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Ermitage~エルミタージュ~  作者: 橋空ミクノ
第二章~団員事情~
8/14

Opening day

石畳の大通り。左右に建ち並ぶ、木材や石材で出来た建物。

時間帯は午後前。それなりに人が通るこの通りに、鮮やかで賑やかな色や絵で塗られた、大きな移動小屋が停めてある。


「ママ!! 見て見てお馬さんがいる!」

「おや、何かやるのかねえ」


その派手さが功を奏して、道行く人々は必ず移動小屋に目を留める。

移動小屋の中央には『エルミタージュ』、ベルは隠れ家の意味と教えてくれた、一座の名前がでかでかと存在感を放っている。


(成程……あれで宣伝効果も期待できるのか)


カシスは感心したようにそう呟くが、シノンはそれどころではない。

移動小屋の陰に隠れ、中から出してきた小さな座椅子に座り込み、俯いてブツブツ何かを呟くシノン。

以前の埃のような服からはおさらばし、ベルが見繕った茶色と黒のリバーシブルジャケット、真新しいジーンズを着用。長い髪は後ろで縛り、ボサボサとした質感はベルにセットされたことによって、多少の外跳ねを残すまでに落ち着いた。


恐らく孤児院関係者が見ても、一発では気付かないほどに身なりを整えている。


「待たせたねシノン」


シノンは驚いて転倒する。ベルがまたも気配を消していたのだ。


「べ、べべべベルさん! あれほど僕を驚かさないでって何度も!」

(いや、さすがに今のは驚き過ぎだろう……)

「悪いねぇ、つい癖になってて」


そう言うとベルは、持っていた木箱を目の前に置いた。

中には色とりどりの小さなゴムのようなものと、銀色の缶が十数本。そして分厚い、黄緑色の紙束。


「今から急ピッチで作って、配りまくるよ」

(風船にヘリウムガスボンベ、か?)

「あ、本で見たことある。たしかヘリウムか水素っていう気体で、風船が浮かぶんでしょ?」

「正解。まあ水素は安価だが危ないから、今から使うのはヘリウムガス。このように膨らましたら……糸を付けて、このチラシを結びつける……っと」


ベルが手慣れたように、一個の風船を作り上げる。糸の下に取り付けたのは、先ほどの紙束から取り出した、黄緑色のチラシ。


本の装飾のような、綺麗な線で縁取られたチラシには

『~旅芸人一座エルミタージュ~

 結成されて間もない我らは

 貴方の町に足を運びました

 麗しき団長と

 駆け出しマジシャンによる

 一日限りの夢を貴方に―――』

……と、書かれている。


(麗しき団長……)

「駆け出しマジシャンって……」


一目で自分達とベルのことだと見当はつく。


「そんな目で見ないでおくれよ。それを書いたのは私じゃない、知り合いだ」


一体いつの間にそんなものを作ってもらったのか、シノンは質問をする間もなく、チラシの束をベルに手渡された。


「風船は私が膨らますから、シノンはチラシを取り付けておくれ。さあ、急がないとあっという間に明日になるよ」

「……明日って」


シノンの血の気が、サアッと引くのが分かった。


「町長との話はついた。ここには娯楽がないから快諾してくれたよ。場所はここの中央広場…」


そんなシノンの心境もお構いなしに、ベルは続けた。


「明日がエルミタージュの初演だ」









ベルと出会い、彼女の一座で働くことを決めてから、特訓という名の修練の日々が始まった。

まずはシノンの社会勉強。文字や基本的な勉学は、孤児院の書物を漁ったりカシスに教えてもらったりしていた。

しかし、この前までチョコレートを知らなかったのだ。必要な知識が最低限揃っていても、世の中生きていくスキルから一見無駄とも思える知識も必要だと考えたベルは、手品の前に色々な事を叩き込んだ。


何でも興味を持って取り組むシノンに、何故かシノンが幼い頃から博識だったというカシス。二人の吸収は早く、ベルは一週間も経たない内に手品の特訓をカリキュラムに入れた。


「流石に早いのではないのか?」

「いつまでもお前達二人の勉強には力を注いでやれないのさ。ま、社会勉強はこれから公演していく内に色々学べるだろうしね」


手品の練習に入る際、カシスとベルはこう話していた。


「一座の目的を忘れてもらっちゃ困るんだよ……メンバーはまだ少ないが、それでも公演はしていくつもりだからね。暫くの間特訓して、即戦力になってもらうよ」

「で? で? 僕はどんな手品をすればいいの?」


いつの間にか変わっていたシノンは、浮き立つ心を押さえられずにいた。


「シノンにやってもらうのは、手品だけじゃないよ―――」







(……シノン……シノン!!)


ハッと気が付いた時には、シノンは鏡の前に居た。

視界に映るのは自分で、赤を基調としたストライプのジャケット、太もも辺りが膨らんだゆったりしたズボン、頭には二股に分かれた星模様の帽子。

そして鼻には、赤い丸い付け鼻。

本の挿絵で見たことのある、道化師の格好そのものだった。


「……ゴメン、思いっきりボーっとしてた」

(ベルに誘われてからの一ヶ月を無駄にする気か? 少しは気を引き締めろ)

「わーん! 緊張が更に増すじゃないかぁ!」


実際泣いてはいないが、道化師特有の涙模様のペイントがあるため、本当に悲しんでいるようにも見える。


(これまで沢山練習してきただろう? ベルも一応、シノンの技量が基準に達したから公演を決めたんだ。もっと自分に自信を持て)

「カシスは出ないから、楽に言えていいよねえ」

(姿が変わって、客に不審がられるのもまずいから、客前に出るのは一人だけって決めたのはベルだ。そして一番手品をやりたがっていたのはシノン。私を責める理由などあるのか?)


返事の代わりに深いため息を吐くと、そのままシノンは深呼吸をした。

パシっと頬を程よく叩く。顔は白塗りされるかと最初は思っていたが、塗料がもったいないとの理由で涙のペイントだけで済んだ。そんな自分をマジマジと見る。


「準備は出来たかい?」


光沢のある派手な緑のドレスに身を包んだベルが、ドアを開けてそう問いかけた。


「は、はいっ!!」

「じゃあ、リハーサル通りに頼むよ!」


ベルは力強く言葉を発し、そのまま客の集まる中央広場へと歩みだした。


「ようこそお集まりくださいました! レイナレスの町の皆さま!!」


晴天の照明、黄緑の芝生を舞台に、ベルが観客の前に姿を現す。手から何かをはじき出すかのように、小さな爆発と紙吹雪が両手から放たれた。タイミングの良いところまで気配を消していたので、突如として現れた美女に観客も驚き、すぐさま拍手が巻き起こった。掴みは成功のようだ。


決して多いとは言えないが、ベルから見れば初日にしては上出来な客の入りだった。子どもから大人まで、娯楽がないと言っていた町の人々は、昨日配られたチラシ付きの風船を手に期待の目で見入っていた。


「私は旅芸人一座エルミタージュの団長・ベル! さあ、前置きは程々にして、皆様を一日限りの夢へと誘いましょう!」


ベルが甲高い指笛を鳴らした。

するとどこからともなく、四方八方から白いハトが十数羽、舞台セットの役割を果たしている移動小屋目掛け、飛んで来た。日頃の訓練が良いのか、ハト達は客の目の前すれすれを通り、見る人を驚かせる。


観客の目がハトへと向かっている隙に、ベルはバイオリンを用意した。滑らかな音色の、軽快なリズムの音楽と共に、移動小屋の後ろからシノンが現れる。


「あ! ピエロさんだー!」


わぁっと客の歓声が上がり、シノンの緊張は最高潮になる。

大玉に乗りながら登場したシノン。その顔は笑顔だが、実はすごく引きつっている。


『客には不安を悟らせるな。完璧に演じるという夢を見せるんだよ』


そんなベルの言葉が不意に蘇る。不安定な大玉の上、シノンは満面の笑みで子ども達に手を振った。

嬉しそうに手を振り返す子ども達。

シノンはその笑顔に励まされ、一層気を引き締めた。


いつ落ちるかもわからない大玉の上で、シノンはどこからともなく小さなボールを出現させた。

ブンっと、宙にそれを投げたかと思うと、またボールを出現させ、投げ、また一個投げ、手に戻ってくるころには、見るものをハラハラさせるジャグリングとなっていた。


拍手が巻き起こる。道化師は余裕でやってこなしてると思わせるのが、夢を演じる基本。実際はいっぱいいっぱいなどと悟らせたら、客は現実に戻ってしまう。


そんな興奮さめ上がらぬ内に、音楽を終わらせたベル。何事かと観客が彼女に注目すると、数本の模造刀を出現させた。


それを迷いなく、シノンに放るベル。しかしシノンは、それをひょいと避けてしまった。


おや?と観客が思うと同時に、ベルも首を傾げた。怪訝な顔で、もう一本の模造刀を放り投げる。しかしシノンは悪戯めいた笑みを浮かべ、それを避けてしまう。


どうやら、道化師は団長をからかっているようだ。

そう観客が気づき始めたのも束の間、ベルは勢いよく模造刀を投げつけ、シノンのおでこに柄が激突した。

わざとらしく、それでいて大げさに、シノンは大玉から落ち尻餅をつく。

お尻を擦り痛がり、顔を膨らませてベルに抗議するジェスチャーを見せる。

観客から、笑いが巻き起こった。


ベルは謝罪の代わりに、一本の尖った棒をシノンに手渡す。

これは、何かな?

ブンブンその場で振り回したり、カンカン地面を叩いたり、その棒をどう使おうかと模索するシノン。

すると何かを思いついたようで、棒を脇に抱えポンと手を叩く。


今度はベルの手から風船が出てきて、それをシノンに手渡す。

迷いなくシノンは、その棒で風船を割った。

この棒は、風船が割れるぞ。

そう観客に見せつけた所で、シノンはすぐ傍にあった大玉を持ってくる。


まさか、という客の不安は、的中した。


シノンは大きくと振りかぶり、棒を大玉に突き刺した。

慌てて耳を塞ごうとする客だが、大玉は破裂してしまう。


―――破裂と同時に、無数のハトが、中から飛び出て来た。

最初はベルが呼出し、中央に向かって飛んでいたハトが、今度は拡散するように外側へ飛び去っていく。


驚く観客をよそに、シノンは笑顔でお辞儀をした。

大きな拍手喝采に、辺りが包まれる。


これで、自分の演目は終了だ。

そんな安心感など間違っても外には出せないが、ほっとする気持ちは抑えきれない。

ベルと目が合い、行ってもいいよと顔で合図される。

観客に手を振りながら、シノンは笑顔でその場を立ち去ろうとした。


その時。


飛行を誤ったドジなハトが一羽、シノンの顔に激突した。

勢いでその場に転ぶシノンに、観客はまたも笑い出す。

突然のアクシデントに、さすがのベルも驚いた。しかしどんなアクシデントも、客にとっては演目の一部。普段通り取り乱さずにいたが、ふとシノンを見ると―――


徐々に、髪が黒く変化していた。


恐らくシノン達は、入れ替わっていることに気づいていない。


ベルはすぐさま、ドレスの裾を豪快に破り、またも観客を驚かせた。

ちょっとしたマント大に破られたドレスであったものを、瞬く間に道化師に被せる。

頃合いを見て、ベルは指を鳴らし、覆っていたものを剥がした。


「おおおっ!!」


観客が驚きの声を上げた。

そこには銀髪の道化師だったものが、黒髪の道化師に変わっている。

短時間で髪を染め上げたとは、考えにくい。


「さあ自己紹介が遅れました! 先ほどまで素敵なマジックを披露してくれたのはシノン! そして彼に変わって登場してくれたのは、双子の妹のカシス!」


一体何が起こったのか、状況が呑み込めないカシスをよそに、観客は拍手を送っている。


「さて、楽しい時間はあっという間! これにて私達の公演はお開きでございます!」


またもベルの手から、紙吹雪がはじけ飛ぶ。今度は金銀のキラキラした紙吹雪入りだ。


「それでは皆さま、夢の続きはまた会う日まで――」

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