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蝶々ロング!  作者: 春野きいろ
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売り出しなんて行事もあります 4

 年が明ける十五分前、近くの寺から除夜の鐘の音が響いてきた。持ち場交代をするのか、ヤグラの下から声をかけられた鉄は元気良く飛び降りて、他の人間が代わりに上がっている。参道の入り口に張った縄が外され、夏に神輿が揉んだ急階段を人々が登っていく。足場が悪く暗い階段を、先頭で駆け上がっていくオレンジ色の髪が、境内からこぼれてくる灯りに薄ぼんやりと見えた。

 そのまま引き返すのもおかしな気がして、美優も初詣の人の波に乗る。町内会の法被も老人との軽口も、美優の知らない鉄だ。考えてみれば、急階段を一気に駆け上がる脚力だって知らない。草野球はお遊びだったし、厚い肩で鉄骨を担いでいると頭で知ってはいても、見たことなんてない。


 だんだん、扉が開いてく。口が悪くて無礼なだけだった客が、面倒見と気風の良い男で、けれども結構な甘ったれで。こうやって少しずつ、知ってきたんだ。

 こうやって少しずつ―――好きに、なってきたんだ。

 本人が自覚するよりはるか前に種がこぼれ、芽吹きも知らずに育っていた。気がついたときにはすくすくと育ち、アスファルトを割る雑草みたいに枝葉が外に飛び出してきて存在を主張する。出会ってすぐにこの人だと決めるばっかりが恋じゃない。沁み込むように始まる恋だってあるのだ。

 気がついたら好きで、こんなに好きで。自分で気がつかなかったなんて。


 階段を一歩一歩踏みながら、神社への新年の挨拶じゃなくて鉄のことばかり考えていた。口の利き方が乱暴でも甘ったれでも、そんなことは関係ない。全部ひっくるめて鉄で、きっと一番重要なのはそこなのだ。

 そんな風に考えながら賽銭を投げ込んで柏手を打ち、順路通りに裏に抜ければ参道を戻るだけだ。本当に遠目で見ただけだったなと半分安堵しながら歩いていると、後ろから首に腕がまわった。思わず悲鳴を上げれば、目の前には見知った顔がある。

「何、ひとりで来たの?」

 クロス職人だと言っていた女の子が、にこにこしていた。

「早坂なら、社殿の中にいるよ。一族三代で祈祷受けてる。もう出てくるんじゃない?」

 参道を駆け上がったのは祈祷を受けるためだったのか。怪我や事故の多い職場ならば、神頼みも真剣なのだろう。

「別に、会いに来たわけじゃないし……」

 言い訳しようと考えながら、差し出された甘酒のカップを受け取る。彼女はそこの担当らしいが、女の子は外に見当たらない。

「まあ、ちょっと待っててよ。私も美優ちゃんに聞きたいことがあるんだ」

「え? 何?」

「作業着のことなんだけどね。この前SNS繋ぐの忘れちゃったから……ごめん、ちょっと待ってて」


 鍋から掬った甘酒を配っている人の邪魔はできない。ペアで動いている人がいるとはいえ、持ち場は持ち場だろう。この後の用事があるわけでもなし、何時間も待っていろと言われたわけではないから、待っているのは構わない。ただできれば、何故ひとりで来たのかとは突っ込まないで欲しい。

 社殿から数人が束で出てきて、その中にオレンジ色の髪がないことを確認する。早坂興業の祈祷はまだ終わっていないらしい。ちびちびと甘酒をすすりながら、実は戦々恐々としていたりする。その間にも甘酒は注ぎ足され、それほど大きくない神社なのに人の波は引かない。


「みー坊ちゃん、初詣?」

 あまりの手持無沙汰に一緒に甘酒を配りはじめたとき、早坂社長が顔を出した。

「あけましておめでとうございます!」

 慌てて頭を下げて、隠れそびれた。

「町内じゃないよな? 手伝ってくれてんの?」

「いえっ! お餅もらいに!」

 もう、情けない言い訳でいい。早坂社長に手で呼ばれた鉄が、こちらに向かって歩いてくる。逃げるわけにいかない。


 新年の挨拶をして、鉄が防寒着でなくパーカーの上に法被を着ていることに驚いた。今更ながら自覚した気持ちを誤魔化すために、顔はかなり固まっている。

「ん、どうした? 新年早々のいい男だろ」

 美優の口数の少なさに、鉄が軽口を叩く。場を取り持つためにおどけることができる程度に、鉄は大人だ。だから美優だって、負けていてはいけない。普段の調子を戻さなくては。

「薄着だなあと思って。血の気が多すぎて、体温高いの?」

 そう訊ねると、頭に小さくゲンコツが乗った。

「自分で売ったもん、忘れんなよ」

 クロス職人の彼女の質問も、同じものだったらしい。

「確かにいいわ、これ」

 鉄がパーカーの腹をぺろんと捲ると、確かに見覚えのあるインナーが見えた。


 防風生地で更に蓄熱加工してあるから、厚いブルゾンを着なくても極寒の場所じゃなければ大丈夫だと、そう言って販売した。メーカーの受け売りだけで、自分で試したわけじゃない。冬前にまとめて仕入れたものを捌きたくて、鉄にも勧めた記憶はある。

「スノボに着てったら、汗かいたくらい。いろんなヤツに言ったから、どこで売ってんだって訊かれた」

「そうそう! 私も欲しいの。美優ちゃんにサイズとか在庫とか教えてもらおうと思って……はい、甘酒でーす」

 そうか、商品って売れればおしまいじゃないのか。それを身に着けて気に入った人が、リピート買いをしたり口コミで広げたりする。それには気がつかなかった。

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