ネメアの民
びっしりと水が地面を打ち付け、打楽器のような音が辺りを占める。
バケツをひっくり返したようとは、まさにこの事。
大雨の中、旅芸人一座“エルミタージュ”は、今日も町から町へと旅を続けている。
「座長さん、無理せず休めばいいのに」
いつも通りの移動小屋の中、アメリアは外で馬を操るベルを気にかけた。
「こんな雨の中じゃ風邪ひいちゃう。いくらお医者さんが入ってくれたからって、無理は禁物よ」
「せっかく最近、ラスが馬の操り方覚えたのに……ベルさん一人で頑張りすぎじゃあ」
(雨の中はまだ危険だからってベルは判断したんだ。もうすぐ町に着くことだし、気の済むまでやらせとけ)
「カシス、最後が余計だよ」
何の気なしにシノンがそういうと、すぐ横でボーっとしていたターニッシュが怪訝な顔をした。
「少年~、いくら自分には聞こえるからって、傍から見れば独り言なんだから気を付けな」
「あー……ベルさんは聞こえるから、何だか癖で喋っちゃうんだよね」
ここの所、自分が特殊だということを忘れてしまう時がある。
以前が以前だっただけに、今の環境がいかに自分にとって心地よい場所か。ベルが言っていた『日の当たる場所にしたい』が、もう自分の中で叶っていると、シノンは嬉しく感じていた。
「何、にやついてんの」
「ごめん、つい」
「大体さ、何でベルは内なる人格の声が聞こえるわけ?」
そんな質問をされ、シノンはふと考え込んだ。
そういえば、ベルは初めて会った時に、自分にしか聞こえない内なる声が聞こえると分かったのだ。どうして聞こえるかなんて、まだベルには聞いたことが無い。
「まあ、別に聞かなくても不便は無いし」
「あとおっさん、あのベルの“普通”でない事情を聞いていない気がすんだが……お前ら知ってるの?」
そう聞かれて、シノン達に静寂が訪れた。
雨の音だけが、煩くお喋りをしているようだ。
「僕達の知ってるベルさんって」
「戦わせたら強いです」
「気配が時々無いってのは聞いたぞ」
「何かと芸達者……」
(色々な事も見透かすぞ)
カシスの言葉をシノンが代弁し、またもや間が空いてしまう。
「……いやね、別におっさん詮索しようとは思ってないけれどさ、それだけで十分な気がしてきた」
そうターニッシュが結論付けた所で、移動小屋が止まったのが分かった。まだ町に着くには早く、疲れ知らずのベルがここで休憩というものおかしい。
もはやベルをそのように考えることも十分おかしい気もするが、とりあえず何があったのかと、団員達は外を気にかけ始める。
「ターニッシュ!!」
合羽を着たずぶ濡れのベルが、暫く前にラスが破壊した修理もままなっていないドアを強く開けた。
「至急この子を診てくれ!道で倒れていたんだ!」
そう言ってベルは、抱えていた同じくずぶ濡れの、茶髪の人物をそっと床に置いた。
サイドテールの髪の長い女性で、薄汚れた黄色いTシャツを纏っている。その顔は苦悶の表情に満ちており、先ほどまで水に当たっていたというのに顔は赤い。
ターニッシュはすぐさま、ラスには毛布、アメリアにはタオルと服の着替えを頼んだ。その間シノンは、ターニッシュの救急道具が入っている黒いバックを取りに行った。ベルは再び外へと出、トワロとセリエを走らせた。恐らく早急に町へ行くのだろう。
雨の打ち付ける音だけが、無機質に連なり響く。
「常備薬だが薬も飲ませたし、これで大丈夫だろ。なに、風邪をこじらせただけみたいだ」
毛布に包まれた女性を診終え、そう発言するターニッシュ。先ほどよりも表情は穏やかになっているようで、薬が効いているのが分かる。
「あとは様子見だな。きちんと安静にしてれば大丈夫、だが……ってお前ら、何?おっさん何か付いてる?」
やることを終えた団員達は、そんなターニッシュの診察の様子を見、目を丸くしていたのだ。
「いや……ターニッシュって本当にお医者さんだったんだなあって」
「入って以来、一度も医者らしい所を見てませんでしたから」
ラスも無言で頷く。入団したのが最近ということもあり、いまいち周りは“専属医”としての立ち位置を理解していなかったらしい。
「ふっ。惚れ直してもいいんだぞ?何ならドクターと呼びたまえ」
「調子に乗る余裕があるなら懸念事項を言え。さっき何か言いかけていただろう」
「ちょ、びっくりするじゃないカシスの嬢ちゃん! いきなり出て来ないでってば!」
「独り言が駄目なんだろう?シノンの手間も省けるし、周りは事情を知っている。出てきて何の不安事項も無い」
というか慣れろ、とカシスは会話を強引に終わらせた。何か言いたげなターニッシュだったが、とりあえずカシスに指摘された懸念事項を言おうと、真剣な顔になった。
「いやー、出来ればちゃんとした所で安静にしてあげたいんだけどさ、難しいかもなんだよなあ」
「次の町で、病院に連れていけばいいじゃないですか」
「それが、ねえ。アメリアちゃん、さっきこの子のふくらはぎに『変な痣みたいなのがある』って、おっさんに教えてくれたでしょ」
アメリアは男子が離れた所で、この女性の体を拭いていたが、その時奇妙な痣のような、傷の跡のようなものを右のふくらはぎに見つけたのだ。自分のおさがりの服を着せた後、ターニッシュにその報告をしていた。
「アメリアちゃんはそういうの無縁だから知らなかったかもなんだけどね……あれは刺青と火傷の跡っていうの」
「刺青……」
ラスが声を出した。何か、思いつく節があったらしい。
「まさか、ネメア……?」
「ご名答。酷く火傷の跡があったが、ありゃ完全に“獅子の刺青”だ。この子はネメアの民だよ」
アメリアも、そう言われて表情が曇った。
ネメアの民。カシスとシノンは名前は知っていたが……
「すまない、前の環境が環境で、その“ネメア”というのが何がまずいのか、理解が難しい。できれば説明をお願いしたい」
(カシスが知らないこともあるんだね……というか僕も知らなかったけど)
「ネメアの民っていうのは、ネメアっていう紛争地域に住んでいた部族の総称さ。何でも生まれたら、部族の象徴である“獅子の刺青”を彫るのが風習らしい。で、近年同族がテログループを結成してしまったのが最大の発端で、ネメアは野蛮且つ冷酷非道だとか、ありもしない噂が流れてあっという間に迫害の対象となってしまった訳よ。簡単に説明すれば、こんな感じかね」
それ以前にも人種差別問題があったと聞くが、とターニッシュは付け加える。
「ちょっと待て、まさか刺青の有無だけで、迫害されるされないが決まってしまうのか?」
「ぱっとした見分け方はそれだからねえ。ネメアは部族間意識が強いから、刺青を何らかの理由で傷つけると、追い出されるケースもあるって聞いたことあるし……たぶんこの嬢ちゃん、その部類だよ」
アメリアが、女性の額の濡れタオルを変える。時折発する、苦しそうな声を聞く限り、まだ熱にうなされているのだろう。
「ここはネメアとは遠い地域ですが、難民迫害の噂は良く聞きました。でも、見るのは初めてです」
「以前の環境がどんなだったかは聞かないが、カシスの嬢ちゃんも少年も、差別される身としてネメアの迫害の実態も知っといた方がいいよ。ネメアは名が通っている分、場合によっちゃお前達よりも酷い目に遭っているかもな」
「……火傷があるってだけで、仲間内からも除外され、更には外部からは迫害対象、か」
ふざけてる、と、カシスの怒りは静かに語り始めた。
「“普通”でないだけで異端扱いされる世の中、明らかに“普通”の人間が迫害されるなんて、腐ってるも同然だ……僕ら“普通”でないものを除外したところで、結局根本的な差別意識がある限り、不条理な世の中は変わらないんだ……!」
「シノン君……?」
言葉の途中で、いつの間にかカシスがシノンへと変わった。怒りの気持ちはシノンも変わらないのか、それとも意識が両方同じなのか、何とも不思議な光景だった。
「あ、あれ、いつの間に?」
「おいおい、慣れろってったって予兆も無く変わられちゃあ」
それでもだいぶ慣れたな、とおどけた調子でターニッシュは笑う。
「そうだ、おーいベル!お前のことだから察している気がするが、どーすんだ?」
コンコンと、ベルの方向の壁を叩き、ターニッシュは問いかける。それに応じるように移動小屋は止まり、下りたベルはドアから入って来た。
「ま、大体は聞こえたよ」
「この大雨の中どうやって……いやいや、都合がよくて大助かりだ」
「どの道、もうすぐ次の町・ポマールには着く。今から別の町に行くのも構わないが、生憎河を通らなきゃならない。この大雨で氾濫している可能性があるから、出来れば避けたいんだが」
「次の町に行くのは必須か。町が大のネメア嫌いで、検問していないことを祈るしかねえな」
そう、年長者が話をしていた時だった。
「駄目です! まだ安静にしていないと!!」
アメリアの声が響き、皆驚き彼女の方を見る。
黒いシャツにデニムの長いスカート、上に羽織っているのは淡いオレンジのボレロ。これはアメリアが随分前に着古したやつを、裁縫が得意なラスがリメイクしたものだ。
今は衣服が濡れて駄目になったため女性が着ており、その女性は立とうとしたのか、それでも体が言うことを聞かず、その場でへたり込んでいる。
「ちょっと嬢ちゃん! お前さん今絶対安静なの! おっさんこれでも医者だから、言う事聞く聞く!」
「い……医者……?」
信じられないといった面持ちで、女性はターニッシュを力なく見る。
「ちょっと……さっき、刺青どうこうって言ってた……見たでしょ?私、ネメア…………よ!!」
そう言い切ったかと思うと、女性は壁に引っかかっていた模造刀を手に持ち、ターニッシュ目掛け斬りかかってきたのだ。
もちろん模造刀だと分かってはいるが、ものがものなため当たれば相応の怪我をする。ターニッシュは慌ててそれを避けた。
「サンをどこへやった!! 殺していたらお前も殺してやる!! 私はあんたらの奴隷になんてならない!!」
「おねーさん! 落ち着いて!」
どこにそんな体力があるのやら、女性は模造刀を振り回し中を滅茶苦茶にした。
「どうせ後で法外な値段を要求するんだろう!? 目当ては何だ! 言ってみ……ぐ!?」
ベルが、女性の手首を掴み、模造刀を取り上げた。その顔は怒ってもいそうで、それでいて悲しそうな目をしている。
「どんな目に遭ったかは容易に想像は付くが、うちの備品を壊されたらたまったもんじゃないよ」
「放せ!! はな……せ……!」
糸が切れたかのように、女性の全身の力が抜けたのが分かった。ベルは女性をキャッチし、床はもので散乱している為、壁に持たれ掛けさせた。
「ま、ちょっとは落ち着いて話を聞いておくれ」
女性に毛布を掛け、ベルは静かに喋り始める。
「私の知っている限りでは、ここの奴らはネメアに迫害意識なんて持っていない。一人は刺青を痣と勘違いして心配し、一人は刺青を見ても気にせずお前を診た。そして一人はネメアを知ってても追い出そうなんてしなかったし、ネメアを知らない二人はネメアを迫害する実状に本気で怒っていた。それが私の知る、お前に対する真実だ」
女性は息を切らしながらも、ベルの話を聞き、何とも驚いた顔つきをしていた。
「嘘だと思うならそれでいい。だが、そこまでして人を信じられないのなら、それまでだ。私は止めないから、出て行っても構わない」
「座長さん!!」
「ただ、これだけは分かっておくれ。ここに居る皆、お前の状態を酷く心配している。人であってもそうでなくても、誰かを心配する気持ちは同じなんだ」
長く敷き詰めたような強い雨が、だいぶ弱まってきた。相変わらず止む気配は無いが、それでも辺りが大人しくなったように聞こえる。
ベルの言い分を聞いた後、女性は何かを呟く。そして、そのまま途切れるかのように目を閉じてしまった。
雨脚は弱まったが、まだ暗い雲が空を分厚く覆っている。
まだ降る雨の中、合羽を着た門番が見つけたのは、派手な色をした荷車……移動小屋だった。
明らかにこの門を目指している。もう一人の門番とアイコンタクトをすると、馬を操る人物に見えるよう、蛍光色の旗を振った。
そうして、移動小屋が門に近づき、そこで止まった。
「お手数おかけしてスイマセン、この町へご用でしょうか?」
「ああ、本当はこの隣町へ行く予定だったんだが、川沿いを通らなきゃいけないから急遽寄らせてもらおうとね」
「それは嬉しい限りですが、ちょっと問題が起こってまして……疑っている訳ではないのですが、そちらの荷馬車にネメアの民は?」
門番は口こそ丁寧だが、その目つきは鋭い。まるで獲物を狩ろうとしているスナイパーのようだった。
「うちは旅芸人一座でね、今いるのは私を入れて5人さ。何なら、中を見ても構わないよ」
「それでは失礼して……」
そう言って門番二人は、なんだか備え付けの悪いドアを開け、中に入った。そこには乗り手の女性の言う通りの人数で、銀髪の少年に背の高い男。可愛らしい少女に、中年の男が居た。
「旅芸人一座だけあって、色々なものがありますね……」
「門番のおにーさん、あんまり触ると仕掛けが誤作動して、怪我するよ」
銀髪の少年が言うと、周りが賛同するかのように頷く。
「ややっ、失礼。何せ見慣れないもので、つい興味が湧いて。失礼を承知ですが、右足のふくらはぎを見させてもらってもよろしいでしょうか?」
そう言って、一人一人のふくらはぎを確認していく。一人肌色がおかしいと感じたが、問題はそこではなかったため大して気には留めなかった。
そうして、二人は外へと出、乗り手の女性の足を確認する。
「大変失礼いたしました! 今、この町は大変な状況にあるため、厳戒態勢を余儀なくされまして」
「おや、それは大変。さっき言っていたネメアが関係しているのかい?」
「今、ネメアの男が一人投獄されていまして。数日前にこの町で起きた、物資の盗難に関わっているかと。テロ組織“ヘラクレス”が裏で暗躍しているかもしれないとのことで、領主様の命で門番をしている次第でございます」
「ご苦労様。それでは、私達は入らせてもらうよ」
そう言って、女性は町へ向けて馬を出発させた。
「もしお時間が宜しければ、領主様に会って行かれては?旅芸人の公演なら、喜んで許可を出してくれるかと」
そう門番が去り際に言い、女性は手を上げて頷いた。
ポマールの町に、秘密の集まり“エルミタージュ一座”が足を踏み入れる。