真相
「うあああああああっ!!」
シノンの絶叫。
真っ白になったはずの意識に、色が戻った。
無くなったはずの感覚に、暑さと寒さが襲った。
小刻みに震え、息も荒い。
いつの間にか立っており、体の自由が戻っている。
視界に広がるのは
「……僕、僕……いいい一体……!?」
動かなくなった、大人達だったモノ。
ある者は泡を吹き、ある者は胸を押さえ、またある者は頭を抱えていた。
そこまではまだ良い方で、中には床や壁に血をまき散らし、倒れている者もいる。木槌でやられたのか、自ら壁に頭を打ち付けたのか、真相は定かではない。
辛うじて、動いている大人がいた。すぐさまシノンは、その大人の前へ駆け寄る。
「大丈夫――」
そう問いかけ、大人の視界にシノンが入って来た、瞬間だった。
おぞましい、そして、戦慄するかのような――叫喚。
感じた事も無い恐ろしさに、全身が粟立つ。
「バ、ババババ……バケモ」
叫び終えたかと思った大人は、最後にそう口を震わした。
そしてカクリと、白目を剥いて倒れてしまう。
「どう……いう……」
まさか自分が、殺したのか。
しかし、手を見ても体を見ても、返り血すら浴びていない。
想像すら難しい光景に、シノンは恐怖も忘れ、ただただ唖然と立ち尽くしていた。
「……そうだ、カシス……!」
(……ぃ…………)
非常に聞き取りづらい、カシスの弱々しい声。
こんな事は今までに無く、初めてカシスの声を聴いてから、一度も起こらなかった事態。
「そんな……!? ねえ、カシス! しっかりして、カシス!!」
カシスが、消えるのではないか。
そんな恐怖がシノンを襲い、必死になってカシスの名を呼ぶ。
孤独だと思っていた自分の前に現れた、もう一人の自分。
自分の事を思い、色々な事を教えてくれた、自分という名の友達。
自分という名の、心の近い、家族――
(……るさい! 聞こえているから、頼むから喚くな、泣くな……)
「カ、カシスゥ……!」
いつも通りの口調のカシスを感じ、安堵感からその場にへたへたと座り込む。
気づかない内に涙を溜めていた眼を擦り、シノンは徐々に落ち着きを取り戻した。
「ねえ……一体、何が、起こったの……?」
(……安心しろ、シノンの所為では、無い)
「……カシスが、大人達を?」
カシスが、返答に困っている。
シノンもカシスも記憶があるのは、大人達に袋叩きにされる、まさに寸前。
そう。
シノン達は、殺されようとしてたのだ。
“普通”じゃないことを嫌った、大人達に。
(……私も、記憶が朦朧としているんだ……ただ、さっきまで表に居たのは、私で間違いがない。そこまでは分かる、分かるんだ……!)
「カシス……」
普段弱みを見せないような彼女が、動揺を隠しきれていない。
それはこの事態が、カシスで抱えきれないほど異常という事を表しているに違いない。
いつも、助けてもらっていた。
だから、今度は。今度こそは。
「……カシス、ここから逃げよう」
(はぁ!?)
思いもよらないシノンの発言に、カシスは体があったら飛び上がっていたことだろう。
(おま、何を言っている! だいたい逃げた所でどうする!)
「僕らが生きていけるような、新天地を目指す」
(行く当ても無いくせに、そんな適当な事を言うな!)
「ここから逃げようって、あの時言ったのはカシスだ。今は大人達が……皆死んじゃっているから、誰もここには居ない。でもこのままじゃ、僕ら二人とも殺されちゃう。そんなのは嫌だ」
おぼつかない足どりで死体を避けながら、シノンは外へと出る隠し通路を開けた。するすると、見慣れた抜け道を通る。恐らく、これで見納めだろう。
「ごめん、カシス」
(何がだ)
「僕、本当にお気楽思考で前向きな救いようのない馬鹿だった……マーラー先生は、ただ僕らのことを利用したいがために、ここに置いてくれただけだったんだね……」
(……前向き馬鹿も、ようやく学んだか)
「でもね、人を信じることは止めない」
(前言撤回)
「最後まで聞いて。僕は確かにマーラー先生を許したくない。だけど、それだけ。あの人には元はいじめを無くそうという、優しい心があったはず。僕はその心を信じるだけで、許すわけじゃない」
外に出たシノンは、夕暮れをバックに黒く浮かび上がる孤児院を、一目見た。
(……何だか、難しい結論に辿り着いたな、シノン)
「そう?」
そして、何も言わない孤児院に向かって、お辞儀をした。
「今までありがとう……そして、ごめんなさい。僕らは、もう行きます」
くるっと、方向転換をして進もうとした、その時だった。
前方にあるはずのない障害とぶつかり、勢いよく尻餅をついた。
「いたた……」
(まずい、シノン! 人に見つかった!)
「え!?」
よく見たらそれは人で、相手も尻餅をついていた。
慌ててシノンは逃げようとする。しかし、足首を掴まれ、草むらに豪快に転んでしまう。
「待てよ……俺の顔見ただろ、お前」
知らない声に、一瞬何のことか分からなくなるシノン。ツンとする草と土の匂いを払いのけるように、声のする方向を向いてみた。
「……誰?」
知らない男だった。シノンの着ている服よりかはだいぶましだが、所々擦り切れた服を着ている。その上に羽織っているのは割と新しいパーカーで、顔を隠すようにフードを被っている。
「……お前、孤児院の奴じゃないのか?」
「だから誰?」
変な間が空く。
よく見ると男の周辺には、金貨らしきお金が散らばっていた。ぶつかった拍子に落ちたのだろう。
「ご、ごめんなさい、拾いま……」
「うわあああ! やめろクソガキ!!」
ガッと、シノンの首に衝撃が走り、頭を地面に強打した。
何が起こっているかを把握しようとした頃には、シノンは男に首を絞められていた。
「俺のカネだ……またガキに見つかって、俺の計画台無しにされてたまるかよ……」
必死に抵抗しようとするも、力が思うように入らない。
考えてみれば、いつも大人達の仕打ちには耐えていたわけで、決まって反撃などはカシスが行っていた。
だから、身を守るための反撃の仕方なんて、知るわけがないわけで。
「孤児院の頃は良かったのによぉ……皆の頂点にいてさぁ。だが社会に出てみてどうだ?他の奴らが俺をこき使いやがる! 俺は頂点なんだぞ!? お前ら虫けらなんだぞ!!」
もう、男の声など届かない。何かを叫んでいるであろうカシスの声も、意識がまた朦朧とし始めてからは、聴こえない。
「お前も井戸に沈めてやるよ……覚悟しギャッ!?」
みぞおちを蹴られ、思わずシノンの首を絞めていた手を放す男。
「な、何すん……」
蹴られた箇所を擦りながら、男は目を丸めた。
明らかにそこに居るのは、先ほどの銀髪の少年ではなく、黒髪の人物。しかし髪型も、背格好も一緒。
「そうか……お前か」
カシスは低い声でそう言うと、むくりと起き上がり、血のような紅い鋭い眼を男に向ける。
男はそれに怯む事無く、狂ったように叫びながら、カシスに向かって殴りかかった。
しかし、難なくそれを避けたカシス。
音もなく、迷いなく、彼女は男の心臓目掛け、拳を掠めた。
一瞬、何が起こったのか理解できなかった男。痛くも痒くもない事が分かり、再び殴りかかろうとした。
その時だった。
男の口から、鮮やかな鮮血が噴き出た。
顔と服をその血で染め上げ、理由もわからない苦しさに、徐々に体が蝕まれていくように、もがき苦しむ。
夕日の色を映す芝生に倒れ、のた打ち回る男。死へ向かう苦痛を背景に、自分が強いと疑わなかった孤児院時代、社会に出てからの挫折と敗北感、孤児院の資金を盗むまでに至った堕落の人生が走馬灯となり――
ピクリとも、動かなくなった。
さああと草木が擦れ合う、優しい風が髪をなびかせる。揺れる髪は、徐々に、徐々に、変化していった。
(……ごめんなさい)
いつの間にか、シノンへと変化していた彼の心に、カシスの感情が流れ込んだ。
「カシス……」
(私の仕業だった……私が殺したんだ……! 死にたくなかった! シノンとの日々を失いたくなかった! だけど! 私は人を殺そうなんて……殺そうなんて……)
ぎゅっと、胸を掴み、目を瞑る。
感情的な彼女の心、痛いほど伝わる悲しみの心。静かに、静かに受け止めた。
「……行こう」
シノンは、歩み始めた。
もう孤児院を、振り返ることは無かった。




