衣替えは暦通りではありません その4
今年最後だと天気予報で言っている台風は、少々強烈なものだった。西の被害が報道された途端に、美優の売り場から長靴とレインコートが消えた。発注して当日に入荷するようなものではなく、商品よりも台風のほうが先に到着しそうだ。客からクレームになっても、もう仕方ないだろうと腹を括るしかない。ヘビーで高機能なレインコートもポケットに入るような使い捨ても、全部品切れ。
ストックがないことが品切れの原因なのだとはわかっていても、潤沢な予算はないのだ。売場の商品を万遍なく揃えようとすれば、当月に売れる保証はなくとも仕入れなくてはならない。でないと棚もハンガーもスカスカと空いてしまい、はじめの頃のように寂れた様子になる。
うん、はじめの頃はあんなに商品がなかったんだし、長靴なんて置いてなかったもん。だからきっと、なければないで何も言われないでしょ。
美優は甘い。
人間ってのは驚くほど慣れるのに早い。売り場に何もない時期は長かったはずなのに、一回でも揃っているのを見れば次回も当然揃っていると思ってしまう。
「おねえちゃん、合羽ないの?」
「長靴くらい揃えとけよ、ダメだなあ」
「二階は役に立たないって、店長に言っとく」
「売切れたって?在庫くらい普通の店ならしてるよ」
「肝心のもの置いてないんじゃ、売り場に人がいたって仕方ないじゃん」
ぺこぺこ頭を下げながらサンドバッグになっても、基本は自分の不備でないので上っ面だけで反省した顔をするだけだ。いくら文句を言われたって用意できないものは用意できないし、相手も言い訳が聞きたくて言ってるんじゃない。欲しいものが目の前にない腹立ちを、そのまま美優にぶつけてるだけである。
それでもやっぱりゴツイ男に強い口調で言われたら、怖い。いちいち怯えた顔になってしまう自分も悔しいが、危害を与えられるわけでもないから助けを呼べない。
「台風のニュースはあったんだから、準備が悪いんじゃないの?」
多分美優よりいくつか年上の男が、棚板をガンと蹴った。以前、接客が悪いとひどい因縁をつけられたことがある。その時のことを思い出し、心臓が早鐘を打った。ああいった客は誰が悪い悪くないじゃなくて、絡みたいから絡むのだ。
「申し訳ございません。こちらの見込み違いで……」
睨みつける客に、美優はただ頭を下げる。
「みー坊ちゃーん、俺の合羽あるー?」
呑気な声で階段を上がってきたのは、鉄の父だ。台風の情報が来てからすぐに電話をもらって取り置きはしていたのだが、いかんせんタイミングが悪すぎる。
「少々お待ちください」
「いや、車を路駐しちゃってっからさ。兄ちゃん、悪いね」
合羽合羽と騒ぐ男の前でレインコートのパックを出したくないが、不正に隠しておいたものじゃないのだから責められる筋合いはない。仕方なくカウンターの後ろの棚から、名前を貼りつけた商品を取り出す。目敏く確認した男が、舌打ちする音が聞こえた。
「お得意さんに出す商品はありますってか。客を見る店だなあ」
早坂興業の社長は、首だけを斜にして男を見た。
「何か俺に言いたいことあんの、兄ちゃん?」
鉄と同じように、相手にダイレクトアタックである。鉄みたいに最初から殺気立ってはいないが、年齢分の威圧感が加算される。
「さっきその女が在庫はないって言ってたのに、出てきたから……」
その女呼ばわりは失礼だが、相手が格上だと理解できないほどバカじゃないらしい。男はちゃんと返事した。
「ああ、合羽欲しかったの?どこも在庫がなくなるのはわかってんだから、予約しときゃいいんだよ。知恵つけなくっちゃ」
早坂社長は自分の頭の横を人差し指でつつき、男にレインコートのパックを差し出した。
「Lで良けりゃ、兄ちゃんに譲るわ。どうせ明日は働く気ねえし」
ニヤッと笑い、またねと空手で階段を降りる早坂社長に最敬礼したのは、美優だけじゃなかった。
「なんか、あのおっさんに悪いことしたわ。これ、もらってくな」
絡んできた男は勢いを失くしてレジに向かい、美優は次に入ってきた客に歓迎の挨拶をする。階下から吹き上げて来る空気は、少々湿気を纏っている。台風が近くなっているのだろうか。
内線電話が鳴り、松浦から客注が告げられた。
「鳶合羽各サイズ、ニ枚ずつね。早坂興業さんの伝票で、急ぎじゃなくていいから揃えといてくれって」
男に商品を譲りながら、自社の社員が持っていなかったらと考えたのだろうか。安価なものではないのに。
鉄パパ、かっこいいな。さっきのやりとりも、相手が不愉快になるでもなく、遠慮を促すわけでもなく。
ほおっと溜息を吐くと、美優の定時になった。




