年中行事も対応します その5
柄杓で冷水を掬い、頭を低くしている鉄の盆の窪あたりに零してやる。濡れた犬みたいに頭をぶるぶるっと振った鉄は、大きく笑った。
「生き返ったぁ!」
肩抜きした法被が濡れているのは、美優が掛けた水と汗とどちらが多いのだろう。ポリバケツから水を掬って柄杓で直接口に運んでいる鉄の横で、美優は思わぬ緊張をしていた。
なんてゆーか、普段と違う味わい……味って何よ味って。髪の色が違うのもそうだけど、なんか違うのよ。服着てないから?いや、ハダカじゃないし!
自分にツッコミを入れつつ、どぎまぎ。
「あ、みーさん!ちょっと見てくださいよぅ、痛いんだからー」
人混みを掻き分けるように、リョウが近寄ってくる。法被をずらすと、肩には結構な内出血だ。
「これは痛そう……冷やす?タオルも当てとく?」
「泣きそうっすよ、もう」
氷水で冷やしたタオルをリョウの肩に当ててやって気が付くと、何故かまわりに人が増えている。身体を動かして体温の上がった男ばかり七人も八人も揃っていると、体感温度が十度くらい上がる気がする。お水と塩が欲しいのかなーなんて呑気に考え、リョウの肩のタオルを替えてやろうとしたその時、目の前を平手が横切った。ぱん、と小気味良い音がする。
「このガキが、お姉ちゃんに甘えてんじゃねえ!」
言葉は悪いが、ニヤニヤ笑いなので剣が立ってるわけじゃない。
「痛ぇの疲れたのって泣き入れて、やさしくしてもらってんのか」
「根性入ってねえからだ。これから宮入りで暴れんだぞ、ガキ」
見るからにリョウが一番年下で、兄ちゃんたちはヒョロヒョロした弟を構いたくて仕方ないのだ。
「だってほら、こんなに内出血しちゃってるんですよ。明日腫れ上がっちゃうよ」
差し出して見せた肩を揉まれ、リョウはギャアと叫び声を上げた。
「お姉ちゃん、こんな根性なし甘やかさなくていいからね」
美優に向かってにっこり笑った一際ゴツい男が、リョウを引き摺ってゆく。痛いの乱暴だのと言いながら、リョウは楽しそうに引き摺られていった。
いいな、男の子って何か楽しそ。
「肩入れろーっ!」
「応!」
「上げろーっ!」
「勢やっ!」
確かに、鉄はいた。先頭っていうのは物理的な先頭じゃなくて、音頭取りをしているというような意味合いだったらしい。精一杯出したらしい声は、割れてしまっている。鉄よりも年上の男もいるだろうに、ちゃんとまとまって気合を入れている。
悔しいけど、かっこいいじゃないの。こっちなんか、見やしない。別に手を振って欲しかったわけじゃないのに、なんだか置いて行かれた気分だ。
余ったからと持たされた清涼飲料水を抱えて、一度自分の店の屋台に戻ると、通りはごった返していた。宮入に合わせて少しずつ、人々が神社の方向へ移動していく。こちらも結構な戦場になっていて、水分を補給しつつ一息吐こうなんて雰囲気じゃない。
かき氷にシロップをかけ続けていると、夕暮れの気配が漂ってくる。
「みー坊、もう神社の方に行って。東町内会に混ざって直会の仕度してね。片付けは明日になるから、終わったら帰っていいよ」
(注・直会っていうのは、神事に携わった人たちが神酒をいただいて食事を共にする儀式。形的には小宴会ですな)
今度は伊佐治染め抜きの法被を脱ぎ、カットソー(それでも伊佐治のプリントは入っているのだ)のまま、美優は裏参道から神社に向かった。表参道の下から入ろうとしたのだが、もう壮年の男たちが腕組みで神輿を待機していて、ものものしい雰囲気になっているのである。急階段の下から眺める最後の揉み合いを、はじめて上から見ることになる。地域では喧嘩神輿とも評される激しい神輿は、女が入ることは許されない。男女差別じゃなくて、物理的な問題で怪我をするからなのだが。
今までは激しい動きに圧倒されて見入っていたものを、違う角度から見る。知っている人間がその中にいるというだけで、神事はこうも身近になるものなのか。鉄が、リョウが、身体じゅうの力を振り絞って最後の揉みの中にいる。それだけで、ドキドキする。




