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蝶々ロング!  作者: 春野きいろ
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卸し店と小売店の休みは、同じじゃありません その6

 一度しか会ったことのない顔ばかりだから、なんていうのは杞憂だった。数人の女の子を含めた集団はフレンドリーで、見覚えのある美優の顔は気さくに受け入れられた。派手に見える子ほど気遣い上手で、自分の普段の交友が偏っていたことを知る。美優は自分は普通だと思っていたけれど、そもそもの基準はサラリーマン家庭で可もなく不可もなく育ち、電車に乗ってお勤めに行くってことだった。

 違うんだな。普通って一口に言っても、いろいろな普通があるんだ。標準的なって言葉は知ってるけど、その標準って何を意味したものなんだろう。学校なら成績だけど、社会人は何? 年収? そしたらアルバイトの私なんて、基準にも満たないじゃないの。


 足が二十九センチの男は、作業服のままで登場した。知らない顔があると思ったのか、美優を見ておとなしく頭を下げる。店ではあんなに嵩高かったのに、女の子に近寄ろうとしないのが妙におかしい。気安い雰囲気に押されて、からかいたくなるのは人情ってもんだろう。

「先日は行き届かずに、失礼いたしました」

 バカ丁寧に頭を下げると、ひどくうろたえた顔になった。事情を知っている鉄だけが、やけにニヤニヤしている。

「……誰、だっけ?」

「伊佐治の相沢でございます。ご要望の靴のサイズは、ワーカーズさんで見つけられましたか」

 そこまで聞いて、やっと美優に思い至ったらしい。突然目線が上からに変化するのが、ちっとも可愛くない。

「ああ、あの役に立たない作業着売場」

 聞き捨てならないが、知り合ったばかりの人たちの前で喧嘩はしたくない。だから一言発するだけに留めておく。

「巨人みたいな足ですもんねー。ワーカーズにはありました?」

 実は前回取り寄せようか迷った末に、最寄りのワーカーズに客を装って問い合わせてみたのだ。イレギュラーサイズだから取り寄せはできるが、店頭には置いていないと返事をされた。

「あったよ、さすがワーカーズだよね。伊佐治とは品揃えが違うよなあ」

 半魚人の厚い唇がスラスラと嘘を吐き、美優は腹の中で溜飲を下げた。そんなとこで自分は正しいって見栄張って、何か得するとでも言うの。


「美優ちゃんって作業服屋さんなの?」

「うん、そう。てっちゃんはお客さん」

「あ、そうなんだ。お客さんとつきあってて、お店で何か言われない?」

 美優の顔に血が上った。乾杯で飲んだビールのせいじゃない。

「つきあってないよ。友達になっただけ」

 大きく手をパタパタして否定する。ここにいる人たち、みんなそう見てるのかしら。

「ふうん。ヤツも成長したかなって思ったんだけど」

 話し相手は面白そうに笑った。どうも鉄とはずいぶん前からの知り合いらしい。

「早坂って面倒じゃん。高校のときだって男子と下級生には人気あったけど、同級の女の子たちはぜんっぜん」

 それは、とても簡単に理解できる気がした。男女の扱いの区別ができないのに女の基準が母と祖母なんだから、感覚が派手に食い違う。男に囲まれてリーダーシップを発揮していても、中身が甘ったれ。考えるとマジで残念なヤツである。


「どこの作業着屋さん? 辰喜知とか置いてるんなら、今度オヤジ連れて買いに行く」

 女の子の言葉に、喜んで頷く。

「伊佐治って工具店の二階なの。お父さんの作業着?」

「やあだ、オヤジって親方のこと。私がクロス職人なんだよ」

 驚いて、顔を見返してしまった。女性の職人が存在することは知っていても、美優の売り場ではお目にかかっていなかった。

 長い髪にウェーブを施して綺麗にアイラインを入れた彼女は、企業の受付にいても違和感はない。言葉遣いがラフなのは気の置けない場所だからだろう。

「女の職人さんって、かっこいいですねえ」

 本当に職業って、いろいろだ。伊佐治でアルバイトをしたからこそ鉄と知り合い、知り合ったからこそ世間が広くなった。


 酔いが回ってくるにつれ、鉄の席が近くなってくる。

「みー、飲んでる?」

「飲んでるよ。楽しい」

「そっか、良かった」

 それだけの会話で放置されてしまって、話の中心にいるらしい鉄は美優を気に留めてはいなさそうだ。代わりみたいに新しい作業着を買いに行くって話が、他の男から出た。

「先にネットで選んどいて、取り寄せてもらうってのもできる?」

「できるよ。品番とサイズ言ってくれれば、手配する」

「じゃあさ、電話番号教えといてよ」

 美優の会話を聞いていたのか、たまたま耳にしたのか。スマートフォンを出していざ番号をってところで、鉄が割って入った。

「俺に言えよ。みーに伝言してやるから」

 よく知らない男に番号を教えるのもなんだかなあと思っていた美優は、少しだけ安心する。店から持たされている携帯電話じゃなくて、個人のスマートフォンなのだ。

「テツなんか通さなくても、直接言えば早いじゃん」

「いや、おまえ趣味悪いからさ、俺が選んでやるっつってんの」

 会話に紛れて番号交換は有耶無耶になり、あっという間に散会の時間になった。二次会には残らずに帰ると言うと、残念そうな顔をしてもらえたのがありがたかった。

「俺、みーのこと送ってから戻るわ」

 そんなことを言っている鉄も酔った顔をしていて、戻る道のほうが心配になる。いいからいいからと別れて帰りながら、美優には充実した忘年会だった。

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