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Ermitage~エルミタージュ~  作者: 橋空ミクノ
第一章~邂逅~
5/14

覚醒

井戸の底から、ダナの死体が浮かんでいた。


マーラーを含む大人達が立ち去った後、シノンはベット下の隠し扉を開け、例の秘密の部屋を通り外へと出た。さすがにこのまま外に居ると見つかるため、上手く気配を消しながら、茂みを通り近くの物置小屋に隠れ、事件の様子をうかがっていた。


突然のことに、子ども達は怯え、すすり泣き、大人達は動揺を表に出さず、それでも重苦しい雰囲気を醸し出していた。

何やら少し考えているかと思うと、マーラーは大人達に指示を出し、何人かはその場を離れた。恐らく警察を呼びに行くのだろう。そして子ども達には部屋へと戻るよう、不安をこれ以上広げないよう措置がなされていた。


「なんで……ダナが……」


物陰に隠れていたシノンも、動揺を隠せない様子だった。


(私達にちょっかいを出して、マーラーに告げ口した後、何かあったのだろうな……井戸は私達しか使わない。普段ここの奴らはより安全なポンプ式を使用している)


井戸は危ないから、という大人達の言い付けで、子ども達は近づくことさえしない。シノン達が使っているのは、危ないから使えという何とも矛盾した理由である。


(あと考えられるのは、いずれシノンが戻ることを予想して、性懲りもなくまた質の悪い悪戯でも考えたか、だな。井戸にでも隠れようとして、滑って落ちた)

「孤児院の子が一人亡くなったんだよ、何でそう平然としていられるのさ……」

(じゃあ問おう、この先起こりえる事は何だ?)

「え……それは、警察の人が来て、ダナの事故のことを調べて……」

(模範解答は素晴らしいが、所詮その答えは安易な考えに過ぎない)


大人達が何やら騒ぎ始めた。どうやらダナの遺体の引き揚げに成功したらしい。

変わり果てたダナの姿をみたシノンは、先ほどまで元気な姿を見ていただけに、最後に怪我をさせてしまった事をとても申し訳なく感じていた。


(真っ先に疑われるのは、私達だ、シノン)


カシスの言葉に驚き、思わず大声を上げてしまいそうになる。何とかそれを飲み込んだかと思うと、より一層小さな声で喋り始めた。


「何でさ、何で僕達なのさ」

(お前、少しは学習しろ……以前町の動物が流行病で次々死んだ時、『お前のかけた呪いじゃないか』と大人達から理不尽な仕打ちを受けた。いつだったかここの子どもが迷子になった時、見つかるまで私達が神隠しをしたと、どこにやったと尋問を受けた、違うか?)

「僕らはちょっと特殊なんだ……不安や焦りが僕らに向かうのは嫌だけど、仕方がない心理じゃないか」

(この前向き救いようのない馬鹿)

「ランクアップしないで」

(今回はダナが直前に私達と関わっていた。そしてダナを恨む理由もある。大人達の証言で、私達が殺したと警察が判断するのも時間の問題だと思うぞ)


ダナの遺体を、一旦物置に安置する案をマーラーが出したため、シノンはすぐさまその場を離れた。


「カシスは僕よりも頭がいい。そしていつもカシスの言うことは正しい。だけど今回ばかりは、決めつけすぎやしないかい?だいたい疑われるのが分かったところで、僕達には何もできやしない」

(そんなの簡単だ。ここから出ていけばいい)

「簡単に言わないで!」


草むらを掻き分け、いつもの出入り口を開けながら、シノンは珍しく叫んだ。周りには誰も居ないので、心置きなく喋ることが出来る。


「僕らはまだ子どもだ、そして無力、その上事情が事情だ。ここから離れた所で、どうやって生きていくつもりなの?」

(今の今まで、まともな生活さえ与えられなかった環境だぞ。いっそ外に出て、新たな環境を見つけた方がシノンのためだ)

「マーラー先生は僕らをここに置いてくれた恩義がある! それに報わず出るなんて僕は嫌だ!」

(まだ言うかお気楽思考の前向き救いようのない馬鹿!)

「どんどん酷くなってない!?」

(お前の所為だ!)


二人らしい口論をしながら、秘密の部屋に辿り着いたシノン。今朝カシスが台所に侵入してくすねたパンを手に取り、不機嫌になりながらもモグモグと食べる。


「だいたい、僕らを心底人外扱いしているなら、とっくに僕らは死んでいたはずだ。それこそまだ幼い頃に外へ放り出して、野垂れ死にさせればいい。マーラー先生が僕らを引き取ると決断してくれた時点で、僕らの命は繋がったんだ。まだ皆と分かり合えると僕は信じてる」

(あーもう、頑固な奴……もういい! 好きにしろ! 私はもう出てこないからな、自分で何とかしろ!)


パンを食べ終え、梯子を上り、劣悪な環境の部屋へと戻るシノン。


「あーいいよ! 僕だって男だからね、いつまでも女の子の、カシス、に頼っ、て……い…………」


突然、隠し扉を隠そうと、ベットを動かしていたシノンの手が止まった。


(シノン?)


カシスの問いかけに、シノンは黙ったまま。何か様子がおかしいとカシスが思ったのも束の間、シノンは決して清潔ではない部屋の床に、勢いよく倒れこんだ。


(シノン!? おい、シノン!! しっかりしろ! 聞こえるか、シノン!!)


シノンに、カシスの言葉は届いていた。しかし、体も、声も、全く自由が利かなくなった。

シノンの意識はそこで途切れ、髪が黒く変化しカシスへと変わった。


「な……こ、れは……!?」


カシスに変わっても、やはり体が不自由なのには変わりがない。

何とか意識を保とうとするが、意志に反して朦朧としていくのが分かる。

何やら部屋に入ってくる、一人の大人の姿を捉え


カシスの意識も、そこで途切れた。










次に目を覚ました時には、大人は一人だけではなかった。


「……い! 黒い方のバケモノが目を覚ましたぞ!」


途切れ途切れの意識の中、カシスは自分の身に何が起きたのか、必死に確認を取ろうとする。

まずここは、意識の途切れたあの部屋でなく、見慣れたはずの、秘密の部屋。

大人達が自分を囲んでいることで、普段と違う雰囲気に見えてしまう。


(ばれたのか……僕たちの、秘密の部屋……)


シノンの意識も目覚めたようで、それはいつも通りはっきりと感じる。

しかし相変わらず体の自由は利かず、声も思うように出せない。


「こんな所でのうのうと生きてやがったのか……道理で死なないはずだぜ」


成程、シノンがベットを定位置に戻さず倒れたせいで、偶々入った大人が隠し扉を見つけたわけか。

そして、今に至る。

(冷静に分析している場合なの……?)

どうやら喋らなくても、感じた事をシノンも感じ取っている。

入れ替わることは、出来ないらしい。


「マーラー院長先生も、何でこんな奴をいつまでもここに住まわすんだ?」

「確かあの人が決めたんだよな、このバケモノをここに置くって……」


「お話ししましょう」


聞き慣れた声が、すっと通る。

大人達が一斉に振り返った先には、梯子を下りて部屋に到着していたマーラーだった。


「きさ……何を……」


カシスは力の限りを振り絞り、マーラーに向かって声を発した。


「さすがは黒い方。いつも盗んでいるであろうパンに、鼠退治用の痺れ薬を大量に入れたのに、喋ることが出来るなんて」


(痺れ薬……!?)


「それはもう、致死量では!?」

「毒さえも平然と跳ね除けるということが、今確認できました。こいつは確実に“バケモノ”です」


強烈な痛みが、体を打ち付けた。悶えようにも体は動かず、苦悶の表情を浮かべる暇もなく、同じ痛みが1度、2度、3度……大人達が木槌や木材で、容赦なく殴りかかっていく。


「ちくしょう、ダナもお前が殺したんだな!?」

「もうすぐ誕生日だって喜んでいたのに……ダナの仇だ!」


歯を食いしばり、カシスは耐えた。

痛みではない。


(やめて……お願い、やめて……!!)


悲しい。苦しい。何で。どうして。


シノンのあふれ出る感情。純粋故に、裏切られた絶望感。


ありのままの感情が、すべてカシスに流れ込んでくる。


「マーラー先生、何でこいつを生かしていたんです!?」

「……お話しする、と言いましたね」


叩かれていた大人達の手が、止まった。罵声も聞こえなくなり、静寂が訪れる。


「私がこの子を引き取ったのは、孤児院長になってすぐ……一人の“赤子に見えるモノ”が、孤児院の入り口に置いてありました」


その話は、カシスとシノンも知っていた。

『この子は私達では育てられない。どうかこの孤児院で育ててほしい』との旨が書かれたメモと共に、シノン達は来たのだと。後に奇妙な二重人格があると判明し、現在の理不尽な環境下を与えているのだと。


「……当時、私は孤児院内でのいじめ問題と向き合っていました」


それは、知らない事実。

どうやら周りの大人も知らなかったようで、一瞬どよめいたようにも見えた。


「相次ぐ被害報告に、私は正義感を持って対応しました。いじめた子には処罰を下し、二度といじめが起こらないように、奮闘したつもりでした。当時の私は浅はかで、これで子ども達は平和に暮らせると信じていた……!」


どんどんと、感情がこもっていくマーラー。


「しかし現実はどうです! いじめの主犯格である子は、私に告げ口をしたと更にその子に対するいじめはエスカレート! 反省はするどころかむしろ悪化の一途を辿りました! いじめは食物連鎖で言う弱肉強食! 弱いものは徹底的に叩かれ、強いものは我が道を行く暴君と化します!」


彼女は、なりふり構わず本心を吐露している。それが自分の嘆きのように。


「そして弱いものは強いものに従う……最下位のものは見捨てるのです。そのような縦社会が、子ども達の中で出来ているなんて、当時私は想像もつきませんでした! そしてっ……最下位の子は! 私に遺書を残して、外れの湖に身を沈めたではありませんか!」


肩を震わせる。一度深呼吸して、彼女は続けた。


「私は思いました……自分は無力だ、と。そして無力な自分を恨もうとも思いました。しかし、縦社会は待ってはくれません……暴君は次なる最下位の者へと、牙を剥けるのは分かり切った話です。私は対策を考えました……考えても、考えても、良い案は浮かばない。そんな時……」


指をさした先―


「バケモノが“バケモノ”であると発覚しました」


動くことさえままならない、カシス達に視線が集まった。


「私は思いました……底辺を守りたいなら、底辺を作ればいい、と。矛先が作られた底辺に向かえば、子ども達を守れる、と……そこからは、徹底してそのバケモノを“バケモノ”だと、子ども達に教え込み、そしてバケモノの扱いを教えました。世間一般が“普通”じゃない事を許さないのです、それを子ども達に教えるのも、当然のこと!」


マーラーがそう断言したのを皮切りに、次々と大人達が「そうだそうだ!」と賛同していく。


「しかし最近のバケモノの素行は、目に余るものがありました。加えて、子ども達に怪我まで負わせ、挙句の果てには、ダナの命までをも奪った…このような孤児院にとって危ない存在は、もう不要です」



始末するように



冷たい言葉が、シノンの心に、深く、深く、刺さった。


同じように、カシスにも、その悲しみが痛いほどに伝わった。


マーラーは部屋から出ていき、後は他の大人達が、カシスを容赦なく袋叩きにするのは、容易に想像がつく。


(僕ら……死ぬの?)


現実世界と精神世界がかけ離れて、シノンの言葉だけを感じる。


(私が死ねば……シノンも、死ぬ)


スローモーションのように、大人達が、手に持ったものを振りかざす。


(嫌だ……)

(嫌だ……)


――死ぬのは、


「……死んで……たまるかぁっ!!!」




意識が、真っ白になる……

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