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蝶々ロング!  作者: 春野きいろ
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結果が出るのは当日とは限りません 3

 三時過ぎにお茶休憩をもらうと、七時の閉店まで通しだ。普段の倍くらいの客数だが、売出し当日に品出しや商品の発注の仕事はないので、走り回るほど忙しくはない。

「なぁんだ、半額とかにはならないの?」

「そんなことしたら、伊佐治が潰れちゃいます」

 客と頭を使わない冗談を交わせるようになったのは、売り場での緊張が客に伝わらなくなったからで、何故緊張しなくなったかといえば、いかつい見かけよりも繊細で思慮深い部分が見えてきているからだ。確かに言葉も仕草も乱暴で、商品の置き場にさえ気を遣ってくれない人は多い。だから階下から持ってきたコンベックスが靴下の上に放置されているなんてことは、日常茶飯事だ。けれどスーパーマーケットで冷蔵品を菓子売り場に放置するのと、サンプルの皮手袋を床に投げるのはどちらが非常識だろう? つまり、身綺麗にしている人が居住まいまで身綺麗だとは限らないのだ。


 早坂社長が売り場にあらわれ、美優は嬉しくなる。鉄と強く繋がっている人で、骨格も持つ雰囲気も本当によく似ていて。だからどうだと言われても困る。鉄も年齢を経るとこんな人になるのだろうかと、想像できるだけで楽しい。新しいデザインの安全靴はスポーツ用品と同じようにリール付きのワイヤーレースだとか説明して、詳しくなったねなんて褒められて余計に嬉しい。

「ひとりで先に来るなよ、クソ親父」

 後ろからの声に驚いて振り向くと、鉄とリョウがいた。

「あ、いらっしゃいませ」

 挨拶しながら、美優の胸は早鐘を打つ。目の前に立つと、当然だが早坂社長と鉄はまったく別のものだ。そして自分が顔を見たかったのは鉄なのだと、改めて認識してしまう。

「リョウのオベンキョーは終わったのか」

「もうちょいで終わらせるから、待っててって言ったろ?」

「ガキじゃないんだから、待ってても仕方ない。まあ、リョウにだけ何か買ってやるわ。好きな服選べ」

「俺のは?」

「おまえは見習いの給料じゃねえ。稼ぎがおまえの実力だろ」

 うわあ、稼ぎが実力って言いきった! そういう仕事なのはおぼろげに察してはいても、直に耳にすると迫力だ。


「みーさん、これのMってある?」

 買ってもらえると決まるとリョウは嬉々として試着してみているが、一番人気のブランドである辰喜知には手を出さない。

「バカだな。どうせ買ってもらうんなら、欲しいって言ってたのにすりゃいいじゃん」

 鉄が笑う。その顔を見て、美優の鼓動はまた大きくなる。一度繋がってしまったシナプスは、きっちり活動しちゃうのだ。

「だって高価いし」

 遠慮するリョウの希望を早坂社長が聞き出し、美優にさっさと注文してしまう。その間に鉄は鉄でカタログを開き、新しいモデルのシャツを決めていたりする。金銭感覚が違うのは知っていたが、やっぱり不思議になってしまう。三千円のシャツ一枚を買うのに悩む美優には、そうやってカタログから商品をポンポンと選んだり、これが欲しいと言っているから買ってやるんだなんて、金額も確認せずに取り寄せることはできない。所得の多寡じゃなくて、多分お金の使い方が違う。欲しいと思ったときの、決断が早い。欲しいけど他に良いものがあるかも知れないから、それを見てからにしようとかって考えていない。

 育った環境が違うって、こういうことだ。どちらが良い悪いじゃないから、違うのだと認識するだけだが。


「そろそろ終わり時間だろ?」

「今日はオープンからクローズまでなの。終わったころ、お父さんに迎えに来てもらう」

「大変だなあ」

 早朝からとなると、走り回るほど忙しくなくてもヘトヘトだ。

「あと一時間半だもん、がんばる。思ったより成果出なかったから、せめて時給分働いてく」

 目の前の品物が飛ぶように売れていくわけじゃない。売出し用に揃えた商品だって大して減っていないし、靴も手袋も棚に穴が開いてるわけじゃない。

「みーって、そういうとこでマジメっていうかカタブツっていうか……」

 リョウと早坂社長が、階段に向かう。鉄もそれに倣いながら、まだ美優と話し続けている。

「いいよな、そういうの。楽しようってばっかり狙うヤツ、キライなんだ」

 後ろ手に手を振って、鉄も階段を降りる。二階に残る美優の顔なんて、振り向かずに。


 やだ、嬉しい。誰に褒められるより、がんばろうって気になっちゃうじゃないの。私って、こんなに単純だった?

 ぼーっとしている間もなく、売り場を歩く客の後姿を確認する。

「何かお探しですか?」

「サイズがないから、買わない」

「次に見えたときに買っていただけるように、揃えておきます! ウエストいくつくらいですか?」

 楽しようって狙ってるヤツになんか、絶対ならない。だっててっちゃんが、そこを褒めてくれたんだから! あと一時間と少々、微々たる売上だって伊佐治の売上なんだから。


 そして相沢家の車の中の七時半は、社員への労いのための鰻弁当を抱えたまま、口を利くことすら億劫になった美優が座っていた。


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