第六話 王都の黄色い鳥は仮初めの主を裏切る
看護師長が監視強化を指示その日の晩、イオリ・カルデローニは病院から脱走した。
第一発見者は、昨日看護師長に脳天唐竹割をされて床に沈んだ若い看護師、カナリア上等兵だった。
看護師長に替わってイオリの検診に訪れたカナリア上等兵は、沈痛な面もちで病室の扉を開ける。少なからずイオリのファンである彼女としては、常習性の強い薬を打つことに抵抗があったのだ。さりとて、軍人として上官の命令は絶対である。どんよりと暗い空気を纏いながらも、つとめて明るい声で病室のドアを開ける。
「おはよぉございまぁ~す、カルデローニさん、朝ですよーお寝坊さんですね、そういう可愛い所もあるんですねー、さあ朝の検診ですよ服脱いで下さいね、ささっと」
何はともあれ、イオリの裸を見られるのは嬉しい。つい口元が緩んで涎が垂れそうになるのを必死に抑え、カナリア上等兵は体温計を準備する。他にも色々と不穏な器具をトレーに並べていくが、毛布にまるまったままのイオリはピクリとも動かない。
上等兵は思う。これはきっと照れているに違い無い、うら若き女性による検診を照れているのだ、だが検診は絶対だ。患者が拒むことは許されない。
「はあーい、失礼しますよーっと…お?」
鼻息も荒く毛布を引きはがした若い看護婦の目の前には、丸太のような形をした毛布が転がっていた。
一瞬で事態を把握したカナリア上等兵は、顔面を蒼白にしながらベッド横の火災報知ボタンに拳を叩き付けた。
けたたましい警報音が院内に鳴り響くと同時に、流れるような動作で壁に備え付けられている電話機のレバーを引いた。
「はい、こちらセン―」
「OF-4、OF-4、こちらOR-3。現在PGが進行中。宝石を喪失。繰り返すPGが進行中」
報告を終えたカナリア上等兵の手がゆっくりとレバーから離れると同時に、廊下が慌ただしくなった。隠語だらけの院内放送が、ひっきりなしに飛び交う。しかし、そんな野戦病院のごとき状況にあって、カナリア上等兵は落ち着いていた。
静かにベッドサイドに戻ると、カチャカチャと器具の片づけをしながら、周りを念入りに確認していく。そしてサイドチェストに書かれた落書きに目が止まった時、うっすらと口元に微笑みを浮かべた。
「まったくもう、バレたら私が危ないじゃないですか」
シンナーを含んだ布で、サイドチェストを丁寧に拭き上げた。
そこに書かれていた感謝の言葉を思い出すと、思わず顔がほころぶ。イオリ・カルデローニから贈られた言葉なのだから、本当はチェストごと持ち帰りたかったが今はそうもいかない。心の中に書き写して満足する。
「ではそろそろ私も原隊復帰しますか」
この日以降、カナリア上等兵が病院に戻ることは無かった。
●
工業都市ピサノを治めるマルチェリーノ・ピサノ伯爵の額には青筋が立っていた。マホガニーの机に置かれた報告書の束を掴んで立ち上がると、乱暴に暖炉へと投げ入れ、憮然とした表情でソファに腰を落とす。
「鳴り物入りで導入したAS部隊もこの程度だったか。大いに失望したよ」
「はっ」
敬礼したまま直立不動で返答するのは、軍服を身に纏った恰幅の良い女性、看護師長だった。余計な言い訳は一切せず、ただじっと叱責に耐えていた。
重要な取引材料であるイオリ・カルデローニを取り逃がした失態は大きく、降格程度で済むとは思えなかった。その上、朝から部下の一人が失踪したとの報告も受けている。面倒事が重なり、さすがの看護師長も、顔色が悪かった。
出来ればこのまま入院して面会謝絶にしたいぐらいだと内心で愚痴りつつ、外面では真面目な中佐を演じている。
「エルザ・ボノンチーニ中佐、公国内で認定された制御術士の数は知っているかね」
「はっ、11名であります」
「では制御術士の有用性は」
「オルタを制御出来ます。オルタは航空機をはじめとした様々な動力に活用され、最近は軍事兵器としての価値も高いと聞きます」
「その通りだ。極めて価値が高い。各国が制御術士を発掘しようと躍起になっておるが一人も確保出来ていない国がほとんどだ。しかし我が国は11人抱えている。そこまでは良い、しかしだ!」
ピサノ伯爵が蹴りつけたマホガニーの机が、ミシリと音をたててへこむ。
その机一つで若い兵士の年俸が払えるのだがと、エルザ・ボノンチーニ中佐は眉間にしわをよせたが、すぐに表情を殺した。
「そのうち我がピサノに割り当てられている専任制御術士は二人だけだ。わかるか、公国内最大の工業都市である我がピサノに、たったの、二人なんだぞ!!」
二人専属で用意されただけでも破格の待遇といえるのだが、伯爵にとっては満足できるものではなかったようだ。
「残る9人は王都が占有しておる。他の都市には必要に応じて派遣という形を取っているから、実質的に王都が我々周辺都市の首根っこを押さえてるわけだ」
「はっ」
「さて質問だ。喉から手がでるほど欲しい制御術士が、未登録の状態で見つかった。君ならどうするかね、ボノンチーニ中佐」
「いかなる手段を使ってでも、確保します」
「よろしい、一週間やろう。それで手に入らなければAS部隊は解散、貴様には消えてもらう」
「全力を尽くします」
敬礼するエルザ・ボノンチーニ中佐には目もくれず、伯爵は深々とソファに沈み込んだ。さっさと行けと手で指示をされ、退出しようとした中佐だったが、目の前でドアが激しくノックされる。
伯爵の許可を得て飛び込んできた下士官の慌てぶりを見た中佐は、つい足を止めてしまった。階級章を見ると軍曹のようだが、ずいぶんと若い。どこも人材不足なのだなと小さくため息をつき、再び退出しようと足を動かした時、伯爵から制止する声がかかった。
「まて、中佐。命令は撤回だ」
「は?」
ブルブルと震える手で下士官の持ってきた手紙を握りつぶすと、あらんかぎりの暴言を吐き出しながら机を蹴りつけた。そうしてひとしきり暴れると、乱れた髪をかきあげながら憮然とした表情で告げる。
「制御士の少女からは全面的に手を引く。小僧も追わなくて良い、今後一切手を出すな。関係する書類は全て焼却処分しろ、今すぐな」
「書類もですか」
「ああそうだ。現時刻をもって作戦は終了する。よかったな、これから気楽な婦長生活に戻れるではないか」
「その、よろしいのですか。少女は都市内部に潜伏している可能性が高いと思われます。イオリ・カルデローニとの接触現場を押さえればまだ」
「そのカルデローニを逃がしたのは貴様だろうが、糞がっ!」
「はっ、申し訳ありません」
「しかし、なぜこうも早く王都にバレた。あまりに手際が良すぎる」
辛うじて怒りを鎮めながら、伯爵は思考を巡らす。
未登録の制御術士が確認されてから直ぐ、軍主導で情報統制が行われ存在を知っているのは極わずかだ。伯爵自身は当然のことながら、側近も信頼がおける者達ばかりである。王都側に情報が漏れることは覚悟していたが、数ヶ月先だとにらんでいた。内通者が居たと考えるのが妥当だろう。自然と視線がエルザ・ボノンチーニ中佐へと向かう。
「私をお疑いですか!」
「いやそうではない。貴様は王都に情報を切り売りするほど馬鹿ではないし、やるなら少女ごとまとめて売り飛ばすだろう。そうじゃない、AS部隊だ」
「私の部隊が何か」
「王都の内通者など居ないだろうな」
「馬鹿な、そんな愚者など一人も…」
そこまで話して、ふと今朝の報告が脳裏をよぎった。
使えない若い看護師が一名失踪したというものだ。任務中の失踪は良くある事で、事案が進行中で連絡が取れない状況だったり、ヘマをして人知れず始末されていたりする。いちいち気にしていたらキリが無いので、ボノンチーニ中佐も聞き流したのだが、今思い返してみればあまりにタイミングが良すぎる。言葉につまった中佐に伯爵の視線が突き刺さる。
「どうした、何か心当たりでもあったか」
「いえ、ありません。行動の怪しい記者がおりましたが、処分済みでしたので」
「そうか」
伯爵は疲れ果てた顔でソファに腰を下ろし、葉巻に火を灯すと「もう出て行け」と手だけで伝えてきた。
敬礼して退出するエルザ・ボノンチーニ中佐の頭には、亡命の二文字が踊っていた。
●
「亡命?」
「亡命ではないよ、国を出るわけじゃないから」
イオリは、湖上に浮かぶカーク10に揺られながら、搭載された新品のエンジンをチェックしていた。恐怖の病院から命からがら脱走し、身を寄せたのはウーゴ・ベルリッチの所だった。暫くは身を潜める覚悟があったのだが、ウーゴの勧めもあってしばらく王都で身を隠す事に決めた。そうして今、イオリの傍らで首を傾げているのは、身を隠すために髪を切り、白に近いプラチナブロンドに染め上げたユノンだ。オリーブをコリコリ食べる無邪気な姿を見ていると、ここ数ヶ月の恐ろしい体験も夢だったかのように思えてしまう。
妖精エンジンを開発する際、アエル・ベクトル社の研究者達には制御術に詳しい少女としか紹介していなかったが何人かは気がついていたのだろう、その推測は情報屋に高値で横流しされていた。そして最後のレースでその実力を確かめるやいなや、未登録の制御術士を我が手にせんといくつかの組織が水面下で動き始めた。マルチェリーノ・ピサノ伯爵が情報統制をしていたとはいえ、あれだけ派手に新型エンジンを披露すれば、気がつく者は多い。
そんな状況をいち早く察知してユノンをかくまったのは、グレゴリオ・ベルッチだ。いや、実際には元王都の情報部に所属していたという妻のフランカがもたらした情報によるものなのだが、決断したのはグレゴリオなのだ。多少というか、かなり打算があったとは思うが、わざわざ爆弾を懐に招き入れてくれたグレゴリオに、イオリは心から感謝している。何はともあれ、髪を染めて恐怖に怯えて隠れ住むこと二ヶ月、イオリの見舞いにもいけずユノンのフラストレーションが限界に達したところで、ようやく王都側の準備が整い、ピサノ伯爵を含む全ての組織への王令が発せられた。これにより、ようやくイオリ達に自由が訪れたのだった。
「王都に行くんだっけ」
「そう。あくまでベルゴーニ大公国内だから亡命とは言わない」
「ふうん。で、イオリの体は大丈夫なの」
「それ聞くの何度目だよ。もう大丈夫、ユノンを片手で持ち上げるぐらい余裕で出来る」
「おおー、凄いね!」
イオリの右腕に両手を絡ませてぶら下がる、ユノンの純粋無垢な瞳が眩しい。今更冗談だと言う事もできず、気合いと根性で持ち上げようとしたのだが、現実はそんなに甘くない。バランスを崩したイオリに引き摺られて、ユノン共々湖へと水没していった。
結局、着替えやら何やらで出発が1時間遅れる事になり、ウーゴ・ベルリッチから大目玉を食らった。
「なあ坊主、今をときめく妖精の騎士と違って、俺達貧乏人は暇じゃねぇんだよ。一時間ありゃあ燃料ポンプの一つも直せるわけよ。な、わかるか?」
「御免ってば。ウーゴさん、顔怖い、近い。あと妖精の騎士って何さ」
「俺が知るか。けっ、色惚けのクソ餓鬼め」
ウーゴの年代物ワインを割りまくった時と同じような形相で睨まれ、今にも殴られそうな勢いだったが、何とか弟のグレゴリオになだめてもらい事なきを得た。女に縁の無いウーゴには、腹立たしい事この上ないだろうが、仕事はきっちりこなす男だ。
なんだかんだ言っても、カーク10の年代物エンジンを二つも見つけてきて、壊れなかった方のエンジンも換装してくれたのだから、イオリには優しいのではある。レースで獲得した賞金はほぼ全部フッ飛んだが。
バラバラと調子良く回るエンジン音を背に、別れの握手をする。
「まあしばらくは慣らし運転しながらゆっくり飛ぶんだな」
「もちろん、レースするわけじゃないし、のんびり使いますよ」
「ああ、そうしな。あと気が向いたら、お袋さんの所にも戻ってやれよ。時々俺んとこに安否確認の手紙が来てたぞ」
「なんでウーゴさんの所に」
気を遣って直接イオリに手紙を送らないところが母親らしいというば、らしい。
いずれにせよ、日々の作業に忙殺されて、母親へ手紙の一つも書いていなかったのは事実だ。今更ながら深く反省する。
「落ち着いたら、手紙を書きますよ」
「そうしな」
ウーゴの大きな手がイオリの頭を撫でる。
なんとなく父親を思い出して赤くなってしまった顔を誤魔化すようにして、見送りに来てくれた知人へと足を向ける。
「クラーラには悪い事したな。折角名前が売れてきたのに」
「全くだ。おかげで面倒な肩書きまで付けられた」
「肩書き?」
不機嫌な顔で差し出されたのは一枚の名刺だった。
『アエル・ベクトル社 開発統括部開発主任 クラーラ・コンテ』
「おい、大出世じゃないか。いつの間に入社したんだ」
「冗談じゃ無い、ハメられたんだ」
「ハメられた?」
「ある日突然私のサインが入った契約書が送られて来たんだよ!気がついたら入社させられてた。あの野郎、絶対に偽造しやがった」
「いや、それ本物だよ。だってクラーラがサインした所、俺も見てたし」
「なに…?」
「確か徹夜明けでみんな頭がおかしくなってた時だったかな。ほらオクト・コアの運用に目処が付いて、ワインで乾杯した事があっただろ」
「あったような…無かったような」
「その時マシーナさんが昔話を初めて、夢がどうとか言い出した時にクラーラが感激して『私が力を貸してやるっ!』って胸を叩いてたの憶えて無い?」
「いや…全く…そんな事は…」
「それじゃあってんで、マシーナさんが出した書類に迷うこと無くサインしてた。勢いって怖いよな。でも研究費使い放題で楽しそうじゃないか、よかったな」
「良くない!いや良いけど、良くない」
技術者にとって理想ともいえる環境だというのに、クラーラは不満たらたらである。
マシーナとて、クラーラを机上に縛り付けておくつもりはなく、名が売れたらいずれは独立させるつもりなのだろう。
それがわからないクラーラでは無いと思うのだが、どうにも機嫌が悪い。他に理由があるのか聞いてみたが、ムッとしたまま一切語ろうとしなかった。
「うるさい、さっさとどこへでも飛んで行け、この馬鹿」
最後は蹴りが飛んできた。
クラーラらしい別れの挨拶だなと苦笑しながら、グレゴリオ夫妻とも簡単な挨拶を交わした。
彼らとは、これからの事業で大いに関係することとなるため、別れといってもあっさりとしたものになった。どうせ近いうちにまた会うのだ。
「まずは王都で生活基盤を作って、それからになるけどね」
「焦らずゆっくりやれ。イオリなら大丈夫だ。その仕事は信頼が一番だからな、それだけは気をつけろ」
「わかってる」
「イオリ君もユノンちゃんも病気には気をつけるのよ。王都で困ったらいつでも頼っていいからね」
「有り難う御座います、フランカさん。いざって時はお願いします」
ユノンと共に深くお辞儀をした。何せこの場で一番権力を持っているのはフランカである。元王都情報部は伊達では無い。
怒らせようものなら、存在を抹消されるかもしれない。
ボロを出す前に早々に退散することにした。
久し振りに収まったカーク10のコクピットは、ほんの少しだけ改造が施されていた。
この一年間ずっと一緒に頑張ってきたもう一人の相棒、オルタの「ヒカ」が見えるように一部パネルをアクリル板に変更したのだ。
透明な板の奥でうっすら輝く「ヒカ」は、久し振りの我が家に帰ってきた喜んでいるようだった。
「じゃ、皆さんお世話になりました!」
「またね~。今度は王都のお土産買ってくるね~」
呑気なユノンの声をかき消すようにエンジン音が高まり、やがてゆっくりと機体が水上を滑り始め、ふわりとフロートが浮いた。
地上で見送る知人達にむかって一度旋回したあと翼を二回だけ振り、そのまま北へと姿を消した。
「坊主、あっさりと行きやがったなぁ」
「俺達はしょっちゅう会うだろうから、寂しくないがな」
「そういえば、イオリは王都で何をするですか?」
クラーラの問いに、グレゴリオは「運送屋だ」とだけ応えた。
ただ、平凡な運送屋にはならないだろうと確信していたので、今のうちにパイプは作って置いた。
間違い無く面白い事件が起きるだろうという予感に、つい口元が緩んでしまう。
「あいつ、王都では何をやらかすんだろうな」
グレゴリオは、王都へと続く青空を見上げながら、楽しそうに呟いた。




