先行発注は三ヶ月前に行われます その4
駅まで三十分歩く億劫さよりも、少々遠慮しながら常連客の車に同乗させてもらう楽さを選んだ。二度目だし祭りでも会っているし、前ほどの逡巡はない。ユニフォームのポロシャツを脱ぎ、バッグに丸めて入れた。駐車場でエンジンをかけて待っている、鉄の車の助手席のドアを開けた。
「駅までで大丈夫でーす。助かりまーす」
「どうせ大した距離じゃないから、家の近所まで行くよ。一駅だろ?」
返事が戻って車が発進する。外作業をしていた店員がニヤニヤしていたことを、美優は知らない。
「髪、またオレンジにしちゃったの?」
「緑とどっちにしようか、迷ったけどな」
黒い髪のままという選択肢はないのだろうか。
「黒いままにしないの?」
そう問うと、鉄は少し笑った。
「親父と似てるからさ、いやなんだよ」
一緒に仕事をしていて、似ていると不都合なことでもあるのだろうか。三代目と聞いたからには、きっと家業ってものなのだろう。続いていく仕事の中で、似ていることは良いことのような気がするのだが。
「お父さん、嫌いなの?」
「嫌ってたら、親父の下になんか就かねえよ。一方的に親父にライバル心抱いてるっつーか、まだ相手にもなんねえけど」
それ以上話を突っ込むのもどうかと迷い、結局話を流した。
「髪、黒い方がいいと思うんだけどなあ」
実際、髪の黒い鉄の方が、美優の好みに近い。背は高いのだし、ほど良く日焼けして筋肉質の身体は精悍だ。ただし服装の趣味は合わない。
美優の使う駅が近くなって来ると、鉄はハラヘッタと呟いた。
「メシ食わねえ?奢るから」
外はまだ明るい。たまには毛色の変わった相手と食事してみるのも、楽しいかも知れない。自分のバッグの中には、寝る前に落ち着いて見ようと思っていたカタログが入っている。
「いいけど。ファミレスくらいしかないよ、このあたり」
「それでいいよ。普段はばあちゃんの醤油くさいもんばっかりだから、ちょうどいいや」
おばあちゃんと一緒に住んでいるのだと、そんな情報だけは頭に入った。他人の家族構成なんて自分に照らし合わせてしか考えないものだから、大きい家なのかと思うだけだ。
道なりのファミリーレストランで向かい合わせに座り、美優は自分がおかしくなった。鉄とは何度も顔を合わせているが、あくまでも店員と客でしかないのだ。ブティックの店員や美容師と仲良くなっても、個人的な連絡先なんて交換したことはない。
私とてっちゃんって、いつから友達になったんだろ。友達が整体師とつきあいはじめたとき、どこの治療したんだなんてみんなで囃したけど、私も何売ってるんだって笑われるかな。
話題があるわけじゃないから、鞄からカタログを持ち出して話の接ぎ穂にする。
「このクソ暑いのに、なんだそれ」
「そう言わないで、見てよ。来季のニューモデルなんだって。どう思う?」
まだ発注していないメーカーだが、人気のあるモデルは発売後ひと月でメーカー在庫が切れると脅されたものだ。
「辰喜知なら、なんだって売れるんじゃねえ?お、これいいな」
美優の貼った付箋のページを見て、鉄がちょっと身を乗り出す。
「ドカジャンって感じじゃないから、仕事じゃない時に着る。俺、LLで一枚予約しといて。あとさ、このジャージも」
美優の付箋の上から、色を変えて自分の欲しいものの付箋を貼っちゃったりしている。
「それ全部一回で買うと、結構な金額になるよ?」
時給で働く美優は、一度にそんなにたくさん着るものを買ったりしない。
「結構なったって、定価で足しても五・六万ってとこだろ。伊佐治で買えばもう少し安いし、別に問題ねえわ」
ちょっと驚いて、鉄の顔を見た。もしかしたら、金銭感覚もずいぶん違うんだろうか。汚れるものだし消耗品だから、安価なものを次々買い換えたほうが気持ちが良いのではないかと思っていたが、鉄はブランドに反応している。
「てっちゃん、二号店の作業服が足りないのは知ってるだろうけど、他に何が足りない?」
いくつも作業服店を見ている顧客の声を、生で聞ける絶好のチャンスだ。
「足りないってか、余計なものもありすぎ。十年くらい前のシャツとか、捨てちゃえばいいのに」
四つに切ったエビフライを口の中に放り込み、鉄は左手で何か廃棄する仕草をした。




