天候の当たりはずれは、当然あります その4
店内の床の汚れ具合で、外の道がいかに濡れているのかはわかる。普段はせいぜい土埃程度の汚れだが、足跡と靴の裏にくっつけて来た泥で黒くなる。翌朝の掃除を待っていられないので、手の空いた人間がモップをもって走ることになる。
五時を過ぎてぼちぼち客が入って来ると、美優は時計ばかり気になった。あとで寄るとかいったって、約束してるわけじゃない。どこまで出ているのか知らないし、何時までなのかだって知らない。鉄は美優の定時を知っているのだから、その前に来るってことなのだろうとは思うのだが、美優に会いに来るのだか買い物に来るのだかも知らない。
前日ほどではなくとも長靴を探しに来る人はまだいるし、濡れてしまった安全靴の替えを求めに来る人もいる。うわの空で接客をしているうちに、六時近くになってしまう。自主的に残業しても何か言われるわけではないが、手が離せないほど忙しいわけでもないのに残る気にはならない。こちらから連絡をしてみようかとも思ったが、もしも向かっている途中ならば返事なんてできない。
仕方なくタイムカードだけ打刻し、ぐずぐずと着替えて時間を稼いだ。それなのにまだ駐車場には、早坂興業のバンが入って来ない。待っているのもおかしな話だし、もう帰ってしまおうかと店から出たところで、ようやく白いバンが入って来た。
するすると窓が開いて、鉄が顔を出す。
「みー! 帰んの?」
一瞬浮き上がったのと同じ量で沈み、自分にムカッとする。
「帰るよ、時間だから」
来るっていうから待ってたのに、向こうは買い物に寄るだけだったのか。自分に会いに来るのだと思ってしまった自分に、一番腹が立つ。
「ちょっと待ってて。明日の朝の確認してくっから」
鉄の後ろから車が入って来たので、駐車場の中でそれ以上留まっているわけにもいかない。仕方なく入り口の横に立った。
通り抜けざまに、鉄は車を指差す。
「冷えっから、入ってろ。松浦のおっさんと話したら、すぐ行くから」
答える間もなく鉄は店に入ってしまい、一緒に入店しても居場所のない美優は、バンに乗り込むしかなくなる。
すぐに戻ると言った鉄は、なかなか戻って来ない。夕方の松浦は常に客がいて忙しいし、順番待ちをしているのかも知れない。仕方なくスマートフォンを弄りながら、入り口ばかり気にしていた。
二十分ほどで戻った鉄は、口をへの字に曲げていた。
「まったくよ、松浦のおっさんは。固定クランプっつってんのに自在クランプとか出そうとしてるし。直交だっつーの。これから本店に取りにいきますってさ」
言っている意味はさっぱりわからない。早坂興業で希望したものと松浦が考えていたものが違ったんだなと思うのみだ。現場からの急ぎの発注では、こういうことはままあるらしい。ときどきレジカウンターで、客が文句を言っている場面に出くわす。ファックスやメールの注文でないから証拠は残らないし、発注する方も簡単な名称で言うものだから、曖昧な商品は過去履歴で判断して用意してしまうのだ。再確認しようにも作業中の人には、なかなか連絡は取れない。
もしも客の言い間違いだとしても、店側から間違いは指摘できない。言った本人が気がついて訂正するのなら話は別だが、大抵の場合は気がつかない。客を言い負かしても勝ちにはならないのだ。最終的には買って貰わなくてはならないのだから、詫びを入れて納得させてしまったほうが商売として勝ちなのである。
「ごめん、店長が何かミスった?」
曲がりなりにも美優も店員であれば、客である鉄に頭を下げる。それはここ数ヶ月で身についた癖みたいなものだ。
「よくある勘違いだけどな。松浦のおっさん、確認が甘くてさ。ま、明日の朝までに揃ってりゃ問題ねえわ」
「大変失礼しました。申し訳ありません」
一応神妙に頭を下げると、髪をくしゃっと掴まれた。
「みーのせいじゃねえし」
「だって私も伊佐治側の人間なわけだし」
そう言うと鉄は、やっと笑う。
「みーのそういうとこ、好きだわ。一生懸命役に立とうとしてくれるとこ」
ぶわっと音がしそうなほど、頭に花が咲く。前後の言葉はぶっとんでしまい、好きって単語だけ頭の中にリピートして鳴り響く。
こんなことで浮かれたらダメ! 自分への警告を、自分が聞かない。
「あれ、この前のカバンじゃないじゃん」
美優の膝の上のバッグを目にして、鉄が不満そうな顔をした。これについては、ちゃんと理由がある。だってビニールコートもテフロン加工もしていない布だったのだから。
「上から雫とか落ちてきて、汚れたらイヤだもん。せっかくてっちゃんに買って貰ったんだから、綺麗に使いたいよ」
答えた瞬間、大きな手が美優の頭をわしづかみにして、がしがし揺すった。
「っとに可愛いなあ、みーは。あんなもんまた買ってやるから、がんがん使えよ」
まだ伊佐治の駐車場の中である。