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オルタの歌  作者: 春豆
第二章 妖精の復活
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第五話 浪漫の代償

 イオリ・カルデローニとフィリッポ・コモッティによる最終周回の攻防は、ストラーデ・ヴォートの歴史に残ると絶賛された。そしてこの時の勝負をもとに数多くの新技術が産み出され、その後のストラーデ・ヴォートと航空機産業に大きな革新をもたらす。停滞していた工業に活気が戻り、都市はさらに発展を遂げていくことになる。


 だが、病院のベッドで横たわるイオリがそんな事を知るよしも無く、ただぼんやりと暇を持て余していた。

 今日は見舞客も無く、本も読み尽くしてしまった。ラジオから流れてくるストラーデの実況録音も、体がウズウズするだけなので早々に切った。大きめの枕に顔を埋めてみたり、天井の染みを数えてみたりしたが、どうにも暇で気が狂いそうだ。

 しかし病室から外に出ると、碌でもない事になるのが目に見えている。八方塞がりな状況に、息が出来なくなったその時、病室のドアノブがカチャリと音を立てた。

 

「ユノ――いってえ!」


 ベッドから飛び起きようとして、かわりに獣のような咆吼を上げた。


「あらあら、まだ動くと痛いですよ、それはもう激痛でのたうち周るほど」


 笑いながら病室に入ってきたのは恰幅の良い女性は、イオリ担当の看護師長だ。カチャカチャとワゴンに乗った器具を鳴らしながら、手際よく検査を済ませていく。

 イオリは肋骨と右腕骨折、全身の打撲、内臓の損傷と重篤な状態にあった。意識を取り戻したのがレースから三日後、その後二週間緊急治療室で過ごしてからようやく普通病棟に移されたのだが、それからは騒々しい毎日を過ごしている。


「今日は五月蠅い取材の人達も、警察の方々も来てないから静かで良いわねぇ」

「師長さんが怒鳴ってくれたからですよ、平穏で助かります」

「また壁を登って侵入してきたら、今度は熱湯でもかけてやりましょうかね」

「よろしくお願いします」


 連日の加熱する取材合戦は、病室への不法侵入という犯罪にまで発展したところで師長の怒りが爆発して収束に向かった。

 それと同時にイオリの看護を奪い合っていた若い看護師達も全て外され、この師長が担当することになり、平穏な日々が帰ってきたのだった。


「それにしても、すごい量だわ」


 枕元に置かれた雑誌や新聞の山を、師長が半ば呆れつつ整頓していく。

 どれもこれも、最終戦での解説や新型エンジン妖精(ファータ)に関する記事だ。運良くイオリのコメントを貰えた雑誌はこぞって一面にでかでかと掲載している。


「そのうち、すぐ飽きますって」

「それはどうかしらねぇ。私はよく知らないけど、新しいエンジンの事はベルゴーニ大公にまで聞こえているって、もっぱらの噂だしねぇ」

「そっちはアエル・ベクトル社のおかげだし、マシーナさんがどうにかしてくれますよ」

「マシーナさん?リオネロ・マシーナさんの事かしら」

「良く知ってますね。多分そんな感じの名前でした。開発を統括してる偉い人で結構面白い人なんですよ。ブッ飛んだ事しますけど」

「あらあらあら。やっぱり暫く騒がしいのが続きそうねぇ」

「何でです?」


 きょとんと首を傾げるイオリだったが、看護師長にしてみればアエル・ベクトル社の副社長であることを知らない方が、驚きである。

 マシーナは、海外の安価な航空機に押され傾きかけたアエル・ベクトル社を大胆な組織構造改革で再建させた豪腕で、次期社長との呼び声も高い。そんな有名人を気軽に「面白い人」と呼べる関係のイオリを、マスコミが放っておくはずもないだろう。

 それにマシーナは手柄を独り占めしてネットワークを狭めるような事をする愚か者では無い。間違い無くイオリの手柄を褒め称えるだろう。

 楽しそうに話す師長の傍らで、イオリは深いため息を吐き出した。


「まあ、騒がしいのは有名税みたいなものだから、諦めなさいな」

「そんな大した事してないんですよ、本当に」

「おやおや謙虚だこと。あたしが彼女だったら自慢してまわるけどねぇ」


 看護師長はウインクをしながら、ベッドサイドの写真立てを手に取った。

 カンピージ島の家族が映るその写真の中には、イオリが一般病棟に戻った日に一度だけ顔を見せて大泣きした少女の顔が映っていた。

 意味ありげな視線を投げる看護師長から目を逸らし、窓の外を眺める。


「そういえば一度だけ見舞いに来た緑色の女の子、思い詰めた顔してたわねぇ。大丈夫かしら」


 看護師長の言葉が胸に突き刺さる。

 あの時、ユノンは真っ青な顔をしていた。恐らく今でも自分を責めているのだろう。そうじゃないと伝えたかったが、怪我で口すら動かせなかったイオリには、それができなかった。

 最後のは、暴走じゃない。そう伝えたかったのに。


「少し、寝ます」

「そうですね、それがいいでしょう」


 師長の優しい言葉とともに、微睡みに落ちて行くイオリの瞼には、最終戦の攻防がぼんやりと映し出されていった。





 運命の最終ラップで、イオリは静かに興奮していた。

 コモッティと対等に渡り合えるだけのマシンを手に入れ、表彰台の頂上へ手が届くポジションにいる。このまま追走していけば総合2位という快挙を達成することができる。

 だが妥協したくなかった。これが最初で最後のチャンスかもしれないのだから、チェッカーフラッグまで諦めるわけにはいかない。ギリギリまでプッシュし続けるつもりだ。


 そのために、もっと圧倒的な速度差が必要なのだ。

 イオリは、前を行くコモッティの左後方に着けたまま、タイミングを計っていた。

 左手の親指は、いつでも赤いボタンを押せるように折り曲げたままだ。


『正直コモッティ君には、ギリギリ届かないと思っている』


 レース直前にリオネロ・マシーナがイオリに伝えた言葉は、残酷だが現状を良く分析したものだった。マシーナはお世辞や安易な慰めなどしない。

 一方で悲観的な考えや後ろ向きな事も言わない。常に目標に向かって全力を尽くす男だ。

 そんな男がイオリに渡したのは、一枚の設計図だった。


『プライベーターなのだから、表彰台に登るだけでも間違い無く大快挙だ。だが、もし…もし君がそれでは満足できないと思ったら、その時はこのボタンを押したまえ』

『なんですかこれ…』


 スロットルレバーに設置された赤いボタンは、ブーストアップと書かれていた。


『オルタドライブを覚醒させるボタンだよ』

『冗談じゃない、マシーナさんあんたエンジンをぶっ壊す気ですか』


 マシーナを中心とした技術者達が夢に描いた本当のアリアンテ、それはエンジンだけではなく新型の推進機構も含まれていた。オルタから発生するエネルギーで圧縮機とタービンを高速で回転させる新機構で、タービンを通過した後の気体を排気口から噴出させることでさらに推進力を得るというものだった。後にターボプロットと呼ばれる事になるこの形式は、プロペラの横から飛び出した筒のような排出口が特徴で、計算上900km/hを超える。

 あまりに強力すぎて、現状では減速機構を組み込んで速度を抑えている。

 設計図に書かれたボタンは、その減速機構をキャンセルするものだった。


『プロペラブレードも6枚にして強化したが、機体の新素材開発までは時間が無かった。全開飛行には1分も耐えられないだろう。だが、それでも』


 マシーナにも夢があった。

 傾いた会社を建て直すためには、合理的な組織運営が必要だったため、最高速を目指すなどという子供じみた夢は封印せざるを得なかった。

 だが今は会社経営も軌道に乗り、再び夢を追いかけられる状況が整っている。


『たとえ一時でもいい、夢を見てみたいんだ。人類が到達できる速度の最高点を、最速の航空機を!』


 少年のように目を輝かせるマシーナに、イオリも笑顔で返した。

 なるほど、そう言われては断れるはずも無い。

 最速を目指すのは、男の本能であり浪漫なのだから。


「ああ、聞かなきゃよかった」


 ボタンを押せば、アリアンテがどうなってしまうかわからない。最悪、エンジンがフッ飛んで空中分解する。あまりにリスクが大きすぎるのだが、このままコモッティの後塵を拝するというのもまた、我慢ならないのである。


「やるしかないか」


 最終コーナー一つ手前で大きめの旋回をした。少しコモッティから離されるが、我慢する。今は最終コーナーへの進入角度の方が重要なのだ。

 慎重にコースを確認し、脱出までのラインを頭に思い描き、トレースしていく。

 鋭い旋回は出来ないが、いち早く水平飛行に戻すことが出来た。

 コモッティはまだ機体が傾いている。

 ここしか無い、そう確信したイオリは左の親指で思い切りボタンを押し込んだ。

 

 直後に機首のカバーが一部吹き飛んだ。着脱が簡単なアクリル樹脂で出来た外装は、ふわりと空中を飛んで行く。

 覆いを外されたエンジン部分から、左右二本ずつの排気口が姿を現し、大量の粒子が噴出した。


「ぐぇっ!」


 減速機構という枷をはずされたオルタの『ヒカ』は、プロペラ横の排気口から青緑の粒子を盛大に吐き出し、狂ったように加速を始めた。イオリは肺が押しつぶされる感覚に恐怖を感じ、あわてて腹筋に力を入れる。歯を食いしばって必死に意識をつなぎ止めようとするが、激しい振動と共に視界がどんどん狭くなっていく。反対の中の『ヒカ』は狂喜乱舞して益々暴れ狂う。


 まずいと思った時にはもうコモッティの機体が目の前にあった。空中衝突を避けられたのは、ひとえにコモッティの腕と勘が良かったから、それに尽きる。背後から迫る巨大なブレッシャーに気が付いたコモッティはチェッカーフラッグ目前だというのに、回避行動を取ったのだ。結果してそれが二人のパイロットを救ったのだから、賞賛すべきはフィリッポ・コモッティの方なのだと、イオリは確信している。


 その後イオリは最速でチェッカーフラッグを受け、アリアンテは盛大にクラッシュした。何故生きているのかと、レース関係者が首を捻るほどの事故だったが、当の本人は意識を失っていたため真相はわからない。ただ、クラッシュの瞬間、アリアンテが青緑色の光に包まれたことは多くの観客が見ている。わかっているのは、それだけだった。





「そういうわけで、ちょっと出かけてきます」

「待って下さい、カルデローニさん。無茶ですから、私怒られちゃいます。誰か、誰かきてぇ!」


 病室の入り口で押し問答をしているイオリと若い看護師を眺める見物人が増え始めた頃、ようやく看護師長が到着した。所用があって若い看護師にイオリの看護を任せたのだが、僅か半日でこの騒動である。呆れ顔で人垣をかき分けていく。


「何をしてるですか、何を」

「あっ、師長!カルデローニさんが退院するって聞かないんですよ、止めて下さい。三ヶ月は安静だって言ってるのに死にますよ、馬鹿ですよ。もしかすると痛いのが気持ち良いとかそういう性癖に目覚めたのか知れません。危険です、鎮静剤を打ちましょう!」

「貴女は、少し落ち着きなさい」


 看護師長の拳骨が脳天を直撃し、若い看護師は撃沈した。返す刀で、脇をすり抜けようとしたイオリに足をかける。


「ってえ!」


 若い看護師と共に床に轟沈したイオリはベッドへと連行され、厳しい事情聴取により簡単に自白した。


「暇なんです。だからユノンを迎えにいかないといけないわけですよ」

「説明を全部省きましたね」

「面倒なので」

「でもまだ駄目ですよ」

「もう二ヶ月ですよ、おかしいでしょう」

「むしろ二ヶ月で動ける貴方がおかしいと思いますけど」


 なんとか看護師長を説得しようとしたイオリだったが、退院については頑として譲らない。それどころか、院外への散歩すら許可が下りないときた。


「どちらにしろ、外出は認められませんよ。暫く我慢して下さい」

「おかしくないですか、車いすで外の空気を吸うぐらい良いでしょう。何故駄目なんですか」

「主治医の許可が出ていません。ゆっくり休んで傷を治して下さい、焦ったら良いこと無いですよ」


 看護師長は慈愛に満ちた笑顔で応え、これ以上何を言っても無駄だと悟らせた。

 諦めて枕に沈んでいくイオリを見た看護師長は、満足したように立ち上がって後片付けを始めた。


「それにしても、ユノンさんでしたっけ、彼女は顔を見せませんねぇ。手紙のやり取りとかあるのかしら」

「いえ特に。というか、この手で手紙なんて書けませんけど」


 未だに包帯で固定された右腕を持ち上げる。


「あらあらそうだったわねぇ、まあでも連絡を取るようだったら手伝いますよ」

「――その時はよろしく」

「いつでも言って下さいね、メッセンジャーぐらい用意しますから」

「それはどうも」


 看護師長は、目をつぶって横を向くイオリに、無茶はダメですよと忠告を残して病室を出ると、静かに扉を閉じた。

 その瞬間、慈愛に満ちた顔から表情が抜け落ちた。豊満な体つきからは想像がつかないほど機敏な動きで廊下を歩き、近寄ってきた若い看護師に指示をとばす。


「今晩から監視シフトを二倍にしろ、薬の使用を許可する。病室から一歩も動けないようにしろ」

「こっ、今晩からは、無理です少…師長!部隊の半数が少女捜索に割かれておりますので、再呼集には最低半日かかります。最速で明朝からかと」

「ちっ、まあそれでいい。監視の看護師は見た目の良い奴を選べよ」

「了解しました。しかし薬は…ご要望のレベルですと常習性がある物しか」

「構うものか。我々に必要なのは少女だ。他がどうなろうと知ったことか」

「しかし、イオリ・カルデローニは今や国民的な人気の―」

「カナリア上等兵!」

「はっ、カナリア上等兵、最優先にて任務を遂行して参ります!」

「おい、ちょっと待…」


 若い看護師はよほど看護師長が怖かったのか、軍式の敬礼を返すやいなや駆けだしていった。その姿を一別した看護師長の口から激しい舌打ちが聞こえてくる。


「…仕事道具を放置すんな、クソが。誰が運ぶんだよ、あたしか?ふざけんな」


 医療器具満載のワゴンを放り出して行ったカナリア上等兵に毒づきながら、並べられた注射器の一つを手に取る。


「あー使えねぇ、全く使えねぇ。あたしの部下はどうしてこう無能が多いんだろうな。なあ、アンタもそう思うだろ?」


 ぬっと太い腕が伸びて植栽の陰にいた男の顔面を掴んで引っこ抜いた。驚愕と恐怖が入り交じった悲鳴が上がるが、すぐにくぐもった声へと変わる。看護師長は喉を掴み直すと、男の風体をざっと確認した。よれたスーツ、ぎらついた目、すりへった靴、タブロイド紙の記者あたりだろう。素早く胸の内ポケットから取り出した手帳には、看過できない内容が書かれている。イオリ・カルデローニを追っているうちに、偶然別の危険なヤマを嗅ぎつけてしまったらしい。


「鼠には、手に余る案件だったな」


 興味を失ったように一度頷くと、声を上げられずにもがく男の首に注射器を突き立てた。男はビクリと跳ねた後、ゆっくりと力を失っていく。完全に床へと崩れ落ちる前に、近くのソファへと引きずっていく。


「CQ、こちらOF-4。(突発案件)発生、回収処理願う。場所は―」


 一通り報告を終えた看護師長は、記者風の男に偽装をしてからその場を離れた。無能な部下と違い、回収班は優秀だ。何事もなかったように処理するだろうと確信して、すぐに興味を失った。看護師長にとって重要なのは、少女の行方なのだ。

 一刻も早く少女を手中に収めなくては、他組織に出し抜かれる危険がある。特に隣国の暗部にだけは、警戒しておかなければならないと、今一度気を引き締めた。


 しかし、本当に警戒すべき相手はもっと身近にいることに、この時は未だ気がつかなかった。

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