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オルタの歌  作者: 春豆
第一章 オルタの子
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第二話 星屑を掴む手

 イオリは今、ガチガチと歯を鳴らしながら寒さに耐えている。

 毛布はユノンに貸してしまったので仕方なく濡れた服を絞って着たのだが、そのせいで容赦なく体温が奪われていく。

 そんなに時間がかからない距離だし大丈夫だろうと高をくくっていたのだが、とんでもない。


「かかか、身体が、凍る」


 すーっと垂れてきた鼻水をすすり、懸命に操縦桿を操る。あらぬ方向に飛んで行こうとする『カーク10』を軌道修正するために、先程から方向舵は切りっぱなしで、だんだん腕も痺れてきた。


「モナを貸さなきゃよかった」


 天然暖房機のモナは、後部座席のユノンに絶賛貸し出し中である。

 無理をして『カーク10』を飛ばせているのには、訳があった。あのまま湖に放置していたら、違法係留で国から莫大な罰金を科せられてしまうため、どこでも良いから正規の係留場所に移さなければならない。かといって、陸送するにも金がかかるし、そんな持ち合わせはない。ただでさえ商品を大量投棄して大損しているのだ。


 そこで仕方なく生きているエンジン一つで、離陸するという無謀な挑戦を行い、通常より長めの滑走距離を使って湖面から飛び上がることに成功したというわけだった。

 もっとも、成功したのはユノンがオルタにした不思議な現象があってこそなのだが。


(やっぱりユノンって、アレだよなぁ…)


 ―半時間前


 髪から水を滴らせながら、イオリは再び点検口に頭を突っ込んでいた。

 ユノンの追求を逃れることは、極めて困難であるとわかり、しぶしぶ秘密を教えることにしたのだ。狭い点検口に二人分の頭が寄り添うように突っ込まれている。


「だからユノンさん、顔が近いって」

「いいからいいから。早く教えて」

「誰にも言わないでくれよ」


 そう言いながらイオリは腰のポケットから緑色の小さな果実を一つ取り出す。

 イオリの実家であるカルデローニ果樹園の名前を一気に広めた魔法の果実、オリーブの実である。カルデローニのオリーブは、オイルにした時の味がまるで違うと評判で、市価では普通のオリーブと比べて倍はする自慢の逸品だ。


「これを、オルタの上に乗せると」


 イオリはゆっくりとオリーブの実をオルタの上に近づけていく。

 すると、触れたかとおもったオリーブの実が、とぷんという音を残して溶けるようにオルタに吸い込まれていった。


「あ、食べた」


 何気なく発したユノンの言葉に、イオリは驚く。

 この現象を『食べる』と表現したからだ。

 オリーブがオルタに取り込まれると、僅かだが輝きが戻ることから、恐らく放出してしまった力を取り戻しているのだろうと勝手に思っていたのだが、なるほど食べると表現されると妙に納得してしまう。


「こうして時々オリーブをあげてると機嫌が良いんだ」

「機嫌って、オルタの?」

「まあ、そんな気がするだけなんだけどさ。オリーブをあげた後は、道案内してくれる事もあるし」

「何ソレ」


 ユノンの目が点になっているのも、仕方のない事だった。

 世間一般的におけるオルタ鉱石とは制御術(プロセッソ)を使ってエネルギーを放出する石だ。決してオリーブは食べないし、道案内もしない。大体話すことも出来ない鉱石がどうやって道案内をするというのか。


「光がさ、ぴやーって伸びて教えてくれるんだよ」

「なんかもう、全体的におかしいよ。そんなこと出来たっけな」

「父さんから譲って貰った時からこうだから、普通だと思ってたんだけど。でもオリーブの件は黙っててくれよ。商品食べさせてるのバレると母さんに殺される」

 

 ユノンだって頼まれても言うつもりはなかった。言ったところで変人扱いされるだけだ。首を縦に振って同意するユノンの姿を見て安堵したのか、イオリは再びオルタに目を戻した。

 

「でもウチのオリーブ以外は食べないんだよなぁ」

「ふーむ」

「ん?」


 思わず横を向いたイオリに、ユノンの顔がさらに接近してくる。


「ねえ、私もコレ食べてみたい」

「い、いや、それはやめた方が」

「なんで、毒なの?」

「そうじゃないけど」

「じゃあいいよね、いいよね」

「ユノンさん、近い近い!顔が近い!」


 このままではまた迫られる、と身の危険を感じたイオリは、反射的に緑のオリーブを差し出してしまう。満面の笑顔でオリーブを摘んだユノンは、躊躇無く口に放り込んだ。

 オリーブは生食をすると、とてつもなく不味い。

 一口噛んだだけでも、この世の地獄かと思うほどの渋みが口一杯に広がり、一時間は舌が痺れて何の味も感じられなくなる。


(仕方ない、これも社会勉強だ)


 しかし、すぐに吐き出すだろうという予想に反して、ユノンはコリコリと美味しそうにオリーブの実を咀嚼し始めた。唖然とするイオリをよそに、さらにもう一粒要求してくる。どうやら気に入ったらしく、ポケットに入っていたオリーブの実が次々と消費されていく。


「なるほど美味しいね。これ、なんて言うの?」

「お、オリーブの実だけど」

「オリーブ?あれって黒じゃなかったっけ」

「それは完熟したやつだね。早い内に収穫したやつは緑色なんだ。この状態でオイルにすると、緑色のオリーブオイルが出来上がるよ」

「ふうん。なんかこう、食べると不思議な力が沸いてくるよね」

「そう、かな?」


 オリーブの実は、塩漬けなどにしなければ食べられないほど渋いし、元気が沸く効能も無い。しかし、現にユノンは美味しそうに食べているし、心なしか肌艶も良くなった気がする。


(美味い、のか?)


 試しにモナの鼻先に近づけてみたが、ぷいと顔を背けられてしまった。

 しばらくポリポリおやつのように食べるユノンと、手のひらに乗せたオリーブの実を交互にみつめていたイオリだが、意を決して最後の一粒を口に放り込んだ。


「おえええぇ」



 ● 



 イオリは舌先に残るオリーブの渋みを思いだして顔をしかめながら、後方確認用の鏡をちらりと見た。

 そこにはイオリが子供の頃に使っていた古いゴーグルを付け、モナを抱えているユノンが映っている。飛行機から見る景色に興奮してはしゃいでいるようだ。

 こうしていると普通の女の子に見えるのに、とため息を付いてしまった。

 ユノンは特別な女の子である。もちろんオリーブの実を生で食べてしまう所も特別なのだが、そうではなく国家に認められた『特別』な存在だった。


「っくし」


 くしゃみと共に、ブルリと機体が震える。

 

「イオリ君、大丈夫」

「ああ、なんとかね」


 後部座席から伝達管を通じて心配そうな声が聞こえて来た。全然大丈夫では無いのだが、そこは男のプライドでやせ我慢を貫き、操縦桿を握りなおした。

 機体を安定させつつ、湖上での出来事を回想する。


 イオリから奪ったオリーブの実を完食したユノンは、苦みにのたうち回るイオリを不思議そうに眺めながら、離陸を手伝うと申し出てきた。航空機とは関わりが無さそうなのに、その顔は自信に満ちあふれている。

 不安そうに見つめるイオリの目の前でユノンは両手をオルタ鉱石に向かってかざした。


制御術(プロセッソ)、凄かったな)


 静かに瞼を閉じたユノンの両手から光りの筋が紡ぎ出されると、真円の制御陣が浮かび上がった。制御陣のリングが二重になり、三重へと深化するに従い光は増していく。最後にぐるりと3つの円が回り出すとオルタ鉱石に衝突して消えた。 


 初めて見る制御術(プロセッソ)を前に呆然と立ち尽くすイオリに、ユノンは子供のような笑顔で成果をアピールしていた。


(にしても、国の制御術士(プロセッサー)にお願いした時は全く反応しなかったのに、何でユノンさんの制御術(プロセッソ)で起動したんだ?)


「イオリ君、陸地だよ」

「え?ああ、ほんとだ」

「大丈夫、凍死してない?意識飛んでた?」

「ちょっとね。助かった」


 回想したまま墜落なんて洒落にもならないと体を震わせる。確かにとんでもないモノを見せられたが、あれは離陸を補助するだけの一時的な措置だ。もういつものオルタ鉱石に戻っているし、何も見なかった事にしようと心に決める。


 目的地である港が近づいてきたので、大きく旋回しながらゆっくりと時間をかけて高度を下げた。エンジンへの負担を減らしながら丁寧に着水すると、すぐにドックから一隻の曳船が出てくる。


 船上から大きな声で呼びかけてくる禿げた親父は、イオリの父が子供の頃から世話になっていたというウーゴ・ベルッチその人だ。日焼けした肌にちょび髭、恰幅の良い身体にサスペンダーと船長帽が定番のスタイルで、今日も例外ではない。


「よう坊主、久しぶりだな!元気だったか」

「バウ!」

「おう、ワンコも元気そうだな」

「ウーゴさん、ご無沙汰してます。ちょっとトラブルで死にかけまして」

「穏やかじゃねぇな、ってエンジンかよ」

「どうにか、なりますかね」


 コクピットから身体を乗り出して興奮気味に話すイオリとは対照的に、ウーゴは冷静だった。曳船の甲板から『カーク10』から垂れてきた黒い液体を指ですくい、こねるようにして確かめると、すぐに渋い顔で首を振った。


「こりゃあ、駄目だな。スクラップだ」

「嘘でしょ」

「子供騙してどうすんだよ。まだバラしてみねぇとわからんけど、コンロッドメタルが焼き付いてんじゃねえのかな。シリンダーブロックも破れてんだろうし、炎上しててもおかしくないんだが、良く生きてたな」


 それを聞いたイオリは、へたりと崩れ落ちた。

 半ば予想していたとはいえ、実際に直らないと言われると辛いものがあった。他人からはボロ船とかポンコツ飛行機とか散々な事を言われているが、父親が大事にしていた機体には特別な思い入れがある。できればいつか生まれる自分の子供にも『カーク10』を譲ってやりたいなどと思っていたのだが、それもかなわぬ夢となってしまった。


「ま、とりあえずドックに入れてコーヒーでも飲んでけ。ついでにお前の彼女も紹介してくれよ」

「へ、彼女?どこ?」

「随分手が早くなったじゃねぇか、坊主」


 ニヤリと笑いながら後ろを指さしている。振り返ると、毛布から艶めかしく肩を露出したユノンが笑顔で手を振っていた。



 ●



 ウーゴから着替えを借りた二人は、事務所の簡易ストーブを囲んでコーヒーをすすっていた。モナはストーブの前で寝そべったまま動かない。何気ない振りをしてちらりと横へ視線をずらすと、刺激的な光景が目に入ってきた。

 大きめな男物のシャツを着たユノンである。袖をまくってなお指が半分隠れている様子は可愛らしさを、胸元のV字カットから覗く膨らみは妖艶さを演出している。


 何かを誤魔化すようにコクリと音を立ててマグカップ半分ほど飲み、ほっと一息ついたところでウーゴが事務所へ戻ってきた。片手にはブドウが盛られたトレイが乗っている。


「どうだ坊主ども、落ち着いたか」

「あ、う、うん助かったよウーゴさん」

「ども、コーヒーおいしかったです。あ、えっと私ユノン・ロッセリーニです、初めまして」

「ウーゴ・ベルッチだ。畏まらなくていいぞ、ブドウでも食ってくつろいでくれ」

「ご馳走になります」


 ユノンは大粒のブドウを一粒もいで恐る恐る口に入れた。まるでブドウを初めて食べるかのような仕草に、ウーゴは思わず笑みをこぼしてしまった。


「美味いか、それ」

「美味しい、甘いですね」


 美味しいを連発しながら次々と口に放り込んでいくユノンの横で、イオリは照れくさそうに前髪を弄っていた。


「そのブドウはカルデローニ果樹園のだからな、美味いはずよ」

「ん、イオリ君のところで作ったの?」

「えっと、そうなるかな。うん、作ったのは母さんで、俺は運んでるだけだけど」

「ああ、飛行機で」

「そ、今朝半分落っことしたけどね」


 イオリの顔が曇る。

 損失を考えると、頭が痛いのだろう。


「ベルッチさんは、イオリ君の叔父さんかなにかですか」

「ウーゴでいい、ベルッチさんなんて言われるとむずかゆいぜ。こいつの親父とは古くからの付き合いでな、俺に無断で勝手に死んじまったが、立派なパイロットだったよ。それなのに息子ときたら愛機は壊すわ、未成年に手を出すわ…」

「出してない!誤解だってば」

「下着一枚で毛布にくるまった美少女を連れてきて誤解もクソもないだろ、悪ガキめ」

「イオリ君、わたし美少女だって、聞いた聞いた?ねえ」

「ユノンさんはちょっと黙ってて」


 それからウーゴの誤解を解くのに30分、彼の昔話を聞かされること1時間、ユノンが間違えてワインを飲んでブッ倒れること4時間、気が付けばすっかり夜中である。

 ウーゴの好意でドックの上にある事務所で仮眠を取らせてもらうことができた。もともと繁忙期になると工員が寝泊まりすることも多く、宿泊用の設備は充実している。とはいえ今は閑散期だったので、人もいない。

 贅沢に一部屋を丸々使わせて貰える事になった。

 しかし、その前に酔っ払ったユノンをどうやって部屋に連れて行くかが問題だ。

 独身のウーゴも若いイオリも女性の扱いは極めて苦手なので、ユノンには自力でベッドに行ってもらうしかないのだが、当人はソファから起き上がる気配すら無い。途方に暮れたイオリは、一瞬本気でモナの背中に乗せようかと思ったほどだ。


 押しつけ合う二人だったが、結局力関係からしてイオリが勝てるはずもなかった。

 できる限り心を無にしてユノンを背負うと、何とかベッドまで運び終えた。


「まったく、なんて一日だよ」


 ユノンを運び、モナに餌を与えた後、ようやくシャワーを浴びてさっぱりしたイオリは、ドックの屋根に寝そべり夜空を見上げていた。小さくため息を吐き出して一日を振り返る。

 いつも通り葡萄やオリーブを配送していたはずなのに、突然エンジンが壊れて死にかけ、荷物を半分落とし、その上湖に落ちて挙げ句の果てに人が乗ったソファーを二階まで運搬だ。

 イベントが盛りだくさんすぎて頭も身体も疲れ果ててしまった。

 しかし、中でも一番の出来事といえばユノンという少女に出会ったことだろう。


「何ていうか、ヘンな子だったな」


 女性経験など皆無に近いイオリとしては、何がどう変なのか自分でも良くわかっていないが、これまで会ってきた少女達とは明らかに言動が違っていた。

 少なくとも、オリーブを生食する女の子は知らない。もっと話をしてみたいという気持ちもあるのだが、明日にはお別れだろう。今はユノンの事よりも目の前の現実が重くのしかかってきているからだ。

 壊れたエンジンの購入費用、取り付け工賃、その間のドック使用料、運送業が出来ない間の生活費など、とてもイオリ一人でどうにかできる額では無い。


「そろそろ潮時かな」


 ポンコツ運送屋と言われながらも、これまでなんとか頑張ってきたが、正直言って限界を感じていた。エンジンを新調して、維持費も払う余裕など今のカルデローニ家には無い。一方、『カーク10』を手放せばわずかながらも売却金を得られるし、母親と兄夫婦達を手伝い果樹園の経営に専念すれば生きていく事ぐらいは出来るだろう。

 そんな事を考えていた時、ふと亡き父の顔が浮かんだ。

 

 イオリの父ディエゴ・カルデローニは、かつて『ストラーデ・ヴォート』という航空機レースで名を馳せていたパイロットだった。幼い頃は、良くピサノを訪れては父のレースを観戦していたし、ストラーデを駆って次々と競争相手を抜いていく父の姿に興奮したものだった。

 ところが、父はある日突然『ストラーデ・ヴォート』を引退してしまった。全盛期と言われていた父の電撃引退は、スキャンダル好きな新聞記者達にとって格好の的であった。金の使い込みや八百長疑惑、女関係など様々な記事が紙面を踊ったが、父は一度も口を開くことなく母と共に華やかな舞台から去っていったという。


 当時まだ小さかった兄と三人で移り住んだ小さな島『カンピージ』で慎ましい生活を送り、しばらくしてからイオリが産まれた。果樹園の栽培と、時々入る内地への運送業では生きていくだけで精一杯の収入だったが、少なくともイオリは幸せだった。

 時々飛ばす『カーク10』の後部座席はイオリの専用シートで、兄ですらそこには座らせなかった。空はイオリが父を独り占めできるただ一つの場所だったからだ。


 父が内地で事故死するまでは。


「父さん」


 『カーク10』は父の形見だ。

 小さい頃から父と一緒に飛ばしてきた、ポンコツの相棒だ。

 売りたく無い。

  

「どうすりゃいいんだよ」


 イオリは、夜空に向かってゆっくりと片手を上げた。

 指の隙間から見える星が、うっすらぼやけている。くそっと悪態をついて片腕で目を拭ったとき、ひょこりと青緑色の丸い物体が姿を現した。

 片手が屋根の上に乗り、次にもぞもぞと頭が出てくる。ユノンだ。

 酔いは醒めたのだろうか、などと思いつつぼんやり見ていたら、ぷるぷる震える腕の横に突然足先が現れた。


「ちょっとユノンさん、それはマズい!」


 女子にあるまじき登り方をしようとするユノンを制止する。

 そもそもワンピースを着た状態で屋根に登ろうという考えがおかしい。危ないうえに、危ないし、それに危ない。色々な意味で危ない。


「そっちに、行こうと、思って」

「だからちょっと待って、俺が引っ張り上げるから」


 ユノンの手を取って、思い切り引っ張り上げると、思った以上に軽い。拍子抜けするほどあっけなく屋根に引き上げることができた。服についた汚れを払うユノンの横で、イオリは両手をジッと見つめていた。


「どうしたの、イオリ君」

「いや何でもない。それより、ワインは大丈夫なの」

「初めて飲んだけど、私には合わないみたい。まだちょっと頭がフラフラする」

「絶対に人前では飲まないようにね」

「はーい」


 ユノンの見た目は良い。外でワインを飲んでブッ倒れたら、世の男共は諸手を上げて歓迎することだろう。確実にその辺の宿に連れ込まれる。本人はもう飲まないと言っているが、この性格だと間違えて一気飲みするぐらいやらかしそうだ。


「そんなことよりイオリ君、屋根なんかに登ってどうしたの」

「星が掴めないかと思ってさ」

「なるほど?」


 ユノンの手が夜空に向かって伸びた。

 指を広げ、そしてぎゅっと握る。

 結構難しいかも、と微笑み返してくるユノンは、ドキリとするほど大人びた顔をしていた。ばたりと仰向けに倒れた彼女から、甘い香りが漂ってくる。


「飛行機の事、だよね」

「そうだね、正直な話エンジンを直すだけの資金が無い。売り払うしかないなと思ってたところ」

「そっか、残念。あの子はもっと飛びたがってたんだけどな」

「あの子って?」

「イオリ君の飛行機に乗ってたオルタ」

「ヒカが、飛びたがってるって?」

「うん。空を飛びたがるのは、オルタの本能だからね。でもイオリ君とのフライトは、その中でもとびきり大切で、幸せな時間なんだって」


 まるでオルタと会話してきたように話すユノンだが、オルタは鉱石である。実際に話したわけでは無いだろうが、もし口をきけたらそう言うかもしれない。思い返せば『カーク10』で飛んだ後のオルタは、よく輝いている事があった。あれは喜びを表していたのだろうか。


「そっか、まだ飛びたいのか」


 オリーブを食べるちょっと変わったオルタ。

 大切な相棒から、空を奪ってはいけない。

 イオリは勢いよく上半身を起こすと、ぐっと伸びをした。


「それなら俺も頑張らないと」

「元気になった?」

「なったなった。オルタと世界中の空を旅するってのが、俺と父さんの夢だったからね。こんな所で挫折してたら、父さんに殴られる」

「で、どうするの」

「まずエンジンの組立てと調整はウーゴさんに分割払いでお願いするとして、問題はエンジンが手に入るかどうかだね。左右で出力が違っても困るし、中古でいいから同じエンジンを探さないといけないんだけど…そうなると分割払いは難しいかなぁ。まあ、とにかくお金を貯めないと駄目だね」


 この時代、中古品を分割払いで売ってくれる奇特な人は少ない。残金を取りはぐれる可能性が高い中古品は、一括払いが常識なのだ。


「時間かかりそうだね。あ、ちなみに私は貧乏だから貸せないよ」

「食うに困る生活のユノンさんから、たかろうとは思ってない」

「むうん、なんかそう言われると悔しいんですけど」

「事実だから仕方ない」

「それで、いくらぐらいかかりそうなの」


 概算金額を耳元に囁いたら、ビクリとユノンの身体がはねた。

 予想を遙かに越えていたのだろう。


「冗談だよね」

「いやほんと。そのぐらいは最低限必要だと思う」

「普通に暮らしてて稼げる金額じゃないよ、それ。何かアテがあるの」

「うーん、まあ有るといえば有るような無いような」

「何だか煮え切らないね」


 実際、イオリは悩んでいた。

 一気に金を稼ぐ方法が全く無いというわけでもなく、過去にはギャンブルや金融取引などで巨万の富を稼いだ強者もいる。イオリの頭に浮かんだ構想も、そんなハイリスク・ハイリターンな手法だ。

 選択するには相応の覚悟が必要だったし、あまりやりたくは無い。


「俺のことより、ユノンさんはこれからどうするの。親戚とかいるでしょ、近くまで送っていくよ」

「うん、残念だけど」

「そっか、じゃあ明日でお別れだね」

「違う、そっちじゃないよ」


 ユノンが慌てて手を振った。

 残念ながら、襲われそうになったのでもう親戚の家には戻れないという事だった。

 イオリは、あまり歳の変わらない少女がおかれた悲惨な境遇に驚き、そして同情しまったためか、普段なら絶対に言わないような言葉をポロリと言ってしまった。


「じゃあ、ウチに来る?」

「えっ!?」


 言ってから、しまったと後悔する。

 出会って一日もしていない女の子に言う言葉ではなかった。目の前には、顔を真っ赤にして蒸気を上げるユノン。

 誤解であることを伝えようと、勢い良く立ち上がったのが良くなかった。ずるりと足が滑り、あわあわと彷徨う手がユノンの服を掴んだ。


「ひっ」

「ぎやあああ!」


 二人して派手に転げ落ちた。下に張ってあった日除けのシェードにくるまり、ウーゴが大切にしていたハンモックを破壊し、年代物のワインを瓶ごと叩き割ったが、奇跡的に怪我は無かった。


 ストライプの布にくるまったまま、顔を見合わせた二人は、どちらからともなく笑い出してしまった。深い意味はない、ただお互いの吹っ切れた顔が可笑しかったのだ。だが、すぐにイオリの顔は恐怖に凍り付くことになる。


「いい度胸だ、色惚けのクソ餓鬼どもが」


 視線の先には、ぶっとい腕を胸の前に組み、鬼のような形相で仁王立ちするウーゴがいた。



 ●



 翌日、ウーゴには中古エンジンを入手するまでの間、一時的に『カーク10』を預かって貰う契約をした。最後までブツブツ文句を言っていたが、屋根の修理代は払わずに逃げ切った。

 これから実家がある島へと帰るにあたり、船のチケットを二枚も買わなければいけないのだ。無駄な出費は抑えるに限る。

 そう、昨夜ウーゴの説教が終わってからユノンの誤解を解くのに一苦労だったが、なんとか『イオリの実家』で『果樹園の手伝い』を住み込みでしないかという誘いであったことを理解させる事に成功した。

 苦労はしたが、おかげでユノンと一緒に実家へと帰ることができる。

 それだけで、今日のイオリはウキウキと足が地に着いていない様子である。

 

「ちっ、嵐にでも遭って沈没しちまえ」

 

 不吉な呪いを投げつけてくるウーゴに舌を出して返すと、林檎を投げつけられたので早々に退散した。

 港へと歩く途中、ユノンが楽しげに腕を振りながら尋ねた。


「イオリ君の実家は、島なんだね」

「そう、小さい島だけど良い所だよ。何もないけどね」

「それでも、楽しみ」


 ウーゴからタダ同然で奪い取った黒いコートは大きすぎたようで、ユノンの手は三回折り返してかろうじて指先が見える程度だ。

 つい目がユノンを追ってしまってから、はたと気付いて視線を外す。そんな事を何度か繰り返すうちに、いつの間にか港へと着いていた。

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