いいなか鉄道の空
★2007年1月13日
岐阜県中津川市、JR中津川駅3番ホーム。
伊沢和彦はスポーツバッグを片手に降り立った。
名古屋から乗ってきたJR中央西線のセントラルライナーはここが終点。
セントラルライナーは快速より停車駅が少なくて速度も速い。
和彦はあたりを見回した。名古屋駅よりもはるかに静かな駅構内。
客の数はまばら。そして山が見える。
降りる前の電車のアナウンスでは、いいなか鉄道は4番線だ。
あれ切符はどこで買えばいいんだろうな、と和彦は考えた。
和彦の持っている切符は名古屋駅の券売機で買ったもので名古屋から1280円区間の切符である、つまりこの中津川までなのだ。いいなか鉄道はJRでないから名古屋駅の券売機ではもちろん売っていない。
そこへ駅員らしき制服をきた人が通りかかるので呼び止めた。
「はい、どのようなご用でしょう」
「すいません。いいなか鉄道に乗り換えたいんですけど、切符はどこで買えばいいのでしょうか」
「お客さんはどちらまでいかれますか」
「神坂駅」
このあいだ買ったゲームのヒロインが神坂という名前だったのでそのままかみさかと読んでみる。
「……ああそれは神坂のことですね。いいなか鉄道の」
「みさかって読むんですか。……変わった読み方ですねえ」
「まあそうですね。それでしたら下車する神坂駅で精算してもらってください」
「切符買わなくていいわけなんですか」
「いいなか鉄道の切符売り場は改札の外にあるんですよ。乗り換え客はいちいち改札の外に出る必要はありませんから」
「わかりました。ありがとうございました」
跨線橋を渡って4番線に行くとしばらくして電車がやってきた。白っぽい色の車両で2両編成である。
4番ホームに上からかかっている駅名表示板には「中津川(岐阜県中津川市)」とある。ただし、JR東海であることを示すオレンジの線は入っていない。いいなか鉄道は第3セクターの鉄道だから当然である。
席が埋まり、車内にかなり立っている人がふえてきたところで、電車は発車した。
いいなか鉄道中津川線。中津川発飯田行。定刻通りの発車である。
時に2007年1月13日、土曜日の夕方であった。
★
……国鉄中津川線が開業したのは1980年のことである。1987年に国鉄分割民営化が行われた。中津川線の輸送密度は開業前の予想よりはましであり1950だったのだが当時の国鉄のデッドラインは2000であった。中津川線については、廃止か
第3セクターかバスかという話になったが、当時の岐阜県と長野県と沿線市町村は第3セクター化を選択した。
当時岐阜県は県にある国鉄赤字路線を続々と第3セクターに転換していた。
樽見鉄道、長良川鉄道、明知鉄道、神岡鉄道、そしていいなか鉄道。そのうち神岡鉄道はすでに2006年に廃線となっている。
第3セクター鉄道は線名をそのまま会社名にすることが多いが、違う場合もある。
いいなか鉄道も、当初中津川鉄道とする予定だったが長野県側から苦情が出たこともあり、関係者はさんざん考えたあげく、飯田の「いい」と中津川の「なか」をとって「いいなか鉄道」と名付けたのである。始点と終点の駅名から字をとって名付けるというのはまあよくある話である。
1986年に「いいなか鉄道」は正式に開業。本社は長野県飯田市におかれた。長野県側が本社設置を強く希望したのと、沿線自治体で最大の都市が当時人口約10万人の飯田だったこともあったからである。徹底した合理化と沿線自治体の拠出した基金、そして住民の応援を受けて走り始めたのである。
いいなか鉄道は全長37・8キロの電化単線である。国鉄中津川線は計画当初から電化単線で計画されていたし、それで開業して第3セクター化以後もそれを引き継いだ。
旧名鉄八百津線のように電線の撤去は行わなかった。なにしろトンネルだらけの路線なので撤去するのは大変な手間と予算がかかるのである。
いいなか鉄道は、中央西線の中津川と飯田線の飯田を結んでいる。
駅は、中津川、美濃落合、神坂、昼神、阿智、伊那山本、伊那中村、飯田。
中津川は、特急しなの停車駅。飯田は特急ワイドビュー伊那路の始点・終点駅。
中津川、美濃落合、神坂は岐阜県中津川市。昼神から先は長野県となる。
沿線自治体は、岐阜県中津川市、長野県下伊那郡阿智村、長野県飯田市。
そして岐阜・長野県境は神坂・昼神間にある神坂トンネル内の信号所である。
★
電車は東の方へ向かって進んでいく。
「本日はいいなか鉄道中津川線をご利用いただきありがとうございます。この電車は17時25分発飯田行き普通列車です。美濃落合、神坂、昼神、阿智、伊那山本、伊那中村、そして終点飯田となります。次は美濃落合です」
神坂は2つめの駅だからちょっと遠いのかなと和彦は考える。
やがて電車は大きく曲がっていく。中央西線から中津川線に入ったのだ。
そしてすぐに美濃落合駅である。
美濃落合駅は、プラットホームがあるだけの簡素な駅である。周囲は林ばかりで建物
は見えない。4人ほどの客が車掌に切符を渡して降りていく。美濃落合駅は無人駅である。和彦はここは伊勢市の五十鈴ヶ丘駅みたいだななどと思う。
そして和彦はこの路線はもしかして単線かなと思う。
「次は神坂です。」
それから川と林ばかりの光景が延々続く。すごい田舎だなあなどと和彦は思う。
そして神坂駅では和彦だけでなく50人くらいの客がどっと降りたのである。
ほとんどの客は定期券を改札で見せてあっさり通過しているが、和彦はそうはいかない。窓口で精算してもらう。そして改札を抜ける。
駅のすぐ横に建物がある。中津川温泉クア・リバー神坂とかかれている。その横にはさらに大きな建物がありホテル・サラサドウダンとかかれている。
「和彦、こんばんわ」
和彦の目の前に女の子が現れた。和彦より少し背が低い。
「久しぶりだな、麻美」
「うん久しぶりだね。中津川市へようこそだよっ」
「ひとつ聞いていいか。ここってさ温泉が駅のそばにあるのか」
「ぶっぶー。正確には駅が温泉なの」
「おいおい」
「本当だよ。駅の敷地内から温泉がでちゃったから、駅舎だけでなくて、温泉施設とホテルも作ったんだって」
「それはまた……なんだかなあ」
「それじゃそろそろうちに行きましょうか」
「ここからどのくらいだ」
「歩いて数分だけど」
駅から歩く二人。左手のかなり離れたところに川が見える。
「なああの川はなんていうんだ」
「湯舟沢川。いかにも温泉地っぽい名前でしょ」
「ああ確かにな」
歩いて5分もかからなかった。横手荘は2階建てのアパートである。
JAのガソリンスタンドがすぐ隣にある。
アパートの集合ポストから郵便物を出す麻美。宛先の住所がかかれている。
「全部恵子さん宛かい」
「まあそんなとこだよ」
「住所だけど、これってかみのさかで、みさかって読むんだな」
「そうだよ。ちょっと変わってるけどね。まあね昔からの地名だし」
「昔からっていつから」
「東山道の県境が神坂峠っていうんだよね」
「東山道ってそりゃまたずいぶん古いな」
102号室の鍵を開けて麻美が中に入り、和彦が続いて中に入った。
それからしばらくして、松野恵子が帰ってきた。恵子は麻子の母親である。
若いというよりも幼く見えるタイプの女性である。
「……以上で、家のことに関する説明は終わり。あとわからないことはどんどん聞い
てくれていいからね」
「さっき車の音がしましたよね。あれって恵子さんの車ですか」
「正解よ。このあたり田舎だから車ないと不便でね。ウィズ・ユーっていうところで中古のワゴンQを買ったのよ。年式古かったけど走行距離少なくてねいい買い物だったわ」
「ウィズ・ユーって……それって店の名前ですよね」
「ええそうよ。恵那市との境界近くにある店なんだけど田舎の店なのに結構台数並べてるから」
後で和彦はその車をアパートの駐車場へ見に行った。赤のワゴンQ、黄色の地のナンバープレートの上の段は岐阜580であった。
★2007年1月16日
「転校初日の感想を一言どうぞ、和彦」と麻美。
和彦は麻美と同じ市立中学校に転入した。同じクラスになった。
このあたりは田舎だから中学校はすべて公立だから、と恵子が説明した。
とはいってもこの中学校は1学年1クラスしかない。全校生徒は50人もいない。
それどころか校門に至っては、片方に小学校、反対側に中学校とかかれていた。
「人が少ない」
「まあ田舎だからね。それにしてもこんな時期に普通転校しないって」
「それは親父にいってくれ。いきなりピンチヒッターで香港支店行き。俺は一人暮らしを希望したんだが却下されてな、それでここに流れてきたってわけだ」
「それで受験はどうしますか」
「いきなりそれかよ」
「特に希望とかなければ私と同じところにしない」
「このあたりの高校なんてさっぱりさっぱりだからなあ。それもいいかな。それでどこの高校を目指すわけかな」
「県立中津東高校。普通科全日制単位制。中津川駅から徒歩約15分。高台にあって日
当たり良好、お得な物件よ」
「不動産屋みたいなことをいわないようにな。……さて電車で二駅の通学か。もっと
近い高校はないのか」
「ないわ。中津東が一番近いのよ。次が中津西商でその次が坂下ライフや中津川坂本工
業になるんだけど」
県立中津西商、県立坂下ライフ、県立中津川坂本工業。いずれも中津川市である。
「近いのはいいことだな。ところで普通科全日制……って要は普通の高校なんだよな」
「普通科全日制単位制、省略禁止。それがちょっと違うみたい。どうも学年があがると
生徒が授業を選べるみたいらしいわ」
「それはつまり選択授業っていうことかな」
「もうちょっと違うのよ。お母さんはなんか大学もどきの高校だっていってたけど」
「なんなんだそれは。妙なこというなあ」
「まあそんなとこね。ちなみに中津東は日露戦争後に設立された女学校から数えて10
0年以上の歴史がある伝統校よ」
「へえ、100年ていうのはすごいなあ」
★2007年1月16日
「そういえば、これずっと圏外みたいですけどやっぱり故障かなあ」
「あっそれってあなたのケータイね」麻美が手にとってながめる。
「……これってもしやウィラコムかしら、PHSという東アジア限定ローカル規格の」
「まあ……そうだけど」
「故障じゃなくて単にエリア外なんだわきっと」
「エリア外……ってここ入らないのかよ」
「あんたここをどこだと思ってるのよ。岐阜の山奥よ。この街じゃ確かウィラコムって市中心部以外はだめだめだったようなきがするけど」
「……あう。まさかそこまで田舎とはな」
「そういうわけで、観念してとっととケータイを買うことね」
そんなわけで後日。携帯電話を買いに出かけた。
ウィラコムは当時、MNPの対象外。
中津川駅から少し離れたショップでケータイを購入した。
★2007年4月
当時の岐阜県の公立高校入試は愛知県とはまったく違うシステムであり、和彦は大きくとまどうことになった。
2月に特色化選抜が行われた。恵子いわく、全員が受験できる推薦入試とのこと。
特色化選抜は合格者数がすごく少ないので落ちてもきにしないほうがいいなどといわれるありさまだった。
特色化選抜では麻美も和彦も不合格だったので二人は3月に一般選抜を受験した。
一般選抜は他県の一般入試にあたるものである。
一般選抜は事実上ラストチャンスで落ちると、あとは定時制をねらうしかない。
幸い、和彦も麻美も合格した。といっても受験倍率は1.01倍なのでよほど試験結果が悪くないかぎり不合格にはならないのだが。
中津東は定員以上の募集があったが、県内の他の高校では定員割れのところも多かった。そんな時代なのである。
入学式の日。
母親の恵子に書いてもらった地図をみながら麻美は和彦と一緒に登校した。
二人で一緒に家を出て、神坂駅で切符を買って乗り込む。
美濃落合で乗り込んできたのは10人ほど。そしてすぐに中津川駅についた。
跨線橋を上ってそれから下る。跨線橋の1番線と2・3番線には2006年に新設さ
れたエレベーターがあるが、それは4番線には関係がない。
中津川駅は自動改札で、2006年になってようやく導入されたJR東海のICカードであるTOICAにも対応している。ただし中津川駅はTOICAの東端の駅なので、この駅から西の名古屋方面へ向かう人間以外は、TOICAはまったくもって無意味なのである。もちろんいいなか鉄道もTOICAとは関係ない。
当時、日本国内ではこの種のICカードは、Suica、PASMO、ICOCAなどいろいろ存在はしていたが互換性があまりなかったし、そもそも田舎者には無縁のアイテムでしかなかった。
恵子は中津東の卒業生だという。麻美が中津東を選んだ理由のひとつは母の母校だっ
たからである。
駅のすぐ左手には白い建物が建っている。旧ダイビー中津川店である。かつて日本一
のスーパーマーケットであり、プロ野球の福岡ダイビーホークスも保有していた、あのダイビーである。
現在は市駅前ビルという名前になっていて、市役所のサービスコーナー(住民票発行など)や会議・イベントスペース、それから中津川大学を運営する学校法人の学園本部が入っている。ダイビー時代に買い物をしたことがある恵子の話によれば、地上6階建
て、地下1階建て、エスカレーター、エレベーター。
タイビーをすぎてさらに左へ細い道を進み、さらに線路を遠くにみつつ、もっと狭い道を二人は歩いていく。そして歩道橋を渡る。
「あそこのPっていうのはなんだろう」
信号のある四差路の北野交差点の脇になにやら柱が立っていてそこにPという文字。
「えっとね……ラーソン中津川上金店。中津川史上初のラーソンだよ」
ラーソン中津川上金店は、2007年に2月オープンした中津川初のラーソンであ
り、岐阜県で99番目のラーソンである。住所は中津川市宮前町なのになぜか中津川上金店になっている不思議なお店である。ほんの少し移動すればは確かに中津川市中津川の上金地区であるから確かに微妙な間違いではあるのだが。
おそらくラーソン中部支社は地元の地理に詳しくなかったため間違ったネーミングをしてしまったのだろう。近くのスーパー、アロー中津川東店のように方角にしておけば間違えずにすんだのだが。
これによって中津川市や木曽郡の住民ははるばるラーソン利用のために瑞浪市までいく必要がなくなったので都会に一歩近づいたといえる。とはいってもこの時代のコンビニは店舗展開が偏っていたことは歴史的事実である。当時日本最大のコンビニだったセブンツースリーが中津川市に出来たのはちょっと未来のこの年の11月のこと。
「ラーソンってコンビニだな。へえこんなとこにもあるんだな」
「ほんと今の日本ってどこでもコンビニがあるから。セブンツースリーは空白地域がたくさんあるけどね。中津川にセブンツースリーができるのは何年先かしら」と麻美。
中津川市中津川、岐阜県立中津東高校中津東校舎では入学式が行われた。
和彦と麻美はもちろんこれに参加して高校生活に突入したのである。
中津東は伝統校だけあって校舎は古かった。体育館は新しかったが。
とはいってもすでに新しい校舎の建築中であった。
「学校名の最後になんで中津東校舎ってつくんだ」
和彦は麻美に問いかけた。
「うちの学校、この4月に統廃合したからキャンパスが2つあるのよ。ここは旧中津東高校だから中津東校舎、もうひとつは田瀬にある恵北校舎よ。
旧岐阜県立恵北高校だったから恵北校舎っていうわけ。ちなみに恵北校舎にいるのは2年生と3年生だけで彼らが卒業したら恵北校舎は終了になるわ」
「おしまいか……重い話だなあ。あっそれから田瀬ってどこの町かな」
「田瀬は同じ中津川市よ。もっとも田瀬が中津川市になったのは2年前の合併でね」
田瀬は2005年までは岐阜県恵那郡福岡町田瀬であったが、2005年2月の合併で中津川市田瀬となっていた。
「ここから遠いのかい」
「車で30分くらいかな」
「電車だとどのくらいかなあ」
「電車は昔はあったけど1978年につぶれたわ」
中津町(当時中津川市)~下付知(当時恵那郡付知町)を結んでいた北恵那鉄道は1978年に廃止されていた。現在はバスやタクシー等の会社になっている。
「つぶれたってなんで……」
「もちろん赤字だから。あとあの電車はスピードが大正時代のままだったから、車よりとろかったのよ。時速20キロくらいじゃ話にならないわよ」
★2007年5月
「ところでさ、水菜ってどこの出身なの」
麻美は、新しく友人になった出口水菜にたずねた。
「加子母」
「へえそうなんだ。加子母からだと通学遠くて大変でしょ」
「なあ、加子母ってどこの町なんだ麻美」と初めて聞く地名にとまどう和彦。
「加子母は中津川市の一番北の地区よ。加子母の北はもう下呂市よ」
加子母は2年前まで加子母村だったところで今は中津川市加子母。
「へえそうなんだ」
「……加子母からだと遠くて通学できないからマンションでひとり暮らしよ」
と水菜がぽつりとつぶやいた。水菜は子供のころから恵北高校に進学する予定だったが、たった1年差で間に合わなかったのだ。それというのも恵北高校は2007年に中津東との統廃合が決まり2006年度を持って新規募集停止となったのだ。2007年4月1日をもって県立恵北高校は県立中津東高校恵北校舎となった。加子母からだと下呂市の県立益田新風高も中津川市南部の高校もどっちもやっぱり遠いのである。
さんざん迷った末に中津東にしたのである。
同じ中津川市の高校がなぜそんなに遠いのかというと、中津川市は南北に細長い上に市の南北を結ぶ鉄道がない。2005年に合併した中津川市の面積は実は琵琶湖なみに
でかくて広いのである。しかも中津川市の高校は市の南のほうにへばりつく形になっているのに水菜の実家のある加子母はよりによって最北端なのである。
都会だったら私立に通えばいいじゃんという話にもなろうが、そもそも田舎というのは基本的に公立高校しか存在しないものである。中津川に一番近い私立高校は中津川市の隣の隣、瑞浪市である。
「ひとり暮らしか……おれは無理だったのに……はあ」
「伊沢くんためいきモードね」
「まあな。親にひとり暮らし却下されて、それで松野家に滞在してるんだ」
「松野家……ってまさかあんた麻美と二人暮らしなの」
「うむ実は3人暮らしなんだけどね。もう一人は麻美の母親の人」
「それはそれで大変そうね」とうなずく水菜。
「まあね」
「ところで市内なのに遠いってそんなに遠いのかな、出口さん」
「遠いわよ。バスで片道約2時間。定期の運賃がなんと約4万2千円」
「4万……半年で4万だよな」
「ぶっぶー。1ヶ月で4万2千よ」
「なんでそんなに高いんだ」
「解説するとね、田舎のバス運賃は都会と違って青天井だからね」
「それにしても4万2千とはすごいなあ……マンションの家賃は」
「5万くらい。ほらほらバス代と大して変わらないでしょ」
「水菜、それって学校の近くのマンションなのかな」と麻美がたずねた。
「中津川駅にも近いわよ。シティタワー・スピカっていう10階建て」
「うわっ。新築ぴかぴかぴかぴかのマンションじゃない。すごいわねえ」
「そんなにすごいのか、麻美」
「だってだって。駅にも近いし学校にも近いし、3月に出来たばかりだし、この町じゃ
10階建てなんて珍しいし、そもそも田舎だからね」
そもそも中津川市の場合高いビルがもともと少ない。市役所は4階建て、市駅前ビルにしても6階建て、市内最大のスーパーであるアピスタスカ中津川店にしても4階建てにすぎないのである。
「名古屋は高いビルでいっぱい。セントラルタワーズとかミッドランドスクエアとかルーセントタワーとかスパイラルタワーズとか。ただ名駅摩天楼は中途半端」と水菜。
「なにぃ。どこが中途半端なんだよ」
「ミッドランドスクエア高さ247メートル。ちっちっちっ日本じゃ5番目」
棒読みっぽい口調で水菜がいう。
「……ああそうだよ。それがどうした」と和彦。
「どうせなら300メートルくらいにすればいいのに。そうすればランドマークタワーを抜いて日本一。だから中途半端」
「確かにそういう意味なら中途半端だけどな」
うなずく和彦であった。休み時間がそろそろ終わろうとしていた。
★2007年6月
「上原さんってどこから通ってるの」と和彦。
水菜の友人である上原信子と麻美はすっかり仲良くなっていた。
二人ともなんとなくきがあうのだ。ずっと昔から友達のようなきがすると信子がいっ
たときに麻美もそれにあっさり同意したものだ。
麻美と一緒にいることが多い和彦もなしくずしに上原と仲良くなっていた。
「おれよりも先に電車に乗ってるから、長野県民なのは確実として」
「ダウト。長野県の住人のことは信州人ていうのが正しい言葉だから」
「あ……麻美、そうなのか」
「まあね。私も前に知り合いの信州人からそれ注意されたことあるよ」
「……昼神から通ってるのかな」
昼神は、神坂の次の駅である。神坂駅を発車するとすぐに神坂トンネルに入る。トンネルの中には2つの信号所があるが、最初の信号所がちょうど県境になる。
13キロに及ぶトンネルを出るとすぐに昼神駅である。昼神は温泉観光地である。
つぶれかかっていたところに、中津川線の工事で温泉がどかどかと出るようになった。
もしも中津川線の工事がなかったら昼神温泉は21世紀を迎えることはなかっただろう。
「残念賞。飯田駅から通ってるのよ」と信子。
飯田駅はいいなか鉄道の終点である。中津川からは37キロ。
「飯田って……結構遠いようなきが」と麻美。
「うちは飯田駅そばのアパートだし、家から学校までざっと一時間くらいかな」
「へえそうなんだ」
★2007年10月
10月になった。後期の授業が始まった。
中津東だけでなく、当時すでに岐阜県の高校は二学期制が多かった。
土曜日。和彦と麻美と水菜は、信子のすすめに応じて飯田に行くことになった。
3人が飯田にいったことがないというのでそれなら一度来なさいよというわけで
ある。
水菜は、マンションを出ると中津川駅へ向かった。
4番線を使うのは初めてである。やがて電車がやってきた。2両。
2両めの一番後ろに乗り込む。やがて出発。
水菜は電車に乗った経験が少ない。実家は、中津川駅と下呂駅のどちらも遠く、両親と姉はそれぞれ車を持っているので車に乗ることがほとんどだったのだ。
美濃落合駅をすぎる。またトンネル。そして神坂駅。
「グッモーニン」と麻美。
「グーテンモルゲン」と返す水菜。
「おはよう」と和彦。
車内は結構おしゃべりが聞こえる。ほとんどが観光客みたいに思える。
すぐに神坂トンネルにはいる。
「……ずいぶん長いトンネルね」と水菜。
「13キロあるからね。私も初めてだけど」と麻美。
トンネルから出るとすぐに昼神駅。かなりの人が降りる。
そして終点飯田駅。
「飯田駅って赤いんだね」と水菜。
飯田駅の屋根は確かに赤い。りんごの街だからだろうか。
「そうね。まあ見慣れてるからこんなもんかと思うけど」と信子。
「中津川駅なんて灰色だもの。あれよりはましだと思うけど」
中津川駅は2階建て。確かに灰色のベタである。見栄えはいまひとつだ。
4人は飯田駅の近くでうろうろとみて回る。
「上原さん。さっきからみてて思うけど、なんか松本ナンバーの車が多いのはどうしてかな」
「……ここは松本ナンバーよ。うちの車だって松本ナンバーよ」
「へえ。飯田って松本ナンバーなんだ」
「そうよ。長野県のナンバーは北部が長野、南部が松本なの。わかったかしら」
「了解」
「信子、ダウト」と麻美。
「麻美……なにがダウトなの」
「諏訪ナンバー、忘れてませんか」
「……ああっしまったあ。確かにその通りね。諏訪ナンバーなんてほとんどみかけないから……はぁ」
「諏訪ナンバーっていうとどのあたりだ。諏訪湖のあたりでいいのかな」
「それでいいわよ。いわゆるご当地ナンバーってやつ」
「へえそうか」
「麻美、こっちから質問するわよ。愛知県と岐阜県と三重県のナンバー全部」
「おいおい。いきなりそれかい」とつっこむ和彦。
「まかして。大丈夫よ」
「いいのか」と和彦。
「もちろん。名古屋・三河・豊橋・尾張小牧、豊田・岡崎・一宮、岐阜・飛騨、三重・鈴鹿」
「……見事ねさすがだわ」
「ふっふっふ」
★2007年12月
麻美が和彦に告白して二人の恋人としてのつきあいが始まった。
麻美にしてみれば和彦は気をつかわなくていいからということらしいが。
二人の友人たちもそれぞれに祝福してくれた。
さっそく遊園地にデートに行こうと麻美は言い出したが、少し遅かった。
市内にある唯一の遊園地である恵那峡ワンダフルランドは、一度閉鎖された遊園地で
ある。復活後は3~11月の営業であり、冬季休業に突入していたのである。
そこで麻美はそれじゃスケート場に行こうと言い出した。隣の恵那市にある県クリスタルヒルパーク東濃恵那スケート場は、スケート場としては11~3月の営業であり、こちらはすでに営業中であった。
そこは日本最西端の国際規格400メートルトラックな屋外スケート場。
県で最後から2番目のスケート場と呼ばれている。実は岐阜県のスケート場はわずか2つしか残っていないのだ。もっとも新岐阜百貨店の道連れになり、県で残り1店になってしまったコーヒーチェーン、スペースバックスよりはまだましだが。
スケート場は中津川からJRで名古屋方面に3駅行った武並駅から少し南にある。
武並駅は静かなたたずまいの駅で、駅前には喫茶店とJAのキャッシュコーナーがある、見上げると国道19号が見える。そんな静かな場所だ。
武並駅とスケート場は恵那市の西部の武並町にある。
この年夏はかなり熱く、最高気温の日本新記録が出たくらいであった。
そして冬はというと、かなり暖かだった。だから中津川でも雪は数回降った程度で春を迎えたのである。
★2027年
「かろうじて間に合ったわね」と麻美。
「そうだな」と和彦。
二人は、プラットホームに止まっている列車に乗り込んだ。
2027年。JR品川駅。
この年暫定開業したリニア中央新幹線のホームである。
中央新幹線は、品川-名古屋-新大阪のルートであるが、経済的都合からとりあえず、品川-名古屋の暫定開業となっている。
名古屋-新大阪はもちろん工事続行中であり、当然全線開通が目標とされている。
年々財政が悪化する政府は建設に消極的だったため、JR東海は、自社で全額負担。
開業は世界の鉄道界に驚愕を持って迎えられた。なにしろマグレブリニアだ。
時速500キロメートル。そして最終的には約10兆円に及ぶ巨大な建設費。
中央新幹線は、話題と人気と注目を集め、座席の確保も一苦労である。
それは20両編成のL0系。白と青の車体。
その車内は広々としているとはとてもいえなかった。高速で走るため、車体はコンパクトに設計されており、天井が低いのだ。
定刻になると、その新幹線はなめらかに発車した。
しばらくして、車輪を格納して浮上走行に。
リニア自体はわりと静かなのだが、日本の鉄道なので、当然頻繁に放送が入るため車内はずっと静かとは言い難い。
「ほら、起きて起きて、和彦」
「……おお。もうそろそろか」
「もうすぐ飯田よ」
リニアはスピードを落としているようで、車両前方ドア上部の速度表示が、減っていく。飯田駅構内を「通過」するため減速しているのだ。
飯田駅を通過するとまた速度が上がり始めると車内放送が入る。
「次は岐阜坂本です……」
その後は、名古屋行き電車と中津川行き電車の案内が入る。
そして、リニアは神坂トンネルを通過する。
実は、リニア中央新幹線の建設に際して、神坂トンネルは新幹線用に転用されることになったのだ。もちろん21世紀日本の建築技術なら恵那山にトンネルをつくるのは困難なものではない。だが建設費の節約のためにトンネル転用が決定されたのだ。
これに伴い、いいなか鉄道は2021年に廃線となり、いいなか鉄道はいいなかバスに改名してバスが運行されるようになったのだが、リニア開業後はただでさえ少ない利用客がさらに減っており、経営は厳しさを増している。
「久しぶりだね、中津川に戻ってくるのも」
「そうだな」と和彦が答える。
岐阜坂本駅。二人は降り立った。
岐阜坂本駅は、中央新幹線開業時に美乃坂本駅から改称した。
当時の県庁は岐阜県の駅であることを強調するための改称だと説明していた。
岐阜坂本駅は、中津川駅のすぐとなりの駅である。
新幹線駅のぴかぴかな大きな駅舎は、在来線の小さな駅舎とつながっている。
「このあたりはあんまり昔と変わってないわね」
「新幹線が止まるようになったわりにはな」と皮肉る和彦。
「そうね」
そんな二人のところへ歩み寄ってくる白い格好の女性。
「あんたたちは相変わらずラブラブでうらやましいわね」
「水菜は元気でやってるみたいね」
「まあね」
「それから麻美、プラネット大賞受賞おめでとう」
「ありがと」
「さあパーティーが待ってるわよ」
「はいはい」
Fin.
もしも、国鉄中津川線が開業してその後第三セクターになっていたら。
……というのがこの話のコンセプトなわけです。
史実では神坂トンネルが途中で崩れて、その後民営化に向けて予算が少なくなってついには民営化によってとどめをさされた国鉄中津川線。
ありえたかもしれないもうひとつの歴史というテーマでせまってみました。
いいなか鉄道のネーミングについては、史実で実在していた飯田駅~中津川駅の高速バス「いいなかライナー」から取っています。
駅名は計画時の駅名をそのままですね(爆)。まあ史実じゃ開業してませんもの。
作中のコンビニ。ラーソンとセブンツースリーはどこがモデルかは察してください
ませ。一応現実世界をある程度反射させた描き方になっています。
中津東高校は筆者の母校がモデルです。名前はちょっとかえてありますけど(爆)。
ちょうど2007年に統合したので小説にもそういう描写をいれてみました。
遊園地とスケート場もモデルがあって、ほぼそれをトレースさせています。
リニアについては、
建設費節約のために神坂トンネルを転用するというかたちで中津川線がお役にたっていますねえ(苦笑)
リニアは実際に載るのは難しいですよね。(山梨の実験線は遠いからねえ)
一応、愛知万博でリニア館にいったりしてるし、資料とかを読んだりしつつかいてみました。
この話のジャンルはあえていうなら、「第3セクター鉄道もの」ということになります。「迷い家ステーション」(群馬県の架空の第3セクター鉄道、虹湯鉄道終着駅の迷
い家駅の物語)みたいな話をめざしてみたんですけど、私にはやはりムリだったかなあ……と思います。今はこれがせいいっぱい、かな。
ではでは。
BLUESTAR
2007/11/12
p.s.
自分のサイト「BLUESTAR NOVELLAND」に掲載、2007年。
「小説家になろう」掲載にあたり改稿して分割、2013/5/5。
本作は、改変歴史もので、架空鉄道?ものです。
史実じゃ中津川線開業してないから。
改稿にあたっては、少し文章が減っています。
番地は架空のものなので探さないように。
市町村合併に関する記述が結構あったのでそれを減らしています。
それから一番最後の2025年リニアのパートを、現実世界を反映させて2027年に変更しています。
そのため2025年では東京駅51番ホームだったのが品川になりました(爆)
岐阜坂本駅も改稿版で初登場です。
by BLUESTAR
2013/5/5