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Ermitage~エルミタージュ~  作者: 橋空ミクノ
第二章~団員事情~
13/14

罠と餌

連日の雨は止むも、曇り空だけは一向に晴れないある日の午後。

ポマールの町の中でも優雅な、大理石で出来た領主の館。

エルミタージュ一座の団長・ベルは、町へ着いてからすぐに領主とのアポを取り、面会の時間を貰った。

ベルは敷地内に入り、辺りをくまなく見回すと、メイドに応接間へと案内された。そうして広い館を歩くこと数分、応接間らしき扉が開くと、中から紅茶の香りが漂ってきた。


「初めまして。噂通りお美しいお方だ、レディ・ベル」

「お初にお目にかかります、カイゼルドム殿。改めまして、エルミタージュの団長ベル・フルールと申します」

「モーゼルでいいよ。堅苦しい挨拶はここまでにして、席へお座りなさい」


ポマールの領主、モーゼル・カイゼルドム。顎に生やした髭が特徴的で、顔も整っているのであろう、町民から「モーゼルのおじ様」と陰で人気があるのが分かる。身分が貴族であっただけに、仕草や身なりがとても上品だ。


「とても美味しい紅茶です。これはアールグレイ……確かここはベルガモットの産地でしたね」

「ご名答。アールグレイを作るのに、ベルガモットは欠かせません。ここは近くの港町で輸入した茶葉を、ベルガモットでフレーバーティー、つまりアールグレイを作ってこの町の名物にしています」

「この町を発つ前に、是非買っておきたいものです。これは病みつきになる」

「ポマールで公演してくれた暁には、是非プレゼントさせてほしい」


カップとソーサーが重なる音が、二人の会話を優雅に飾る。

しかしベルがここへ来た理由は、紅茶を飲む事ではない。


「しかし、公演をするには少し物騒な状況です。貴殿も苦労しているとお見受けします」

「ああ、ネメアには本当に参ってるよ……特に“ヘラクレス”にこの町が狙われたら、たまったもんじゃない」

「投獄されているというネメアの男は、“ヘラクレス”なのですか?」

「あいつは否定しているが、ネメアである以上信用は出来ない。それ以前に、あの男には我が町の物資を奪った犯人の可能性もある。洗いざらい吐くまで待つか、或は……」


全ては言わず、言葉を濁すモーゼル。


「お察しの通り、ポマールへ来てくれたことには大変歓迎だが、今は公演できる状況ではないんだよ。“ヘラクレス”が近くに潜んでいることも考えると、町の安全もさることながら、そちらの一座を危険に晒すことは出来ない」

「逆にそれを逆手に取る、と提案したら?」


突然の、思いがけないベルの提案。

モーゼルは思わず苦笑した。


「イベントを行い、それに乗じた“ヘラクレス”を一網打尽にすると?」

「ポマールは軍事にも力をお入れなのですよね。“ヘラクレス”が狙いをここに定める理由も、どことなく察しはつきます。早い所対策を打たなければ、国や人々に示しがつかないのでは?」

「あなた方は、この町とは一切関係性が無いのでは」

「私もエスティオ国民の端くれです。国の安全を脅かすのであれば、町であろうと関係ないはず」


静かに、残り僅かの紅茶を飲み干すモーゼル。その顔は険しく、真剣だ。


「話にならない。たった今会ったばかりだというのに、どこを信用してその提案を受けろと?」


実際問題、モーゼルはここ最近のヘラクレスの活動に手こずっている。あらゆる警備を掻い潜り、つい数日前には軍事物資を奪われたばかりだ。

本当は国に増援を頼みたい。しかし、軍事強化を前面に出しているだけあって、成す術無く助けを求めるというのは人々に示しがつかない。本当に困っている状況にあるだけ、ベルの提案を疑うのも当然のことだ。


「得体のしれない輩です、その判断は懸命だと。しかし、こちらもいきなりこのような話を切り出すのです、相応の“手札”は持っています」


何も言わず、懐にあったものをスッとテーブルに置くベル。


「これはっ……!?」

「モーゼル殿」


驚くモーゼルに対し、ベルは意味深に、人差し指を唇につける。


「内密に、お願いしたい」

「し、しかし!」

「私達はあくまでも旅芸人一座。実際、警備には何の口出しもしません。ただ一つ提案を飲んでいただければ、あとは“ヘラクレス”に殺されようと自己責任で処理します。大丈夫」


ベルは笑顔で、それでもモーゼルには、恐怖を感じさせる顔で。


「貴殿に責任は負わせませんから」















「領主邸で行われるパーティの余興だとぉ!?」


移動小屋の中、ターニッシュはベルの言葉に度肝を抜かれた。

声に出して驚いたのはターニッシュだけだが、勿論他の団員も驚いている。


「べ、ベルさん、確か身柄を拘束されているのがアトリさんの従兄か確認しに行ったんじゃ……」

「そうよ! 話が違っ……ゴホッゲホッ!」

「ああ、一目見て駄目そうだったから、領主にはそれなりの話をしてきたんだよ」


シノンは唖然として、一言も発せない。一方大人すっぽり入れる、青地の紅い水玉模様の箱に身を潜めている女性は、何か言いたそうだが咳に阻まれ何も言えなかった。

女性の名は、アトリ・ムルタス。

この町に入って丸3日、移動小屋の中とはいえ、医者の処方を受けて安静にしていたため、すっかり顔色は良くなった。ちなみにこの町に入る際は、今彼女が身を潜めている、手品用の箱の中に隠れ門番の目を掻い潜れた。箱は他の荷物に隠れていたとはいえ、荷物検査無しで終われたのは、恐らく門番がネメアの刺青ばかりに気が行っていたとベルは推察している。


アトリはネメアの難民の一人で、サンという従兄と共に故郷を離れたという。

各地を転々と渡り歩く中、風邪をこじらせたアトリの最後の記憶にあるのは、サンが何かを交渉し、自分を置いて誰かの馬車に連れていかれたということであるらしい。


『サンはあたしのために、診てくれる医者を探そうとしてくれてたのよ……でも、まともに相手してくれる医者なんて居なかったし、酷い時はあらぬ罪を着せられて警察に突き出される所だった。でも体調はどんどん悪くなる一方で、サンも迫害覚悟で必死に医者を探してくれて……記憶がはっきりしているのは、ここまで。あとはサンがあたしを置いて、馬車に乗せられた所を見たくらい。でもあんなに必死になっていたサンが、あたしを見捨てたとは考えたくない。多分この町に来ているのよ。投獄されているネメアというのも、恐らくサン』


症状の良くなったアトリは、こう話していた。それを聞いたベルが、投獄されている男の確認をと、領主邸に行ったのが先ほどの事。


そしてベルの持ち帰った、パーティの余興の話。

しかもただのパーティではない。ヘラクレスをおびき出すための、罠を仕掛けたパーティである。


「大丈夫、殺されても自己責任ってことで演目は自由にさせてもらえるから」

「どこに大丈夫要素があんの?」

「それよりも! あんたまさか興行目当てに領主の所に行った訳じゃないでしょうね!?」

「ああ、投獄されているのはアトリの言うサンで間違いないだろうよ」


何の根拠も無しにそう言うベルだが、アトリを除く団員はベルの事なので妙に納得してしまう。


「…って、何皆して納得してるの!? 証拠は証っ、ゲホッ!」

「ほらほら大声出さない。咳止め飲もうかアトリの嬢ちゃん」


そう言って、ターニッシュが町の薬局で見繕った液体の薬を差し出す。不機嫌な顔をしながらも、アトリは素直に薬を飲んだ。

その間、ベルはちょっと待ってておくれと外へ出て、暫くしない間に戻ってくる。

しかも、一人だけではなかった。


「何堂々と縛り上げた人引きずってるの!?」


シノンが我を忘れてツッコむ。ベルが何の予兆も無く中へ入れた、正体不明の男は縛られており、おまけに口はテープで閉じられている。意識はあるようだが、何かに怯えたように抵抗しない。

ターニッシュは怪訝な顔になる。ついこの前も自分が似た状況になったためだ。


「まーさかこんな時におっさんの後輩出来たわけじゃあ……」

「いや、“ヘラクレス”だそうだよ」

「もっと厄介!!」


ベルの行動には毎回驚かされるが、今回ばかしは仲間もうろたえる。アトリは唖然として、途中で着いていけなくなる始末だ。


「領主邸を出た時から、何かつけられていると思ったら案の定でね。ここの近くの路地に入った際に捕まえたのさ」

「じゃあ本当に……この町に“ヘラクレス”がいるのですね」

「ちょっと脅して洗いざらい吐かせたけど、厳重警備以前からこの町には潜伏していたらしい。今はどこかの無人の下水道施設に身を寄せているようだよ」

「ベルさん、脅しって暴力はいけないよ……」


シノンの発言に、ベルは怪訝な顔になる。


「ちょっと、誰が暴力したって言ったんだい?」

「他にどんな脅しがあるの?」

「それは……」


むー! むーっ! と、縛られた男が必死の形相で止めに入ろうとしている。それを見ていたターニッシュが何かを察したのか、「勘弁してあげようよ……」と変わってベルを静かに止めた。


「えー! 聞きたい聞きたい!」

「少年……世の中には知らなくていい事もあるんだ」


そんな年長者と年少者のやり取りはさて置いて、ベルは話を続けた。


「それでだ、話を聞いた所、サンは“ヘラクレス”が起こした物資盗難騒動の囮になったらしい」

「囮……!?」

「何でも、家族を医者に見せる代わりに、囮役を買って出た同族がいるとこいつが言っていた。実際、医者のつてなんて無かったが、手っ取り早く囮を作るにはいい餌だったらしいよ」


淡々と、ベルは真実をアトリに伝える。

アトリはすぐ傍にあったキャリーケースを、男に目掛け当てようとし、自分の物だったこともありターニッシュがすぐさま止めに入った。


「暴力反対だよ! 落ち着こうよアトリちゃん!」

「これが落ち着いてられるか! 何が“迫害意識の撤廃”よ! 実際ネメアの上位は下位を見下し、“傷物”は徹底的に排除しようとする! お前達はただ上っ面だけ述べているだけの野蛮民族だ!」


ネメアは、刺青の部位が心臓に近いほど、身分が上だとターニッシュはシノンとカシスに教えてくれた。つまり、アトリはもっとも遠い部位にある、つまり身分が下、更には部族を貶したとみなされる火傷の跡まである。相当酷い目に遭ってきたはずだと、彼は推測していた。

男はベルの手前、何も出来ないでいたが、それでもアトリを睨んでいた。アトリも構わず睨み返す。


「座長……俺達、どうする?」


このままじゃ埒が明かないと、ラスは話を切り替えた。


「そうですよ。私達にとっては、公演は喜ばしい事ですけど、状況が状況です。アトリさんを助けたからには、従兄さんの事も放っておけないですし……」

「放っておくとは、言っては無いだろう?」


何とも頼もしい発言をするベルだが、その顔はいつも以上に険しかった。


「私の考えに乗るかは、皆の勝手だ。何せ私も、状況に合わせてとはいえ勝手に決めてきたからね。ただ、話だけは聞いてくれるかい?」


ベルは話し始めた。これから起きるであろう事、危険性、そして何よりも、皆が傷つく可能性。

全てを話したが、ただ一つ、ベルが明かさなかったこと。

それは、ベルがモーゼルに見せたあの事象と、その意味。

だから、何故事がそんなに上手く運ぶか、気になっているのはカシスとターニッシュくらいで、ターニッシュにおいては詮索を諦めている。

ここまで何も言わなかったカシスは、静かにベルの行動を疑問視していた。

しかし最優先事項は、ベルの今言っている作戦だと、頭を切り替える。


アトリを含めた仲間たちは、それを全て聞いたうえで―――












数日後のパーティ当日を迎えた。


親戚の縁談が決まったという、急遽行われた身内だけのパーティと銘打ってはいるが、あくまでこれは表上。実際は雲隠れしている“ヘラクレス”を捕まえるための、厳重警備が敷かれた罠。

勿論、ヘラクレスが来るかは分からない。もしかしたら、警備が手薄になっていることを考え、ほかの地区で騒ぎを起こす可能性もある。そのためモーゼルは、ここに重きを置かず、各地に分散するように警備体制をとっている。


気持ちが休まらない中、礼服に身を包んだモーゼルは、ウェイターからワイングラスを受け取る。ここに居る者達は、全てこのパーティの真意を知っている。しかしそれを微塵も見せないほど、パーティの雰囲気は完璧で、見る者が見れば力の入りようが分かる程だ。


優雅なレコードの音楽が、鳴り止む。それが合図だった。


モーゼルは一層気を引き締める。


パーティ会場内に、突如としてアカペラの歌声が響き渡った。

ちょっとしたパーティに使われる、さほど広くも無いホール。空気という空気を震わし、優しい歌声を居る者全員の心に響かせる。

どこからそのような歌声が発せられているのか、誰もが不思議には思ったが、そんな事もどうでも良くなるかのように、全員がその歌声に魅了される。


聞き入っていたモーゼルを含む数人は、途中で不安にはなっただろう。このままでは本来の目的でさえ忘れてしまう、と。


すると、歌声の持ち主は姿を現した。可愛らしいドレスを身に纏った、仮面を被ったブロンドの髪の歌姫。いつの間にか用意された小道具の中心に立つと、仕事を忘れてしまいそうな錯覚にまで陥らせたその声を、途切らせた。

それが終わりと気づくには、少々時間がかかった。それほど皆、彼女の歌声に魅了されていたのだ。歌姫がお辞儀をして、ようやく演目が始まっていたことに気づく。慌ててモーゼルが手を叩いたのを皮切りに、ホール中に盛大な拍手が巻き起こった。


「紳士淑女の皆様! 本日はお招きいただきありがとうございます!」


いつの間にか横に立っていた、白髪に近い女性が歌姫を紹介する。長い髪は結っているが、一目見てモーゼルはベルだと気づく。


『飲んでいただくと言っても、そんな難しいことではありません。あなたの屋敷で公演を行わせてほしいだけなんです。パーティの演目という名目なら、そう疑われないでしょう』


ベルが提示した条件は、ただそれだけ。

確かに、身内だけという名目のパーティなら、少なくとも呼ばれもしない市民に危害が及ばない。実際身内を演じているのは、軍隊の精鋭だ。


そのような厳戒態勢が敷かれる中、果たしてヘラクレスは来るのか。


何やら挨拶を終えたのか、ベルが指を鳴らすと、スーツを着た背の高い男が何か大きなものを引きずって出てきた。下にローラーの付いているそれをストッパーで止め、覆われた布を無表情のまま引きはがした。

何と中身は、装飾の施された真紅の分厚い板に磔にされた中年男で、無精髭の生えた驚く顔をきょろきょろさせている。まるで今の状況を分かっていないかのように。

どうやらアシスタントらしき若き男は、立派なケースをベルの前で開ける。その中に入っていたのは、大小さまざまなナイフが、ずらりと。

マジックなのか、ベルは手からリンゴをぱっと出現させる。ナイフの一つを取ると、リンゴを放り投げ、フェンシングのごとくリンゴを突き刺す。


これは本物、切れ味抜群と見せつけるかのように。


そして何の前置きも無く、ベルはナイフを勢いよく投げた。

中年男の顔の横に、タンと小気味いい音が、鋭く突き刺さる。


「……ちょ、ベル、いやベルさん?」

「さあさあ、スリリングなナイフ投げに男は耐えきれるのでしょうか?」


男の悲鳴は演技なのか本気なのか、そんな声が響き渡る中、ベルは男の周囲にリズムよくナイフを投げつける。これは仕組まれたものだと知ってはいながらも、モーゼルを含む観客達は若干唖然としていた。

一通り投げ終わったのか、ぐったりとした男を磔のままアシスタントは脇にどけて、次に出したのは人が入れそうな大きな箱。


これもローラー付きの荷台に乗ったそれを、アシスタントが手際よく側面を開ける。

そこにはロープでぐるぐる巻きにされた上に、口元も布で縛ってある、拘束するにもほどがあると思わせるような、青褪めた人物。


「今宵最大の見せ場! これからこの“ヘラクレス”の男の、処刑マジックをご覧下さいませ!!」

「な!?」


会場に居る皆が驚いた。このような演目をするとは聞いていない上に、すぐ目の前に標的の“ヘラクレス”がいるからだ。

勿論モーゼルも驚いている訳で、我に返って止めようと動き出した時には、歌姫が男に向かって、用意されていた剣を突き刺そうとしていた。


歌姫の剣が弾け飛んだのと、銃声が聞こえたのは、その時だった。


窓ガラスが次々に割られていき、武装集団がホール内へと侵入してきた。

恐らく、正体は“ヘラクレス”。


「来たか!」


すぐさまモーゼルは手で合図し、その場にいた参加者やウェイターが揃って銃を取り出した。彼らは説明した通り、軍隊の中でも精鋭揃いである。

一部には避難誘導してもらおうと、モーゼルは一度ベル達のいた方向を見る。しかし、忽然と、彼らは小道具を残して姿を消していた。


「いつの間に……!?」


疑問に思ったのは一瞬で、部下の一人に何やら合図を送る。


モーゼルは“ヘラクレス”の捕獲へ向けて頭を切り替え、軍の指揮を執った。

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