かご
3000文字程度の、ショートショート作品です。
「これでよし、と」
最後の宿題を終えたぼくは、シャーペンを机の上に置いた。
「明日からまた学校か……やだなぁ」
今日は夏休みの最終日。明日からは再び学校に行かなければならない。そう思うと、どんどん気が滅入っていく。
「いじめられるのが、そんなに怖い?」
机に突っ伏すぼくに、顔の真横から声がかかった。ぼくは首をねじって声の主へと顔を向ける。
「当たり前だろう。いじめられて嬉しい奴なんているもんか」
ぼくの視線の先には、白い大きな鳥かごがあった。その中には、一匹のカナリア。
「そんなに嫌なら行かなきゃいいのに」
「そういう訳にはいかないんだよ。ペチャにはわかんないだろうけどさ」
ペチャというのは、このカナリアの名前だ。ペチャクチャうるさいから、ペチャだ。
ペチャは人の言葉を話す。いや、もしかしたらぼくの方がペチャの言葉がわかるのかもしれない。ペチャはぼく以外の人がいると、絶対に人間の言葉で喋らないのだ。
「うん、わかんないね。どうして? どうして行かなきゃいけないの?」
「だって、行かなきゃ怒られるし…………そういう決まりなんだよ」
少しイラついた声でぼくは答える。
「ふーん。人間ってのは不便だね、そんなありもしない物に縛られてさ。まるでかごの中の鳥だ」
「お前にだけは言われたくないよ、そのセリフ」
「ぼくだからこそ言うんだよ。ぼくはこんなかごに閉じ込められてなにもできないのに、自由なはずの君たちも思うように生きられない。どっちがかごの鳥か、わかったものじゃないね」
ペチャはたまにこういうことを言う。小難しいことをつらつらと、少し人のことを馬鹿にしたような物言いで。
「……もう寝る。明日は早いし」
「そっか。それじゃあ、おやすみ。明日こそいじめられっ子生活から脱却できるといいね」
嫌味を言ってきたペチャを一度睨んでから、ぼくは部屋の電気を消した。
「あの子、まだペチャのかごに向かって話しかけてるんですよ」
「仕方ないだろう。赤ん坊の頃からずっと一緒だったんだ」
「それはそうですけど……心配だわ」
ぼくが学校から帰ってくると、父さんと母さんがなにやら話していた。どうやらぼくのことのようだ。
ぼくがわざと大きめの声で「ただいま」と言うと、母さんはちょっと慌てた感じで返してきた。
ぼくはそれ以上何も言わずに、二階の自室へと向かう。
「お帰り。どうしたんだい、何か嫌なことでもあった?」
部屋に入ると同時に、お喋りのペチャがさっそく話しかけてきた。
「……母さんがぼくのいないところで、ぼくの話をしてた」
「あらら。でも、不機嫌の原因はそれだけじゃない感じ」
さすが長い間ずっと一緒にいるだけあって、ペチャはぼくの心を読むのがうまい。
「…………今日、ぼくのクラスに転校生がきたんだ」
「へえ、それで?」
「そいつ、ちょっと小太りのとろい感じの奴でさ。おまけに、暗い性格が一目でわかった」
「ははあ、読めた。その子、仲間外れくらったな」
「うん、休み時間とか自分の席で小さくなってたよ」
「君が話しかけてやればよかったのに」
「そんなことしたら、ぼくまで仲間外れにされちゃうじゃないか!」
「元々いじめられてるくせに……。それじゃあ、なんで君は不機嫌なんだい? 間違ったことをしたとは思ってないんだろう?」
「それはそうだけど……」
「君がイラついているのは、間違ったことをしたと思ってるからだよ。自分が本当にしたい行動をできなくて、する勇気がなくて、そんな自分が情けないんだ」
「……なんで、そんなことわかるんだよ」
「わかるさ、君のことならなんでも」
ペチャは無表情の瞳でこちらを見つめてくる。この目が、ぼくは少し苦手だ。
「君は、君のやりたいことをやればいいんだよ。くだらないこと気にして、望まない生き方しちゃいけない。なにより、勇気がなくてしたいこともできない、そんな根性なしが僕の飼い主だなんてごめんだからね」
「……うるさい、余計なお世話だ」
ぼくはペチャと反対の方向を向き、読みかけの漫画を手に取った。
次の日の昼休み、ぼくは気になる光景に出くわした。
例の転校生が、塀によじ登って学校の外を見ていたのだ。
ぼくはそのまま素通りしようかと思ったが、昨日のペチャの言葉が脳裏を過った。もう、根性なしなんて言われるのはごめんだ。
「…………なに、してんの?」
ぼくが意を決して話しかける。転校生は一度こちらへ目を向け、再び学校の外を見て呟いた。
「……あれ」
ぼくも塀をのぼり、転校生の指さす方を見る。そこには二羽のカラスがいた。しかし片方は地面を跳ねるだけで、一向に飛ぼうとしない。どうやら怪我をしているようだ。もう一方のカラスは、電線の上から必死に呼びかけている。
「……飛べなくなった鳥は、野生じゃ生きていけない。前テレビで言ってた」
「…………そう、なんだ」
もう一度、怪我をしたカラスを見つめた。何度も跳び上がって羽を広げ、しかし飛べずに、仲間へ向かって叫んでいる。その乾いた声は、耳にひどく突き刺さった。
「ねぇ、助けてあげない?」
ぼくはそう言いながら、塀を跨ごうとする。
「でも、一度人間に世話された動物は自然じゃ生きていけない、っていうのも聞いたことがある」
転校生のささやくようなその言葉に、ぼくは動きを止めた。
「そっか……そう、だね」
ぼくは足を戻し、再び転校生の横に並んだ。カラスが叫ぶ。
ぼくらは、昼休みが終わるまでの間、ずっとその声を聞いていた。
「やあ、お帰り。何やら珍妙な顔をしているね」
帰宅早々、ペチャが話しかけてきた。
「……ねえ、ペチャはかごの外に出たい?」
ぼくはペチャの入ったかごを、横から両手で挟んで、覗き込む。
「どうしたの、いきなり? ……そりゃあね、出たいよ」
「危険なことがいっぱいあるかもしれないのに?」
「……うん。それでも、出たいよ」
「外じゃあ生きていけないのに?」
「安全なかごの中で、何もできずに生きて、どれほどの意味があるんだい?」
その後、しばし無言で見つめ合った。ペチャの無表情の瞳が、今は嫌に思わなかった。
「…………そっか。それじゃあ、お別れだ」
かごを机に置いたぼくは、部屋の窓を開き、ペチャを見つめる。
「転校生と話をしたんだ。そしたらそいつ、案外いい奴だったよ。ペチャ言ってたろ、やりたいことをやればいいって。……これからは、そうするよ」
「…………そっか。それじゃあ、お別れだ」
ペチャのその言葉を聞き、ぼくは、ゆっくりとかごの戸を開く。
そこにはもう、ペチャの姿も、エサ入れも、羽の一つも残っていなかった。
開けられたかごの戸が、窓から入ってくる風で揺れる。金属の擦れる音が、お喋りのいない部屋に響いた。
「……さよなら、ペチャ」
ぼくは窓から、庭に作られたペチャの墓を見下ろした。