着衣は体温調節に必要なものです その5
「なんかこの前、怒ってたみたいだからさ」
鉄が差し出した炭酸飲料を、遠慮なく受け取る。ここは売場だなんて言っちゃいられない。秋なんて一生来ないんじゃないかと思う暑さだ。九月も終わりだというのに。
「別に怒ってないよ。でも、ありがたくご馳走さま」
それでもなんとなく、不思議な距離である。
「上着、いつできる?」
「明日引取りに行く予定。何のクラブ?あれ」
鉄はにやっと笑った。
「だせー名前だろ、あれ。親父の代から変わってないから。草野球とか飲み会とかさ、人数いる会社みたいにサークルってないじゃん。だから親父たちが、横の繋がりで作ったみたい。で、初代たちから体力とかで入れ替わりながら続いてんの。おっさんたちはおっさんたちで、まだ遊んでるんだけどね」
あ、女の子の入っていけない世界の話だ。お母さんの入っていたサークルになんて、娘は入らない。
「まだ上着なんていらないけどよ、来週の試合のときに着たいみたいだから」
「試合?」
「野球だよ。相手は柿沼運輸だけど」
その会社なら、知ってる。社員全員分の安全靴を購入してくれた。
「てっちゃんも野球するの?」
「おう、運動神経はいいと思うよ」
確かに外見から判断すれば、運動神経は良さそうである。
「ところで、今日は何をお求めでしょうか?」
ついうっかりと、雑談だけで終わらせてしまうところだった。鉄は伊佐治の客なのである。
「階下で修理に出してたヤツ、取りに来ただけ」
そう言いながら、鉄はカタログをぱらぱら捲った。
「これ、現物見たい。入れといて」
指差したページを横目で見ながら、隣で清涼飲料水を傾ける。ワークブーツみたいな靴は、まだ足が蒸れそうだ。
「来月になってからでいい?」
来勘の利かない会社だと咄嗟に考える自分に、ちょっと満足する。ちゃんと業者ごとの整理ができてるよって、自分を褒めたりしてみる。
「野球、見に来いよ」
自慢じゃないが、美優は野球のルールもよく知らない。それでも見に来いなんて言われると、ちょっと気持ちが動く。
「野球って、全然わかんないんだけど」
「打ったら走って、ホームベース踏めば得点。応援だけなんだから、見に来りゃいいじゃん」
応援って、何の義理で。しかもまだ紫外線は結構強いんですけど。頭の中で小さく反発するが、一生懸命普通の顔をしようとしている自分がいることも、知っている。
「ま、いいか。柿沼運輸さんもお得意様だし」
しぶしぶの体裁で、結構乗り気だ。
「ヒマなら、メシ行かねえ?」
「おばあちゃんが作ってるんじゃないの?」
「ばあちゃん、婦人会だかの会合だもん。作ってくって言ってたけど、いねえし」
その言葉で瞬間、吹き出しそうになった。食事の用意がしてあるのに、おばあちゃんが留守なら家では食べないって言ったも同じだ。
おばあちゃんがいないと、どこで食べても同じだもん。幼稚園児の声で言いたくなる言葉を、美優は歯の奥で止める。きっとこんなことを言われたら、鉄のプライドに障る。
「社長とおじいちゃんは?」
「あ?勝手に食って勝手に寝るんじゃねえ?今頃もう、風呂だよ」
美優の自転車は、早坂興業の名の入るバンに押し込まれたのだった。




