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オルタの歌  作者: 春豆
第一章 オルタの子
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第五話 深い紅色の、騒々しいそれ

 イオリ宛に大きな木箱が届いた。ライアンに絡まれていた時に港で確認した、アレである。壊れ物注意の張り紙がベタベタと貼ってあるそれが届いた途端、箱ごと姿をくらましたイオリは、夜になるまで帰ってこなかった。

 ようやく家に戻った時には、頭のてっぺんから足先まで全身真っ黒に汚れていた。


「全く、仕事を放り出して何を遊んでるんだか」


 呆れながらも、ハルナはそれ以上追求しない。トマーゾもミケーラも何をしているのか予想がついているらしく、特に仕事放棄を責めるような事は言わなかった。

 しかしユノンは別である。


「ねえねえ、何してきたの。煙突掃除?汚水処理?もしかして何かの実験?」


 興味津々といった顔でイオリに迫る。以前よりも親しくなったとはいえ、いやむしろ親しくなったが故に、より一層ユノンへの耐性が落ちたイオリは、早々に両手をあげて降参した。こんな破壊力抜群の攻撃に耐えられるほど、イオリの理性は強靱ではない。


「いつも言ってるけど、顔が、顔が近い。あ、明日話すから、とりあえず体洗わせて!」


 逃げるようにして水浴び場へと駆け込んだ。

 その様子を見ていたハルナは、深いため息とともにイオリが脱ぎ捨てた上着を拾い上げた。黒い汚れが油染みであることは、一目瞭然だ。


「相も変わらずヘタレてんねぇ」

「ヘタレ」

「情けない男だってこと」

「イオリは頼れると思うけどな」


 言い切るユノンに驚いたハルナだが、直ぐに困ったようなくすぐったい顔で首を振った。


「いやいや、女一人ぐらい養えないうちは子供だよ。トマーゾくらいになってからじゃないと頼れるとは言えないね」

「イオリ貧乏だもんね。でも、いざっていう時に頼れるから私は別に構わないかな」

「うん?」

「嵐の中で船が沈没しそうになった時、凄く安心できたから。ああいう時、本当に頼れるかどうかがわかると思う」

「それはそうかもしれないけど…頼れる、ねぇ。イオリに贈る言葉としては違和感たっぷりだよ。ああ、でも」

「でも?」

「畑仕事は下手くそな癖に、不思議と空を飛ぶのだけは上手なのさ。あれだけは旦那も手放しで誉めてたよ。一度空を飛ぶイオリを見た事はあるけど、確かに才能を感じたね。ただ、その後親子でコソコソ何かしてたからね、絶対に褒めてやらないと心に決めたのさ。男同士で女に隠れてやる事は碌なもんじゃないと相場が決まってる」


 懐かしむように過去を語っていたハルナだが、ふと思い出したようにユノンに向き直るとこう言った。


「それであんたら、どこまでいったんだい?」

「崖までだけど」

「いや、そういうんじゃなくてさ」


 きょとんとするユノンには、なんの事か全くわからなかったようだ。何度か婉曲な表現でイオリとの仲を探ろうとするも、ことごとく噛み合わない。これは思った以上に強敵だと見て取ったハルナは、諦めて話しを切り上げることにした。


「まあいいさ、ゆっくりやっていけば」

「はあ」

「ただ、これからイオリと長く付き合うならね、この技だけは覚えておいた方がいい。あの子は頑固なところがあるから、こっちの我が儘を押し通す時に使える技さ」

「な、なんか凄そうですね」

「簡単だよ。都合が悪くなりそうだったら、こうしてやるのさ。まずは後ろからこうして静かに近づいて」


いたずら顔のハルナが、ゆっくりとユノンに近づいていった。





 ユノンがハルナから過激な秘技を教わった日の翌朝、島は真っ白な霧に覆われていた。こんな日は崖近くの果樹園に行くと滑落の危険があるので、一家でのんびりと道具の手入れや商品の箱詰め作業をしている。

 そんな中、イオリはいそいそと作業服に着替えて家を出て行こうとしたが、素早く見咎めたユノンにより阻止される。


「今日は逃がさないよ」

「に、逃げてるわけじゃないんだけど」

「なら一緒に行ってもいいのかな」

「もち、ろん、だとも」

「なんか怪しい」

「いやいや、やましいことは何一つしてないって」

「じゃあついていく」


 逃すまいと腕を組み、べったり横について歩くせいでユノンの柔らかいナニカが体に当たる。ヤバイと思いつつも、健康な青少年としては意識が集中してしまうのは仕方のない事だ。挙動不審になってしまっても、多めに見てあげるべきである。だが、そのせいでますますユノンは訝る。


「イオリ、挙動が怪しい」

「怪しくない!」


 そんな会話を繰り返しながら丘を登っていくと、途中に錆びた鉄柵が姿を現した。入り口には太い金属のチェーンが巻かれ、大きな南京錠が二つもかけられている。薄暗い奥の方に目をやれば、下に向かって石の階段が続いているのがわかる。


「ここに入るの?」

「うん、まあそう」

「で、出ないよね」

「何が」

「ゆ、幽霊とか」

「出ないよ」


 ユノンにも怖い物があるのかと、笑いながら先頭に立って階段を下り始めたイオリが壁に手を付くとぼんやりと薄暗い明かりが灯った。ちぎれる勢いでイオリのシャツを掴んでいたユノンは、松明じゃないんだねとひきつった笑いをこぼした。

 ポケットから取り出した鍵で奥の扉をあけると、そこにはガレージが広がっていた。天井は低いが、かなりの大きさだ。しかし、無数の工具や器具、本が散乱しているせいで、むしろ圧迫感を感じる。


 その部屋の中央、嫌でも目に入る位置に赤いボディの小さな機械が置かれている。

 ずんぐりしたその乗り物は、小さな翼とプロペラを有していることから飛行機かと思われたが、それにしてはあまりにも異形でそのうえ小さすぎた。中央には小さなコクピットがあり、パネルには良くわからないメーター類が所狭しと埋め込まれていた。

 赤い異形の機体に目を奪われていると、陰からイオリが姿を現した。


「ようこそ、カルデローニ工房へ」


 ユノンに向かっておどけた様子で恭しくお辞儀をすると、ポンと機械に手を置いた。

 どう、すごいでしょうと子供が宝物をみせるような目で見つめてくるイオリに、ユノンは首を傾げて聞き返す。


「うん。で、何コレ」

「ええぇ、嘘ぉ。知らないの、ホントのホントに?」


 顎がはずれるんじゃないかと思うほど驚いたのはイオリの方だった。ピサノに住んでいる人間がストラーデの機体を知らない者などいないと思っていたのだ。だがユノンは機械の下をのぞき込んだり、プロペラを回してみたりと本当に知らない様子である。仕方なく、一から説明することにした。


「アリアンテってメーカーの飛行機なんだ」

「飛行機?こんなに小さいのに飛ぶのは無理でしょ」

「いや、ちゃんと飛ぶよ。一人乗りの飛行機として登録されてる」


 この大きさで飛ぶこと自体疑わしく思ったが、これでレースが行われていると聞いてユノンは更に懐疑的になる。

 本当に飛ぶのかと。


「そもそも、動くの?なんか埃被ってるけど」

「そりゃあ動くさ。ちゃんとメンテナンスしてるからね」

 

 イオリは大切な宝物を馬鹿にされたように感じたのか、少し口を尖らせて反論した。いまは整備のためエンジン部分が剥き出しになっているが、カウルを被せれば今すぐにだって飛び出せるのだ。


「見てろ、動くってことを証明するから」

「え、ちょ、ちょっと?」


 狼狽えるユノンを尻目に、イオリは何やらブツブツ言いながら周辺に置かれた機械のレバーをいじくり始める。そして手早くチェックをすませると、起動レバーを勢い良く引いた。

 アリアンテのエンジンに命が吹き込まれる。

 計器類が一斉に動きだし、小さなボディーからは想像できない程の轟音が室内に響きわたった。


「うるさーい!」

「ごめん!」


 すぐに機動レバーを戻したが、ユノンは両耳を塞いだまま涙目でイオリを睨んでいる。黒煙こそ発生していなかったが、閉鎖空間でやるような事ではなかった。


「うっかりしてた。耳栓忘れてたね」

「そういう問題じゃないよ、もう」

「悪かった、つい」


 前髪をいじくりながら、反省の色を見せているが、多分すぐに忘れてまた同じ事をやるだろう。そう思わせるほど、イオリは浮かれていた。アリアンテという名の玩具を弄るのが、心の底から楽しいようだ。

 それにしても、とユノンは思う。先ほど一瞬エンジンをかけたが、全く黒煙が出なかった。

 あきらかにペトを燃料にしたエンジンではない。


「もしかして、オルタを使ってるの?」

「正解」

「あれ、でも制御術(プロセッソ)は使えないんじゃ」

「何言ってるの、ユノンがやってくれたんじゃないか」

「へ?」


 間が抜けた顔で返事を返すユノンの前でアリアンテのハッチが開かれると、そこにはカーク10に使われていた青緑色に輝くオルタ鉱石があった。


「あれっ、なんでこの子起動してるの」

「ユノン、完全に停止させてなかったでしょ。完全停止状態からの始動は制御術(プロセッソ)士でもないと無理だけど、休止状態からの再起動なら案外簡単なんだ」

「うんまあそれは知ってるんだけど、そういう事じゃなくて、なんでここに居るの?ウーゴさんのところで飛行機と一緒に待ってたはずじゃ」


 島へ向かって出発する前、確かにイオリはオルタ鉱石に頬ずりして別れを告げていたはずだった。それが何故ここにあるのか、といえばアリアンテの部品と一緒に送るようウーゴへ発注していたからだ。部品が揃うまで待っていた関係で、かなり遅れてしまったが。


「このオルタは、元々アリアンテに使われてたんだ。父さんが最後のレースで使おうとしたやつでさ、結局そのレースに出ないで引退したから行き場がなくなったんだよね。で、可哀想だからって、父さんと一緒にカーク10に積み直した」

「なるほど、それで今はどうして元に戻したの」

「だってユノンが『オルタが飛びたがってる』って言ってたじゃないか。」


 カーク10が飛べない現状では、オルタの望みを叶える方法がこれ以外に無い。時々軽く飛ばす程度であれば、そんなにエネルギーも消費されないだろう。


「アリアンテは父さんが若い頃使ってた機体でさ。結構レースで稼いだらしいよ」

「なんだっけ、ストなんとか」

「ストラーデな」

「ちょっと名前が多くて混乱してきたかも」

「レースの総称がストラーデ・ヴォート。カテゴリが(アリストクラツィーア)(バッカーノ)(クリテリオ)に別れていて、使われる機体は全部ストラーデって呼ばれてる。ただ、もちろん多くのメーカーが作ってるから、機体の名前は沢山ある。カテゴリCで使うこの小さな機体はアリアンテっていうメーカーの機体。わかったかな」

「う、うん多分」


 明日になれば、半分以上は覚えていない自信があったが、イオリの熱にあてられてユノンは頷いてしまう。要するに、この小さな飛行機でレースを行い、賞金を得るということらしい事はわかった。

 ピカピカに磨き上げられているアリアンテを見れば、大事に整備していることがわかるし、レースについて随分研究しただろうことも床に散乱する蔵書から推測できる。イオリがストラーデ・ヴォートに入れあげている事は、一目でわかった。

 それなのに、当のイオリはあまり嬉しそうな顔をしていない。


「で、イオリは何か悩んでるの?」

「え、なんで」

「そんな顔してるもの」


 イオリは、やっぱりユノンにはバレるのか、とため息混じりの返事をして床にあぐらをかいた。隣にユノンが腰を降ろすのを待って、ポツリポツリと理由を話し始める。

 父親のディエゴがカテゴリC(クリテリオ)にエントリーしたのが16歳の頃、当時は最年少のレーサーとして話題をさらったらしいがその後は勝ちに恵まれず、しばらく低迷したという。頭角を現したのは、レースにオルタが使われ始めてからだ。それまでは、フロート(浮き)をつけたペトエンジンの水上機でレースを行っていたのだが、ある時からオルタを動力に使った機体が使われるようになった。


 オルタを使ったエンジンは効率がよいため、コンパクトに出来る。そのため、従来の飛行機とは比べものにならないほど小さな一人乗り飛行機が誕生した。ストラーデである。

 この時から、ディエゴの快進撃が始まった。カテゴリC(クリテリオ)のストラーデは乗り方のスタイルが通常の飛行機とは全然違うため、戸惑っていた大人達を置き去りにしてあっというまにトップレーサーに躍り出る。

 そこからカテゴリB(バッカーノ)へとステップアップするのだが、ツアー初年度に最年少優勝を飾ったのを最後に突然ストラーデ・ヴォートを引退してしまった。期待の新人が突然引退したのだから、話題性も高く当時の新聞はその事でもちきりとなった。

 様々な憶測が飛び交う中で、最も有力だったのが大貴族の娘を嫁に貰ったから、という説だ。しかし、真実は違った。


「父さんは、オルタを使い捨てにするレースに嫌気が差したんだ」

「使い捨て?」

「そう、より強力な推進力を得るためにオルタのエネルギーは1レースで使い切りしてたんだよ。レースでは大金が動くから、そんな贅沢もできた。でも湯水のように消費されていくオルタを見て、父さんは何故か突然悲しくなったって言ってた」


 ディエゴは、端から見ても異常なくらいオルタに入れ込んでいたという。レースを引退してからは、貯めた資金をオルタの研究と各地への研究旅行に費やした。

 そこで知り合ったハルナと結婚し、カンピージ島へ移り住んだというわけだった。

 兄のトマーゾが生まれてもストラーデをやっていた事は黙っていたが、何故かイオリには全て語ったという。理由は不明だが、幼いイオリがオルタに話しかけている姿を見た時から方針転換したと母親から聞かされた。


「それで父さんと一緒にアリアンテを復元して、ストラーデ・ヴォートごっこをやったりしてたんだ」

「なんか、微笑ましいように聞こえるけど、結構危ない事してるよね」

「そうかな、意外と簡単だと思うけど」

「ふうん、まあいいや。それでイオリはどうして悩んでるの。レースに出てみたいんでしょ、お父さんみたいに」

「本音を言えば、出てみたい。小さい頃はレースの話を聞くと、興奮して眠れなかったくらいなんだ。カーク10のエンジン代を稼ぐくらいはできると思ってる」

「じゃあどうして悩んでるの」

「俺も、オルタを使い捨てにしたくないから」


 アリアンテのハッチを開けて、オルタを納めたエンジンを眺めながらため息を漏らした。


「こいつを使い捨てになんて、出来ない」

「少しずつ使えば」

「それじゃあ勝てないだろ。ベストな飛行ができても、大抵一つのレースでほとんどのオルタ鉱石は全部のエネルギーを失うんだ。」

「うーん、この子の場合そんなはずはないと思うけどなぁ」

「ん?」


 不思議そうに見つめてくるイオリの横で、ユノンはオルタ鉱石に手を当てて目を閉じた。その様子はまるでオルタと会話をしているように見えた。

 イオリはユノンへ声を掛けようとして、手を引っ込めるというへなちょこ動作を3回繰り返す。ようやく意を決してその肩に触れようとした時、突然彼女の目が開いた。


「やっぱり」

「どうしたの」

「一レースで使うエネルギーがどの程度かわからないけど、一般的なこの大きさのオルタ鉱石と比較するなら」

「うん」

「どうって事無いレベル。多分何回かレースしても枯渇することは無いんじゃないかなぁ」

「冗談は止してくれ」

「まあ、とりあえず試してみればいいんじゃないかな。ほら、試験飛行とかで」


 難しい数値の話は苦手らしく、ユノンはそれ以上説明するつもりが無いとばかりに工房の中を探索し始めた。子どもの頃の絵日記や父親の写真などを発掘しては騒ぐユノンを無理矢理外に追い出した時には、すっかり日が暮れていた。



 翌朝、日が昇る前から工房を訪れていたイオリは、アリアンテの前に神妙な顔でたたずんでいた。

 深紅のボディーにそっと触れると、冷たく固い感触が指先に返ってくる。

 母親と兄の目を盗み、父親と二人でアリアンテの飛行を楽しんだ当時の事が鮮やかに蘇ってきた。


「父さんの血なのかな」


 家族の中で誰よりも飛ぶことが好きなイオリは、最も父親と繋がっていたとも言える。

 その父親が他界してから2年、まだイオリにとって『死』を受け入れることが出来ていない。いつかひょっこり帰ってきそうな気がして、工房も整理することができないままであった。いつでも飛べるように整備してあるのに、アリアンテに乗る気には全くならなかった。

 それなのにユノンと出会ったあの瞬間から、凍りついていた時が動き出し始めた。


「なんか、不思議な子だよなあ」


 誰かに話しかけるように呟くと、くすりと笑いながら壁の赤いボタンを押し込んだ。

 ビーッと警告音が鳴り、赤い回転灯が回り出す。暫くすると天上付近から蒸気が吹き出し、ガコンと歯車が動く音とともに天上から砂粒が落ちて来た。その直後、激しい衝撃と共に床がせり上がる。

 そうしてたっぷり5分はかけて、イオリとアリアンテを乗せた大きなテーブルが地上へと姿を現すと、そこには呆れた顔のユノンが待っていた。


「おまたせ、ユノン」

「イオリ、敢えて聞かせて貰うけど」

「うん」

「天上が開く仕掛けって必要だったの」

「勿論」

「どうして?」

「そりゃあ、天上を開けないとぶつかっちゃうだろ」

「そうじゃなくて、他の方法じゃ駄目なのかって事。たしか、スロープの出口があったはずだよね」

「そんなんじゃ駄目だ」

「何でよ」

「格好良くない」

「…」


 イオリ曰く、飛行機が秘密基地から出撃するにはセオリーがあるらしい。滝の中から勢い良く飛び出してくるというケースもあるらしいが、近くに滝がなかったので、今回の手法を採ったのだという。

 ちなみに設備を作り上げたのは父親のディエゴだそうだ。

 このままこの装置で引っかかっていると一日中『男の浪漫』とやらに付き合わされそうだと判断したユノンは、早々に話しを切り上げて試験飛行の催促をすることにした。

 まだ全然話し足りなさそうなイオリだったが、ユノンにせかされて渋々アリアンテの操縦席に頭を突っ込んだ。


 計器類やレバーなど。暫く念入りにチェックを繰り返した後、ようやくエンジンの起動に入る。ここまでくれば、アリアンテは他の機体に比べて極めて楽だ。軽く手でプロペラを回した後、通常であればエナーシャと呼ばれる部分にクランクを突っ込んで気合いで回すのだが、アリアンテは特殊な構造をしていた。


 慣性起動をオルタにまかせているのだ。おかげで、プロペラを軽く回してやれば簡単にエンジンは始動する。ただ、小型軽量を追求したため2ストロークのエンジンを積んでおり、重大な欠点もあった。

 とてつもなく五月蠅い。

 始動とともに、バババ・バ・ババ・ババババと不規則な排気音を撒き散らし始める。


「イオリー!ねえ、イオリーってばー」

「なにー、良く聞こえないよー」

「これー、外でもうるさいよー!」


 まともに会話をするどころか、爆音で耳がおかしくなりそうになったユノンは、両耳を押さえて逃げ出した。

 その様子を見ていたイオリは、苦笑いをしながらもヘルメットとゴーグルを装着する。ユノンには悪いと思いつつ、久し振りのフライトで興奮気味なのだ。気を使ってなどいられない。

 スロットルレバーを握り徐々にプロペラの回転を上げていくと、滑るようにアリアンテが進み始める。そこから突然フルスロットルにすると、もの凄い勢いで空を駆け抜けていく。鈍重な『カーク10』などとは比べものにならないほど俊敏で高速なアリアンテを手足のように操り、右に左にヒラヒラと機体を旋回させる。


 カテゴリC(クリテリオ)の機体は一般的な航空機と違って非常に軽く、オルタの出力も大きいため翼が小さく出来ている。そのため方向転換する方法もオルタを使い、さらに体重移動を積極的に活用するという変わったスタイルを取っている。そして高度の変更もオルタの出力調整で行うため、レシプロ飛行機からの転向者には戸惑う者が多い。


 しかし幼い頃からイオリにとっては飛行機といえばアリアンテであったから、全く問題が無い。むしろ一般的な航空機よりも一体感のあるこのスタイルの方が気に入っていた。


 呪縛から解放されたように、空を駆け巡る姿は本当に輝いていて、ユノンとしてもずっと見ていたかった。しかし、今回の目的は飛ぶことでは無くオルタの補充についての検証である。いい加減オルタのエネルギーも半分程度に減っているはずなのだが、一向に降りてくる気配がないので、呼び戻すことにした。


「イーオーリー!」


 両手を振って叫んでみるが、一向に降りてくる気配がない。それどころか翼を振り返して、アクロバティックな飛行まで披露し始めた。


「もうっ、応援してるんじゃないんだけど」


 頬を膨らませながらもなんとか降りてくるように伝える手段を探すが、周りを見渡してみても使えそうなものは見あたらない。いっそのこと墜落するまで放っておこうかと思った時、ふと足下の箱に目がいった。アリアンテのメンテナンス用と思われる大きな工具箱で、機体と同じ深紅に塗られていた。

 無線でも入っていないかと箱を漁るユノンの目に、ある物が飛び込んできた。





 スロットルレバーを握る手に力を込めると、アリアンテは敏感に反応してその小さな(からだ)を震わせた。押し出される力が一気に増して、機体がわずかに持ち上がる。オルタドライブ特有の、この押し出される感覚がイオリは大好きだった。廃熱の問題、着地やブレード破損のリスク、ピーキーな操縦性など数多の欠点はあるものの、大部分はオルタとイオリの腕でカバーできるので、気にしていない。


「やっぱ、アリアンテ最高ぉー!」


 思わず大声を張り上げてしまう。『カーク10』とは違い、生身の身体で直に風を感じることができるアリアンテは、一体感がある。久方ぶりの会館に身をゆだねながら、ぐっと右側へ体重を移動して旋回を始めた。


 ゴウッと乱暴な風切り音が耳を襲い、芝生に覆われた丘陵が迫ってくる。オルタの高度設定を限界まで下げ、芝生のギリギリで機首を引き起こした。舞い上がる草を置き去りにし、弾丸のような勢いで二つ目の丘へと進入する。

 コース取りは悪くない。むしろ二年前よりも乗れている気がする、そう思った瞬間に丘の中腹に描かれた巨大なマークが目に飛び込んできた。


 円の中に下向きの三角形が描かれ、それが指し示す先には髪をなびかせて仁王立ちする少女の姿があった。


「やべっ!」


 本来の目的を思いだしたイオリは、慌てて制動をかけた。ゆっくりと大きな円を描いて簡易滑走路へと着地させると、急いでエンジンを切ってユノンの元へと走っていった。

 丘の中腹まで全力ダッシュしたせいで息も絶え絶えになりつつ、仁王立ちするユノンの前まで辿り着く。

 

「ごめ…んユノン、ちょっと、調子に乗って飛びすぎた」

「いいんだけどね、楽しそうだったから。それよりオルタは大丈夫なの。結構無茶な飛び方してたよ?」

「反省、してる」


 暫く仰向けに転がり、息を整えてからユノンとともにアリアンテの所へと戻った。

 恐る恐る格納してあるハッチを開けるが、輝くような青緑色の光がこぼれてきて安堵のため息を漏らす。


「よかった、大丈夫そうだ」

「でしょう、どのくらい長く飛ぶのか知らないけど、この子ならまず大丈夫だよ」

「そっか、すごいな」



 それが一体どのぐらい凄い事なのか、は全くわかっていない二人は、当初の目的は果たすことが出来たとばかりにアリアンテを格納し、のんきな顔で家路につくのだった。

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