込んだら重くて飛べないし」

「それはそうだな。ところで制御術士(プロセッサー)の用意は大丈夫なのか?むしろそちらが心配だ。直前までかかるのは心臓に悪い。整備士としては早めに実施して欲しいんだがな」

「悪いね。今回も前日ぐらいになる」


 悪いと言いつつ、全然悪びれた様子の無いイオリに、クラーラは深いため息で返した。整備に関して大抵の事はクラーラの希望が通るが、オルタの制御術(プロセッソ)関してだけは変わる事が無い。常に試合ギリギリ、直前に実施されるのだ。

 世界的にも稀少な制御術士(プロセッサー)を個人的に抱えているチームなどいないので、大抵は大会で雇っている公式制御術士(プロセッサー)が持ち回りで実施していくものだが、イオリだけは違った。どういう伝手があるのかクラーラには判らないが、いつのまにか制御術(プロセッソ)を施してくるのだ。しかも、かなり優秀な。

 その制御術士(プロセッサー)が制御したオルタがまた、馬鹿げた出力を発揮するのだからクラーラとしても気になるのだが、何度聞いても曖昧に笑って誤魔化されてしまうので、クラーラはいつしか追求するのを諦めた。


「まあいいさ、出力は前回と同じくらいに制御するんだろ。それなら調整も1~2時間で済む。問題ないさ」

「助かる。ありがとう」

「公式制御術士(プロセッサー)を使ってくれたらスケジュールが楽なんだが」

「それじゃ勝てないだろ」

「判ってる、もちろん判ってるさ」


 こりゃあ徹夜かな、と諦めと呆れが混じった複雑なため息が漏れた。




 ベルゴーニ大公国において、最古の都市であるピサノは世界有数の工業都市であり、必然的に優秀な技術者が集まってくる。そんな都市で開催されるストラーデ・ヴォートは、いつしか技術者や企業が自分達の力を誇示する場となり、今や国家同士の代理戦争に発展することすらある。そして今回イオリが参加するフスコ杯は、ピサノで実施されるストラーデ・ヴォートの中で最も権威があるレースだ。

 何週間も前から道楽に飢えた資産家達がピサノの地を訪れ、リゾートを満喫しつつフスコ杯談議に花を咲かせる。そして伝統的に試合の一週間前には出場選手を含めた関係者全員のパーティーが開かれる。

 ここには、選手達のお披露目とともに技術者同士の情報交換、資産家・政治家達の社交場といった様々な目的で人々が集まる。きらびやかな服を纏い、隙あらば補食せんと獲物を狙う紳士淑女達に囲まれ、イオリは窒息しそうだった。


「島とは大違いだ」


 テーブルに並ぶ豪華な食材や飲み物は、ほとんどが手をつけられること無く風景を飾る一部となっている。大皿にもられた葡萄に手を伸ばし、一粒摘むと口に放り込んだ。

 厚い皮の感触と渋い味が口の中に広がる。


「そんな顔してると女にモテないぞ」

「クラーラ、おじさん達の相手はもういいのか」

「義務は果たした。これ以上は知らん」


 技術者の群れや資産家の御曹司達に囲まれて精神的に限界だったのだろう、イオリの隣に避難してきたクラーラは、ストレス発散とばかりに猛然と鶏肉を頬張っていた。

 見た目はどこかの貴族令嬢で、実際にそこそこの上流階級の出身なのだが、本人は見た目に無頓着だ。


「何度来ても慣れない。このフワフワした服も嫌いだ。食事も冷めてる」

「贅沢だな」

「そういう君はどうなんだ、そろそろパトロンでも見つけて本格的にカテゴリB(バッカーノ)を狙う頃合いだろう」

「まだカテゴリC(クリテリオ)で優勝もしてないのに?」

「すればいい」

「簡単に言うね」

「その気になれば、できるだろう?」


 クラーラの指先が無限軌道を描いた。

 彼女はとっくに気がついている。

 イオリのオルタが特別だということ、そして出力を故意に抑えていることを。

 描かれた無限軌道は、オルタにかけている制限を外せ、という意味だ。

 だが、イオリにそのつもりは無い。


「どうかな、機体性能だけではどうにもならない場合もあるからなぁ。たとえば、ほら」


 イオリが指さした先には、オールバックの髪で颯爽と女性をエスコートするタキシード姿の男がいた。

 がっしりとした体つきに、風格のある顔つきはパーティーの女性達を虜にして止まない。


「フィリッポ・コモッティか、ワークスのボンボンだろう」

「でも速いんだよ、機体もそうだけど操縦の技術も相当高いと思う。クラーラも、ああいうチームに参加したら才能を発揮できるんじゃないか」

「ああいう自信家はちょっとね。イオリがいるうちは、このままでいいよ」


 少し不機嫌そうに口を尖らせた。クラーラはイオリが目的を達成したらストラーデから去ることを知っている。

 そしてその時が近いだろうという事も。

 イオリが苦笑いを浮かべていると、コモッティが女性に何かを告げてこちらへやってくるのが見えた。


「どうやら、むこうは気になってるみたいだよ」

「勘弁してくれ」

「そうはいっても、走って逃げるわけにもいかないだろ」


 クラーラにはまあ頑張れと形ばかりの応援を残して、テラスへと避難した。去り際にちらりとコモッティの様子をのぞき見したが、手慣れた様子でクラーラと挨拶を交わしている。

 人目もあるし、そう強引な事はしないだろうと判断でして、そのまま夜風に当たりながら月を見る事にした。

 フスコ杯は特別なレースだ。グランプリの中で唯一国王が観戦するため、警備も凄いが盛り上がり方も凄い。フスコ杯で優勝する事はパイロットにとってその年一番の名誉と少なくない賞金を手にすることになる。

 流石のイオリも緊張を隠せなかった。

 

 手にしたグラスに揺れるグレープフルーツジュースを飲み干すと、ため息を一つ漏らす。

 愛機は古く戦闘力は高くない。普通に考えたらトップチームの下、中盤の上ぐらいをキープするのが限界だ。

 これまでは、イオリの腕と『ヒカ』の性能でなんとか食らいついてきたが、フスコ杯は別だ。ワークスチームも金に糸目を付けずに優勝を狙ってくる。


「ワークスか…レースを続けるなら避けられないよな」


 手摺りに置いた腕に顎を乗せ、青白く光る月を眺める。

 イオリの気持ちは揺れていた。

 ストラーデ・ヴォートは、カーク10のエンジン資金を得るための手段でしかない。もうじきその資金も貯まる。そうなったら、カーク10を使って長距離運送業を始めるつもりだった。

 この時代にはもう世界各地を舞台とした長距離運送業は確立しており、イオリは協会からの推薦を受けている。

 しかし、思った以上にストラーデ・ヴォートが楽しすぎた。


「血は争えないってことか」


 ぐっと手を握る。

 スロットルレバーを握る時の、あの興奮はカーク10では味わえない。そして観客から送られる声援、きらびやかな世界。どれも魅力的で、抗いがたいものだ。

 それでも、どちらかに決めなくてはいけない。


「どうしたら、いいかな」


 月はなにも応えてくれない。

 人生に悩む少年を、ただじっと見つめているだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ