衣替えは暦通りではありません その6
十月も末近くになってから、受注の大波が来た。衣替えは十月一日っていうのは、学校や決まった職業の制服だけなのかも知れない。一枚羽織って歩くのが当たり前になってから刺繍のデザインなんか持って来られたって、無理が利くわけがない。刺繍店は伊佐治専属じゃないんだから、他からも当然依頼が増えているのだ。
「申し訳ありません、刺繍は二週間ほどお待ちいただくことになります」
「寒くなっちゃうんだからさ、急いでよ」
「皆さんそう仰るので、刺繍店の作業が間に合わないんです」
「いつも頼んでるんだから、融通利かせてよ」
寒くなるのはわかりきっているのに、何故ギリギリまで発注せずにこちらに持ち込むのか。急げとか言われたって、入荷検品も刺繍も人力なのだ。
「ロゴのデザイン変えたからさ、新しいので作ってくれる?」
「デザインデータでお持ちですか」
「いや、名刺に入ってるから」
差し出された名刺に、浮かび上がるエンボス加工。それをどうやってスキャンしてデザインデータに取り込むのかなんて、考える客はいない。
「新しく型を起こすと、三週間程度かかるかも知れません」
「そんなに待てないよ。天下の伊佐治さんなんだから、急がせてよ」
客は自分が工具や金物で大きな金額を動かしているから、伊佐治は儲けているものだと思い込んでいるが、個人企業の小売店がどれだけの利益だっていうのだ。まして作業服数枚で何を言うやら。
「なるたけ急ぐように言いますので。制作できましたら、すぐにご連絡します」
口から出まかせで注文を受ける。毎日のように持ち込む刺繍店の店先に、普段の何倍もの段ボール箱が積まれているのだ。無理を言って次からの取引が気まずくなったら、そっちの方が困る。
「大きいつづら、三つ来たよ」
「もー品出し、やだーっ!」
暇を持て余してハタキをかける日が欲しい。出勤して売り場を整えると、午前便が入荷してくる。それを検品して客注と店頭用に分け、棚に商品を出しながら在庫をチェックして発注書を書く。防寒用でもないのに、手袋がやけに動いている。靴もハイカットやブーツタイプが出始め、季節が変わったのだと売り場で実感できる。すでに今月分の予算は軽くオーバーしてしまっているが、それについては了承を得た。店長はプロフェッショナルなのだから、季節代わりに予算オーバーするのは予測できていたらしい。追加予算についての許可は出すから、新規品の入荷ではなく補充であれば問題ないと言った。
「来勘に流せるものは全部来勘にして、あとはもう……」
松浦も忙しいらしく、美優の相談ごとにPOSから目を離さずに言う。
「あとはもう、なんですか?」
翌月の予算を削られると困る美優としては、ここで言質を取ってしまいたい。しっかり返事を聞かなくてはならない。横に立つ美優が動かないので、松浦はやっと顔を上げた。
「あのね、売れれば正義だから」
売れれば正義!
一言発した松浦は美優の驚いた顔を見て、そこまでの経験がないことをやっと思い出したらしい。ああそうかという顔で頷いて、ちょっと笑った。
「悪いね。階下は階下で目一杯だから、来てくれないと何に困ってるか気がつけないんだよ。毎日の集計してるから、手袋と靴が伸びてるのは知ってる。売れたものを仕入れないと売るものがなくなるのは当然だから、仕入れていいよ。ただ目安としては金額が決まってるんだから、クリアに近付けて努力はしてね。だから来勘を使えるものは使って」
仕入について、こんな風に説明してもらったのははじめてだ。闇雲に予算予算と言われているような気分になっていたのだが。
「もう半年売場に立ってたんだから、なんとなく理解してるよね。小売業って、商品を売ることが仕事でしょ。逆を言えば、売れれば仕事なんだよ。イカサマなしなら売れれば正義!」
正義ですか。
客注の伝票処理をして、刺繍店に持ち込むものを仕分けていると午後便が入荷してくる。刺繍店に持ち込むものをドライバーに渡して一息吐くと、仕上がったネーム入り商品が戻ってくる。それを検品して依頼客に電話すると、定時なんか過ぎてるのだ。
過ぎてたって客は来る。接客中に定時だから帰るとも言えないから、仕方なく受け答えする。
「お先に失礼しまーす」
「あれ、まだいたの?」
「いました!」
この会話は、何度か繰り返されるのだ。




