恥じるOL
~第二章~
「……んん」
意識が覚醒する。何だかんだで疲れていたのだろうか、ふかふかのベッドだったこともあり、熟睡してしまったようだ。
ぼんやりと開いた透子の視界に、
「おはようございます、チーフ」
巨大な豚の顔が映った。
「っ!? ギャアアアアアアア!! 犯されるうううううう!!」
「ヘブッ!」
一閃である。ベッドの側に立てかけていた聖剣で、透子はその豚頭を思いっきり殴り飛ばした。
哀れなオークは綺麗に吹っ飛び、顔面から壁に激突する。
「弟よおおお!?」
「あんちゃあああん!」
部屋のドアからさらに二体のオークが飛び出し、床にノビている一体に駆け寄った。どうやら、こっそりと成り行きを見守っていたらしい。
「ん~、デジャブ?」
殴った本人が一番冷静だった。
「ただ起こしにきただけなのに、な、なんとひどいことを!」
甲冑を着ているオークが、透子を非難の目で睨みつける。
「あ~、ごめんごめん、寝ぼけてたわ」
あははと笑った後、
「文句あんの?」
オークのそれとは比べものにならないくらいの、鋭い眼光を向ける透子。「殺すぞ」という明確な殺気が込められている。
「そ、そりゃ、文句なんて、あり……」
「あり?」
「ません!」
涙目のオークだった。というより、泣いていた。
「よろしい」
対し、満足そうな透子である。だが、いかんせんベッドの中で身を起こしただけなので、威厳もへったくれもない。ちなみに、寝間着は支給されたバスローブのようなものである。
「やれやれ、どちらが悪魔かわかりませんね」
呆れ声は、部屋の外から聞こえた。
「おはようございます、よく眠れたようで何よりです」
皮肉とともに現れたのは、魔王の補佐官ことホルガーだった。
「レディの部屋に男が押し掛けるなんて、マナーがなってないんじゃないの? 一から叩き込んであげようかしら」
オークたちに鋭く冷たい目を向けると、彼ら(一体は失神している)は「ひっ」と縮み上がった。
「まあそう言わないで下さい。何だかんだで、新しい住人を気にしているのです。彼らも私もね。それに、まだ彼らの紹介をしていませんでしたから」
そう言うと、ホルガーはオークを一体ずつ指差す。
「まず、あなたに殴られてノビている彼は、次男のラルド。少し気弱ですが、とても優しい心をもっています。いつになっても起きてこない貴女を起こしてあげようと言ったのも彼です。あ、それと、とても料理が上手ですね。特に豚肉を使った料理が」
オークなのに優しいのか、とか豚が豚料理? 共食いか、とかいろいろとつっこみどころがあったが、殴ってしまった手前、何とか我慢した。
その次男ラルドが、虚空に向かって震える手を伸ばす。目も虚ろだ。ハイライトがない。次男は不運である。
「モルタ兄さん……大きな川があるよ……あ、向こうで母さんが手を振ってるよ……」
その震える手を、先ほど気持ち程度に透子に逆らった一体が握った。この一体だけ甲冑を身につけている。
「しっかりしろラルド! そっちに行っては駄目だ! あと母さんはまだ生きてる! ここでしっかり稼いで、母さんに楽をさせてあげるんだろうが!」
妙に人情的だった。豚のくせに。思わず涙腺が緩みそうになる。豚のくせに。
「ラルドを介抱している彼が、長男のモルタです。騎士に憧れているので、常に甲冑を着ています」
一番弱いんですけどねHAHAHAと笑うホルガー。なかなかに毒舌である。
「そして最後は、二体の傍でバイブのように震えている彼です」
「表現がひどい!」
さすがにツッコまざるを得なかった。というかこの世界にもバイブがあるのか。
「彼は三男のロース。勝手気ままでいたずらっ子。さらに要領もいいという、典型的な末っ子です。ただ、頭がいいので、よく変な道具や薬の発明をしています」
ホルガーの説明によると、昨日彼が首を飛ばした偽魔王の人形も、この三男が作ったらしい。エロ同人なら便利くんポジションね、と透子は身も蓋もない印象を抱いた。
「ともかく、これからともに助け合う仲間です。仲良くしましょう。朝食ができていますよ。食堂にいらして下さい」
「わかったわ、着替えたいから出てってちょうだい。――ああ、そうそう、あんたたち、ちょっと待ちなさい」
言われるまでもなく、とばかりにそそくさと出て行こうとしていたオークたち。彼らを透子は呼び止めた。ビクン、と二体(一体は失神)が肩を震わせる。
「何を言い出すんだ、この悪魔は、って顔ね。心配しないで、簡単な頼みごとよ」
透子は笑うと美人である。だがオークたちは知っていた。悪魔は笑顔で寄ってくるものなのだと。
朝食は、オーク三兄弟の次男――ラルドが作ったらしい。トーストのようなものに、スクランブルエッグのようなもの、そして何かのスープと、一般的な洋食だった。
味についてはそれほど期待してなかったが、どうやら料理が上手いというのは本当のことらしい。そこそこ舌鼓を打つことができた。
ただ一点、透子が気になったのは、その場に魔王とエーファだけがいないことだった。
朝食の後、透子はホルガーとともにダンジョンを見て回っていた。ちょうど城の真下に位置している。石畳を叩く、二人分の足音が響く。
ダンジョンとは言うものの、上下左右が石作りの単なる迷路である。殺風景この上なく、時折ひんやりとした湿った風が吹き抜けていく。あまり手入れされていないのか、かすかにカビの臭いもするのが心地悪い。
興味深げにきょろきょろしてみるが、岩肌とたまに苔が生えている程度で、面白いものなど何もない。少し整備された洞窟、と言ったところか。ちなみに、光源は壁にぽつぽつと魔力による明かりがあるくらいだ。長年使われていなかったからか、明滅しているものもあり、むしろホラー感を醸し出している。
(まあ、心地いいダンジョンもどうかと思うけど)
透子はスーツに着替えていた。ド○クエっぽい服も支給されたが、この方が落ち着くのだ。だが、一張羅を毎日着るわけにはいかないので、妥協するか、何とか新しいものを仕立ててもらうか、検討せねばなるまい。
「魔王と言っても、この世界に魔王はたくさんいます。魔族の王と言うより、魔軍の王と言った方がいいでしょうね」
通路の幅と高さは三、四メートルほどで、決して狭くはないのだが、ホルガーの声はいつもより響いていた。
「そしてその魔王城と冒険者たちは、ある意味利害関係で成り立っています」
「利害関係? 魔王と冒険者なんて、敵同士じゃないの?」
「敵同士ですよ。ですが、お互いにお互いを滅ぼすことはほとんどない」
「んーと、どういうこと?」
「そもそも、冒険者が魔王城に挑むのはなぜだと思いますか?」
「そんなの決まってるじゃない。財宝を得るとか、名声を得るとかじゃないの?」
「おおむね正解です。他には、戦闘の経験値を得る、とかですね。では逆に、我々魔族が冒険者を撃退した場合、彼らをどうすると思いますか?」
「それは……」少し考え、透子は笑顔で言った。「殺すか犯すか食べる!」
「発想が野蛮すぎます」ホルガーは嘆息した。「まあ、中にはそういう魔族もいますけれど」
「いるんじゃない」
「ごく一部です。一般的には、金品や装備品をいただき、最低限の武装だけ持たせて解放します。中には牢に入れる者たちもいますが、うちはそうしていませんでした。捕虜にしたところで、彼らの食費もただではありませんから」
「え、でも男の捕虜はともかく、女の捕虜は○○したり××したりするんじゃないの? エロ同人みたいに」
「……貴女が、我々をどういう目で見ているか、よく理解できました。まあ、中にはそういう魔族もいますけれど」
「やっぱりいるんじゃない」
「ともかく、魔族も冒険者も、お互いの金品その他を奪おうとします。でもほとんど滅ぼしはしない。その理由が、貴女ならもうわかるんじゃないですか?」
この男は、まだ透子を試しているらしい。薄暗いダンジョンの中、ホルガーの目が薄く光る。
試されているとわかっていて乗るのはしゃくだが、透子は素直に答えた。
「利害関係、と言うよりも、お互いを利用しあっているって感じね。冒険者を生かして帰すと、また装備や物資を整えてやってくるかも知れない。逆に魔王城も同じ。滅ぼさずにおくと、また財宝を蓄えるでしょう。お互いにカモネギなのね」
でも、と透子は付け加える。
「それは勝てる場合でしょ? 負けたら損じゃない」
「もちろんです」にっこりと笑う。「所詮この世は、弱肉強食ですから」
シンプルな話だった。
「よくわかったわ。でも大事な勢力が抜けてるじゃない。勇者たちはどうなのよ。冒険者と同じ?」
「いえ、少し違います。同じなのは、財宝や名声、経験を得たいと思っているところ。違うのは、彼らの行動原理が、魔族を滅ぼそうとしていることです」
こちらもシンプルな話だった。
「彼ら勇者にとって、我々は絶対悪。それだけです。以上が、魔族、勇者、冒険者の対立構造ですかね」
そこまで話してようやく、二人は立ち止まった。入り口に戻ってきたのである。
「もう終わり?」
地図を見せられたときから思っていたが、予想以上に狭かった。もちろん道が、ではない。ダンジョン全体が、である。
「ちょっとちょっと、短すぎるんじゃないの? 分かれ道なんて数えるほどしかなかったし、罠の一つもない。それにこの地下一階しかないってどういうことよ! あっという間に最深部じゃないの! まだボロお化け屋敷の方が探索しがいがあるわよ!」
「ええ、これが最低限、ですから。仕方ありませんよ、今まで閉鎖していたのです。無駄に広いダンジョンを有していても、無用の長物です。何しろ、戦闘員はモルタたちだけなのですから」
「む……」
半ば皮肉のようなホルガーの言葉に、透子は苦虫を噛み潰したような顔をした。
脳裏に、魔王の言葉がよみがえる。
(――「君を雇う条件は一つだけ。部下にはそこのオークたちをつける。一定の成果が見えるまで、新たに誰かを雇うのは許可しない。何しろ、君たちに払うお給金が今でもいっぱいいっぱいでね。あ、ちなみに僕はダンジョンに一切手を貸さないから」――)
そう言った魔王は百点満点のダンディスマイルだったが、透子は全く笑えなかった。人手が足りないにもほどがある。
頭を抱える透子に、ホルガーは苦笑を向けた。
「透子さんは試されているのかも知れませんね」
「どういうこと?」
「そのままの意味ですよ。圧倒的に不利な条件で、それなりの成果を出す。普通ではできません。ある意味、期待されていると言ってもいいでしょうか」
「……ありがたいことね」
「この城の財政が苦しいのも事実ですしね。それと、ダンジョンが狭い理由は他にもあります。維持するための魔力がもったいないのですよ」
「魔力? まああんたたち魔族がいるんだから、いまさらそこには驚かないけど……。維持するのにそんなものがいるの?」
「もちろんです。必要になれば説明しますが、ダンジョンを維持するのにも、ただではないのです」
「土地の維持費みたいなものかしら」
どこの世界にも、ややこしい問題はつきものである。
「そもそも、その魔力とやらは、どこから補充して、どこに保管して、どうやって使うの」
「いい質問ですね。補充の方法はいくつかありますが……保管の説明もありますので、少し場所を変えましょう」
そう言って、ホルガーはまた石畳を歩き始める。透子も慌ててそれに続いた。
地下を出、向かった先は城のちょうど中心部辺りだった。
「あら、お二人とも」
その廊下で、透子はエーファと出会った。ちょうど、どこかの部屋から出てきたところだった。自室だろうか。
「姫様、部屋にいなくてもいいのですか?」
ホルガーは、魔王の娘であるエーファのことを「姫様」と呼ぶ。それはオークたちも同様だった。
「ええ、平気です。さっき、抜いてきたところですから」
「え? ぬ、抜く?」
エーファの言葉に、透子は敏感に反応する。エーファは少し恥ずかしそうに苦笑した。
「そうなんです。あまりタメすぎると、体が火照ってしまって……」
「タメすぎると火照る!?」
「だから、定期的に抜いてるんです。トーコさんは抜いたことありますか? とっても気持ちいいんですよ」
「え!? いや、それは……」
透子は思いっきり狼狽した。エーファの見た目は十四、五かそこらであり、何より妹にクリソツである。そんなお姫様からまさかオ○ニーの話題が出てくるとは、夢にも思わなかった。
「もしかして、抜いてないんですか!? ダメですよ、体に毒です。私なんてこの間も、ちょっと我慢したら漏らしちゃったんですから」
「が、我慢したら漏らし……」
「トーコさん? どうしました? 鼻なんて押さえて……」
コントがここまで続いたところで、ようやくホルガーが深いため息をついた。
「透子さん、残念ですが、貴女の想像しているようなものではありません」
「え?」
「大体、こういう目的語が抜けた会話は、勘違いだと相場が決まっているでしょう。――姫様、例のモノを透子さんにお見せしたいので、お部屋に入ってもよろしいですか?」
「ええ、もちろんです。どうぞ」
にこやかに答え、エーファはたった今出てきた部屋に透子たちを招いた。
その部屋は、やはりエーファの自室だったらしい。透子の部屋のものより、二つか三つはランクが高そうなベッドや調度品、大きな姿見、可愛くないぬいぐるみや少々グロいぬいぐるみ、豪華なシャンデリアにカーペット、おまけに、ピアノまで置いてあった。一部以外はさすがお姫様と言える内装である。
ただ、とある巨大な装置を除いては。
「それは、何……?」
エーファの部屋に入った興奮よりも先に、透子はそれに釘付けになった。
台座の上に、巨大な水晶のようなものが浮いている。直径二メートルほどはあるだろうか、その中心がちょうど透子の目線の高さ辺りだ。
淡い紫色に発光しており、周りの景色が反射することはない。
「まさか、最先端の照明装置ってわけでもないわよね」
「当然です。――姫様、もしよろしければ、透子さんに見せてあげていただけませんか? 百聞は一見にしかず、でありますので」
「構いませんよ。ただ、さっき抜いたところなので、少ししか出ませんが」
てへへと笑い、エーファはその巨大な珠に歩み寄る。そして、両の手のひらをかざして目を閉じた。
「これ、は……」
透子は瞠目した。エーファの手のひらから、珠と同じ淡い紫色の光が生まれ、珠に吸い込まれていく。
その光景を目にするのは、当然初めてだった。だが直感的に、その紫色の光が何であるかはわかった。
「ど、どうでしたか?」
時間にして数秒程度、吸い込まれた光がほんの少しだったからか、エーファは照れくさそうに眉を下げた。指を組んでもじもじしている。
「なるほど、今のが魔力……」
いつの間にか、透子の目線は珠からエーファにシフトしていた。何しろ、魔法のような可愛さだったのだ。
「その通りです」あくまで冷静にホルガーが答えた。「そして、この珠が魔力の保管先である、魔力水晶です」
「つまり、これが魔力の補充と保管の方法ってわけね」
「その通りです。取り出しは手動にすることも可能ですが、ほとんどの魔王城ではダンジョンの維持魔力は自動引き落としになっています」
残念なことに、もう透子には魔力水晶がATMにしか見えなくなった。
「そう言えば、この魔力水晶とやらはエーファ様の部屋にあるけれど、魔力の補充はエーファ様任せなわけ?」
透子としては、何でもない質問のつもりだった。だが、ホルガーの顔には僅かに緊張が走り、エーファはつらそうに瞳を伏せる。
「そ、それは……」
口ごもりつつも、エーファが何かを言おうとした、そのときだった。
突如部屋の中に、サイレンのような音が響き渡った。
「な、何なの!? 空襲!?」
慌てふためく透子。
「城に張った結界に反応があったようです。何者かが侵入したようですね」
ホルガーが指を鳴らすと、サイレンはぴたりとやんだ。だが、その代わりのようにけたたましい足音が廊下から聞こえ、その音は部屋のノックへと変わった。
どうぞ、とエーファが答えるか答えないかというタイミングで、ドアが勢いよく開かれた。そこにいたのは、オーク三兄弟の長男――モルタだった。
「し、失礼します! あ、いた! チーフ!」
どうやら透子を探していたらしい。汗だくになり、なぜか探検ごっこをしていた子どものように体が汚れている。だがそんなことにはお構いなくといった様子で、モルタは告げた。
「ぼ、冒険者が来ました!」
* * *
透子たちがやってきたのは、ダンジョンの傍の小部屋――通称作戦部屋だった。ダンジョンには内部を監視できるマジックアイテムがあり、この部屋でそれをモニタリングすることができる。早い話が監視カメラだ。
モニターの向こうには、四人の人間が映っていた。
大きめの剣を背負っている、ムキムキマッチョの男。
全身を鎧で包み、大きな盾を持っている人物。フルフェイス兜を被っているため、性別はわからない。
そして、身軽そうな身なりの女。
最後に、全身をローブで包んだ髪の長い女。
「確かに冒険者のようですね。戦士二、スカウト一、僧侶一。スカウトと僧侶は女性のようですね。鎧はどちらでしょうか。オーソドックスなパーティです。それにしてもあのリーダーらしき戦士、いい体つきですね。非常にチャーミングです」
やや頬が上気しているホルガー。透子は無視し、モルタに問いかけた。
「つまり、木を切ってたらいきなりインネンつけられた、と」
そうです、とモルタは情けない声で答えた。
「我らを見つけるなり、ケイケンチ、ケイケンチとわけのわからない呪文を唱えながら追いかけてきたんです。慌てて城に入り、彼らはダンジョンに誘導しました」
「なるほどね」
透子はあごに手を当てる。いきなり敵が来たことは驚いたが、これは逆に考えるとチャンスだ。
「あんたたち」透子はオークたちに視線を飛ばした。「あいつらを追い払ってきなさい」
仰天したのはオークたちである。たまらず長男モルタが抗議した。
「む、無理ですって! あんな強そうな人たち!」
「オークのくせに情けないわねえ。可能不可能はどっちでもいいの。やるかするかよ」
「同じじゃないですか!」
「うっさい。はよ行け!」
有無を言わさず、透子はオークたちをダンジョンに蹴り出す。哀れ彼らは泣きながら走っていった。
「ったく、手間のかかる」
「まあまあ、彼らなりに緊張をほぐしているのかも知れません」
「緊張? ダンジョンにいるオークなんて、女を○し、男も場合によっては○し、それ以外は○○したり○○したりすることしか考えない、鬼畜生物じゃないの?」
「伏せ字が多すぎです。それはともかく、彼らは緊張して当たり前なんですよ。実戦経験など皆無ですから」
「は? どういうことよ」
「彼らは地方農家の出です。今までは農業でやりくりしてきましたが、父親が蒸発、母親が病に倒れたということで、出稼ぎのためにこの城へ来たそうです。……どうしました?」
「……ぐすっ、何でもないわ」
透子はハンケチで目頭を押さえていた。自分の境遇と重ねてしまうのかも知れない。人情噺に弱い透子である。
「ちなみに、どうして木を切らせていたんです?」
「森がまったく整備されてなかったからね。ダンジョンに客を呼ぶには、まず周辺環境を整えるところから始めないと」
強制労働を命じられたオークたちは絶望的な顔をしていたが、透子は当然無視した。
「まあでもあんな体格だし、そこそこ戦えるんじゃない?」
期待の目をオークたちに向けるが、すぐにその目は失望の色に染まった。モニター越しに、彼らの声が聞こえてくる。
「に、兄さん行ってよ!」
「何を言うラルド! わ、私は長男だぞ! 長男は最後と相場は決まっているだろう! こういうときは、一番下から行くものだ!」
「え、ウチ!? イヤやて! ウチはそもそも肉体労働派ちゃうし!」
完全にダ○ョウ倶楽部状態だった。見た目はゴツいオークだし、武器もそれぞれ剣と盾、ハルバード、釘バットと強そうなのに、残念なことこの上ない。
そしてさらに残念なことに、まだ彼らとあまり親しくない透子には、誰が長男で誰が次男で誰が三男なのかわからない。名前すら覚えていなかった。
「さっきのオークたちだな」
モルタたちの姿を認め、リーダーらしき男がずいと一歩進み出た。
「まさかダンジョンのモンスターだったとはな。出てきたってことは相手してくれるんだろう? 見たところあんたらもレベルが低いようだが安心しな。あんたらが戦うのは彼女だけだ」
リーダーの言葉に合わせ、透子と同じくらいの少女がおずおずと前に出た。ありありと不安を顔に出し、少し垂れたまなじりには微かに涙が浮いている。地味な色のローブを身に纏い、震える手には錫杖を持っている。いわゆる僧侶というやつだ。
「……君が?」長男モルタが眉を顰めた。「君、僧侶だろう。後衛ではないのか? おっぱいは大きいが」
モルタの言う通り、僧侶の子はローブの上からでもわかるくらい、胸部が盛り上がっていた。当然それに気づいている透子も、気分が盛り上がっていた。
「ははは、まあそんなことはどうでもいいだろう」答えたのはリーダーだった。「で、やるのか? やらないのか? ……ああ、もしこの子を倒した後のことを心配しているのなら、約束してやるよ。俺たちは一切手を出さないし、負けても素直に撤退する」
オークたちは顔を見合わせた。口約束など信じるわけないし、女の子に手を上げることにも抵抗がある。だが、いずれにせよ引けないのだ。
「……やるしかないわなあ」
三男ロースが嘆息した。三体の脳裏に、悪魔より悪魔らしい女の顔が浮かんだ。ここで尻尾を巻いて逃げ出せば、後で何をされるかわかったものではない。
「仕方がない、ここは長男ということで私が行こう」
す、と長男モルタが手を挙げた。
「いや、やっぱあんちゃんにゃあ行かせられへんわ。ここは下からやろ」
す、と同じく三男ロースも手を挙げる。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
慌てて次男ラルドも手を挙げた。
「じゃあ僕が!」
「「どうぞどうぞ」」
ささっと道を譲る上と下。完全にダ○ョウ倶楽部だった。次男は不運である。
「うう、怖い……」
涙目で前に出るラルド。二メートルを越える巨体に豚の頭、手には身長と同じくらいのハルバードと、見た目は怖い。だが、涙目なのである。
「別に同時でもいいと思うけどねえ」
冒険者のリーダーが苦笑した。
「じょ、状況はどうですか?」
不意に作戦部屋の扉が開き、エーファが入ってきた。
「エーファ様、どうしてこんなところに」
「心配になったので。ご迷惑でしたか?」
「いえいえ、そんなまさか」
ぶんぶんと透子は首を振った。
安心したようにして、エーファはモニターに目を落とす。
「モルタさんたちが戦ってくださっているんですね。相手は女性の方みたいですが……」
「そうなんです。あんな凶悪そうなモンスターに、か弱そうな女の子が一人。相手が何をしたいのかさっぱりです」
首をひねる透子だったが、ホルガーはぽんと手を打った。
「なるほど、そういうことですか」
「何がなるほどなのよ。ああ、実はあのおっぱいの子、戦闘になると性格が変わるとか、見た目に反してめちゃくちゃ強いとか? ありがちな設定よね」
「いえ、彼女は見た目通りです。典型的な後衛、魔法力は未知数ですが膂力は人並み。もしくはそれ以下でしょう」
「ならその魔法とやらでドカンじゃないの? あいつら、魔法に弱そうな顔してるし」
「ひどい言いようですね。でも、すでに対峙している距離が前衛同士のそれなので、魔法で戦うのでもないでしょう。仮に詠唱を始めても、ラルドの攻撃が先に届くはずです」
「ならあの冒険者たちは何がしたいの? あの子が負けて、オークたちにアレコレされる未来しかないじゃない。エロ同人みたいに」
透子は大真面目にそう言ったが、
「すぐわかりますよ」
ホルガーはたった一言、そう答えただけだった。
そして数分後、透子は絶望と失望をもって、その言葉の意味を理解した。
たった数分である。そのたった数分で、オーク三兄弟は地に伏せられていた。華奢な僧侶によって。
「わかったわ、彼らが何をしたいのか」
頭を押さえる透子。
「そう、戦闘経験を積むことによって、体力、筋力、技能、魔法力その他諸々の向上を図ったのでしょう。まれにスキルを得ることもありますね」
「とどのつまりが、レベル上げ、でしょう?」
モニターの向こうでは、魔法の錫杖(鈍器)でオークたちをノし、レベルアップして僧侶の女の子が大いにはしゃいでいる。笑顔が可愛いし、ぴょんぴょん跳ねる度にゆっさゆっさとダイナミックシェイクしている胸部は素晴らしいものがある。
ちなみに、他のメンバーは僧侶が戦っている間カードをしていた。興味がないと言うよりも、彼女のことを信頼している表れのようだ。
「あの女の子が強いわけじゃなかったのね。ただ、彼らがそれ以上に弱すぎた、と」
「そういうことです。彼女のレベルが十なら、モルタたちのレベルは一、勝負になりません。――まあ、多少のカラクリはあるのかも知れませんが」
折り重なってノビているオークたち。勝負はあっという間だった。
先制攻撃とばかりに、僧侶の錫杖が次男ラルドのスネにクリティカルヒット。悶絶するラルドがトドメを刺され、モルタとロースはパニックに陥った。そしてあれよあれよと言う間に二人とも撲殺され、戦闘終了である。
「仕方ない。今回は素直に負けを認めましょう」
「援護に行かないのですか? 財宝を持って行かれてしまいますが」
「ダンジョンに置いてあるのは一部だし、少し高い授業料だと割り切るわ。代わりにあなたが行ってくれるわけでもないのでしょう?」
「そうですね。魔王の補佐が軽々と現場に出るものではありません」
「そういうことよ。私だってチーフだもの。それに、レベル一と謳っているのに、レベル一ならそれらしく、モンスターは弱くなくてはいけない。私が出ると、その前提が崩れちゃうわ」
もっともな意見に聞こえた。そこに、エーファの悲しそうな声が混ざる。
「財宝、取られちゃいますね。それにやっぱり、モルタさんたち……可哀想です」
ガタン、と透子が聖剣を手に勢いよく席を立った。半ば察しながらも、ホルガーは尋ねてみる。
「……どこへ行くのです?」
「決まってるじゃない、彼らの仇を討ちにいくのよ」
「いや、死んではいませんが……。それについ今し方、助けに行かないと言ったばかりで――」
「今行くわよおおおお!」
うおおおと叫びながら、透子は部屋を飛び出していった。
「いや~、楽勝だったじゃないか。強くなったな、カーヤ」
「そ、そんな、皆さんのおかげです。こんな武器まで装備させていただいて……」
リーダーの言葉に、カーヤと呼ばれた僧侶は耳まで真っ赤になった。先ほど戦闘で使用した錫杖を抱きしめ、錫杖が豊かな双丘に挟まれる。
「今は頼ってればいいさ。その、正直羨ましい杖にな。じきに実力が追いついてくる」
「は、はい……」
「さて、他にモンスターもいないみたいだし、財宝をいただいてとっとと帰るか」
そう言ってリーダーは歩きだそうとしたが、
「そうは問屋がおろさないわ!」
突如女の声が響き渡り、足を止めた。
「おお、あんたか」
現れた女に、リーダーは目を丸くした。誰であろう、ダンジョンのビラを配るという奇行を演じ、妙ちきりんな格好をしていた彼女である。
ダンジョンの闇を背負って仁王立ちするその姿は、妙な威圧感に包まれていた。
「私は古迫透子、このダンジョンのチーフよ。改めてよろしくお願いします!」
敵意満面であるが、挨拶は忘れない。OLの鑑である。名刺がないのが残念だ。
「フルサ・コトーコか、変わった名前だな。俺はテオバルト、テオでいい。よろしく。見たとこ、道案内をしてくれる、ってわけでもなさそうだな」
リーダーことテオバルトの目は、コトーコなる女の手に向けられていた。その手に握るは、金色の剣。
「聖剣、なわけがないよな。勇者が魔王城にいるはずがない。人間のようだが、あんた何もんだ?」
「ふん、悪いけれど、それをあなたに語る義理はないわ。さあ、とっとと来なさい! 剣道二段は伊達じゃないわよ!」
ケンドウニダンが何かはわからないが、コトーコの口振りからすると何かしらのスキル、あるいはジョブのようだ。未知のものに対する不安はあったが、それでもテオバルトはカーヤの背を押した。
「カーヤ、お前が行け」
その言葉に、カーヤ本人はもちろん、他のメンバーも仰天した、
「むっ、むむむ無理ですよ! だってあの人何だか強そうです!」
「大丈夫だ」
涙目のカーヤに、テオバルトは自信満々にそう告げた。
「きっとこの先、お前はもっとたくさんの強敵と戦うだろう。これはその第一歩なんだ。怖いのは当たり前だ。その恐怖を乗り越えてみせろ」
「……わたしが負けても、テオさんたちは何もしないんですよね?」
「ああ、そういう約束だからな、素直に装備と金を差し出して帰るさ。でも、俺はお前が勝てるって信じてるぞ」
「テオさん……」
決して、この無邪気に笑っている男は、自分が勝てるなどと思っていないだろう。だが、信じてると言ってくれた。その思いに報いようと、カーヤは思った。不思議と、胸の奥が熱くなる。
ふと、石畳を断続的に叩く音が聞こえ、カーヤは自分が冷静になったのだと気づいた。
「もう茶番は終わりかしら?」
その音は、コトーコが足先で鳴らしていたようだ。ありありと苛立ちが伝わってくる。
「どうしました? 生理ですか?」
「違うわよ! むしろ安全日よ! って、生々しい話はやめなさい! そうじゃなくて、目の前でイチャコラされたら腹が立つものなの!」
「イチャコラだなんてそんな……!」
「照れるな! クネクネするな! ふん、余裕ぶるのも今だけよ。レベル一のダンジョンだからって、モンスターが弱いばかりとは限らない。時には私みたいな裏ボスがいるんだって、教えてあげるわ!」
つまり私は強い、そう内包したコトーコの言葉に、カーヤはクネクネをやめて気を引き締めた。
聖剣は鞘のなかに納めたまま、コトーコは勢いよく切っ先をカーヤに向けた。
「カーヤって言ったわよね。私はあなたたちを通しはしない。OLのOはobstacleのO! さあ、かかってらっしゃい!」
* * *
「ん……」
意識を取り戻した透子は、目を開けるより先に心地よい音色に酔いしれることになった。
ピアノの音だ。
長調の明るい音色が、耳からではなく、全身からとけ込んでくるように、部屋の中に流れている。聞いていると、ふつふつと元気が出てくるような、そんな音色だ。
声をかけるのも悪いと思い、その音色がやむまで、透子は目を瞑ったままでいることにした。
「いい曲ですね」
やがて静かに曲が終わり、透子は目を開けてそう讃えた。
透子に背中を向け、ピアノを弾いていた少女――エーファは、肩をびくりと震わせた。
「びっくりした……。起こしてしまいましたか? すいません」
エーファは透子の方に向き直った。その顔は、少し赤く染まっている。
「私、どれくらい寝ていましたか?」
「えと……半日ほどです。本当ならトーコさんのお部屋に運ぶところだったのですが、私が無理言ってここで介抱させていただきました」
その言葉に礼を言いつつも、透子の心は晴れない。深々とため息をつくのは、異世界に来てからこれで何度目だろうか。
「呆気なかったわね」
当然、気を失う前のことは鮮明に覚えている。むしろ忘れたいくらいだ。カーヤなる僧侶と対峙し、勢いよく面を打ちに行ったものの、あっさり弾かれてがら空きだった胴をもらった。
威勢よく名乗りを上げ、しかし簡単に負け、さらに消化しかけだったトーストをリバースし、そのまま失神。情けないことこの上ない。
エーファの「大丈夫ですか?」には、透子の鼻っ柱が粉砕された
それでも、エーファには笑顔を見せる。
「ごめんなさい、私は大丈夫です。何の影響かは知りませんが、私の体、結構丈夫になってるみたいですから」
ベッドから降りて立ち上がり、平気であることをアピールする。だが、エーファの顔は晴れなかった。
「財宝、取られちゃいましたね……」
その言葉を、透子は少し意外に思った。
エーファは就寝時以外はドレスで過ごしていたが、それは華美なものではなく、宝石を身につけているところも全く見たことがない。なのに、財宝を奪われて落胆している。やはり王女様は皆そんなものなのだろうか。
「すいません、私の思慮不足でした」
「あ、いえ、そういう意味で言ったのではありません。ごめんなさい」
お互いに頭を下げ、再び重い沈黙が降りる。これはまずいと、透子は明るい声を上げた。
「そう言えば、先ほどの曲、聞きほれました。明るい曲なのはもちろん、元気が出てくると言うか励まされると言うか……ん~、何と言えばいいのでしょうね。こういうとき、自身の表現力のなさに恥入ります」
エーファを励ます意味ももちろんあったが、決してお世辞などではない。真実、透子はそう思った。歌には不思議な力があると言うが、その力の一端を透子は感じた。
そして、透子の言葉にも、多少は力があったらしい。エーファは嬉しそうに顔を輝かせた。花が咲いたようなその顔に、透子自身も嬉しくなる。
「ありがとうございます。感性が豊かな方だとお見受けしましたが、トーコさんも音楽に造詣は深いんですか?」
「あはは、まさか。ドレミくらいは読めますが、音楽活動をしたことは一度もありません。ただ、明るい曲はよく聞きましたね」
「トーコさんも、明るい曲がお好きなんですか?」
「そうですね、そのまま、明るい気持ちになれますから。逆に、暗い曲は積極的には聞きませんでした」
「私も、そうです」
ほんの少し、エーファの声のトーンが下がった。
「私も、短調の曲は嫌いなんです。聞いてると、悲しいような、誰かに助けを求めてるような、そんな気持ちになるので……」
嫌い、と、エーファの口からネガティブな言葉をはっきり聞いたのは、透子にとって初めてだった。
エーファの気持ちがまた沈みかけていることを敏感に察知し、透子はことさら明るい声を出す。
「そうだ。エーファ様がよろしければ、先ほどの曲をもう一度聞かせてくれませんか?」
「え? 私のピアノを、ですか?」
「ええ、とてもいい曲でしたので。ダメでしょうか?」
「いえいえ! 私なんかでよければ!」
ぶんぶんと手を振って、エーファはピアノの方を向いた。ふわりと、腰まである銀髪が揺れた。
深呼吸を一つし、エーファの細い指が踊り出す。
透子はベッドに座り、目を閉じた。
川のせせらぎのように優しい音色だが、その中に力強さも感じる、そんな曲だ。アップテンポではないものの、聞いていると、元気や勇気、そういうものをもらえるような気になってくる。
「『希望』という曲なんです」
器用にも、鍵盤を叩きながらエーファは言った。ピアノの音色は、一分たりとも乱れない。恐らく、指が勝手に動くくらい、何度も弾いているのだろう。
「私がつらいとき、泣いてるとき、母がよく弾いてくれました。母のことはほとんど覚えていませんが、不思議とこの曲だけは覚えています」
普段は物静かなエーファだが、今はやけに饒舌だ。
「お母さんのことを覚えていない……?」
その言葉をオウム返ししてしまってから、透子はしまったと思った。
「はい……私が幼い頃、亡くなったそうです」
透子からは、エーファの後ろ姿しか見えない。彼女が今どんな表情をしているのかはわからないが、声色は穏やかだった。
「……ごめんなさい」
「気にしないで下さい。さっきも言いましたが、母のことはほとんど覚えていないので」
その言葉をそのまま受け取れるほど、透子は脳天気ではなかった。ほとんどということは、少しは覚えているのだ。大切な人を失う悲しさやつらさは、痛いほど知っている。
「もう、トーコさん、わたしのピアノを聞いてるんでしょう? 暗くなっちゃだめですよ」
おどけたようなエーファの言葉に、透子は短く息を吐いた。
「そうでしたね。『希望』だったかしら。この曲に失礼でした」
苦笑しつつ、透子はこのとき、自分の目的が変わってきていることをはっきりと自覚した。
魔王になる。そして世界を征服する。そこは変わらない。ただ、それは目的ではない。手段だ。
では目的は何か。
今までは、世界征服をした後、この世界をめちゃくちゃにすることだった。それは単なる、世界規模の八つ当たりである。妹を亡くし、世界に絶望したことに対する、透子のわがままだ。
あの町で勇者を打ちのめしたとき、確かにその願望を抱いていた。
だが、今は果たして。
(私は……)
ピアノの音色に耳を傾けつつ、透子は自身の心と改めて向き合った
* * *
「特訓するわよ!」
惨敗からしっかり休んで翌日、オーク三兄弟は城の裏庭に呼び出されていた。魔王が花々の世話をしている前庭と異なり、こちらは日陰になるため、花壇などはない。暴れるにはもってこいである。
「……何をするんですか」
わざとだろう、声に不満を含んで言ったのは長男モルタだった。
「夕飯の仕込みがあるんですが……」
おずおずと次男ラルドが続き、
「ウチも人形の改良しとる途中ですねん。戻ってもよろしいでっか?」
三男ロースもフゴフゴと鼻を鳴らした。
「ダメよ」
短く言い、三人をそれぞれねめつける透子。少し機嫌が悪そうだ。体格上、どうしても見上げる形になるのが腹立たしいのかも知れない。
「昨日の一件でよくわかったわ。私たちには足りないものがある。何かわかる?」
豚頭の三体は顔を見合わせる。答えがわからないのではない。それを口にするのが恐ろしいのだ。この女が城に来てから、何度も暴力を見てきた。もっとも、その被害を受けてきたのはもっぱらラルドばかりだったが。次男は不運である。
仕方なくアイコンタクトだけで「俺が」「ウチが」「じゃあ僕が」「「どうぞどうぞ」」をやり、手を挙げたのはラルドだった。
「えーっと、レベルが足りないと思います」
「正解!」
びくん、とラルドが震えた。気弱な彼が大声だけで反応するようになってしまったことを、透子自身は全く気づいていない。
「……で、他には?」
正解を出して油断していたオークたちは、再び冷や汗をかくことになった。
「ほ、他でっか?」
「そうよ。レベルが足りないなんて、わかり切ってるの。気づきにくいことに気づいてこそ、本当に価値があるのよ」
正論らしきものを吐かれたところで、オークたちには全く言葉が浮かばない。
「せ、戦力でしょうか」
おずおずとモルタが言った。当然これも透子の求める答えだったが、彼女は渋い顔をする。
「そう、それも間違いないわ。戦闘員が私と豚三頭、話にならない。だけどだめなのよ」
「どうしてです?」
「あなた覚えてないの? 魔王様が言ったでしょ、新たに誰かを雇うのは認めないって」
そう、唯一にして最大の難題だった。
「戦力の増強が認められていない以上、私たちだけで何とかするしかないの」
やれやれとため息をつく透子だったが、意外にもここで手を挙げた者がいた。
「いや、そうとも限りまへんで」
にやりと笑う。三男ロースだった。
透子は訝しげに眉根を寄せる。
「……どういうこと?」
「ふふふ、まあこれを見てみて下さい」
ロースはもったいぶった動作で、懐からとあるものを取り出した。
「藁人形? 悪趣味ね。なに、相手に呪いでもかけるつもり?」
「ちゃいますちゃいます。髪の毛一本もろてもよろしいですか?」
「女の髪をねだるなんて。世が世なら金取られるわよ。まあいいけど」
透子としても好奇心がないわけではない。ぷつんと長い黒髪を一本抜き、ロースに手渡した。だが、
「ほんなら、これを人形の中に入れまして……」
ロースが藁人形に髪の毛を突っ込んだ瞬間、顔色を変えた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! あなた、私を呪うつもりじゃないでしょうね!」
「そんなわけありませんがな。落ち着いて見といて下さい。……えー、髪の毛を入れたら、軽く念じて放り投げます。むむむむ…………ほい!」
ロースが藁人形を軽く投げた瞬間、それが煙に包まれ、
「……あらま」
そこには古迫透子が立っていた。その透子(藁人形)を見て、さすがの透子も目を丸くしている。
「どうです? ドッペル藁人形バージョン1.2です」
「私が初めてここに来たときの、あの偽魔王と同じものかしら」
「いかにもたこにも! あれから改良を重ね、なんと血飛沫も出るようになりました!」
「へ~、すごいじゃない」
透子は素直に感心した。ただの影の薄い豚かと思っていたら、予想以上に有能だった。
「よくできてるわねぇ。鏡でも見てる気分だわ。不気味の谷は越えてるわね。胸も柔らかいし」
透子(偽)の胸を弄ぶ透子。手のひらで持ち上げてみたり鷲掴みにしたりとやりたい放題である。たぷたぷやむにむにスーツの上からでもわかるその弾力は、本物と相違ない。
「服の中も再現されてるのかしら。……で、戦闘力は?」
「ありまへん」
「そう、ありま……は?」
透子はスーツを脱がそうとしていた手をぴたりと止めた。
「いや~、歩くとか軽く剣を振るとかはできるんですけどねえ、細かい動作までは実装できへんかったんです。ついでに、発声機能も未実装です」
「戦闘じゃあ役に立たないじゃない」
「ん~、囮とか?」
「……ちなみに、一体作るのにどれくらいかかるの?」
透子が右手で例の形を作ると、ロースも満面の笑みで同じ形を返してきた。
「二万ガルドです」
「却下! コストパフォーマンスが悪いにもほどがあるわ!」
「ご無体な……」
「だまらっしゃい。せめてコストを二十分の一まで落としなさい。もしくは戦闘能力を付けないと話にならないわ。……これ、どうやったら元に戻るの?」
「首の後ろのボタンです……」
しょんぼりと肩を落とすロースを尻目に、透子は透子(偽)を元の藁人形に戻すと、それをスーツのポケットに突っ込んだ。
「期待した私がバカだったわ。他には?」
「ほんならこれはどうでっしゃろ」
次にロースが取り出したのは、ちょうど手のひらに収まる程度の小さな筒だった。
「これは?」
受け取った透子は、まるでゴリラが初めて見たものにするように、その筒を矯めつ眇めつする。ふと、小さなボタンがあるのに気がついた。
「何このボタン。ポチっとな」
「あっちょ! アカン!」
「へ?」
ロースの制止も間に合わない。ボタンを数秒後、目映い閃光がその筒から発せられた。
それを作ったロースと、その存在を知っていた兄二人は目を覆うのに間に合った。
悲惨な結果を迎えたのは透子である。
「ギャアアアアアアアア! 目が! 目がああああああああああ!」
閃光をまともに浴び、透子は目を押さえて地面を転げ回った。
「ああああああああああああああ」
「それ、小型の閃光弾ですねん。しかも何回か使えるスグレもんでっせ! いや~、効果もなかなかみたいやし、作った甲斐あったかな」
満足そうなロースとは裏腹に、透子はしばらく吊り上げたばかりの魚のように地面をのたうち回っていた。
「閃光弾はまあよし。ただ没収よ」
「そんなご無体な」
「やかましい。さあ、他にアイデアは?」
「えーっと、ルックス?」
「オークにルックスなんて求めてないわよ」
「品性とちゃいます?」
「オークに品性なんて以下略」
「なら武器だ」
「いや、武器は今のままで十分。むしろ剣やあのかっこいい槍――ハルバードだっけ? は、ともかく、釘バットって生々しくて引くわ」
「ほんならアイテムでっしゃろ。回復とか攻撃力増加とか」
「ドーピングは好かないわ。まあ、回復アイテムはあってもいいかもね」
取りあえず思いつくままに言ってみたが、どれも不正解だったらしい。唯一回復アイテムがいい線だったが、やはり不正解だった。
オークたちが押し黙ってしまい、透子はやれやれと首を振った。
「まったく、大喜利じゃないんだから。いい? よく聞きなさい。あなたたちに足りないのは――」
オークたちは前屈みになり、
「――個性よ!」
三人とも頭上にはてなを浮かべた。
「こ、個性?」
「そう、個性。あなたたちはそれが薄いのよ。今の『こ、個性?』ってセリフも、誰が言ってるのかわかりゃしない」
「そ、そんな……」
「はい! 今のセリフも! そもそも、名前だってややこしいのよ。えーと、あなたが長男だっけ?」
「いや、僕次男です」
「そんなレベルなのよ。ということで……」
「ちょっと待って下さい!」
透子のセリフをモルタが遮った。
「そもそも、どうして個性が必要なんですか。強さには関係ないんじゃないですか? 名前や兄弟関係だって、冒険者たちに覚えてもらう必要なんてないでしょう」
ラルドは殴られることを覚悟で反論したが、予想に反して透子は笑みを浮かべた。
「なるほど、いい質問ね。確かに戦うだけなら個性なんて必要ないわ。事実、私が今まで考えていたダンジョンなら、個性なんて求めなかったと思うわ」
「ではなぜです?」
「この世界のダンジョンは、攻略してはい終わり、じゃないからよ」
わかるでしょ、という顔をされても、オークたちにはさっぱりわからない。それを悟り、透子は言葉を紡いだ。
「この世界には、ベルンシュタイン城みたいな魔王城が複数あって、恐らくその数だけダンジョンもある。つまり、冒険者はダンジョンを選べるってことになるわ」
ふむふむ、と興味深げに聞くオークたち。いつの間にかその場に正座していた。透子も上機嫌で彼らの前を行ったり来たりする。気分は机間巡視する女教師だ。
「冒険者がダンジョンを選ぶ基準はたくさんあると思うわ。ダンジョンのレベルであったり、出てくるモンスター、回収できる財宝の量とかね。もちろん、そのバランスも大切だと思うけど」
レベルが高いダンジョンに挑むのは、それなりの理由がある。名声や力試しの者もいるだろうが、多くはそれに見合った財宝があるからだ。回収できる財宝が少ないのでは、冒険者も危険を冒すメリットがなくなる。
魔王側も同じである。強い冒険者に来てもらい、これをうまく迎撃できれば、それなりの装備や所持金を奪うことができる。ケチって財宝を少なくすると、訪れる冒険者も減って収入がなくなってしまう。
そういう意味では、モンスターや財宝、罠の配置を考えなければならない魔王側の方が、実は難しいのだった。そのため、有能な補佐官は重宝される。
「そして残念だけど、ここのダンジョンにはアッピルできるものがない。美人のダンジョンチーフがいるくらいね。昨日みたいなレベル上げ目的の人もいるけど、そんなのは多くないだろうし」
だから個性が必要なのよ、と透子は語気を強くした。
「売り込めるものがないのなら、せめて少しでも印象づけておかないといけないわ。単なる無個性のまま数あるダンジョンの一つになってしまうより、少しでも変わったところをアッピルして、少しでも覚えてもらうのよ」
なるほど、とオークたちは納得した。ただの暴力女かと思ったら、意外といろいろ考えているらしい。
だが、彼らが感心したのはそこまでだった。
「ということで、あなたたちに個性をつけていくわ!」
口の端をつり上げた透子に、オークたちは嫌な予感がした。そもそも、個性とはもっているものであって、つけるものではないのでは。
「まずあなた! 名前は?」
「モルタです。覚えてなかったんですか」
「文句あんの? 一郎に改名するわよ。覚えやすいし」
「すいません」
うなだれたモルタを、透子はじろじろとチェックする。
「そうねえ、唯一甲冑を着てるのはポイント高いわ。騎士に憧れてるんだっけ?」
「そうです! 昔、我が家が強大なモンスターに襲われたとき、通りかかった騎士が――」
「語尾にブーをつけなさい」
「なぜ!?」
唐突だった。透子の顔はあくまで真面目だ。
「オークって言っても、厳密には豚じゃないんでしょう? でも頭は豚。これを利用しない手はないわ。個性も出るし、話し方で誰彼の判断もできる。名案じゃない」
「横暴だ!」
「違うでしょ? 横暴だブー。はい復唱」
「横暴だブー! 違う、そうじゃない!」
「うるさい。決定よ」
うっとうしそうに手を振り、透子は次のターゲットに目を向けた。モルタはその場に崩れ落ちている。
「あなたは……ああ、次男ね。名前は……」
「ラルドです」
「そうそう、ラルドね。出で立ちは普通だけど……ん? 頭に角があるの? 妙に鈍角ね。まるでコブみたい」
「正真正銘コブです。チーフに殴られたときの」
「あなたの語尾はブヒね」
「無視!? しかもまた語尾!?」
「業界用語で天丼っていうのよ。それはともかく、気弱だとか、料理が上手いとか、敵はそんなの知ったこっちゃないの。内面は見てくれないのよ。今のところ殴られるっていう個性くらいしかないんだから、もっとアッピルしていかないと」
「し、しどい……」
ラルドはよよよと泣き崩れてしまった。いかんせん見た目は巨大なオークなので、非常に気持ち悪い。
「最後はあなたね」
「ロースです。よろしゅう」
「聞かれる前から答える。えらいわ。……けど、これだけは言わせてちょうだい」
透子はたっぷりと息を吸い、
「何であなただけ関西弁なのよ! やっとツッコめたわ!」
たまりにたまったものをようやく吐き出した。
「いや~、昔このしゃべり方の旅人がウチに逗留したことがあってな? おもろいから、そんときに教えてもろたんや」
「……あそ」透子はロースに向き直る。「まあ、あなたはそのままでいいわ」
「そんな!」
唐突な終了宣言に、逆にロースは悲痛な声を上げた。
「いじってほしいの? 関西弁の血かしら。でもあなたは十分でしょう。関西弁ってだけでポイント高いのに、武器が釘バットって。むしろあざといわ」
「そこを何とか! ただでさえ、今んとこ出番が少ないんです!」
「めんどくさいわねえ。……じゃあ虎柄の服でも着ておきなさい」
「何で虎ですのん?」
「関西弁は虎なのよ。わかった?」
いまいち納得がいっていないようだったが、ロースは不承不承うなずいた。
「さて、まあまあ個性が出たところで、次は戦い方の訓練よ」
透子は聖剣フェアラートを地面に突き立て、柄の上で指を組んだ。スーツでなければ、完全に見た目は勇者である。
「いい? 勝てば官軍、戦いが始まったら、相手が一人でも波状攻撃をしかけなさい。そして囲んでしばくの。タイマンなんて考えちゃダメよ」
言っていることは悪魔だった。
「え!? フェアじゃない!」
「あんた長男でしょ。ブーは?」
「……フェアじゃないブー」
「よござんしょ。――そもそも、あなたたち三兄弟は悪辣非道なモンスターなの。勝つためなら何でもしなさい。負けたら財宝が奪われるのよ? お給金が減るのは嫌でしょ? 実家に仕送りしてるんでしょ?」
「ぐぬぬ、ブー」
「そういうことだから、次の戦いからはモルタ、ラルド、ロースの順番で突っ込むのよ。連携プレー、いいじゃない」
透子は上機嫌に笑うが、とうとうモルタの我慢が爆発した。勢いよく立ち上がり、剣を透子に向ける。
「横暴だ! 横暴系女子だ!」
「うるさいわねえ、横暴系女子って何よ。そもそも、あなたたちもオークのくせに存在がふざけてるわ。オークはもっと凶暴で女を見れば目の色変えるもんでしょう。気弱とか優しいオークなんて、業界に溢れてるの。一周回ってもう古いのよ」
「黙って聞いていれば好き勝手なことを。リコールだ! リコールする! さあ弟たちよ、ともに立ち上がろう!」
兄としては一応威厳があるのか、ラルドとロースも顔を見合わせて立ち上がる。それぞれ武器を手に取り、ふおおおとどこか間抜けな雄叫びを上げた。
一方、反逆の矛先を向けられた透子は、額に青筋を浮かべていた。
「上等。実戦訓練よ、三体まとめてかかってらっしゃい。OLのOはobligationのO! あなたたちのリコールに対する責任、きっちり負いましょう。浅慮で上司に刃向かった愚かさを、その身で味わわせてあげるわ!」
聖剣を正眼に構え、三兄弟を威圧する。剣道有段者と初心者では、ただまっすぐ構えているだけでも全く違う。隙が見えないのだ。そして透子は前者だった。射殺さんばかりの視線も相まって、モルタたちには透子が巨大に見えたほどである。
威勢よく立ち上がったはいいものの、モルタたちはかなりビビっていた。特に、今まで殴られてきたラルドはすでに涙目になっている。そして実害はなかったとは言え、モルタたちもその暴力を目に焼き付けてきた。トラウマになっても仕方ない。
だが、やはりそこは長男。モルタが己を、そして兄弟たちを鼓舞するように、剣を高々と天に向けた。
「わ、私はモルタ! モルタ・マヤーレ! 天に代わりて暴君を誅せんと、今ここに立ち上がった!」
震えた声。恐怖に膝も笑っている。およそ名乗りを上げたにしては、格好がついていなかった。だがラルドとロースは確かに見た。甲冑に身を包み、その瞳に小さな炎を宿す兄に、確かに騎士の姿を見たのだ。
「いざ、参る!」
震える足で、透子に斬りかかるモルタ。弾けるようにラルドも続き、ロースも釘バットで殴りかかった。
奇しくもそれは、透子が示した通りの波状攻撃。
後に、ピッグストリームアタックと呼ばれる、連係攻撃の誕生だった。
「大丈夫でしょうか……」
自室の窓から裏庭――乱闘する透子たちを見つめ、エーファは胸の前で手を組んだ。裏庭からは一人+三体の雄叫びや、金属を打ち合う音が聞こえてくる。
「心配いりませんよ」
不安そうなエーファとは裏腹に、ホルガーはあくまでも冷静な声。透子たちには目もくれず、魔力水晶の様子を見ている。
心配していない。それとは少し違う気がする。エーファにはそう感じた。その感覚は間違いではない。事実、ホルガーはそこまで関心がなかった。今関心があるのは、目の前の魔力水晶だけである。
「トーコさんは鞘に納めたままですが、モルタさんたちは刃物や釘です。万が一ということも……」
「それも含めて心配いりません。透子さんのあれは聖剣です。鞘から抜けないとは言え、その加護はあるでしょう。斬撃は軽減されているはずです」
「それならいいのですが……」
そんなわけがない。心配で仕方がない。そんな顔をエーファはしていたが、ホルガーは気づかないふりをした。
「はい、終わりましたよ。不純物を取り除くと、五十マギアほどです。今回は少し、不純物が多かったですね」
「毎回すいません。ご迷惑をおかけします……」
「何を仰るのですか。我々としては、むしろ助かっているのです」
ホルガーは微笑むが、やはりエーファの顔は浮かない。それも仕方ないだろう、と彼は思う。
「……この呪いを解くことは、できないのでしょうか」
そう、そしていつものこの質問だ。ホルガーもまた、いつものように答えを返す。
「残念ながら、まだその方法はわかりません。故に、心苦しく思いますね。姫様が辛い思いをされているのに、我々はそれに甘えることしかできない」
「そんな!」エーファは胸の前で手を振った。「こんなわたしでも、皆さんの役に立てている、それは嬉しく思います。辛いことよりも、嬉しいことが大きいです」
「ならよかったです」
ホルガーは微笑む。だが当然、エーファの言葉を額面通りに受け止めたわけではない。本当に嬉しく思っているのなら、呪いを解こうとは思わないのだ。
部屋の中に沈黙が降りた。さきほどまでは剣戟の音が響いてきていたが、いつのまにかそれもやんでいる。ホルガーが窓の外に目をやると、透子たちは全員地に伏していた。死んではいないようだ。一人と三体、仲良くノビている。
「透子さんには、呪いのことは伝えていないのですか?」
「はい、伝えたところで、心配をかけてしまうだけですから。それに、ダンジョンにも魔力を使うことがあります。わたしのことを知ってしまうと、トーコさんは魔力を使うことに遠慮してしまうと思いますから」
確かに、とホルガーはつぶやいた。
透子はまだこの世界について詳しくない。魔力についても、時間経過で我々の体内に自動的に生成されていく、その程度の認識だろう。間違ってはいないが、エーファの場合はかなり話が違ってくる。透子はエーファに対して過剰に優しくしているふしがある。故に、エーファの体質を知ったとき、優しさに比例して気に病むことは想像に難くなかった。
ただ、だからと言って、そのままにはできない。
「しかし、透子さんは、姫様が食堂に姿を見せないのを、不審に思っているようですが」
いつまでも隠し通せるものでもない。そう暗に含ませると、エーファは小さく首肯した。
「わかっています。ですがやはり、怖いのです。こんなわたしを、気持ち悪く思われないかと……」
それには答えず、ホルガーは目の前の少女を見据えた。魔王の娘。だが、あまりに気弱で、あまりに優しい。
「タイミングを考えないといけませんね」
仕方なくそれだけを伝え、仕事モードに思考を切り替える。
持ってきていた財宝を、事務的な作業でテーブルの上に置いた。安物のネックレスと数枚のコインが並ぶ。価値にして約二万ガルド。
「今日の分です。お納め下さい」
「……はい」
エーファはそれらを見ようともしない。ホルガーは内心苦笑した。先ほどまでの会話を考えれば、疎ましく思うのも当然だ。
「大丈夫ですよ。これからは透子さんたちが、ダンジョンで稼いで下さいます」
その慰めの言葉が、見当外れなことも承知している。当然、エーファは何も答えない。
それを承知の上で、ホルガーはエーファの手を取った。真摯な目で、エーファの瞳を見つめる。エーファは明らかに動揺していた。耳まで赤くなっている。
「ほ、ホルガーさん?」
「あの話、考えていただけましたか?」
「あ、あの話、ですか……」
途端、エーファは目を逸らした。小さな桃色の唇が、堅く引き結ばれている。
恥らう様子のエーファに、ホルガーはにこりと微笑んだ。
「ええ、プロポーズの話、ですよ」
* * *
ベルンシュタイン城には浴場が二つあった。
一つは和風の露天風呂。洋風の城には似つかわしくない上に、今はほとんど誰も使うことがない。いかんせん城の住人が少ないのだ。男女別にわかれており広さもそこそこだが、宝の持ち腐れである。鹿威しの音は、もう何年も響いていない。
そしてもう一つは、割と豪華な室内バスだ。露天風呂ほど広くはないものの、オーク三兄弟が全員入ってもまだ余裕があるほどには広い。そしてこちらは完全洋風。豪邸でよく見る、ライオンの吐水口もある。ただなぜか浴場が一つしかないので、城の男連中はエーファとはち合わせないように気を配る必要があった。
日もとっぷり暮れ、午後十時。室内浴場の脱衣場に、衣擦れの音が囁いていた。
「いっつつ……」
そろりそろりと、透子はワイシャツの袖から腕を抜く。引き締まった二の腕、その白い肌には、痛々しい青あざと切り傷がいくつもできていた。
「まったく手加減ないんだから」
ぼやきつつ、ブラのホックに指をかける。大きさよりも美しさ。普段からそう言ってはばからない自慢のCカップには、傷一つついていなかった。そこにはホッと息をつく。
(まあ、手加減しなかったのは私もだし。にしても、あの子たち本当に弱かったわね……)
自分が勝てたのには安堵した。だがダンジョンのメインモンスターがこれでは、心許ないにもほどがある。そう嘆息し、ショーツから足を抜きながら、透子はふとあることに気がついた。
(浴場の明かり、いつも点いてたかしら?)
城の明かりは魔力に頼っている。ベルンシュタイン城は魔力には余裕があったが、ホルガーの方針で無駄な浪費は控えてきた。つまり、不必要な明かりは消しておく。節電の精神である。
浴場も例外ではなく、誰もいないときは消灯してある。つまり、今は単なる消し忘れ、あるいは誰かがいるのだが。
(誰だろう……)
浴場からは人の気配がしていた。時折、お湯を弄ぶ音も聞こえてくる。
モルタたちではない。彼らは白目を剥いたまま結局目を覚まさなかったので、裏庭に放置してきたはずだ。先ほど廊下ですれ違ったホルガーでもない。
(エーファ様だわ!)
そう悟った瞬間、透子のテンションは急上昇した。
元々入浴は、透子の楽しみの一つだった。化粧は普段から薄かったので、こちらに来てからはしなくても気にしなかったが、風呂となると話は変わる。もしこの世界に入浴の概念がなかったら、透子は絶望のあまり自殺していたか、あるいは自分で風呂を作り出していた。
それほどまでに人生の娯楽である風呂である上に、今夜はそこにエーファがいる。
(そうよ、よく考えたら、これって典型的なラッキースケベのシチュエーションじゃない!)
お風呂の扉を開けたら中にはすっぽんぽんのヒロイン。その叫び声や桶、せっけん等を受けながら、「すまん!」などと謝りつつ扉を閉める主人公。そんな場面は嫌と言うほど見てきたが、まさか当事者になるとは夢にも思わなかった透子である。
扉を開けたのが男なら馬鹿変態スケベ死んじゃえの烙印を押されるところだが、幸いにして女同士、ともに湯に浸かっても何も問題はない。むしろ、今までどうして一緒に入浴しようと誘わなかったのか。
(タオル……は巻かなくていいか。持って入るだけでいいわね。うっふふ、一日の終わりにこんなラッキーイベントがあるなんて、神様はちゃんと見てくれているのね)
いそいそと長い髪を上でまとめ、背中を流しっこなんてしちゃおうかしら、などとウッキウキで扉を開ける透子。
闖入者に気づき、のんびりと湯船に使っていたその人物は、驚いて叫び声を上げた。全て透子の期待通りである。
「うだっ!」
その叫び声が、ダンディボイスだった点を除けば。
十メートル四方はあろう、広い湯船。その一番奥で、頭にタオルを乗せた魔王が目を丸くしていた。
「魔王様のこと忘れてたあああ!」
がっくりと透子はその場に崩れ落ちた。
「いきなり入ってきてその言い草は、ちょっと失礼じゃないかい……? と言うか、前、隠しなよ」
慢心していた透子はタオルを巻いていない。いつもであれば長い黒髪がカーテンになったかも知れないが、今は上げてしまっている。つまり、磨きに磨いた、白く美しい肌がフルオープンだった。
それを見て動じないのは、果たして魔王の人となりなのか、あるいは魔王という地位故なのか。だが、見られた透子も全く狼狽の色を見せていなかった。
「……よござんしょ、ご一緒させてもらいますね、魔王様」
「いいのか! いや、よくないでしょ」
「あ、そうでしたね、まずは体を洗わないと。今日は特に土埃がひどいですし」
「そうじゃなくてだな……!」
シャワーをし始めた透子に、魔王はもうかける言葉が見つからなかった。気にしていないということは、見られても構わないということだろうか。だがさすがにじろじろと見続けるのもばつが悪く、魔王は目を逸らすことにした。
体を洗い終えた透子は、何の遠慮もなく湯船に浸かった。わざわざ魔王の傍で肩まで浸かり、湯船の縁に背中を預ける。魔王と同じく頭にタオルを乗せ、いい意味での深いため息をついた。少し熱いくらいのお湯。全身の疲れが染み出していくようだった。
「はあ……こんな広いお風呂は久しぶり……」
エーファと出会って以来の幸福感だった。思わず、手で水鉄砲をしてしまう。
「……普通、男がいたら、叫び声の一つでもあげるものじゃないかい?」
一方、魔王の恨みがましい声は、風呂場独特のエコーを伴っていた。彼は透子に気を遣っているのか、背を向けている。湯気もあるしお湯も乳白色に濁っているためよくは見えないはずだが。
魔王はそこまで大柄ではないが、その体はよく鍛えられてるようだった。背中一つ見ても、その筋肉量は一目でわかる。同時に、古傷も数え切れないほど刻み込まれていた。今は戦いを忌避しているようだが、昔はそうではなかったのだろうか。
だが今は混浴状態だからか、少し萎縮しているように見えた。
「生憎ですが、見られて困るような体ではありませんので。ほら、どうですか?」
その背に向かい、透子は湯船の中でセクシーポーズを決めて見せた。右腕は頭の後ろに回し、左腕は胸を持ち上げる。谷間に溜まった乳白色のお湯は、流れ出ることなくその場にとどまっていた。
外見は女の武器である。それをよく理解していた透子は、自己の研鑽を怠らなかった。出るところは出、締まるところは締まっている。珠のような白い肌も、透子の自慢の一つだった。
だが、魔王は背中を見せたままピクリともしない。無反応の魔王に、少し透子はむっとした。
「そう言えば、さっきも面白くないリアクションでしたね。男性の方こそ、こんなナイスバディを見たら鼻血の一つでも出すのが礼儀なのでは?」
「こんなおっさんを捕まえて、君は何を期待しているのか。それほどまでに自慢なら、ホルガーやモルタたちに見せてやればいい。ロースあたりは喜ぶぞ」
ご冗談を、と透子は笑った。
「女を無駄撃ちするのは愚行です」
「なら、今は無駄撃ちではないと?」
「もちろん、相手は魔王様ですから」
「……なるほど、では魔王らしいことでもしてみようか」
言うや否や、魔王は透子の方に振り向くと、透子の細い顎を右手で軽く持ち上げた。
「へ?」
言葉をなくす透子に、魔王は躊躇いなく顔を近づけてくる。
浅黒く日焼けした肌。紅玉のような瞳は透子の何もかもを見透かすように、怪しい光を放っている。まるで蛇に睨まれた蛙のように、透子は身動きを取ることができない。
「あ、あわわ……」
思えば、これまで自分に言い寄ってくる男はいたが、ここまで接近を許したことなどなかった。ましてや相手はダンディズム溢れる二枚目。透子の頭が真っ白になるまでに、全く時間はかからなかった。
身につけているものと言えば、頭に乗せたタオルくらい。その最後の砦すら、顎を持ち上げられたはずみで湯船に落ちてしまった。身を守るものは何もない。
紅玉の瞳がさらに近づき、お互いの吐息を感じるか否かというところまで来たとき、
「……冗談だよ」
魔王はお決まりのダンディスマイルを浮かべた。透子の顎から手を離し、再び背を向ける。
「ふぁ……?」
「耳まで真っ赤にして、可愛らしい〝女の余裕〟を見せてもらった。それに免じ、魔王を誑かした罪は不問にしてあげよう」
からかうように言われ、ようやく透子は我に返った。激しく水音を立て、魔王から距離を取る。
「っ~! かっ、からかいましたね」
「先にからかったのは君だろう?」
「……人が悪いです」
鼻までお湯に浸かり、透子はあぶくを吐いた。頬の上気は全く収まらない。
対する魔王は、「悪魔だからね」と余裕綽々に笑った。
「でも、もし仮に僕が色仕掛けに引っかかっていたらどうしたんだい? 僕も男だ。狼の素質はあると思うけれど」
魔王は冗談めかして言う。
信じてましたから、と透子は小声で返した。
「相手が一児の父だったもので。それに、会って三日の怪しい女に浮気するほど、人間ができていないようには見えませんでしたから」
「悪魔の王に人間ができている、か。よく言うよ、存在を忘れていたくせに」
「仕方ないじゃないですか、この城に来たとき以来、全く会わなかったんですから」
「それこそ仕方ないことだよ」魔王が苦笑する気配がした。「何しろ農業の朝は早いし、ほぼずっと外にいるからね」
「食事のときくらいご一緒してもいいのでは? それとも、身分の高い方は別で召し上がるのですか?」
「そんなことはない。僕はエーファと一緒に食べてるんだ」
「エーファ様と?」ようやく透子は本調子に戻った。「そう言えば、エーファ様も自室で召し上がっているようですね。なぜです?」
「エーファから聞いてないのかい?」
何も、と透子が答えると、魔王は押し黙ってしまった。透子も何を言っていいかわからず、ただライオンの口からお湯の出る音だけが響く。
しばらくの沈黙の後、
「エーファに聞いてみるといい」
教えてくれるかはわからないが、と堅い声で魔王は言った。その一言に一抹の寂しさを覚えつつも、聞かれたくないことなのだと、言葉尻から推察するのは容易かった。
「君は……」
あまり間を置かず、魔王はそれだけを口にした。言葉の途切れた先を探すような気配が透子に伝わってくる。話を変えようとしているのは明白だった。
「トーコと言ったね、君の目的は何だい?」
結局、魔王はそう言い直した。
「目的?」
「そう、目的だ。君からはまだ、ここで働きたいということしか聞いていない。その先に何を見てる? 何を目指している?」
「私は……」
途切れた言葉の先。次は透子がそれを探す番だった。いや、答えは決まっている。どう伝えればいいのか。
結局、悩んだのは少しだけ、偽ることはしなかった。
「あなたを退け、私が魔王になる」
魔王が肩越しに振り向く。紅い瞳が、湯気の向こうで不気味に輝いた気がした。数秒だけその瞳を真っ向から受け止め、透子は視線を逸らす。
「……そう、考えていました」
「今は違うと?」
紅玉の輝きが、少しだけ柔らかくなった。
はい、と透子は苦笑でもって返事をする。
「疑わないのですか?」
「もし今の言葉が嘘なら、そもそも初めから疑われないような言葉を選ぶべきだ。そして君は、それがわからないほどバカじゃない。だろ?」
「ふふ、違いありません」
見た目は単なるダンディなおじさまだが、小規模とは言えさすがは一城の王。真偽を見抜く洞察力、そして自分を弑すると言われても取り乱さない器の広さは非凡である。いや、後者は余裕とも言えるだろうか。
何にせよ、透子は改めて魔王の〝強さ〟を思い知った。
「それで?」
気を遣っても無駄だと悟ったのか、魔王は湯船の縁に背を預けた。透子とは数メートルの間隔を開け、横に並ぶ形になる。
「それでとは?」
透子はちらりと魔王を盗み見た。お湯が濁っているので、その中の様子は見えない。いや、特に残念でも何でもないのだが。
「とぼけないでくれ。僕を弑すのはやめたんだろう? なら、他の目的があるはずだ。それを聞きたい」
「それは――」
透子は両の手のひらでお湯をすくった。乳白色のそれは、指の隙間から逃げ出していく。指に力を入れると、少しだけ手のひらに残った。
透子は顔を上げる。徐々に量を増し、視界を狭めてきた湯気の向こうに、ここにいるはずのない少女が、一瞬見えた気がした。
そう、これは、自分自身に対しての決意表明だ。
短く息を吸い、透子は言った。
「――エーファ様を、幸せにすることです」
強い覚悟。
それをはっきりと魔王は感じた。二十四、五そこらの小娘が、どんな生き方をすればそんな声が出せるのか。
その疑問と同時に、透子とエーファは会ってからまだ三日程度のはずだ。エーファの体質すらまだ知らないと言う。そんな薄い関係のはずなのに、どうしてそこまでの覚悟がもてるのか、魔王は不思議に思わざるを得なかった。
そんな魔王の気配を感じたのか、透子はさらに言葉を紡ぐ。
「私には、妹がいました。エーファ様は、その妹にそっくりなんです。もちろん、ただの他人の空似であることはわかっています。ですが、錯覚とは言え一度亡くした人に出会った。出会うことができた。その奇跡を、その感動を、言葉で表現できないことが歯がゆくて仕方ありません」
「肉親でもない、ただの他人の空似のために、自らの人生を使うと?」
「その通りです。元より、妹を亡くした時点で私の人生は終わったも同然でした。ですがこうして、新たな意味を見出すことができたのです。それをどうして惜しむことができるでしょう」
「……ふむ」
魔王は腕を組んだ。そして目を閉じて沈黙すること数秒。
「あいわかった、信じよう」
大きくうなずいた。額や顎から、汗が湯船に滴っていく。
「し、信じるんですか?」
「そんなに驚いた顔をしなくてもいいだろう。何だ、信じてほしくないのかい? 今のは嘘だったと?」
「い、いえ、そんなことはありません。紛れもない本心です」
「ならそれでいいじゃないか。せっかくこうして、お互い素っ裸で話をしてるんだ。疑ってかかっては興が冷める。違うかい?」
ダンディスマイルを浮かべる魔王に、透子は毒気が抜かれる思いがした。思わず深い息が漏れてしまう。
「ため息は幸せが逃げるよ」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「僕のせいって聞こえるけれど」
「そう言ったんです」透子は恨みがましい目を向けた。「最初に、魔王になるって言ったときから、私はそれなりの覚悟をしていたんです。それなのにこうも受け流されては、立つ瀬がありません」
それは悪かった、と魔王は笑う。そして、透子に向ける目を少しだけ細くした。
「だが、受け流しちゃいないよ」
「それはどういう――」
「二秒だけ、あっち向いてくれるかい?」
「え?」
一瞬呆けたが、魔王が立ち上がろうとしているのを悟り、透子は慌てて目線を外した。
「はっはっは、耳まで真っ赤だよ。男慣れしてるってわけでもないんだね」
きっかり二秒。目線を戻すと、魔王は腰にタオルを巻いていた。透子は恥ずかしいやら情けないやらで何も言えない。結局、意識していたのは自分だけ。魔王は透子を意識していたわけではなく、始終気を遣ってくれていただけだった。
魔王はもう上がるつもりらしい。湯船から出たが、そこで一度立ち止まった。そのまま振り返ることなく、言う。
「エーファはその体質故、これからも色々と大変な目に遭うだろう。――どうか、支えてやってほしい」
腹の底に響くような、重い声音だった。そこに込められているのは、威厳ではなく至誠。魔王としての言葉ではなく、言うなれば、一人の父親としての言葉。透子にはそう感じた。
「私の心は決まっています。命に代えても」
「頼んだよ」
そう言って、魔王は浴場を出て行った。
拳を握りしめ、透子は呟く。
「必ず守ります。……今度こそは」
その呟きは、湯気の中に溶けていった。




