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Ermitage~エルミタージュ~  作者: 橋空ミクノ
第一章~邂逅~
6/14

真相

「うあああああああっ!!」


シノンの絶叫。


真っ白になったはずの意識に、色が戻った。

無くなったはずの感覚に、暑さと寒さが襲った。


小刻みに震え、息も荒い。

いつの間にか立っており、体の自由が戻っている。


視界に広がるのは


「……僕、僕……いいい一体……!?」


動かなくなった、大人達だったモノ。


ある者は泡を吹き、ある者は胸を押さえ、またある者は頭を抱えていた。

そこまではまだ良い方で、中には床や壁に血をまき散らし、倒れている者もいる。木槌でやられたのか、自ら壁に頭を打ち付けたのか、真相は定かではない。


辛うじて、動いている大人がいた。すぐさまシノンは、その大人の前へ駆け寄る。


「大丈夫――」


そう問いかけ、大人の視界にシノンが入って来た、瞬間だった。

おぞましい、そして、戦慄するかのような――叫喚。

感じた事も無い恐ろしさに、全身が粟立つ。


「バ、ババババ……バケモ」


叫び終えたかと思った大人は、最後にそう口を震わした。

そしてカクリと、白目を剥いて倒れてしまう。


「どう……いう……」


まさか自分が、殺したのか。

しかし、手を見ても体を見ても、返り血すら浴びていない。

想像すら難しい光景に、シノンは恐怖も忘れ、ただただ唖然と立ち尽くしていた。


「……そうだ、カシス……!」

(……ぃ…………)


非常に聞き取りづらい、カシスの弱々しい声。

こんな事は今までに無く、初めてカシスの声を聴いてから、一度も起こらなかった事態。


「そんな……!? ねえ、カシス! しっかりして、カシス!!」


カシスが、消えるのではないか。

そんな恐怖がシノンを襲い、必死になってカシスの名を呼ぶ。


孤独だと思っていた自分の前に現れた、もう一人の自分。

自分の事を思い、色々な事を教えてくれた、自分という名の友達。

自分という名の、心の近い、家族――


(……るさい! 聞こえているから、頼むから喚くな、泣くな……)

「カ、カシスゥ……!」


いつも通りの口調のカシスを感じ、安堵感からその場にへたへたと座り込む。

気づかない内に涙を溜めていた眼を擦り、シノンは徐々に落ち着きを取り戻した。


「ねえ……一体、何が、起こったの……?」

(……安心しろ、シノンの所為では、無い)

「……カシスが、大人達を?」


カシスが、返答に困っている。

シノンもカシスも記憶があるのは、大人達に袋叩きにされる、まさに寸前。

そう。

シノン達は、殺されようとしてたのだ。

“普通”じゃないことを嫌った、大人達に。


(……私も、記憶が朦朧としているんだ……ただ、さっきまで表に居たのは、私で間違いがない。そこまでは分かる、分かるんだ……!)

「カシス……」


普段弱みを見せないような彼女が、動揺を隠しきれていない。

それはこの事態が、カシスで抱えきれないほど異常という事を表しているに違いない。


いつも、助けてもらっていた。

だから、今度は。今度こそは。


「……カシス、ここから逃げよう」

(はぁ!?)


思いもよらないシノンの発言に、カシスは体があったら飛び上がっていたことだろう。


(おま、何を言っている! だいたい逃げた所でどうする!)

「僕らが生きていけるような、新天地を目指す」

(行く当ても無いくせに、そんな適当な事を言うな!)

「ここから逃げようって、あの時言ったのはカシスだ。今は大人達が……皆死んじゃっているから、誰もここには居ない。でもこのままじゃ、僕ら二人とも殺されちゃう。そんなのは嫌だ」


おぼつかない足どりで死体を避けながら、シノンは外へと出る隠し通路を開けた。するすると、見慣れた抜け道を通る。恐らく、これで見納めだろう。


「ごめん、カシス」

(何がだ)

「僕、本当にお気楽思考で前向きな救いようのない馬鹿だった……マーラー先生は、ただ僕らのことを利用したいがために、ここに置いてくれただけだったんだね……」

(……前向き馬鹿も、ようやく学んだか)

「でもね、人を信じることは止めない」

(前言撤回)

「最後まで聞いて。僕は確かにマーラー先生を許したくない。だけど、それだけ。あの人には元はいじめを無くそうという、優しい心があったはず。僕はその心を信じるだけで、許すわけじゃない」


外に出たシノンは、夕暮れをバックに黒く浮かび上がる孤児院を、一目見た。


(……何だか、難しい結論に辿り着いたな、シノン)

「そう?」


そして、何も言わない孤児院に向かって、お辞儀をした。


「今までありがとう……そして、ごめんなさい。僕らは、もう行きます」


くるっと、方向転換をして進もうとした、その時だった。

前方にあるはずのない障害とぶつかり、勢いよく尻餅をついた。


「いたた……」

(まずい、シノン! 人に見つかった!)

「え!?」


よく見たらそれは人で、相手も尻餅をついていた。

慌ててシノンは逃げようとする。しかし、足首を掴まれ、草むらに豪快に転んでしまう。


「待てよ……俺の顔見ただろ、お前」


知らない声に、一瞬何のことか分からなくなるシノン。ツンとする草と土の匂いを払いのけるように、声のする方向を向いてみた。


「……誰?」


知らない男だった。シノンの着ている服よりかはだいぶましだが、所々擦り切れた服を着ている。その上に羽織っているのは割と新しいパーカーで、顔を隠すようにフードを被っている。


「……お前、孤児院の奴じゃないのか?」

「だから誰?」


変な間が空く。

よく見ると男の周辺には、金貨らしきお金が散らばっていた。ぶつかった拍子に落ちたのだろう。


「ご、ごめんなさい、拾いま……」

「うわあああ! やめろクソガキ!!」


ガッと、シノンの首に衝撃が走り、頭を地面に強打した。

何が起こっているかを把握しようとした頃には、シノンは男に首を絞められていた。


「俺のカネだ……またガキに見つかって、俺の計画台無しにされてたまるかよ……」


必死に抵抗しようとするも、力が思うように入らない。

考えてみれば、いつも大人達の仕打ちには耐えていたわけで、決まって反撃などはカシスが行っていた。

だから、身を守るための反撃の仕方なんて、知るわけがないわけで。


「孤児院の頃は良かったのによぉ……皆の頂点にいてさぁ。だが社会に出てみてどうだ?他の奴らが俺をこき使いやがる! 俺は頂点なんだぞ!? お前ら虫けらなんだぞ!!」


もう、男の声など届かない。何かを叫んでいるであろうカシスの声も、意識がまた朦朧とし始めてからは、聴こえない。


「お前も井戸に沈めてやるよ……覚悟しギャッ!?」


みぞおちを蹴られ、思わずシノンの首を絞めていた手を放す男。


「な、何すん……」


蹴られた箇所を擦りながら、男は目を丸めた。

明らかにそこに居るのは、先ほどの銀髪の少年ではなく、黒髪の人物。しかし髪型も、背格好も一緒。


「そうか……お前か」


カシスは低い声でそう言うと、むくりと起き上がり、血のような紅い鋭い眼を男に向ける。

男はそれに怯む事無く、狂ったように叫びながら、カシスに向かって殴りかかった。

しかし、難なくそれを避けたカシス。

音もなく、迷いなく、彼女は男の心臓目掛け、拳を掠めた。


一瞬、何が起こったのか理解できなかった男。痛くも痒くもない事が分かり、再び殴りかかろうとした。


その時だった。


男の口から、鮮やかな鮮血が噴き出た。

顔と服をその血で染め上げ、理由もわからない苦しさに、徐々に体が蝕まれていくように、もがき苦しむ。

夕日の色を映す芝生に倒れ、のた打ち回る男。死へ向かう苦痛を背景に、自分が強いと疑わなかった孤児院時代、社会に出てからの挫折と敗北感、孤児院の資金を盗むまでに至った堕落の人生が走馬灯となり――


ピクリとも、動かなくなった。


さああと草木が擦れ合う、優しい風が髪をなびかせる。揺れる髪は、徐々に、徐々に、変化していった。


(……ごめんなさい)


いつの間にか、シノンへと変化していた彼の心に、カシスの感情が流れ込んだ。


「カシス……」

(私の仕業だった……私が殺したんだ……! 死にたくなかった! シノンとの日々を失いたくなかった! だけど! 私は人を殺そうなんて……殺そうなんて……)


ぎゅっと、胸を掴み、目を瞑る。

感情的な彼女の心、痛いほど伝わる悲しみの心。静かに、静かに受け止めた。


「……行こう」


シノンは、歩み始めた。

もう孤児院を、振り返ることは無かった。

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