それぞれの役割
記念すべきエルミタージュの初公演が終わった。
思いがけないハプニングはあったものの、ベルの機転で何事もなく乗り越えられた。
『公演が終わっても、自分の中で勝手に終わりと感じるんじゃないよ。ある意味、そこからが本番だね』
ベルは公演前にそう話していた。シノンとカシスも、その言葉の意味がよく分かっていなかった。
しかし、どっぷりと日も暮れた、レイナレスの町のとある酒場の一角。
まさにカシスは、あの言葉の意味をひしひしと感じ取っていた。
「勘弁してくださいよぉー、ベルの姉御ぉ!」
「何だ、もう降参かい? 全く、ここの町の者は酒に弱いねぇ」
「おいねーちゃん! ワシはまだ酔っちょらんぞう!!」
ぎゃははと愉快に笑い、既に酔っている初老の男性が、無謀にもベルに飲み比べを挑んだ。
琥珀色の明りに包まれる酒場は、町長のご好意で貸し切りとなっている。一座のために宴会を開いてくれたのだ。
町長の呼びかけに応じて来てくれた町の大人は、最初こそ見慣れない大道芸や手品を見せてくれたベル達を労っていたが……。
(……あれを『どんちゃん騒ぎ』っていうんだね)
そんなシノンの言葉を聴きながら、カシスは酒場のカウンターでちびちび水を飲んでいた。
大人は夜に“酒”という嗜好品を飲み、一日の疲れを癒すとは本で読んだことがある。
しかし実際に見るとまさにそれは“宴会”で、酒に飲まれた大人が夢を見て遊んでいるようにも見て取れる。
そしてベルは酒に強く、ウワバミということも分かった。いつの間にか始まった飲み比べで、何人もの大人を酔い潰している。
「カシスちゃんって言ったっけ?」
不意に話しかけられ、カシスは振り向く。そこには料理を運んできた、恰幅の良い酒場の女性料理長が立っていた。
「悪いねえ、せっかく旦那が開いてくれたのに、一人蚊帳の外になっちゃって」
「いえ、お気になさらず」
「シノン君も来れれば、少しは楽しめたでしょうに」
シノンは公演の疲れが出て、先に宿屋で休んでいるとベルは理由を付けていた。なぜカシスではないのかというと、実際演目の大半を活躍したのはシノンだ。そして本来カシスは、この町に居る間は表に出ないはずだったが、あのハプニングの所為で存在が知られてしまった。
それらを踏まえ、宴会に出るのはカシスだと判断したベル。お蔭で沢山の人と慣れ合うという事を知らなかったカシスは、慣れない賑やかさを一人眺めていたのだ。
「これも社会勉強ですから……」
「そんな固いこと言わずに、カシスちゃんもこっち来て飲まないかい!?」
「子どもに酒を飲ませるんじゃないよ、アンタ!!」
そう町長は叱咤され、縮こまってしまう。妻には敵わないようだ。
「まあせっかく来たんだし、たんと料理も食べてよ! 名所は無いが、この町の近くの山で採れた山菜は美味いよお! 何なら、放し飼いにしてあるニワトリ料理も!」
周りの自然が豊かな町として、知られているレイナレス。都会の暮らしに疲れた人が移住してくるとも聞く、のどかな町だとベルは教えてくれた。
そんな町の密かな名物だという、町長夫人の田舎料理。バターの香り漂う山菜のソテー、トマト汁を吸ったゴロゴロとした具の入ったラタトゥイユ、あっさりとしてそうな鶏肉団子とセロリのスープ……といったようなラインナップが、テーブル上を賑やかに占めている。
「色々食べさせていただきました。どれも美味しかったです……特にこれが」
そう言って皿を出し、食べかけのオムライスを見せるカシス。バイキング形式だったため、あらゆる料理を少しずつ食べていったカシスだが、これが一番美味しいと感じていた。
「それはこの町の子どもにも大人気のメニューなのよ。自慢の鶏肉と玉ねぎ、完熟トマトをふんだんに使った」
「料理長ぉー!!」
なにやら若手のコックが、慌てて厨房から出てきた。
「どうしたの!?」
「そ、それが! 新人にオムライスを任せたのですが、よくよく聞くととんでもない間違いを!」
若手コックが言い終わる前に、スプーンでオムライスをすくい食べる料理長。
「むむぐっ……!」
口を手で押さえたかと思うと、すぐさま厨房へ向かった。少しして口元を拭いて出てきたところを見ると、はき出してきたのだろう。
「……何を間違えたの?」
「隠し味のタバスコを入れる分量を忘れて、普段の10倍に……極めつけは、オリーブオイルと間違えて大量のお酢を使ってまして……」
酒を飲む大人は、炭水化物のような主食よりおつまみのような料理を好む。そんな場に子ども向けのオムライスがあるのは、明らかにカシスのためであって、勿論カシス以外に手を付ける者はいなかった。
「カシスちゃん、その、ごめんなさい! 最近入った新人コック、悪い奴じゃないんだけどドジっ子で!」
「典型的な味付けも好きですけど、変わった味付けは好みなので問題ないです」
謝る料理長に、さらっとそんなことを言うカシス。
よくよく見ると、平然な顔をして例のオムライスを食べている。
料理長はおろか、酒に酔っていた周りの大人達も唖然としていたため、ベルは付け加えた。
「この子、味覚が一線を越えているんだ。別に無理して食べているわけじゃないよ」
カシスは、自他共に認める味音痴だ。
それはシノンもよく知っている事であって、孤児院の頃からあまり美味しいものを食べてこなかったシノンでも、カシスの味覚はおかしいと思っている。
考えてみれば、痺れ薬入りパンを何の疑いも無く食べれたのも、またカシスが変な味の食べ物を持ってきたと思って終わった訳で。
「……料理長」
「ええ、あれを持ってきて」
そう言われて厨房へ戻り、持って帰って来た若手コックの手には、黒い飲み物。気泡が出ている見たことも無いもので、もしかして炭酸飲料というものか、とカシスは思った。
「これ、例の新人コックが考えたコーヒーの炭酸割りなのよ。インパクトは強いんだけど、周りには不評で……」
そう料理長が言っている最中、カシスは若手コックからコップを受け取り、何の躊躇いもなくそれを飲んだ。
一口飲んで、一瞬間が空いた。
「……お、美味しい!」
(うそぉっ!?)
今まで大人しかったカシスが、初めて大声を上げて感情を出した。
その様子に「おおー!」と周りも感心した声を上げ、再び場は賑やかな雰囲気に戻った。
「結果オーライじゃないか、良かったなあ!」
「いやアンタ、よくよく考えてみれば失敗作を食べさせているわけで……」
「カシスちゃんが喜べばそれでいい! さあさあドンドン飲んでお食べ!」
それからは、飲み過ぎは良くないという町長夫人の静止が入り、飲み比べはお開きになった。その代わり、ベルは若い男に口説かれたり、色々な人に手品の仕掛けを聞かれたりしていた。勿論後者はタブーで教えはしなかったが、コインを瞬間移動させたり、持参したトランプで余興をするなど、所謂テーブルマジックを披露し大人達を驚かせた。
カシスはカシスで、今では彼女用となったオムライスと炭酸割りコーヒーを食しながら、中に入っているこの山菜は何か、この季節の山菜ということは備蓄なのか、といった質問をしていた。基本はシノンが疑問に思ったことを言い、それについて深くカシスが質問するといった形であった。
こうして、初演の夜は更けていく。
「お疲れさま、カシス」
酒場を出たベルは、カシスにそう労った。
宴会は日を跨ぎそうな勢いだったが、明日にも町を立つ準備をしなければならないということで、程よいところで終了した。片付けも手伝おうとしたが、客人ということで一足先に帰らせてくれた。
「社会勉強という意味が、ひしひしと伝わった」
「意外とカシスも楽しめたようで良かったよ」
(いーなー、僕も出たかったなぁ)
内なるシノンがそう愚痴った。彼は明日の朝まで出てくるのは禁止されている。
(最初はびっくりしたけど、大人になってもはしゃぎたい気持ちってあるんだね。僕らの中でのイメージの大人って、もっと厳格で固いイメージだった)
「本で得たイメージだけどな。周りにはロクな大人はいなかったし」
「これからもっと、自分のイメージを覆すような事が起きるさ。それが良い事であれ悪い事であれ、必ず自分の身になるからね」
人通りもまばらな、夜の町中。灯りも少なくなって、すっかりお子様は寝る時間だと分かる。
静かに道添いを歩いていると、ベルは急に立ち止まった。
「どうした?」
「忘れ物をした……先に宿に戻っていてくれるかい?」
「分かった。道はここを通って左の路地を行ったところだな」
道のりを確認したカシス。ベルは安心して、酒場へと来た道を戻る。
カシスも早く宿へ行き、明日に備え体を休めようと歩みだした。
日中は割と暖かかったが、やはり夜になると冷え込んでいる。
星空が澄む季節だなと、カシスは空を見上げシノンとそんな話でもしようかとした。
「――君が、カシスちゃんかい?」
急に声をかけられ、驚き振り返るカシス。視線の先には、知らない男。
恐らく、酒場の中には居なかった男。一見すると素面のようで、酒の匂いもしない。
「驚かせて悪いね。実は僕、今日町に来たばかりの旅のもので……旅芸人一座に、黒髪の紅い眼をした、可愛いピエロがいたって噂を聞いてね。もしかしたらって思って、声をかけたんだ」
そう言い、カシスをまじまじと見回す男。
(……見るからに怪しいよカシス。逃げた方がいいって)
「一体何ですか……私、明日は早いので、早急に休もうと思うのですが」
「大丈夫だよ、すぐ休める」
男が不敵な笑みを浮かべた、その時だった。
カシスは背後に気配を感じ、振り返りもせず蹴りを入れた。
「がっ……!?」
背後にいたのは、大柄な男。丁度急所を蹴られ、その場へ倒れこんでしまう。
カシスは逃げようとしたが、宿屋へ行く道は声をかけられた男によって塞がれている。仕方なく、すぐ横にあった細い路地に入った。
一目散に逃げていくカシス。
(何なの!? あのおじさん達誰!?)
「さあな! だが間違ってもお前は出て来るな、事態がややこしくなる!」
目についた道を、当ても無いまま走り抜け、どうにか怪しい男達を撒こうと必死になって走るカシス。
夜の静寂の中、彼女の駆ける音だけが、町の中を響かせる。夢中になって、路地という路地を走り抜けた。
しかし、暫くすると木材や木箱が置かれる行き止まりに着いてしまう。慌てて戻ろうとするが……
「はあっ、はあっ、いっちょ前に逃げやがって……!」
あの男が一人、息を切らしながらカシスに追いついてきた。
「ふー、大丈夫だよカシスちゃん、怖がらなくて。君みたいな珍しい眼の子は、高い値がつくんだ。あの女が都合よく去ってくれて、こっちとしては大助かりだったのに、あまり手間をかけさせないでくれ」
「その女とは、私のことかい?」
「そうそうお前……うわぁ!?」
何の予兆も無く、突然目の前に現れたベル。
「おおっ、おまおま、いつの間に!?」
「ベル!?」
「悪いねえ、あの大男を縛っていたら、ちょっと遅くなってしまったよ」
一体どう手順を踏んで、ここへすぐに来れたのか不思議でならない。酒場からすぐ戻って来たとして、怪しい大男を見かけて、一瞬で事態を察したとしても。闇雲にカシスが走った道順まで辿ることなんて、到底できないはずだ。
「さーて、あの男から事情は聴いたよ。各地を旅する人身売買さん」
加えて、カシスまで知らない事情まで突き止めている。一緒に過ごすにつれ、ベルの謎は深まるばかりだと思わざるを得ないカシスであった。
「大男は町長に身柄を渡し済みだ。あとはお前さんだけだよ」
(どこまで事前準備ばっちりなんだろ、ベルさん……)
「うわあああああっ!!」
ベルの言葉に気が触れた男は、彼女に向かって突進してきた。
咄嗟にカシスを守ろうとした所為もあって、それに避けきれなかったベル。
ドスっという、鈍く嫌な音。男はベルの腹に、手で持つ何かを食い込ませていた。
「ベル!!」
カシスの嫌な予感は、的中した。
よろめき、男から離れたベルの腹部に刺さるのは、月明かりに照らされ鈍く光る、ナイフ。
男は我に返ったのか、はたまた人を刺したことに恐怖でも感じたのか、またも大声を上げてその場から立ち去ろうとした。
しかし、逃げようとした視線の先には、先ほどまで誘拐対象だった少女―――カシスがいた。ついさっきまでベルの横に居たはずであり、男は困惑して立ち止まった。
「逃がすか……!」
カシスは、左手を振りかざした。
その手から見える、紅い、幻のような、靄のような――大鎌。
男の心臓を掠めて、尻餅をついたその時だった。
立てかけてあった木材が、偶然にも支えの糸が切れて、大きな音を立てて連なり倒れていく。
辺りが、石畳と木材のぶつかり合う轟音で占められていく。潰された男の断末魔は、誰にも届かない。
(今のは……!?)
シノンの言葉で、カシスも我に返った。すぐさま左手を見たが、紅い大鎌は見当たらない。
やがて木材は全て倒れ、再び静寂に包まれる。
「運がいいのか、悪いのか、だねぇ」
またもいつの間にかそばに来ていた、ベルの声に驚くカシスとシノン。
「ベル! お前、大丈夫なのか!?」
(そうだよ! 刺されたんでしょ!? 早く病院行かなきゃ!)
「早とちりするんじゃないよ。ほら、この通りだ」
そう言ってベルが見せたのは、男のナイフが突き刺さった、シックな模様のラッピングがしてある箱。どうやら刺された箇所に、この丈夫な箱が入っていたらしい。
「このお蔭で、どうにか貫通せずに済んだよ。それよりも……」
ベルには、孤児院の大人達を殺した力のことは、話していない。
単純に話す機会が無かったのもあるが、この力についてシノンとカシスも知らない面が多々あったのも一因している。
ベルのことだから、勘付かれたか。
観念し白状しようと思ったのも束の間、何やら声がしてきた。
「おや、町長達が音を聞きつけて追いついてきたようだね」
そう言うと、町長を含む複数の町の人が、こちらへ駆けつけてきた。
「カシス達は先に宿へ。今日は色々あったし、ゆっくり休みな」
そう言われたところで、ゆっくり休めるはずもない。
むしろ目は冴えてしまっている。
町の人が案内してくれた宿の部屋の中、腕を組みながらベットに座っている。いつの間にか変わっていたシノンは、悶々としていた。
(……今までの状況を、整理しよう)
カシスは冷静にそう発するが、恐らく一番動揺しているのは彼女だろう。
(まずこの力は、今の所私にしか使えない。秘密の部屋の時は記憶が無いが、孤児院の外と今回のは意識がはっきりしていた。共通して言えることは……)
「皆、何らかの理由で死を迎えている……」
カシスが心臓を掠めた人物が、偶然のような、それでいて不自然な死に方をしている。それをこの目で、二度も見た。加えて今回は、新たな現象もあった。
「……あの時の、紅い鎌は何だったんだろう」
(さあな……でもこれじゃ、私はまるで“死神”だな)
死神。
本でシノンは知っていた、人を死に誘う神の総称。
(……決めたよ)
「何が?」
(私は……この死神のような力で、シノンとベルを守るよ)
突然のことに、返す言葉を失うシノン。
(シノンが手品をやると決めた時点で、私も何かしらの役割が無いか、ずっと模索はしていたんだ。この力を使って、今後一座を脅かすような存在があれば……)
「それって、人を殺すってことでしょう!? 駄目だ、いくら僕らのためとはいえ、カシスがそんな事をする必要はないよ!」
(前向き馬鹿)
またもシノンを馬鹿にする代名詞を言われ、さすがの彼もムッときた。
(じゃあ、今後似たような状況に陥ったらどうする。あのベルでさえも危険に陥る状況だ。実際、私の力はそんな場面で役立ってきて、今こうしていられるじゃないか。世の中綺麗事ばかりじゃ、生きていけない)
「だからって……!」
シノンは感じていた。
カシスが少々、自棄になっていると。
元々、自分が殺したと分かった時点で、あんなに動揺していたカシスだ。そんなカシスが、自ら進んで人殺しを請け負おうとしている。
何とかして止めたい、シノンの気持ち。
しかし、カシスの決意は、それを上回るほど固い。
両者の思いは、何も言わずとも伝わってしまう。
「おや、まだ寝ていなかったのかい?」
そう言い、ベルが部屋に入って来た。恐らく今まで町の人に、あの事件の状況を説明していたのだろう。
「丁度いい、これをお前たちに」
ベルが差し出したのは、ナイフの攻撃の盾代わりとなった、すっかりひしゃげた丈夫な箱。
包みを開けると、一つのアクセサリーが姿を現した。
「ベルさん、これ……」
「無事初演を乗り切ったご褒美」
優しい笑顔を向け、ベルはアクセサリー……チョーカーを取り出す。黒いサテンのような布に、シルバーの月とゴールドの星を模した飾り。そっと、ベルはシノンの首元に取り付けた。
「ま、私はお前たちのやることに、とやかく言わないよ」
何もかも見透かされたような発言に、シノンとカシスも驚いてしまう。
「何だい、何で知ってるのかって顔して。別にお前たちの会話が聞こえたわけじゃない」
(典型的な下手な言い訳だぞ)
「いや、ホントに。私が知っているのは、あの人身売買の男の死……あれが偶然じゃない事くらいだ」
十分知っているに近い、と二人は同時に感じていた。
「世の中、危ない事も多い。ましてや、私達の境遇が境遇だ。自分の身を守るためなら、多少の覚悟はしなければならない。だけど……」
ポン、と、ベルはシノンの頭に手を置いた。
「それを一人で抱え込むことだけは、厳禁だ。何のための一座、仲間だと思っている。苦しい時は、さらけ出して、感情を吐露するくらい仲間に打ち明けな」
そう言って、ベルは部屋を後にしようとする。
「私から言えるのは、それだけだ」
バタンとドアが閉められ、ベルが自分の部屋へと向かう足音が、小さくなる。
暫くの間、二人は何も言えなかった。
「……カシス」
ようやく話を切り出したシノンは、部屋のランプを消し、寝る準備に入っていた。
「このまま話しても平行線だって、僕は思っているけど、それだからってカシスの役割には賛成しない」
(好きにしたらいい)
「あと、感じた事」
布団をかぶり、シノンは呟いた。
「あの人には、到底敵わない気がする」




