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蝶々ロング!  作者: 春野きいろ
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アンテナは高く姿勢は低くが基本です その3

 アイザックの置いていったリーフレットを引っ張り出し、農業の女性向けの商品を確認する。新規に開発したラインだと言ってはいたが、結構充実のラインナップだ。UVカットのパーカー、ガーゼのシャツ、伸縮性のあるパンツに帽子、長靴、アームカバー。ひとつひとつはどこにでも売っている商品に見えるが、コンセプトが違う。トップスは屈んでも腰が出ないように後ろが長めだし、ボトムスは長靴が履きやすいように足首が細い。街着にしても違和感はないけれど、プラスアルファの細工がある。

 試しに一枚だけ、入れてみよう。興味がありそうなら説明して、目もくれないようなら夏に私が着ようっと。


 農家ってことは外仕事だろうからと、サーモンピンクのパーカーとネイビー主体のシャツの発注書を切った。そして元々の客注であるゴム手袋と、通常の仕入れ。

 ずいぶん予算を気にしないで発注できるようになった、と思う。以前は二社に分けての発注なんかすると、残りの予算が気になっていたのに。売れないかも知れない商品でも、数点なら飾りと割り切って発注できる余裕ができた。これが販売に繋がるのなら、新しい客層の開拓だ。

 余裕が開拓を産み、手が広がっていく。けれどそれだけじゃない。情報を仕入れているからこそ、商品が存在することも必要な客がいることも理解するのだ。


 もしもアイザックが紹介した商品を、うちでは売れないと無碍にして、資料ごと破棄してしまっていたら、客の農業という言葉に反応はしなかった。そんな客も二階に来ることがあるんだななんて、思うだけで終わってしまったろう。外仕事だからUVカットが必要だとか、女性だったら仕事中に長靴の色味までコーディネートできれば楽しいだろうとか、絶対に考えが及ばないはずだ。


 アンテナを高くして、常に新しい情報をキャッチしなくてはならない。自分が販売しているのは、必需品じゃない。扱う店は他にもあるのだし、現に伊佐治の売り場が一年前の状態であっても、誰も裸だったり素手で仕事をしたりはしていなかったのだ。逆を言えば、伊佐治の売上が上がっているのは、他の販売店の売上が落ちているってこと。常に新鮮な情報を提供しなければ、あっという間に立場が逆転してしまう。


 実は美優は、まだそこまで深く考えてはいない。自分の持つ知識が、売り上げに繋がるかも知れないという事実だけが嬉しくて、次は何をしようかとカタログを捲ってみているだけだ。それが勉強であり、一号店との連絡が情報の共有であり、展示会やメーカー営業との雑談がヒントなのに気がつくには、少々経験不足なのだろう。



「ご連絡いただいた大沢と申します」

 小さなサイズの手袋を引き取りに来た客は、美優の想定とあまりにずれていた。女性の職人の接客はときどきあるし、家族の作業着や軍手を代理で購入する主婦もいる。恋人と一緒に来る、派手目の女の子もいることはいる。会社単位の取引なら、事務の女性が打ち合わせに来ることもある。けれどなんていうか、大体が伊佐治に来ても違和感のない人たちなのだ。

 着飾っているわけでもなく、ヒールの高いサンダルを履いているわけでもない。たとえば駅前で通り過ぎても、感じが良い人だなーと感じただけで通り過ぎるタイプだが、伊佐治の店の中では強烈な違和感だ。

 農家の人だから、小柄でも日焼けしてがっしりした人をイメージしていた。そこからでも、ずいぶん違う。


 多分引き算で計算したシンプルでカジュアルな装い、日焼けなんて微塵も感じない白い肌。中綿の入っている防寒服に見慣れた目には、ウールのコートが新鮮だ。そして冬の厚着に包まれた身体は、美優よりも華奢。この人が農作業をしているなんて、まったく考えられない。


「はじめて来た店っておもしろいですね。ちょっと見せていただいてかまわないですか」

 そんな言葉で我に返り、どうぞと愛想よく返事した。思い込みって怖い。農家だっていうからこういう人って、自分に言い聞かせてしまった。

 考えてみれば、鉄とリョウが同じタイプなわけじゃない。同じ職業だからって、十羽一絡げで同じタイプじゃないのだ。

 気を取り直して、アイザックの残していったリーフレットを引っ張り出す。農業ガールなんて書いてあるそれが、たとえ客の見かけにそぐわなくても、話の接ぎ穂くらいにはなるはずだ。


 ラッキーなことに、取り寄せたパーカーはカウンターの前に飾ってあった。一目で女性用とわかる色とデザインは、売り場の中では異質なので目を惹く。彼女が目を留めたときがチャンスだ。

「女性用もあるんですね。こんな可愛い色で、作業服なんですか」

 待ってました! カウンターの上に待機させていた資料を広げ、美優は返事をする。

「農業ガール用なんて、メーカーが新規開発したんです。パーカーは他に、スカイブルーとカラシ色の三色展開ですね。シャツやパンツや小物類もありますよ」

 ふうん、と客は興味深そうに一緒に資料を覗く。美優が何気なく指で隠しているのは、直に卸価格を書き入れてしまっている箇所だ。

「ストレッチで細いから、普段の生活紫外線防止にも使えますね」

「農作業ですと、遮るものはありませんものね」

 そう返すと、客は雑談する気になったらしい。


「私は滅多に畑作業しないから。経理と販売がメインだと、そこまで強力じゃなくても大丈夫。だけどこれ、直売所の人たちにも使えそう。プリントとかできます?」

「はい、もちろんです。デザインを持ってきていただければすぐにできますし、手描きでもスキャンと校正できますよ」

 客の爪は短くしていても、綺麗なマーブルのように塗られていた。先にこれだけを注目していれば、きっと農作業用なんたらなんて、勧めようとしなかったと思う。本当に客の外見だけでなんて、判断できない。

 自分の選択が商売に結び付きそうで、ワクワクする。金魚すくいの水槽の前で、ポイをかまえているみたい。


 スカイブルーのパーカーを発注し、リーフレットのカラーコピーを持って、客は帰って行った。理想的なやりとりができて、テンションが上がる。たとえそのあと、商品が揃っていないと客に嫌味を言われようが、これだけは胸を張れる。

 私が知っていたからこそ、売ることができたんだからね!

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