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蝶々ロング!  作者: 春野きいろ
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売り出しなんて行事もあります 3

 朝遅く起きて冷蔵庫を開けた美優は、三本あったサイダーの瓶が二本になっているのを見た。両親が冬にそんなものを飲むとは思えず、犯人は自ずと絞られてくる。

「兄ちゃんは?」

「仕事よ。金融って大晦日まで大変よねえ」

 母親が豚肉の固まりにネットを被せながら言う。大した正月仕度はしない家だが、それでも日持ちする煮物や焼き物が食卓の上で冷めるのを待っている。

「あいつ、私のサイダー勝手に飲んだ!」

 小学生みたいな言いつけ口調は情けないが、子供っぽくいられるのは妹の特権だ。

「いいじゃないの、また買ってくれば」

「お土産にもらったのにー。三本しかなかったのに」

「三本もあれば、一本くらいいいでしょ。ケチくさいこと言ってないで、自分のカーテン洗っちゃいなさい」

 ぷっとむくれて、インスタントコーヒーに湯を注ぐ。確かに一本くらいのサイダーで言い立てるのは、大人気ない。

 だけどあれは、てっちゃんが私に買ってきてくれたものなんだよ。それを断りもなく飲んじゃうなんて、ひどいじゃないの。


 元旦には友達と初売りに行く予定だし、親戚めぐりしてお年玉をもらうなんて卒業しちゃったから、あんまり年末年始の実感はない。僅かに掃除した自分の部屋と、忙しそうな母だけが年末だ。洗濯の終えたカーテンを吊るすと、濡れた布で部屋の湿度が上がった。

 お正月が嬉しいのなんて、テレビの中ばっかりじゃないの。いつもと全然変わんない。仕事が連休になって嬉しいだけで、街に出ればちょっと飾り付けが派手なだけのバーゲンセール。彼氏ができないまま迎えた、二十一歳のお正月。年が明けてすぐ、二十二歳になっちゃう……え? 私、もう二十二になっちゃう? なんか重要項目が飛んでる気がする。私の恋と青春、どこ行った。


 夕方になってきたらしい。母親が揚げたてんぷらを大皿に盛っていると、テレビの中は大晦日の番組進行だ。鉄はもう、神社に入って初詣の用意をしているのだろうか。それとも家で新年の仕度を手伝っているのか。職人を束ねている家のお正月ってサラリーマン家庭と違うのかな、なんて考える。

 やだもう、気がつくとてっちゃんのこと考えてて、本当にイヤ。バカみたい、何にもないのに。


 町内会の青年部って、女の子もいるのかなあ。それでやっぱり寒い中で、一緒にお餅配ったり甘酒掻き混ぜてたりするのかな。そんなことを一緒にすれば、仲間意識が強くなるのは当然だよね。でも、それって何かズルくない? 私はその場にいられないんだから。

 気がつけば考えるのは埒もない繰り言ばかりで、そんなことに熱中しているうちに大晦日番組はどんどん進んでいく。頭の中に鉄と女の子が寄り添って甘酒を飲んでいる光景が出てきたとき、美優の頭の中の冷静な一部分が、こっそりと囁く。確認してくればいいじゃん。年越しの神社なんだから、人混みに紛れて見てくれば?


 行っちゃえ。自分の声に背中を押されて、スニーカーを履く。SNSで友達から誘われて年越し参りに行くなんて理由をつけるのは、簡単だ。ひとりで夜道を自転車で走る心許なさと、鉄に見つけられたいのと見つからずに覗き見したいのとの相反した期待で、胸がドキドキする。大したことをしているわけでもないのに、ひどく大胆なことをしているような。


 十一時を過ぎて火を焚き始めた神社の参道には、もう持ち込んだ札をくべる人たちがたくさん入ってきている。参道から離れた場所に指定された自転車置き場も、美優が考えていたよりも混雑していた。これなら見つからないと、安心して落胆する。どちらにしろ、現状は変わらないというのに。

「テツの彼女じゃねえ?」

 後ろから声を掛けられて、飛び上がりそうになった。振り向けば、忘年会のときに斜め前に座っていた顔の気がする。防寒着の上に町名の入った法被を羽織っているところを見れば、彼も青年部での活動なのだろう。

「彼女じゃないですっ! お餅配るって聞いてっ!」

 なかなか情けない理由だが、この際言い訳がない。

「つきあってんでしょ。スノボでも、嬉しそうに土産買ってたし」

 あ、つまりお土産は、配って歩いたわけじゃないってことか。

「テツなら誘導係だから、ヤグラの上だと思うよ。下から声掛けてみ?」

 すっかり鉄に会いに来たことにされ(間違いじゃない)その場で頭を下げて、参道に向かう。


 ヤグラなんて、盆踊りでもあるまいに。そう思いながら参道を進むと、もう年明けを待って並んでいる人たちがいる。ヤグラと言うよりは足場を組んだ低い物見台だが、その上に目立つオレンジ頭が浮いている。パーカーの上に、やはり町内会の法被。参道に並んでいる老人と、大声でやりとりしている。

「ほら、もうじき寺で除夜の鐘打つから、そしたら境内に入れるって。焦んなよ、年越しゃもっと老い先短くなるんだから」

 口は悪くとも話し相手も笑っているのだから、これは冗談なのだろう。楽しそうに交わされる会話を、まわりも微笑んで見ている。

 かっこいいな。素直にそう思った。年齢の違う人と大声で会話し、気負いもなく地域活動を楽しんでいる鉄が、とても素敵に見えた。


 やばい、頭が感情に追いつかない。てっちゃんが今までより、ずっとかっこよく見えちゃう。やっぱり来るんじゃなかった。だって見てるだけで、こんなにドキドキする。

 参道の隅で顎までマフラーを引き上げ、美優は鉄を見ていた。

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