本を読むときは、あいうえおから覚えます その3
翌日の午前中は店長が留守で、美優は仕方なく二階で棚の整理を始める。靴をモデル分けしてサイズ順に箱を並べるだけなのだが、思いの外手間がかかる。というのも、棚にサンプルが出ているものと実際の在庫量が違うのだ。棚にサンプルが出ていなければ、当然客はそのモデルは置いていないものと思う。だが実際にはフルサイズで揃っていたりする。逆に箱から出して本体だけレジに持って行ったらしく、軽いと思ったら空き箱だったなんてものは、いくつもあった。客にしてみればサンプルで出してあっても商品は商品だから、棚にあるものでもサイズが合えば買ってしまうし、その空いた部分がどうなろうが知ったこっちゃない。管理する人間がいれば気がつくことだが、生憎と担当者は不在だった。そして箱の表面は、うっすらと埃に覆われている。しばらく誰も手を触れなかったみたいに。
本当に売れないんだわ、ここ。床や棚の表面に掃除が入っていても、商品の拭き取りまではされていないのだろう。美優の軍手はあっという間に薄茶になり、なんとなく髪が埃っぽくなった気がする。
せっせと靴の整理をして在庫を積むと、棚の空きが穴のように見えた。十足程度の靴に、壁一面を使っているのはおかしいのではないかと思う。いくら客からの注文待ちだからといっても、靴は履いてみないと足の形に合うかどうかわからない。A社とB社では足幅も土踏まずの高さも違うというのは、安全靴でも同じなのではないかしらんと、美優はそこで考察する。スーパーマーケットの靴売り場ですら、これよりも種類も量も多い。カタログで気に入っても実際に履いてみると気に食わないってものも、存在するはずだ。それともメーカーもモデルも変えないで、何年も同じものを履いているんだろうか。
うん、きっとそう。だって仕事なんだから、決まったもの履いてるんじゃないかな。
階段を上ってくる音が聞こえて、美優はそちらを振り向いた。
「い……いらっしゃいませ」
こわごわと挨拶をする。どこからどう見ても怖そうな男が、にっこりと笑った。
「どーもー。軍手ちょーだい。明治ゴムの270番、三双入りのヤツね」
「軍手なら、こちらに」
美優が指し示したのは、木綿の軍手である。
「違う違う、背抜きの薄いヤツ。いつもこの辺に……ああ、これこれ。これのLL、五パックでいいや」
男が手袋をフックから取ると、その商品はなくなった。
「新人さんだって?これね、一番使い易いから切らさないでね。ここの店、頼まないと何にも入って来ないんだもん。しっかり頼むよ」
怖そうな男は実際には人の良い話しかたで、美優にどーもと礼を言って階段を降りていった。美優と言えば、ありがとうございましたの一言すら言えなかった。
背抜きの三双って、何?男が持っていった手袋の、サイズ違いを手に取った。三双、つまり三組なのはすぐにわかった。背抜きの意味がわからなくて、他の商品のパッケージを手に取る。いくつか見比べて、手の甲にコーティングしていないものだと見当がついた。背がゴムや樹脂を被っていないから、背抜き。意味が理解できて、やっとほっとする。
さっきのおじさん、切らさないでって言ってたよね?なくなったら、補充しとかなくちゃいけないんじゃない?そう言えば、熱田さんも売れ線が品切れてるって言ってた気がする。
手袋のかけてある棚(これも三メートルくらいの幅に、縦横びっしりだ)を見渡す。改めて見れば、商品のまったくかかっていないフックがいくつもある。それも買われていったものならば、補充しなくてはならないのかも知れない。午後から店長に発注するのか相談してみることに決め、美優は昼休みをとった。