来客者数は平均しません その2
翌朝は品出しを終えて、カウンターの中でのんびりと折りたたみ椅子を広げる。パソコンを開いて、頬杖をつきながら発注書の書式を考える予定、だった。
「これ、裾上げしてくれる?」
朝の九時半にいきなり裾上げっていうのは、滅多にない。仕事中に破れてしまったので間に合わせに、なんて人は裾の長さどころじゃないし、現場が休みで買い物になんて人は大抵昼頃の来店だ。
「これから打ち合わせに穿いてくから、すぐやって。どれくらいかかる?」
「三十分ほどいただけますか」
「そんなにかかるの?じゃ、車で待ってるから終わったら呼んで」
慌ててミシンをセットし、リッパーで裾を開く。長さが決まってしまえばミシンは手間がかかるものじゃないから、長さを決めてから裁断までが面倒なのだ。チャコでつけた印まで折り返したところで、新しい客が来た。
「いらっしゃいませーっ!」
「ええっと、安全靴って言われたんだけど、どんなのがありますか?」
若い女だが、伊佐治では小さいサイズの安全靴は在庫していない。
「お客様が履かれるんですか?スニーカータイプでよろしいでしょうか?」
「スニーカーじゃなくて、安全靴……」
自分に必要なものを把握していない客は、時間がかかる。接客していると、裾上げが遅くなってしまう。ミシンを使いながらカタログを広げるなんて、不可能である。
お待ちくださいと言い置いて、階下に走り降りて松浦を捕まえる。
「急ぎの裾上げがあるので、接客の補助お願いします!」
要求だけ宣言して、振り向かずに階段を上がった。客を待たせている手前、松浦は美優に断ることしかできないのだ。客に直接、接客できませんなんて言うバカはいない。だから松浦が口を開く前に、任せたよと一方的にぶん投げた。余裕がないので偶然そうなっただけだが、有無を言わせぬ手をここでひとつ学んだわけだ。
松浦が押っ取り刀で二階に来るまでの間、美優は数冊のカタログを取り出していた。女の子受けするデザインの多いメーカーとJIS規格を通った重い物、両方を松浦に渡してもう一度ミシンの前に座る。手で縫い代を押さえながら片足分ミシンをかけ終わると同時に、松浦から声がかかった。
「アイザックさんって、発注してから何日かかる?」
「今の時間だと、明後日入荷ですね。お急ぎですか?」
半分は松浦に、半分は客に話しかける。松浦相手では話し難そうな若い女は、本当は美優と直接話したそうである。
「明後日から履きたいんですけど、明日何とか入りませんか?」
美優の顔を見て言う。実はすぐに発注すれば、翌日入荷可能なタイミングだ。ミシンがけは残り片足、どうにか発注は間に合う。
「ご注文モデルがすぐにお決まりになれば、可能です」
「すぐって、どれくらい……」
時計を確認して、返事をする。
「あと十分で発注書を送れば、間に合います」
客が真面目な顔でカタログに向き合っている間、慌ててもう片方にミシンをかけて仕上げた。裾を合わせてたたみ、階下に走り降りて駐車場の車で退屈そうに煙草を吸っている客に頭を下げた。
「レジに置いてありますので、煙草を吸い終わられましたら」
一応にこやかに話してはいるつもりだけれど、頭の中は大慌てだ。発注書を流すのに、靴一足ってわけにいかない。他に在庫が少ない物を拾わなくては、発注の最低金額に届かない。売場に戻ると、安全靴はまだ決まっていなかった。松浦が相手してくれているので、そのスキに発注予定品を拾ってWEBの発注画面にパスワードを打ち込み、先に売り場の不足分を打ち込んだ。
「美優ちゃん、これに決まったから」
松浦が示した品番の色とサイズを入力して、発注受付番号が画面に映し出されたのは、九時五十九分だった。
やればできるじゃん、私!ちょっとぜいぜい言ってるけど!
安全靴の客の名前と連絡先を確認し、予約票の半券を渡せば終わりだ。客と松浦両方に礼を言い、入荷したら連絡するからと頭を下げる。
そうしているうちに、お姉ちゃんちょっとなんて、また声がかかった。
「ヤマヤテブクロの軍手でさ、薄くてフチが赤いヤツ入れてくれないかなあ」
滅多にない客からのアクションが、何故今日は続くのだろう。気が抜けないまま接客をし、終わったころにまた問い合わせだ。発注書の作成は午後からにしようと決めて、美優は昼休憩の休憩室でテーブルに突っ伏した。
昨日までのヒマさは、却って幸せだったのかも知れない。
昼休憩から売り場に戻ると、どこかで見た顔が待っていた。
「どーもお久しぶりです。前山被服です」
大きなトランクと、ボストンバッグが置かれている。
「二号店さん、最近発注が増えてますからねえ。新しくサージで作業服作ったんで、見てもらおうかと」
にこにこしながら、カタログを開く前山被服に罪はない。アポイントメントなしで来ることは珍しくないし、新製品の紹介は有難い。
美優の翌日必要な仕事が、後回しになること以外には。




