なんでそうなるんですか!?
「恋がしたい!」
「はぁ……」
突拍子もない発言に私はいつものように適当な相槌を打った。この突拍子もないセリフは残念ながら春で頭が温かくなっているための発言ではない。
生まれてから今年で早16年目。父親が彼の父の秘書をしているが為に気がつけば彼の遊び相手となっていた。物心ついた頃から何の脈絡もなくあれがしたいこれがしたいと言い出す彼の要望を時に叶え、時にたしなめたり時に握り潰すのが私の役目だ。
「恋、ですか。相手は?」
彼ならば三丁目の池田さんの家のペットの太郎君と言いだしたところで驚かない。普通の女性だと後々の対処が面倒になるかもしれないのでむしろ歓迎する。
「お前」
指さされたのは私の顔だ。どうやら今回は手じかなところで済ませることにしたらしい。そんなに恋とやらがしたいのか。準備する必要なくて助かった。
「そうですか。了解です」
「ああ。ところで、恋ってのはどうやったら始まるんだ? 漫画とかだと廊下でぶつかったればいいらしいんだが」
彼はいったい何十年前の少女漫画を参考にしたのだろうか。
「まあせっかく私たちは幼馴染なので、離れてお互いの大切さに気づくという路線でいかがでしょうか」
たまには彼の子守から離れて羽を伸ばしたいというささやかな願いをこめて言ってみる。
「何言ってるんだよ。俺はお前の大切さは十分わかってる! もちろんお前もだろ?」
そりゃ大切だと分かっているからこそこうして子守を十何年もやってるんですよ、親の仕事に、ひいては収入に差し支えることのないために。
「あ、じゃあなんかお互いの意外な一面をみてドキドキ!? なんて展開はどうだ」
どうだと言われても、意外な一面なんてこの裏表がなさ過ぎて将来が心配になってくるこの馬鹿にあるのだろうかという感想しか出てこない。
「はぁ。まあいいんじゃないでしょうか」
さて、思っても口にしないことを覚えたのはいつだっただろう。
「というわけで脱げ」
「意味が分かりません」
よし場所を変えようとさくさく彼の部屋まで行くと一言そう命じられた。さすがに聞けるかこの馬鹿と内心罵る。
「あのなあ、俺だって馬鹿じゃないんだ」
馬鹿は自分が馬鹿だと知らないからこそ馬鹿なんだよ。
「俺とお前はほぼ四十六時中一緒にいる。そしてだいたい16年くらい生きてきた。離れていた期間があるわけでもないのに知らない面なんてそうそうあるとは思えない。あるとしたらここ数年一緒に風呂に入らなくなったために分からなくなったお互いの発育状態くら――ぐっ」
さすがに鳩尾にこぶしを入れた。セクハラを通り越している。おじ様は育て方を間違えた。
「あなたが冗談を言っているわけではないことは残念ながらわかります。私の知らない面が見たいということでしたら他をお見せいたしましょう。というか、今見せました。私、実は結構力強いです」
「くっ……そのようだな……まだ、痛い……」
「喧嘩も強いです。試してみますか?」
軽くキレながら微笑むと、彼は口をひきつらせた。
「い、いいいや、いい、いい。うん、意外な一面だった。びっくりだ。ドキドキだ」
「それはよかったですね」
あらゆる人に後先構わず喧嘩を売りまくる彼のフォローも私の仕事だった。必然的に言葉が通じない人とはこぶしで語り合うこととなり、いろいろと強くなったものだ。ああ、早く自立したい。この馬鹿から離れたい。
「じゃ、じゃあ今度は俺がお前に意外な一面を見せる番だな!」
「はぁ」
ふと時計に目をやる。ああ、そろそろ夕食の時間だ。帰りたい。
ごそごそとベットの下に手をやったのを見て思わず眉をしかめる。年齢制限のある本とか出してきて、「実はこういうのが趣味なんだ」とかやられたら息の根を止めない自信がない。
しかし、ひそかに構えをとる私の前に出されたのは――剣だった。
それもあまり実用性のなさそうなごてごてとした装飾のついた重そうな剣だ。しかも鞘がない。
「……えっと?」
「実は俺、昨日異世界に召喚されて勇者になったんだ。見てろよー」
すーっと息を吸い、ハァッと剣を部屋の壁に突き刺したと思ったら、そこには黒い穴が開いていた。
「どうだ、ここから異世界に行けるんだぞ。すごいだろ!」
えっへんと自慢話のようなテンションで言う彼の首に手刀を入れて気絶させる。そして壁に刺さったままになっている剣を恐る恐る引き抜くと、黒い穴は最初からなかったかのように消えて普通の壁になった。
「……よし」
彼をベットの上に転がし、私は剣を新聞紙で包んだ。不燃ごみでいいのだろうか。
「んー」
目をこすりつつ起き上がった彼はまだ眠気の覚めない顔できょろきょろと部屋を見渡した。
「どうしましたか?」
「いや、異世界に召喚されて剣を貰ってな、その剣を使うと異世界とこっちを自由に行き来できるから、お前にカッコいいところ見せてやろうと思ってな」
「へえ、わざわざ私を異世界に連れて行ってくれようとする夢を見たんですね」
「ゆめ? ……夢かあ。そっか。夢だったのか」
「ええ、そうですよ。異世界なんてあるわけないじゃないですか」
そうかぁ。と彼は少しがっかりした顔でため息を吐く。ため息を吐きたいのはこっちである。厄介事はせめてこの世界の中に収めてほしい。異世界まで行って尻ぬぐいしたくない。
勝手知ったる他人の家とばかりに彼が眠っている間に淹れた緑茶を堪能する。さすが金持ちだけあって良い葉が常備されていた。
「なぁ、俺がどんな男だったら惚れる?」
まだ引きずるのかと呆れる。恋の話も夢の中のものと忘れてくれないかと期待していたのに。
「そうですね。なんでも自分でできるようになって、私がいなくなっても平気になったら」
今のままでは子守という感覚しかない。同い年なのに。
「そしたらずっと一緒にいてくれるか?」
「……どうかしたんですか?」
一緒にいろ!という台詞は小さいころから何度も聞いたが、疑問形は初めてだ。いつもむやみに強気で自分の希望は99%叶うと信じている彼の台詞とは思えない。
「父さんが、言うんだ。いつまでもお前が面倒みてくれるわけじゃないって……母さんも、お前に恋人が出来たらどうするんだって……」
どうやらご両親はようやく私離れを促すことにしたらしい。もっと早くやって欲しかった。
「でも、俺はお前がいないと嫌だ。だから、俺がお前の恋人になれば離れないだろ? ずっと一緒にいてくれるだろ?」
すがるような目で見られて、さてなんと返そうかと迷う。
さすがに生まれてから16年間一緒に過ごしてきた相手だ。情もあるしもちろん嫌いなわけではない。面倒だと感じることも多いが、馬鹿な子ほど可愛いともいう。
――とはいえ、結婚や恋愛となると話は別である。
それにこれはいわゆるあれだ。姉離れできない弟がお姉ちゃん結婚しないでーとか言ってるのと同じだ。恋愛感情を持たれているわけではない。だからといって安易な言葉を返せば、恋人になれて結婚もできる関係なので死亡フラグになりかねない。
私はにっこりと完璧な笑顔を作った。
「私はあなたに恋愛感情を抱かなくても、ずっと一緒にいますよ。だから安心して下さい。無理に私に恋をしようと思わなくても、あなたなら素敵な方が現れます」
そしてあなたに恋人もしくは婚約者ができればお邪魔にならないようにと速やかに消える所存です。全力でささっと消えます。
「よし、じゃあ婚約しよう!」
「なんでそうなるんですか!?」
あまりの突拍子のなさについ平常心を失いかける。落ち着け私。突拍子のなさにも、話が通じないのにも慣れてるはず。今冷静な対応をしないと後でどうなるか分からない!
「だって、一緒にいてくれるんだろ? だったら結婚してもいいだろ?」
「一緒にいることは結婚することとは、全くイコールではないです。分かりますよね?」
「でも、結婚するには年齢が足りないから婚約で」
「話を聞いてないのは毎度のことですが今回は一段とひどいですよ。あなたの頭の横に着いているのは飾りですか、飾りなんですね!」
思わずぐいぐいと両耳を引っ張ると涙目になりながら抵抗される。泣きたいのはこっちだ。
結局言葉を撤回させられなかった数日後、私の両親と彼の両親から正式に婚約するようにとの話がきた。
私にできたのはくらくらする頭を抱えながら家出のための準備を始めることだけだった。