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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第1章 玄冬の出会い
9/16

墨月と夜廻 2


 そろそろ八つ時(十五時)の休憩時間になろうかというときだった。


「お珠」


 女中たちが縫い物をしている小間にやってきた真弓が、珠姫を短く呼んで手招いた。

 このとき、少しだけ嫌な予感がした。真弓は不機嫌そうでもなく怒ってもいなかったが、こちらを見る目はいつもと違ってどことなく訝しげに思えたからだ。


「休憩前にすまないね。ちょっと一緒に来ておくれ」


 そう言って連れていかれたのは母屋に続く渡殿だ。そこに立っていた鉛色の狩衣の男に、真弓は丁寧にお辞儀をした。


「お待たせしました、椋人様」


 椋人と呼ばれた男は二十代半ばくらいだろうか。大柄だが威圧感はなく、朴訥とした印象で、珠姫を見る目は静かで澄んでいる。


(墨月一族の巫術師)


 墨染邸に詰める巫術師は普段母屋か術師所にいて、使用人と直接関わることはない。それがいったいなんの用なのか。緊張したふりをして視線を落としながら珠姫はおずおずと頭を下げてみせた。


主人(あるじ)がお呼びだ。こちらへ」

(……主人?)


 それは、墨月一族の当主のことなのか。何故珠姫を呼びつけるのか。

 しかし行きたくないと言えるはずはなく、真弓に「お行き」と促されて、先導する椋人に続いた。


 初めて足を踏み入れた墨染邸の母屋はひっそりとしていた。華やかさに欠けるというより、あえて水墨画の静けさを選んだような整った静寂だ。兄弟姉妹はおらず血縁も住まわせず、現当主だけが暮らしているので人の気配が薄いのだろう。


 庭木も、橋も池も、雪で真っ白に覆われた南庭を眺める弘庇ひろびさしから、西の透廊すきろうを行く。行き止まりは池の上に張り出した釣殿つりどのだ。


 池の中島の椿の花々に珠姫は思わず目を奪われた。

 まるで椿の花園だった。眩しく浮かび上がる花の紅、艶めいた常緑の葉は、雪の庭においてこの世のものとは思えないほど美しい。

 その椿を前に立つ人もまた、夢幻のように現実味がなかった。


「玄夜様」


 白い景色の中の、漆黒。


 夜半の黒髪、三日月の顔容、雪の白に交わることない漆黒の衣の厳かな立ち姿。


 目が合った、その瞬間、珠姫は反射的に叩頭した。服従を示したわけではない。顔を見られまいと身体が勝手に動いていた。


(なんで。なんで。どうして。こんな)


 墨月一族当主、墨月玄夜。

 それは、昨夜遭遇した、あの巫術師の男だった。


 まさか、ばれたのか。いや顔を隠していたのにわかるわけがない。昨夜初めて遭遇した。墨染邸では一度も顔を合わせたことがない。いつから。最初からか。もしかして泳がされていたのか。身を守るためにいま取るべき行動は。


 ぎしりと床板を鳴らして椋人が離れていったので、珠姫は引き攣る顔を隠すようにさらに深く頭を下げる。


「おいで」


 恐れ慄き歯噛みする心の内を知ることなく、墨月玄夜は当主の名にふさわしい貫禄でもって珠姫を呼び寄せた。


 いったいどういうつもりか。


 冷や汗を流してぐるぐると目を回しながら中島に下り、離れたところに控えて顔を上げられないでいる珠姫の耳に、ぱちん、ばちん、と花鋏で花を切る音が届く。


「花は好きかい?」


 話題は春氷、だが声にはかすかに冷風が吹いている。


「……花、によります」

「ああ、私もそうだな。花は好きだが、睡蓮の佇まいがなんとなく不気味で苦手なんだ」


 そう言って、彼は珠姫に椿の枝を差し出した。


 椿は天願国の重宝だ。桜や梅には劣ると見られることもあるが、種から取れる油は髪に、材木は細工ものに、炭にすれば上質、灰も染め物に使われる。花も葉も果実も薬となり、食べることもできた。そして何より魔除けの花でもある。


 間近で見た男の瞳は青みがかった黒橡色をしていた。


 花を受け取る。わずかに触れてしまった骨ばった指は、見た目通りに白く冷たい。


「そう、その手だった」

「――っ!?」


 謎めいた呟きを聞いた。次の瞬間、伸ばされた手が、椿の枝ごと珠姫の手を掴んでいた。


「おはよう、『夜廻』。昨夜はよく眠れたかい?」


 叫ぶこともできなかった。

 さあっと血の気の引く音がする。逃れようと身を引くが、彼の手は緩むどころかますます強くなる。


「あの、は、離して……」

「逃げるとわかっていて離す阿呆はいない。ああ、巫術は使うな。結界が発動して、無事では済まなくなる」

「なんの、ことだか……」

土器かわらけ


 珠姫はびくりとして動きを止めた。


「呪物の欠片、それを追ったら我が家にたどり着いた。調査するつもりだったか隠そうとしたが時間がなくて持ち帰ったか、そのどちらかだろう?」

「…………」

「もう一度言う。君を捕縛しに来たわけではない。ただ話がしたい」


 なおも抵抗して目を逸らし続ける珠姫の耳元で、彼は囁いた。


「呪詛を行った巫術師がどうなったか、知りたくないか?」

「――――」


 遠いところで雪の落ちる音がした。


 珠姫は目を閉じると、深く大きく息を吐いた。

 やがて顔を上げたとき、混乱し、戸惑い怯えている女中の娘はどこにもいなかった。そこにいたのは、震えて縮こまる身体を脱ぎ捨てて真っ向から黒橡の瞳を見据える巫術師の珠姫だった。


「手を離していただけませんか?」


 続けて「逃げません」と告げる。


「逃げても追ってこられると、昨夜のことで身に染みています」


 くす、と玄夜は笑みを零した。


「誰にでもこんなことをするわけではないことは理解しておいてくれ」


 信用できない。ちらりと視線で刺すとますます楽しそうな顔をされたが、手はちゃんと離してくれた。だが「手を貸してくれ」と切った椿の枝を運ばされたのは少々解せなかった。

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