需要があっても供給できないこともあります その3
翌日入ってきたダンボールをいそいそと開き、待っていた手袋をカウンターの下に押し込んだとき、内線が鳴った。レジの宍倉の愛想の良い声のあとに聞こえたのは、包みを開いたばかりのダンボールの送り主だ。
「ダブヨンの手袋、届きました。ありがとうございます」
まず礼を言い、相手の言葉を聞いた。
「そのダブヨンの手袋なんですけど、来週また三十くらい入れられそうです」
「え、嬉しい! ちょうど店長から三十って客注があるんです。これからは生産、安定するのかな」
受話器の向こうで、相手は少し考えるふうだった。
「それね、多分最後になります。後継モデルの工場が決まったって言ってたから、入荷するとしてももう一回あるかどうかでしょう」
半分予測していたこととはいえ、がっかりしてしまう。この商品はかつて、美優自身が客からリクエストを受けて在庫を決めたものだった。
入荷の追加があることは、店長には言わないでおこう。咄嗟にそう決めて、カウンターの下のストック場所を大きく開けた。見える場所に置いておくと、勝手に持っていかれてしまう危険性がある。もしくは在庫があるならと、纏めて買おうとする客がゴネる気が。
合計でも残りは五十双しかないのだ。ひとり二双としても、多くて二十五人。無くなる前に複数回来店する人がいるだろうから、実際に手渡しながら廃番の説明をできる人は、もっと少なくなる。
そして私的な感情を、ここに入れてしまいたい。もしも鉄が必要とするなら、彼にだけ他の客より多く販売してやりたい。これくらいの身贔屓は、許されてもいいような気がする。
ほどなくして入って来た客が手袋の棚の前で、入ってねえなぁと呟いているのが聞こえた。ダブヨンのことだと、すぐに気がついた。それでも店員と言葉を交わすのが面倒な人は、入っていない入っていないと言うだけでそのまま階段に向かうことが多い。けれど今回は説明しておかないと、何度も無駄足をさせてしまうことになる。
「ダブヨンですか?」
「そう。もう入れないの?」
「材料が入らないそうです」
客は溜息を吐いて、他の革手袋に手を入れてみたりしている。
「実はさっき、少量入荷しました。お一人様二双までなら、どうにかお出しできます」
初っ端から数量限定はイヤだとゴネられたらどうしようかと、警戒する。
「二個? それだけ?」
「はい、本当に希少品になってしまってるので、それで精一杯なんです。ごめんなさい」
「で、それでおしまい?」
「もう一回か二回、入って来るかも。時期は未定ですし、廃番の可能性が高いです。他の商品も検討しておいていただいたほうが良いと思います」
「マジかよ。一番使いやすいのに」
とりあえずと二双だけ渡し、階段の上で客を見送る。自分が悪いわけでもないのに、申し訳ありませんと頭を下げる。
美優の定時が終わるころ、鉄と早坂社長が揃って顔を出した。来店の挨拶をしながら、顔とか骨格じゃなくて雰囲気が一番似てるよねなんて、観察してしまう。
「ひとり二個しか買えないって?」
「そうなの。ごめんね」
安全靴をブラブラ見ていた早坂社長が、その会話を聞いていたらしい。会話に入りこんで来た。
「何、革手? そんなもん纏めて十も買っときゃいいじゃないか」
「すみません。ダブヨンが製造止めっぽくて、もう限定でしか出せないんですよ。おひとり様、二双」
考えてみれば、早坂社長が皮手袋を選んでいる場面は見たことがない。
「ふうん。俺には何双売ってくれる?」
え、どういう意味? 二双って言ったよね?
「えっと、二双……」
「それは表向きでしょ。俺にはいくつ売ってくれるの?」
ぐいっと来る早坂社長に、何か返事しなくちゃいけない。
ここで五とか六とか答えてしまうと、次の入荷まで繋げなくなりそうな気がする。でも早坂興業は実際に二階でも良いお得意様だし、だけど社長は今まで手袋とか言ったことないし。
美優の頭の中にめまぐるしく言葉がひしめくが、どう答えて良いものやら考えつかない。一瞬、鉄が横に立っているのを忘れた。
「わかんねえこと言ってんじゃねえよ、クソ親父。みーが困ってんじゃねえか」
鉄が一歩前に出て、早坂社長に向かって言葉を発した。
「大体現場に出て来ないヤツが、いい革手買ってどうすんだよ」
「鉄が使うんだろ? 他の職人も」
「今まで革手の支給なんかしてねえだろ。数が少ないからって店側が決めてんだから、こっちは言われたとおりに買っときゃいいんだ」
えっと、実はてっちゃんには少々余計に販売しても良いとか思ってたんですけど。他のお客さんがいないときか、私が先に買っといて渡そうかと。こんな正論かまされちゃ、そんなこと言い出せない。
「うるせえな、まったく世渡りできないガキ。ね、美優ちゃん」
早坂社長の腕が肩にひょいっとまわり、ぽんぽんと二回叩いたとき、鉄がもう一歩踏み出した。
「みーに気安く触んな、クソ親父!」
何を言い出したかと驚いた早坂社長が慌てて手を離し、美優の目は大きく見開いた。
鉄の顔と美優の顔を交互に見た早坂社長が、ニヤリと笑った。
「へえぇ。ふーん。いや、お邪魔さん。この靴だけ買ってくわ」
左手に安全靴を下げて階段に向かう人を、見送ることもできなかった。残ったのは頭の中で言葉を咀嚼している美優と、耳まで赤い鉄である。