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オルタの歌  作者: 春豆
第一章 オルタの子
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第一話 晴れ、ときどき林檎雨

 抜けるような青空が広がる初夏のある日、工業都市ピサノは年に一度しかない収穫祭の準備で慌ただしい朝を迎えていた。そんな忙しく行き交う人々の間を、一人の少女が覚束ない足取りで進んでいく。年の頃は14、5歳でモノトーンのワンピースを身に纏っている。背が高くスレンダーな体つきをしているが、手足が長いところが成長期を思わせるアンバランスさを醸し出していた。

 ボブカットにまとめた淡い青緑色の髪を、ふわりと揺らしながら人々間をすり抜けていくと、やがて巨大な湖に臨む小高い丘の中腹へと差し掛かった。そしてそこで力尽きるようにバタリと地に伏した。


「見つからないなぁ…」


 両手を広げてゴロリと転がってみれば、そこには雲一つ無い青い空が広がっている。ぼんやりと見上げていると、柔らかな風が髪を踊らせ、口元をくすぐった。

 普段なら心地よく感じるそれも、今はただ鬱陶しいだけだった。

 口元にへばりついた髪を摘んだ手は、そのまま力尽きてパタリと草むらへと倒れていく。


 捜し物がピサノにあるという噂を聞き、三ヶ月探し回った。

 元々手持ちが少なかった少女は、ひたすら足で情報を探し回ったのだが、何の収穫も得られず徒労に終わった。

 いよいよ手持ちの資金が尽きたことで、ここ一週間はろくに食べ物を口にしていないという現状も、疲労に拍車をかけている。


「空から食べ物でも落ちてこないかな」


 物くれぬ青空を恨めしげに見上げたその時、空を横切る赤い飛行機が目に入ってきた。エンジンを二つ持つ複葉機で、古くさいフロート付きのレシプロ水上機だ。あんなオンボロ飛行機がよく飛ぶなあと思いつつぼんやり眺めていると、ボンと爆発音が聞こえてきた。


「あ、壊れた」


 エンジンの一つが、黒煙を吐いている。

 だが双発の飛行機は一つエンジンが駄目になっても、すぐに墜落することは無いと聞いた事がある。それに航空機ならば大抵オルタドライブという強力なエンジンを搭載しているので、たとえ単発になろうと緊急着陸できる程度の推力は得られるはずだ。

 この辺りは田舎だし不時着するような土地はいくらでもある。大惨事になることは無いだろうと、再び芝生へ倒れ込んだ。


 それでもパイロットは焦ってるだろうなぁ、どんな顔してるのかなぁ、などとすっかり観客気分でのんびり見物していたら、水上機がふらつきながら大きく旋回し始めた。

 翼を振りながら、何かをポロポロ落としている。どうやらエンジンの出力が上がらないらしい。

 重量を軽くするため、積み荷を捨てざるを得ない状況にあるということか。『不幸は一度では収まらない』とは正にこのことだ。

 少女は欠伸で流れ出た涙を擦りながら、飛行機の行方を追う。


「うん?」


 口をヘの字にし、眉を潜めながら目をこらす。

 気のせいか、真っ黒い煙を上げた水上機は、丁度少女がいる丘に向かって飛んできているように見えるではないか。


「滑走路、こっちに無いよね」


 なんだか雲行きが怪しくなってきた。

 あわてて身体を起こして方向を確認すると、機体の正面はバッチリ少女に向いていた。

 とてつもなく、嫌な予感がする。エンジンからはオルタドライブ特有の水しぶきを上げるような光景が見られない。つまるところ、骨董品である化石燃料ペトを燃料としたエンジンを積んでいるという事であり、すなわちポンコツだということである。

 みるみる大きくなっていく機体とプロペラ音に危機感をおぼえ、素早く左右を見回した。

 

 右を見れば、草に覆われたなだらかな丘陵が、どこまでも続いている。

 左を見れば、やはり草に覆われたなだらかな丘陵が、どこまでも続いている。

 見なくてもわかるが、後ろには湖がある。

 

 すなわち、身を隠す場所は一切無い。

 動揺する少女をあざ笑うかのように、水上機はもうすぐそこまで迫っていた。


「嘘ぉっ、ぷぁ」


 プロペラの奏でる轟音が頭上を過ぎ去り、直後に圧倒的な質量の風が少女を襲った。

 顔を両腕で覆い、バタバタと音を立ててぶつかってくる袖に顔をしかめながら風圧に耐えていると、突然足元で地面が爆ぜた。


「ひぃぁ、何!?」


 悲鳴と共に片足を跳ね上げて身体を捻る。

 何事かと見てみれば、ぐしゃりと何かが潰れて破裂していた。

 市場でよく見かける赤い物体、林檎だった。

 もしや少女の願いが天に届き、不憫に思った神が食べ物をそっと落とし―


「てくれるわけない!」

 

 林檎が水上機から落とされて地面に激突したのだと理解した途端、少女は目を見開いて空を見上げた。

 まだ幾つもの丸い何かが空から降ってくる。

 直撃したら痛いだろう。

 いや痛いどころではない大けがだ。あたりどころが悪ければ、死ぬ。


「わああ!」


 半泣きしながらも、迫り来る赤い弾丸を睨みつける。こうなったら全弾回避するしかない。わずかに体を沈み込ませた後、少女は神がかった動きで林檎を避けていく。軽やかに身体を捻り、時には倒れ込み、転がりながら林檎雨を躱す。

 とても永い戦いだった。

 そして全てが終わり、おびただしい林檎の屍に埋め尽くされた丘には、少女だけが佇んでいた。

 彼女はこの戦いに勝ったのだ。

 しかし、それを讃えるものは誰も居ない。

 ただ甘ったるい林檎風だけが、彼女の頬を撫でていくのだった。


「私、生き残った」


 ふっ、と少女は寂しげな微笑みを浮かべる。

 潰れていった林檎達を弔いながら、その目は生き残りを探していた。

 天からの恵みを逃す手は無い。

 ギラリと光った少女の目が、まだ形のある林檎を見つける。

 傷つき、満身創痍なその林檎(ソルジャー)を片手で摘み上げてみると、なかなか新鮮で生きの良い個体であることが見て取れた。

 多少汚れているが、色艶良く鍛えられた果実(ニクタイ)が実に美味そうだ。

 少女は勇敢な林檎に片手で祈りを捧げ、感謝の言葉を伝えた。

 

「美味しく食べられますように」


 後にこの光景を目撃したという羊飼いによると、シャリシャリと何か咀嚼する音に混じって悲鳴が聞こえたとか、聞こえなかったとか。

 以来、この丘は『林檎雨の悲劇』と呼ばれ、怖い物知らずの若者やカップルが訪れる観光場所として有名になるのだが、そんなことは知らない少女は無心に林檎を囓りながら腹を満たしていく。

 何しろ三日ぶりのまともな食料なのだから、他人の目など気にしていられない。

 生き残った林檎を探してさまよい歩いていると、いつの間にか丘の頂上に辿り着いていた。

 

 側に落ちていた半壊している木箱の林檎を覗くと、青林檎が入っていた。

 食べたりなかった少女は、嬉々として青リンゴに手を伸ばし、齧り付く。

 酸味があるが爽やかな味を堪能しながら、何気なく崖下を覗くと、先程の水上機が湖面に浮かんでいるのが見えた。


「ん、無事なんだ」


 古く大きな機体で推進力が半分となれば、バランスを取るだけでもかなりの操縦技術が必要だ。きっと、口ひげを生やした熟練パイロットが乗っているに違い無いと確信する。

 少女は、青リンゴを嚥下すると、ペロリと指を舐めながらパイロットが出てくるのを待つことにした。

 するとしばらくして、ハッチを開けて人が出てくるのが見えた。

 その姿を見て、少女は首を傾げる。

 どう見ても渋い大人の男には見えない。せいぜいが十代後半、いや自分とあまりかわらない年齢だろう。そんな頼りなさげな少年が、自分の腕だけで着水させたとは到底思えなかった。

 

 少女は、しばらく首を捻り、そしてああそうかと納得した。

 もう一人、凄腕のパイロットが乗っているに違い無い。

 腕を組みながら、うんうんと首を縦に振る。

 命が危険に晒されたのだから、文句の一つと謝罪の食事ぐらい要求しても良いだろうと一人で納得する。


 エンジンなんてそう簡単に修理は出来ないだろうから、ゆっくり向かっても充分間に合いそうだ。青林檎を拾い上げ、ワンピースのポケットに無理矢理突っ込もうとして失敗、少し考えて無造作に胸元へ放り込んだ。

 坂の頂上から湖面までは少し歩くので、おやつは必要なのである。


 少女は軽やかな足取りで、丘を降っていった。



 ●



 ゆらりゆらりと波に揺られながら、水上機は岸辺に向かって流されていた。

 コクピットの中で、頭を抱えているのは先月14歳になったばかりの少年、イオリ・カルデローニだ。


「あーくそ、ついにやっちまった」


 狭いコクピットから身体を引き出してゴーグルを跳ね上げると、ヘルメットごと後部座席に放り投げる。両手を縁にかけて体を持ち上げると、胴体部分にあけられたハッチのノブへ手をかけた。


 バウ、という鳴き声と供に中から飛び出してきたのはイオリの飼い犬モナだった。マレンマシープドッグという種類で体高が70cm近くもある大型犬だ。白いモコモコの体毛と整った顔でイオリにじゃれついている。飛行中は貨物室に入れていたから、随分と退屈していたのだろう。


「モナ、まだ到着してないんだ。というか墜落した。おとなしく待っててよ」


 黒いくせっ毛の前髪を弄りながら、イオリは長いため息を吐き出した。

 眺める先には、うっすらと煙を吐き出すエンジンがある。

 これまで補修しながら、なんとか騙しだまし保たせてきた骨董品だ。煙を吐いたと言うことは、すでにイオリの手に負える範囲では無い可能性が高い。


 無駄とは知りつつも、レンチ片手に点検口を開けてみる。

 ブワッと吐き出される黒煙を振り払い、祈るように内部を確認するが、油まみれの悲惨な状態を見て絶望の淵に突き落とされた。

 それでも、このまま諦める訳にはいかなかった。上着を脱ぎ捨て、シャツ一枚になって必死に故障箇所を探し始めた。

 そうして格闘すること30分。判った事といえば、全て無駄な努力だったという事実だけ。


「詰んだ…」


 どうしたの、という顔で鼻を近づけてくるモナの頭を撫でつつ、主翼に座り込んだ。

 下手をするとエンジンをバラしてのフルメンテナンスが必要になるレベルだったが、こんな古いエンジンにそんな事をする馬鹿は居ない。かえって中古エンジンを買った方が安く上がるからだ。

 しかし今のイオリには、中古エンジンを買う資金すら無い。

 父親の形見である水上機『カーク10』を使った運送業と、母親の果樹園の売り上げで細々と食いつないでいる現状では、貯蓄など不可能である。

 だからこそ離陸前にメンテナンスはしっかりと行ったのだが、各部品はゆっくりと劣化していたのだろう。むしろここまで良くもったと褒めてやりたいのだが、現実は厳しい。明日からの稼ぎをどうすれば良いのか、見当も付かなかった。


「参ったなあ」


 思わず天を仰いでいると、突然モナが大きく二回吠えた。何かを見つけた時の合図だ。周囲を見回すと、視線の端で何かが動いている。目を凝らしてみていると、4~5mくらいの高さにある崖の辺りで、突然ひょっこりと人が顔を出した。


 髪を揺らしてこちらを見ているのは、同じくらいの歳をした少女だ。

 目が合ってしまったので、思わず手を振ると少女も振り返してきた。現実逃避したかったイオリにとっては、心和む一時であった。

 

 しかしその後に少女は予想外の行動を取った。

 まず胸元をゴソゴソさぐると、手にした丸い何かをイオリに向かって放り投げた。

 

「うおっ」

 

 残念ながらイオリまで届かず、近くの水にドボンと盛大な水柱を立てて落ちる。

 驚いて片腕で目を覆ううちに、今度は少女本人が崖の先端から湖へと飛び込んだ。

 危ない、と叫ぶ間もなく青いワンピース姿の少女は湖面へと吸い込まれて行った。

 

 思わず目を瞑ってしまったので着水した瞬間は判らないが、思ったほど大きな音ではなかった。

 それでも5mという高さは人にとって危険な距離だ。

 水温が低かったり、姿勢が乱れたりして死んでしまうこともある。

 

「おい、大丈夫かっ」


 思わず身を乗り出して湖面を見るイオリの前に、ぷかぷかと小さな物体が流れてきた。

 それはさんざん見慣れた果物だった。


「青林檎?」


 さっき湖に投げ込まれた丸い物体は、どうやら青林檎だとわかる。

 だが何故先に投げ込んだのだろうか。

 真意がわからないまま首を傾げていたが、はたと重要な事を思い出す。

 

 少女の行方を捜していたのだ。

 飛び込んだ後、溺れていたりしないだろうかと心配になる。

 名前も知らない人だが、目の前で死なれるのは気分が良くない。

 

 一向に浮かび上がってこない少女を心配しながら下翼まで降りていくと、青林檎がコツンコツンと機体をノックしながら、波間を漂っていた。

 拾い上げようと、何気なく左手を伸ばした時、突然水中から現れた手にガシッと手首を掴まれた。

 

「うわあぁ!」

「バウバウ!」


 激しく吠えるモナの横で、白く細い手と共に水面に上がってきたのは青緑色の海草、ではなく少女の頭だった。

 湖面から浮き上がってきた少女は、ぷはっと盛大に息を吸い、そして満面の笑顔でイオリに言った。


「駄目だよ、ソレは私が拾ったものだから、あげない」


 最初それがなにを指しているのかわからなかったが、どうやら青林檎の事らしいとわかり、思わず頬が緩んでしまう。多分墜落の途中で飛行機から落ちたものだが、どうせもう商品にならない林檎だ。


「別に盗ったりしないよ。林檎ならカーゴに売るほどあるし」

「え、そうなの?」

「まあ売りに来たわけだからね。ま、どうせ駄目になってるだろうから、欲しかったらいくつかあげるよ」

「ええっ、欲しい欲しい!」


 何だか素朴な感じのするその反応に、イオリはホッと胸をなで下ろす。

 どうやら悪い人ではなさそうだ。

 モナも吠えるのを止めて、興味深そうに鼻を鳴らしてうろうろしている。


 最近は墜落した飛行機からの追い剥ぎを生業としている輩も多くなっており、パイロット仲間からは自衛用の護身銃を持つように言われている。

 完全に安心は出来ないが、ワンピース一つで盗賊をしに来る馬鹿もいないだろう。


「で、君はどちらさま。何しに来たのかな」

「ユノン・ロッセリーニ。ユノンでいいよ、くせっ毛のお兄さん」

「同じくらいの歳だろ?イオリ・カルデローニ、俺のこともイオリでいいよ、ユノンさん」


 ユノンの手を取り、下翼の上に引き上げようとしたイオリの顔が一瞬引き攣る。


「ちょ、ちょっと待った!」


 慌ててコクピットに戻り、毛布を取り出してくると、なるべくユノンをみないようにしながら手渡した。

 水浸しのワンピースは、年頃の少年にはなかなか刺激的な格好であった。


「やー、ごめんねありがとう」

「いやいいから、早く身体を覆ってくれ」

「はいはーい」


 一方のユノンはというと、あっけらかんとしていた。

 大きな毛布の中でゴソゴソとワンピースを脱ぐと、毛布を身体に一巻き半させる。

 これはこれで刺激的なのだが、本人は全く気にしていない。イオリは、できるだけ視線を下に向けないように意識しなければならなかった。


「それで、ユノンさんは何で突然飛び込んだの。結構危ない高さだったよ」

「その前に、イオリ君の他には誰もいないの?凄腕のパイロットとか」

「何それ。誰も居ないよ、俺とモナだけ」


 傍らで嬉しそうにモナが吼える。

 つまり、イオリという少年一人の腕で着水させたということらしい。


「ふうん、まあいっか。ここに来た理由はね、丘で優雅に昼寝していた私に林檎爆弾を投下た極悪人を捕獲するためと、久しぶりの水浴びをするためかな」

「極悪人って…悪かったよ、こっちも余裕がなくてさ、重量軽くしないと途中で墜落する危険があったんだ。とにかくごめん」

「あれ、あはは。冗談だってば。私も昼寝じゃなくてお腹すいて行き倒れてただけだし、林檎のおかげで栄養補給できたし、もうちょっと貰えたら許してあげる」

「行き倒れ?大丈夫なのか」

「まあお水は飲んでたけど、ちょっと危なかったかな」

「何でまたそんな状況に。色々聞きたいけど、とりあえずそのままだと風邪ひくよ」


 目の毒であるユノンに天然暖房機モナを預けて暖をとらせると、生き残ったエンジンのチェックをしながら事情を聞くことにした。


 ユノンは両親を海の事故で亡くしており、端的に言えば食うに困る極貧状況だった。

海難と聞いて、真っ先にイオリの頭に浮かんだのが『没海』だ。

 工業都市ピサノが所属する、ここベルゴーニ大公国は三方を海に囲まれているため、海運業と航空産業が盛んだ。しかし、ピサノを南に下った辺りでは、海流が強いため良く事故が起こると言われている。また、そこでは乱気流や積乱雲が発生しやすく、航空機の墜落事故も多発しているため、最近では全てが没する海『没海』として危険地帯に指定されている。

 なぜそんな場所へユノンの両親が足を踏み入れたのかまではわからなかったが、何かの研究をしてたらしい。両親の死後は、親戚に引き取られていたらしいが、事情があって逃げ出してきたと言う。


「一度に親を亡くしたのは、辛かっただろうな」

「あ、うん。そうだね、辛かったのかな?」

「あれ、そうじゃないの?」

「そうだね、うん、辛かった」


 笑顔で返してくるユノンに、どう反応して良いのかわからず、イオリは前髪を指でクルクルと巻いた。

 両親の死について話しているのに、笑顔が出てくるとは思わなかった。しかしまあ、随分昔の出来事だとしたら、気持ちの整理がついているのかもしれない。そう思うことにして、逃げるように機首の点検口へと向かった。

 ネジを外して扉を開くといつも通りの綺麗な青緑色をした鉱石が姿を現した。

 安堵しつつポケットから小瓶を取り出そうとした時、背後で息をのむ音が聞こえた。


「それって」

「うわっ、何だよいきなり」


 イオリが点検口に頭をつっこんで確認していたら、突然真横にもう一つ頭が降ってきた。突然現れたユノンに驚き、あまりの近さに照れ、予想外の香りに動揺していた。


(あ、青林檎の香りだ)


 目をくるくると回しながら焦るイオリをよそに、ユノンはじっと目の前の鉱石を見つめていた。


「このオルタ」

「え!?」

「ねえ、どうして君が持ってるの?」

「どうしてって、航空機だから」

「そうじゃなくて…ううんそれはいいや。この飛行機オルタドライブじゃないよね、燃料はペトでしょ。なのにどうしてオルタ鉱石があるの」


 『オルタ』という鉱石は極めて高濃度のエネルギーを含有しており、僅かな量でもかなりの熱量を得ることが出来るため航空機の動力や大規模発電の電源に活用されている。しかし、稀少鉱石であるためどの国でも国営で管理するのが一般的だ。ここベルゴーニ大公国においてもそれは同様で議会(パルラメント)と呼ばれる組織が発掘、精製、販売までの流通を一貫して管理している。国が囲い込むほどオルタ鉱石の有用性は高かったが、一方で制御が難しいという欠点もあった。


 もともとオルタ鉱石からエネルギーを取り出すには、科学的な反応ではなく 一定の出力で長時間稼働させる制御術(プロセッソ)という法術を用いる。そしてその法術は先天的に授かるものであり、かつ世界でも保有する人間が少ない。そのため制御術(プロセッソ)を使える制御術士(プロセッッサー)は、オルタ鉱石以上に国家の厳重な管理下に置かれていた。


 一方イオリが使っているのは、安価に入手出来る代替燃料「ペト」と呼ばれる黒い液体燃料だ。有害物質を撒き散らし、莫大な量を使いながらも得られる熱量はオルタに遠く及ばないという粗悪な燃料だ。精製技術が進歩していないせいもあるが、これを用いた内燃機関はとにかく馬力が出ない。今時ペトを燃料にした航空機などド田舎ぐらいでしか見かけられないだろう。


「オルタ鉱石のこと、詳しいの」

「んー、まあそれなりには知ってる、かな。どうかな」


 ユノンは、あいまいな笑顔を返した。


「オルタは制御術(プロセッソ)で制御して初めて使えるんだ。でも『ヒカ』は制御術(プロセッソ)で反応しないんだ」

「ヒカ?」

「このオルタの名前。名付けたのは父さんだから由来はわからないけどね。なんだか花が散ることをヒカって呼ぶ国があるんだってさ」

「なんで花が関係あるの」

「俺も知らない。でも以前はヒカと一緒に空を飛んでたらしいから、その時の様子から付けたんじゃないかな。今は反応しなくなっちゃったけど」

「じゃあ、このオルタは」

「ただの飾りだね。一応非常用のスラストに使える設計みたいだけど、制御術(プロセッソ)に反応しないんじゃ意味ないしね」

「使えないのにどうして載せてるの」

「飛ぶ時のお守りかな。家族みたいなもんだからさ」

「へぇ」


 イオリは、努めて冷静に振る舞いつつ、ゆっくりとその場を離れようとした。

 しかし、素早く点検口から頭を引き抜いたユノンが、首を傾げながら笑顔で逃げ道を防いだ。


「それはそうと、さっき何をしようとしてたのかな」

「何って、点検しようと思っただけで…」

「飾りなんだよね?点検とかいらないよね」

「いや、衝撃で割れてたりしたら大変だから」

「そっか、なるほど」


 何とか誤魔化せたと、胸をなで下ろした瞬間にガシッと腕を掴まれた。

 体の後ろに隠していた小瓶を持つ右腕を。


「わっ」

「うーん、怪しい。何か面白そうな事を隠してる」

「何も隠してないよ、気のせいだって、ちょっとユノンさん顔が近い」

「ねえねえ、教えてよ」

「だから何も無いって、ちょっ…まっ、おち、あ!」


 毛布がはだけるのも気にせずグイグイと迫るユノン。反射的に後ずさったイオリは、為す術もなく湖面へと吸い込まれて行き、盛大な水柱を立てた。

 新しい遊びだと勘違いして激しく吠えるモナに驚いた鳥達が一斉に飛び去り、カーク10をゆらりと揺らすのだった。

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