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蝶々ロング!  作者: 春野きいろ
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需要があっても供給できないこともあります その4

 嫉妬と受け取ってよろしいのでしょうか、てっちゃん。そんな質問をするわけにもいかずもじもじしてしまうが、忘れちゃいけないことに職場である。

「美優ちゃぁん。柿沼運輸さんの紫の手袋、Mサイズ三パック!」

 階段の下から聞こえるフロア担当の水田の声に、ふと我に返る。

「はあい、持って行きまーす」

 フックから手袋を外して水田に渡せば、次の客が入ってくる。

「ダブヨンが入ったって聞いたんだけど」

 そんなことを言われたら、相手をしないわけにはいかない。

「情報早いですねえ。限定販売ですけど生産が止まるみたいなので、他のメーカーもご検討くださいね」

 返事をしてカウンターの下から手袋を出していると、オレンジ色の髪が階段を降りていくのが見えた。


 えっ、帰っちゃうんですか。こんな不完全燃焼なままで帰られると、すっごく気持ち悪いんですけど。客の相手をしているときに、鉄を引き留められるわけがない。

「たとえば俺が知り合い三人連れて来たら、六個売ってくれるの?」

「え? ああ、それまであるかなぁ」

 頭は半分鉄のほうを向いているので、中途半端な返事になる。

「あれば売ってくれる?」

「え、ええ。担当者、つまり私が日曜は休みなので、それ以外の曜日でしたら」

「じゃ、明日また来る」

 客を見送ってから、明日で在庫は半分になってしまうなとぼんやり考える。それはそれ、限定だからといって回数とか人数まで制限すると、訳がわからなくなってしまう。


 鉄は帰ってしまったようだし、どちらにしろ社長と一緒に来たのだから待っていることは考えられない。なんだか話の途中で結論が切られたみたいで、口がへの字になってしまう。

 あれがてっちゃんの感情から出た言葉ならば、その理由を聞かせて欲しい。逃げるみたいに帰ったってことは、実は勢いだけだったってオチ?


 自分から言い出せないのは、言わなければ少なくとも店員と客って立場で接点が保てるからだ。中途半端な立ち位置はキープして、どっちつかずで軽くつきあっていくことはできる。

 それに飽き足らなくなったからこそヤキモキしているのだけれど、まったく失ってしまうくらいならこのままでもいいかな、なんて思える。つまりそれだけ、美優の中には鉄が入りこんじゃっているのだ。

 まったく興味のなかった作業服のスタイルを問い、使い勝手やコストパフォーマンスを語れるようになったのと同じくらい、ごくごく自然に鉄の人となりが美優に流れ込んで来て、沁みていった。


「おねえちゃん、これはサイズ出てるだけ? 取り寄せてくんないかなあ」

 客の言葉に慌てて受注書を取り出す。需要があるなら供給を考えるのは、美優の仕事だ。発注先も入荷タイミングも、美優に掛かっている。必要とされるものが、迅速に正確に客に渡せるように。だから自分の物思いは後回し。


 定時を過ぎて、暗くなった自転車置き場で溜息を吐く。一度帰宅した鉄が、戻ってきているのではないかと少し期待してしまったのだ。今までだって何度かあったことだから、それが今日あっても不思議じゃない。けれど見慣れたバンは駐車場にはなく、不完全燃焼な感情だけが残る。

 バカてっちゃん。鈍いの、それともヘタレ? それとも、私がひとりでジタバタしてるだけなんだろうか。



 帰宅途中のコンビニエンスストアに寄ると、兄の友人に会った。平日の早い時間に珍しいなと思いながら挨拶をすると、相手は話したそうにしている。別に親しい人ではないので無難に受け答えして、場を離れた。

「飲み会しようよ。フリーのやつもいるから、美優ちゃんも何人か誘って合コンしない?」

「兄ちゃん繋がりじゃ、ちょっと気が向かないです。また何かの機会に」

 身内の前で下心のやりとりは、ちょっと違う気がする。それに美優は今別に、恋人を募集してるわけじゃない。合コンみたいな出会いの席に着きたいわけじゃないのだ。けれど、自分は下心の対象にならないってほど、女の子として魅力がないとは思いたくない。

 そうか。他に目を向けようと思えば、相手はいるのか。けれど誰かと恋愛したいんじゃなくて、恋愛したい相手は決まっているのだ。


 帰宅して着替えていると、スマートフォンがメッセージを受信した。タイミング的に誰かから夕食の誘いかなーなんて開くと、オレンジ頭のアイコンに思わずムッとする。一時間ほど前に黙って帰った後ろ姿が、急に蘇った。

『ダブヨンの手袋って、まだ在庫ある?』

 もう就業時間じゃないんですけど、挨拶もなしにいきなり在庫の確認ですかそうですか。

『あるけど少ない』

『取り置きできる?』

『取り置きはできません。ひとり二双限定、早い者勝ち』

 自分ながら素っ気ない返信である。モヤモヤの行き所が見つからないのだ。

『じゃ、明日早く上がれたら行く』

『はい、お待ちしております』

 需要があれば、供給するための努力はします。


 需要、ありますか。おひとりさま一名限定、早い者勝ち。需要に応えるための努力と、供給を継続する見込みはあるんですが。

 ね、てっちゃん。需要はあるんですか。

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