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蝶々ロング!  作者: 春野きいろ
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来客者数は平均しません その1

 そのブランドもあっちのブランドもとカタログを大量に持って帰った人がいた、お盆明け。ニッパチの枯れなんて言葉は聞いたことがあるが、こんなにヒマで良いのかと思うくらいヒマである。入ってきた客はおとなしくインナーや靴下を持って階下に行くだけで、美優の接客なんて必要ない。時々サイズの話をする人はいるけれど、取り寄せだと言うと概ね返事は決まっている。

「じゃ、いいや」

 今目に付いたから欲しいのであって、何日も待つのならば他の店で気に入ったものを買うというのが、言外の意だ。美優だって服を買いに行けばそうなのだし、在庫の少ないこちらが悪い。


 そうなのっ!もっと在庫を置いておければ売れるのにっ!上がり調子だとはいえ、業績の確実でない物品に多く予算を取るほど、企業は甘くない。悔しければ実績を積んで仕入れの文句を言わせないようにすれば良いのである。少なくとも、一号店の熱田は結構自由に仕入している。

 値下げ箱に入れた商品は、着々と無くなっていっている。こんなに売れるのならと同じような金額の手袋を入れてみたら、今まで見向きもされなかった手袋まで売れるのだ。宝探し感覚と、本来の場所にないのだから安価に違いないという思い込みで、買われていく。人間の心理は面白いと思いつつ、自分はこの手には引っかからないようにしようと自戒するのみである。


 客が来ないと溜息を吐きながら、商品にハタキをかける夕暮れ。階下のレジの挨拶も、今一つ元気がない。今月の売上は低いだろうなーなんて思いながら、挽回の案なんて出ない。今日口を利いた客は農家のオジサン一人で、お買い上げは麦わら帽子一枚五百円也。

 誰でもいいから来てよぉ。そんで作業服の一枚も買って行ってちょーだい。じゃないと、私の存在意義レゾンデートルが危機だわ。ん、レゾンデートルってどこの国の言葉だろ。ググってみよ……なんて仕事用のパソコンでインターネットを開いたりしてしまう。

 そんなことをしても、更に有り余る時間に飽きてきた。


「あ、いたいた。伊佐治の二階だって本当だったんだー」

 そう言いながら入ってきた男は、多分三十に手が届きそうな年頃だ。

「いらっしゃいませ」

「祭りのときに、テツの子分と一緒にいた子だよね?」

 テツの子分って、リョウのことだろうか。

「仲良さそうだったからさぁ、どこの子だって聞いたら伊佐治だよって。ここって、おっさんばっかりじゃなかったっけ?」

 男はずいぶんと気安い性質らしい。ここの客の三分の一はそんな感じだし、美優も最近見た目がイカツいくらいではビクビクしなくなった。

「春から入ったんです。よろしくお願いします」

 軽く頭を下げた。


「安全靴見たいんだけど、おすすめのモデルってある?」

 男は棚を見回しながら言った。着ている赤いツナギには、背中に大きく会社のロゴがプリントされている。胸に入った小さなプリントは、正式社名なのだろう。こんなツナギもいいな、会社全員分とか請けたら嬉しいのになーなんて思いながら、一緒に安全靴の棚の前に立った。

 最近動きの良いモデルをいくつか紹介しても、男の目にはこれといったものが選べないようで、首を傾げている。

「なんかさ、元気に走れそうなヤツがいいんだよね。若い子、増やしたし」

 この人だけが履くんじゃないのだろうか。靴一足にこんなに時間かけてるし。

「カタログ見て、サンプル取ってもらっていい?」

「はい、もちろんです!」

 サンプルを一足取るくらいの客注ならば、いくらでもある。


 男が目を留めたモデルは耐滑・耐油と謳っているもので、そこから美優の思惑は外れた。カラーは六色展開、サイズもレディースから大きなサイズまで。

「これね、この三色見せて。そのうちの一色はフルサイズで入れてもらって、一回会社に納めてもらっていい?全員足入れさせて、サイズ見ないと」

 フルサイズとなると、大層な大荷物だし結構な金額である。そして、全員って言葉は何を意味するのかと思えば。

「全部で八十人くらいになるかな。名前と色とサイズ書けるような発注書、作ってくれる?」

 男の出した名刺は、そんなに遠くない場所に位置する運送会社の役員になっていた。

「社員さん全員分の安全靴ですか?」

「うん、半年に一回ずつ靴も支給するんだ」

 半年に一回!これが上手く納まれば、次も受注になるかも知れない。


 深々と頭を下げて、男を見送る。退屈な営業時間が続く中で、これくらいの売上は欲しいよねーなんて、嬉々として店長に報告して協力を頼む。車で靴を搬入しなくてはならないのだから、美優だけではどうにもならないのだ。靴の箱は大きい。

 うん、今月もこれで乗り切れるかな。来月の予算が取れないと、冬物の仕入れが苦しいもん。美優は胸を撫で下ろし、発注書を切った。撫で下ろした胸のライン通りに、少々寂しい今月の来客者の彩りが来た。

 お客さんからこっちへ貰う一覧表は、ゆっくり明日作ろうっと。どうせ靴が入るのは、明後日だもの。のんびりでいいや。

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