末路、そして正体
領主邸を駆け回る、黒とブロンドの髪の二人。
計画されたパーティのため、かなりな厳重警備のはずだが、カシスの第六感のお蔭で警備の目をことごとく掻い潜って行く。
「ねえっ! ホントにあのベルって人信じれるの!?」
「無駄口叩いている暇があったら走れ! 時間の猶予は残されていないんだぞ!」
ベルに渡された簡易地図を見ながら、カシスとアメリアは休むことなく走っていく。
実際にはアメリアではなく、彼女の恰好をしたアトリだ。
アメリアと同じ服とウィッグを被ったアトリは、カシスと共にベル達とは別行動をとっていた。勿論別行動をとった理由は、囚われたサンの救出のためだ。
『帰り際に、もしもの時のために避難経路を確保したいと交渉して、一通り邸内を見てきた。だから簡易的で悪いが、これが地図。恐らくアトリの従兄は、地下の牢獄に囚われている』
一目見ただけで、簡易とはいえここまで正確な地図を作成したベルに、カシスは疑問を通り越して呆れてしまっていた。
『計画開始は控室に入った時だ。救出班と演目班に分かれるよ』
そう言ってベルは控室に入るや否や、隠して連れて行ったアトリをアメリアそっくりの恰好にさせた。仮面を付けたのは、顔による違いを見極めさせないため。もし一座の顔ぶれが知られていて、この町に入っていないはずのアトリの姿を見られたとなると、一座が“ヘラクレス”に加担しているのではないかという疑いが一気に広まる可能性があるためだ。
パーティ会場に向かおうと一座が控室から出た際、カシスはアトリを連れて警備の目を盗み、そこから別行動をとった。
それから演目が終わるまでの間という、限られた時間の中で、例の牢獄を探し出そうと躍起になる二人。
病み上がりでアトリも苦しいはずだが、その苦痛を跳ね除けるくらいに、サンの事を心配していた。
「ここか……!?」
地図の示された場所の近くに着いた二人。しかし想像はしていたが、ドアの前には警備がいる現状だった。
(殺した方が早いなんて、安易な方向考えてたら、僕は一生カシスを軽蔑するよ)
「思っても無いのに人を勝手に軽蔑するな」
急に独り言を言い、目が点になっているアトリを無視し、カシスは持っていた袋から箱と水筒を取り出した。
近くにあった、上等そうな花瓶の中に、水筒の中身を入れる。そこから沢山出てきたのは、白い固形のいびつな塊。もわっと白い気体が溢れ出たのを確認し、カシスはすぐさまアトリを連れて別の場所へと身を隠した。
「……お、おい! なんだこのガスは!?」
二人いるうちの一人の警備が、床に立ち込める白い気体に気づいた。驚いた警備は、白い気体の正体を確かめに行く。
一方一人残された、ハンカチで口を押える警備の耳に入って来たのは、何やら乾いた爆発の連なり。何事かと、もう一人も確認を取りにその場を離れる。
その一瞬の隙を突き、カシスとアトリは気配を隠し、地下牢へと通じる入口へ入ることが出来た。
「……ねえ、さっきの何?」
「演目でたまに使う、爆竹とドライアイスだ。どれも害はないから安心しろ」
カツ、カツと、薄暗い地下牢へと進む二人。
「ねえっ、やっぱあの警備から鍵奪った方が良かったんじゃない?どう考えたってサンを見つけた所で、鍵が無ければ救出できないわよ」
「その点は心配いらない。それよりアトリ、お前にしかその“サン”は分からないんだ。ちゃんと探してくれないと困る」
灯りは、点在するかのような蝋燭のみ。僅かな光を頼りに、速足で、それでも慎重に進む二人。しかし進むにつれ、アトリは不安になってくる。囚人がサンしかいないのか、それとも元々人なんていないのか、そう疑いたくなるほど牢屋には人が居なかったのだ。
「……おかしい。軍事態勢が良いとはいえ、ここまで牢獄に人が居ないとは思わなかった。そこまでして治安が良い町とは思えないし……」
「……あれは!?」
カシスが色々呟いていた最中も、アトリは必死になって探していたらしい。奥の方に、残飯が置いてある牢獄を見つけたのだ。
「サン!? そこに居るの!?」
「馬鹿、大声出すな!私達がそこへ行けばいい!」
そう言って駆け足でその場へ近づく二人。カシスが持っていたランプに灯りを付け、薄暗い牢獄の中を照らす。
「ア……トリ……?」
何とも衰弱していそうな声を出した、牢獄の中の男性。
恐らく彼がアトリの従兄、サン・ミケーレ。
腕は拘束され、タンクトップ姿で横たわっている。ベルの話から推測するに、酷く拷問にでも遭ったのだろうか、起き上がろうとしない。
しかしその理由が、すぐにカシスには分かった。
「サン!? 義足はどうしたの!?」
太ももから先にかけて、サンは右足を失っている。いや、失われていた、が正しいのか。
「拷問の際に、壊されたよ……それよりもお前、病気は……?」
「治ったから! だからもう少し待ってて! 今出してあげるから!」
今にも泣きそうなアトリの横で、何やら鍵穴をいじるシノン。孤児院で何度も大人に閉じ込められ、その際覚えたピッキング。今となっては悪知恵のため使ってはいないが、こういう時に役に立つのかと、シノンは世の中覚えていてそんな事は無いと感じていた。
ガシャンと、カギがすんなりと開く。シノンは扉を開け、アトリはすぐに中へ入りサンの傍へ駆け寄った。
シノンもすぐに後を追おうとする。しかし次の瞬間には、髪が黒く変化していた。
「……おい、いつまで見ている“ヘラクレス”」
カシスの言葉にアトリが驚いた頃には、鉄同士がぶつかり合う、キンッ、と音を響かせていた。カシスの紅い鎌と、“ヘラクレス”であろう人物のナイフが対峙している。
「あまり無意味な殺しはしたくないんだ。命が惜しいのならとっとと去ってほしい」
暗がりの中、蝋燭の明かりがその人物を照らす。茶色い長髪だが、体格から見ると男。恐らく色はワインレッドの比翼の服。
「それはこっちのセリフだ。我が同族に何の用だよ」
唸るような低い声に、アトリはすぐさま反応した。そして彼のしている眼帯に気づき、一目見て自分の知っている人物だと気づく。
「その声、まさかアロース!?」
アトリに抱き起されたサンも、その人物を知っているようで、何とも驚いた顔をしていた。
「知り合いなのか……?」
「知ってるも何も、故郷に居た頃の……唯一の、友達よ」
アロースと呼ばれた男は、驚いている隙を突いて、カシスの手から鎌を落とした。
「貴様っ…!」
「やめて! その人はあたしの命の恩人なの! 悪い人ではないのよ!」
そうアトリに言われ、動きを止めるアロース。
「……本当か?」
「ここで嘘を吐くほど、事態は穏やかじゃない。実際には、私の仲間がアトリを診た」
そこでようやく、アロースはナイフを収める。揺らめく灯りが、彼の長めの髪を照らしていた。
「何年ぶりなんだ……アロース、お前……“ヘラクレス”に入っていたのか?」
「おいおい、まさかこの町で暴れたタカ派と一緒にしていないか?」
そう言って、サンの拘束を解こうとするアロース。
「あまり知られちゃいないから、しょうがないかもしれないが……俺は“ヘラクレス”のそれなりに穏健派で属してんだよ。お前を利用して、この町でひと暴れしていたのが過激派、所謂タカ派だ」
「それなりに、か」
「無関係な奴らを巻き込むようなやり方はごめんだが、穏健とはいえど多少の法外な事をやってるのが現状だよ。大鎌の御嬢さんの察しの通り、正義を盾に色んな事はやってますさ」
「開き直るということは、やってる事はタカ派と何ら変わらない事を自覚しているんだな」
拘束を解き、サンを背負おうとするアロース。
「ははっ。なかなか棘のある言い方をするな。今はそんなことより、こいつらを無事脱出させることが優先なんじゃないのか?」
「指定された場所に仲間が待っているんだ。そこでこの町から出ていくつもりだ」
「無理だと思うぞ。外でお前たちの移動手段らしきものが押収されていた。多分モーゼルってやつが指示したんだろうよ」
サンを背負って牢屋を出ると、横の壁を思い切り蹴った。すると石壁が少しだけずれ、そこから隙間風が吹き込んでくる。隠し通路のようだ。
「俺の仲間が無実のお前が投獄されていることを察知して、助けに来たんだ。ここは町の外に通じている。アトリ、ついてこい。お前も一緒に逃げるぞ」
「待って!」
アトリは強い瞳で、アロースを睨んでいる。
「アロース、結局はあんたもネメアさえ良ければいいわけ!? ここにはあたし達を助けようとしてくれた人達がいる! その人達を置いて逃げるなんて……!」
「……昔からお前は、そう何で怒りっぽいかな。お前を助けた奴らなら多分無事だ、移動手段が無い事を察して、部屋で大人しく避難している風に装っていると、潜入していた仲間から聞いた」
それを聞いて、半信半疑ではあるがカシスもシノンもとりあえず安心した。
「アトリ、お前達は先に脱出したほうがいい。この男の言うことが正しいなら、多分ベルが領主顔負けの指揮をとって無事難を逃れてるだろうよ。お前の事は後で私が説明しておく」
「カシス……」
重い扉を蹴り開けたアロースが、人一人入れるくらいの狭い通路に入る。アトリも観念して彼に続き、扉を閉める前にこう言い放った。
「あたし達の所為で迷惑かけたら、後ろ髪を引かれるんだから。無事にこの町から出てよね」
既に迷惑かかってるよとは、自分も含めお節介が災いしたため言えず、そのままカシスはアトリ達と別れた。
(……ベルさん達、大丈夫かな?)
「あのベルがへまをする場面なんて想像できるか?」
(ゴメン、出来ない)
「今は信じるしか方法は無いんだ。とっとと合流して安否を確かめるぞ」
そう言って、袋の中から膨れたごみ袋大の物を数個置き、その上に毛布を被せる。即席のサンの身代わりだ。そうして袋の底に残残っていた爆竹を、盛大に鳴らすカシス。これで出入り口の警備が来るはずなので、身を隠して頃合いを見計らって外へ出ていく算段だ。
余興の班の様子は分からない。ただ、相手はアロースによると過激な集団だ。
何だかんだ強がりを言って、結局一番心配しているのは自分じゃないかと、カシスはシノンにばれない程度に思いながら苦笑した。
作られたパーティの夜は、更けていく。
「カシスちゃん、シノン君! 無事だったんだすね!」
「だからちゃん付けは……」
アメリアに抱きしめられ、言葉の続きが言えなかったカシス。
あれからカシスは、移動小屋が押収されている事実にいち早く気づいたベルと合流することが出来た。“ヘラクレス”が侵入して、どさくさに紛れて逃げてきたのはいいが、モーゼルが何やら部下に合図を送っていたのを見たらしい。不安に思ったベルは団員達を控室に避難させ、自ら移動小屋の確認に行こうと思っていた所だったという。
ベルはカシスにアトリ達の無事と、移動小屋が押収されている事実を聞くと、一先ず控室に戻った。そこで団員達の中では一番心配していた、アメリアの抱擁を受けることになる。
「じゃあ、アトリさんも従兄さんも無事なんですね。私達の所為で計画が駄目になったかと思ってましたから……」
「“ヘラクレス”が事の発端なのに、違う派閥とはいえ“ヘラクレス”に助けられるとはねえ」
愉快そうにそう言うベルに、なにやらぐったりしているターニッシュが不満そうに呟く。
「全く、他人事のように……俺らは逃げてきたからいいけどさあ、傍から見ればこの緊急事態に何やってんのって話だぞ?もしネメア助けようとしたことがばれたりでもしたら、一生町から出られないってことも……」
「モーゼルには、自分の身は自分で守ると言ってある。逃げた所で、何の文句は言われないだろうよ。確かに移動小屋は押収されたが、それは“ヘラクレス”との関係性を疑っただけで、実際私達はここで大人しく避難している。私達は今回、公演以外“何もしていない”。その事実さえあれば何もお咎めは受けたりしないだろうよ」
「お前が捕まえた“ヘラクレス”を使って、公開処刑宣言したのはさすがにお咎めあるんじゃ……」
「ま、それは結果的にあいつらを誘き出せたんだ。何か言われようと私が処理する……っと」
ベルは何かに気が付いたようで、部屋のドアの近くへ向かう。目の前で止まったかと思うと、何かを呟いた。
「ベルガモット」
いきなりこの町の特産を言ったかと思うと、低い声が外から帰って来た。
「タイマツバナ」
謎の言葉を確認したかと思うと、ベルはカギを開けドアノブを捻った。そこから入って来たのは、礼服を着た紳士……団員達は初めて面会する、領主のモーゼルだった。
モーゼルはベルに向かって、一礼する。
「ご協力感謝する、ベル殿とそのお仲間達。無事“ヘラクレス”を捕まえ、奴らのアジトも突き止めることが出来た。しかし……」
苦々しい表情になるモーゼル。話によると、以前から捉えていた監獄のネメアが一人逃げ出したという。
「今回の我々の損失は、その事と多少の怪我人が出た事。ベル殿、またも失礼を承知でお聞きするが、脱獄したネメアと、今回演出に使った“ヘラクレス”との関係性は?」
「互いにネメアというだけだと思いますよ。貴殿には、私が偶々捕まえたネメアについて話をしていなかった。申し訳ない。十分処罰を受ける覚悟はできている」
「処罰の代わりに、十分に話を聞いても良いかな」
「承知しました」
モーゼルはベルを引き連れ、別室に行こうとする。
「君達は、私の部下が移動小屋にまで案内する。ここで休ませてあげたいのも山々だが、この騒ぎで邸内はドタバタするだろう。先に帰ってゆっくり休んでいるといい」
モーゼルの部下に連れられ、シノン達は移動小屋に案内された。アロースという人物の言っていた通り、移動小屋は一回押収されていたようで、最初止めていた場所とは違う場所に置かれていた。
外はもう明け方ということもあり、昨夜の騒動が嘘のように静まり返っていた。
ラスはすごく眠たそうに、アメリアと移動小屋の中に入り仮眠を取ると言っていた。ターニッシュとシノンは、そのまま外へ残り、ベルの帰りを待つことにする。
それから、住人が朝の光を浴びに、家から出て人がまばらになって来た頃。
「大変! ビックニュースよ!」
何やら情報通そうなマダムが、町の人を集めていた。
きっと昨夜の“ヘラクレス”の騒動だろう。情報流出を防ぐため、町民には何も知らされていなかったはずだ。そう、シノンにとっては知っている事なので、傍から聞いて何の驚きも無かったが……
「昨夜捕まえた“ヘラクレス”を、我が町の軍が一斉処刑するんですって!」
シノンの心と、カシスの心が、ざわついた。座椅子にすがっていたいたターニッシュも、驚いて立ち上がる。
「マダム! その話もっと詳しく聞かせてくれ!」
「あら、あなた誰?まあいいわ、さっき領主邸からモーゼル様が直々に発表していたのよ。何でも『“ヘラクレス”に屈しないため、我が軍の力を誇示する』って言っていたわ」
「野蛮なネメアめ……これで奴らも大人しくなるといいが」
「それでも、これでこの町も暫くは平穏だわ」
「殺して全てが解決するの!?」
シノンの声が、集まった町の人の耳に届く。
「確かに“ヘラクレス”はこの町に悪さしたかもしれないよ! でも、ネメアが全員野蛮だっていうのは間違いだよ! 人間個性があるように、力で解決しない人だっている! 力を力で解決だなんて……むぐぐっ!!」
「やースミマセン、このガキちょーっと反抗期でしてねえ」
ターニッシュがシノンの口を押さえ、そそくさと退散しようとする。
「ネメアの肩を持つなんて! お宅のお子さんどういう教育されているのかしら!」
「仰る通りで。このように危険な思想を持つ我が息子には、この通りきつーく叱っておきますから」
そう言って、ゴンとシノンの頭を殴るターニッシュ。抵抗して暴れるシノンを引きずりながら、移動小屋の中へ入っていく。
「ぶはぁっ……! ターニッシュの馬鹿! 何で言わせてくれないのさ!」
「馬鹿はてめーだシノン!!」
今まで茶化して『少年』と言っていたターニッシュが、本気で怒った顔をして、初めて名前で怒鳴った。
中にいたラスとアメリアは、突然のことに目を丸くしている。
「いいか!? 世の中正論で通ると思ったら大きな間違いだ! その場の状況と空気を読みやがれ!」
「間違っていることを“間違っている”とも言えないの!? 馬鹿げてる!」
「ああ! 世の中馬鹿げてるさ! だがな、自分の無力さを自覚してないお前はもっと馬鹿げてんだよ!!」
「馬鹿でもいい! 馬鹿なのは自覚している!」
「開き直るな!」
「誰かが言わずして、どうやって私達は受け入れられる!?」
紅い眼差しに、ターニッシュは思わず掴んでいたカシスの服を放す。それを払うかのように、カシスは離れようとした。
「今からでも遅くはない、領主の奴に一言言って……!」
パンと、頬が弾かれた。
予想していなかった衝撃に、思わずよろめき、驚く。
ターニッシュが、怒りに満ちた、悲しい眼で、叩いたのだ。
カシスは、その場にへたりと座り込む。
「……わりぃ、カッとなっちまった……」
眉間に皺を寄せ、ターニッシュは自身への苛立ちを表すように、頭を無造作に掻く。
「確かにお前の言う通りだよ。世の中腐って、馬鹿げてる。だからこそ、正論は異論に変わる。異論は、異端だ。異端は、人々にどう映る?ああ、上手く言えねえなぁ、結論として……」
ターニッシュはしゃがみ、目線を合わせ、ポンと頭に手をのせた。
「お前さんが心配なんだ。そこん所、分かってくれ」
初めて言われ、そして、思ってくれた、他人の感情。
シノンとカシスはそこでようやく、自分の身勝手さを恥じた。
ラスもアトリも、そしてベルも、自分を心配してくれている。思ってくれている。だからこそ、ターニッシュは怒ってくれた。
悲しいのか、嬉しいのか。よくわからない、今までなかった感情に、どんな表情をしたら良いか、分からなくなる。
「……ごめんなさい」
碧い眼は、ターニッシュになかなか向けられず、シノンは俯く形で謝ってしまう。
ターニッシュにはそれで十分なようで、今度は銀色の頭を無造作に掻きまわす。その場が和み、ラスとアメリアも互いに顔を見合わせて、ホッとした。
その後、話を終えたベルが戻って来た。
処刑はすぐに、実行されたらしい。自分達に疑いはかからなかったと話し、今からポマールを発つよう告げたのだ。
この町にきた時期が時期だったようで、雨はすっかり振り尽きたような青空だった。
ポマールを出てから、太陽が真上に上った頃。
ベルに馬の操り方を教わったラスは、トワロとセリエを上手に先導している。ゆっくり流れる景色を無表情で楽しんでいると、視線の先に、何やら見覚えのある人物と、松葉杖をついている人物を見つけた。
何かを察したラスは、その二人組の傍まで来ると、一旦移動小屋を止めた。
「止まってくれてありがとう」
何があったのかと、団員達は外へ出てみると、そこにはアトリとサンがいた。実際、サンと面識があったのはシノンとカシスのみだったので、他の仲間は初対面だ。
「良かった……捕まって処刑対象になってないか、心配してたんだよ」
「ポマールの事は、アロースという穏健派の友人から聞きました。“ヘラクレス”でも何でもない私達に、迷惑をかけた奴らではありますが、あのやり方には……」
言葉を濁すアトリ。彼女も彼女なりに、根っから嫌悪している訳ではなさそうだ。
「だけどどうしてここに?てっきりアロースって人と一緒に行ったのかと思ってた」
「隣町に行くとは聞いていたから、もしかしたらここを通るかと思って。一言お礼が言いたかったのもあるけれど……」
「俺らはネメアではあるけど、“ヘラクレス”のように活動しようとは思っていない。それが穏健派であれ、だ。アロースに誘われたけど、そう言って断って来た」
少なくとも牢屋に居た時よりも、元気を取り戻しているサン。しかし拷問されたのだろうか、痣の跡が外だとはっきり見えて、とても痛々しかった。
「手当でもしようか? うちの医者なら年中無休で貸し出すけれど」
「おっさんの人権は!?」
ベルがサンの怪我を心配して、二人に近づいた。
しかしサンは、そんなベルを軽蔑するかのような目で見ている。
「……どうしたんだい?私に何かついてるのかい?」
「“ヘラクレス”の穏健派は、意外と情報通だったよ。領主邸内に潜伏していたアロースの仲間が、教えてくれた」
サンは、躊躇うことなく続けた。
「お前、王家の犬だったんだな」
知りもしない、突然の事実。
ベルは相変わらず、涼しい顔で笑っている。
唖然とするシノン達の周りには、まだ雨の残り香が漂っていた。